首の行方


問題編



「――では、そこのお嬢さん」
 突然指名されて、西永瑞穂は、目を丸くして口の中の伊勢エビを飲み込んだ。
 高級ホテルでのディナーショーは、まさに佳境を迎えていた。
 舞台の上には、大仰なギロチンがそびえ立っている。
 舞台の上で妖艶に踊っていた女性が、普通とは逆に仰向けにギロチンに戒められ、布で客たちの目から隠された次の瞬間に重い刃が落ち――そして、無残に斬首の刑に処せられたのは、いつの間にかすり替わっていたマネキン人形だった。
 そして、驚嘆の声と惜しみない拍手が一段落した後、舞台上の魔術師が次の犠牲者に指名したのが、瑞穂だったのである。
「え、えと、えと、さ、智視ちゃん、どうしよ」
 瑞穂が、明らかにうろたえながら、傍らの林堂に訊く。
「せっかくだから行けばいいだろ?」
 瑞穂の瞳に、どこか倒錯した期待の色を読み取った林堂が、外見上は何でもなさそうな表情で言う。
 瑞穂をこのディナーショーに招待したのは、林堂である。何でも、このホテルの経営者だか、その友人だかに関する事件を解決した謝礼の一環としてペアチケットを譲られたと、瑞穂は聞いている。
 瑞穂としては、ディナーそのものにも魅力を感じないではなかったが、舞台に希代のマジシャン霧宮蒼利が立つと聞いて、一も二もなく林堂の招待を受けたのだった。
 霧宮蒼利――シリアスで猟奇的な演出が特徴の、正統派マジシャンである。得意とするのは、人体切断や人間消失、及び密閉空間からの脱出を扱うマジック。最近ではテレビでの露出も増えており、その日本人離れした彫りの深い怜悧な風貌もあって、特に女性のファンを増やしている。
 そして、瑞穂も、霧宮の鮮やかなマジックに魅せられた一人であった。
「どうぞ……」
 霧宮が、手の平を上にした右手の指を滑らかに折り、瑞穂を招く。
 瑞穂は、まるで催眠術にでも操られているようなぎくしゃくとした動きで、舞台に近付いた。
 響き渡るBGMは、舞台上の男が演出する魔術が、まだ終わっていないことを告げている。
「ようこそ」
 霧宮は、ただそれだけを言って、瑞穂の手を取り、舞台に上げる。
 そして、流れるような動作で瑞穂を導き、すでに刃を上げ直したギロチン台に、仰向けに横たえた。
 茫然とした表情の瑞穂が、ギラリと光るギロチンの刃を見上げる。
 霧宮は、さっきまでアシスタントの――もしくはマネキン人形の首を固定していた木製の首枷で、瑞穂の細い首を戒めた。
 首枷は、小学校にある児童用の机に、首を通すための穴を空けたもの、といった感じの大きさで、分厚く、いかにも頑丈そうだ。
 がちり、がちりと、霧宮が、首枷の金具を固定する。
 マジックの訓練を受けたアシスタントならともかく、一介の女子高生に過ぎない瑞穂が、この拘束から脱出するのは不可能だろう。
 その上、断頭台に再びセットされた刃は、先程、マネキン人形の首を切断したものと同じで、差し替えられた様子はない。
 普通に考えれば、霧宮が、ギロチンの紐を引いて刃が下に落ちた瞬間――瑞穂の首は、呆気なく胴体から切断されてしまうように見える。
 そんな状況にあって――瑞穂は、瞳を潤ませ、頬を上気させていた。
 憧れのマジシャンのマジックに参加している高揚感だけでは説明できないような、年に似合わない妖しい魅力が、その一見無表情な顔に滲んでいる。
 霧宮が、瑞穂の頬に手を近付け、愛しむように撫でるジェスチャーをした。
 だが、その指先は、瑞穂には触れていない。
 そして、その霧宮の手が、ギロチンの紐を握った。
 さっき、アシスタントの姿を隠していた布は、使われない。
 BGMが、次第にテンションを上げていく。
 このまま、あの重そうな刃を落とすのか――?
 客たちが、思わず固唾を飲み込んだその時だった。
 霧宮が紐を引き――一瞬遅れて、ダン! という音が響き渡る。
 客たちは息を飲み、中には小さな悲鳴を上げた女性もいた。
 瑞穂は、ただ、天井を見つめている。
 その首は――当然と言えば当然であるが――その胴体に繋がっていた。
「……私の断頭台は、人形は殺しましたが、人は、殺せませんでした」
 霧宮が、天を仰ぎながら、声を上げる。
 そして、霧宮がギロチンの刃を上げ、首枷の金具を外す。
 覚束無い足取りで瑞穂が舞台の上に立った時、客たちは、溜めていた息を吐き出しながら、先程以上の喝采を、舞台上の魔術師に送った。



「ちょ、ちょっと、智視ちゃん……」
 絨毯が敷かれ、巨大なショーケースの中に置き物が飾られたホテルの踊り場で、瑞穂は、小さく声を上げた。
 林堂は、秀麗な顔に表情を浮かべる事なく、瑞穂の体を壁に押し付けている。
 その右手は、取って置きのおめかしをした瑞穂のスカートをまくり上げ、さらにその奥へと侵入していた。
「ね、ねえ……誰か来るよ……」
 そう言いながら、自らを押さえ付ける林堂の腕の中で、瑞穂が身をよじる。
「瑞穂、濡れてる……」
 林堂が、瑞穂のショーツの中に指を滑り込ませながら、囁く。
「んく……だ、だって、こんなことされたら……」
「違うだろ……瑞穂、あのギロチンに拘束された時から、こうなってたんじゃないのか?」
「…………」
 瑞穂の沈黙と、ほんのりと染まったその頬が、林堂の言葉を肯定する。
「で、でも……こんな所でなんて……誰か来たら……」
「大丈夫だよ」
 どんな根拠があるのかそう断言し、林堂が、左手一つで瑞穂の両手首を掴む。
 そして、林堂は、瑞穂の両手を頭上に押し上げながら、右手の指を蠢かせた。
「んあっ、あ、ダメぇ……さ、智視ちゃんっ……んく、あううっ……」
 瑞穂の体から、徐々に力が抜けていく。
「ねえ、智視ちゃん……んくっ……! あ、あたしが、霧宮さんのマジックで濡れちゃったから、そ、それで怒ってるの?」
 喘ぎ混じりの瑞穂の問いに、林堂は答えない。
「んううっ、ご、誤解だよぉ……あたし、あの人のこと、そんなふうに思ってなんか……ああぁン……!」
 眉を切なげにたわめながら訴える瑞穂の膣内に、林堂が右手の中指を挿入する。
「はぁ、はぁ、あたしが好きなのは、智視ちゃんだけだよ……あうっ、う、浮気なんて、絶対にしてないから……そんな気持ちになんて、なったことないからぁ……! あああっ、し、信じてよぉ……!」
「……ああ、信じてるよ」
 林堂が、紅潮した瑞穂の顔に顔を寄せ、チュッ、チュッ、と半開きの唇に口付けする。
「んぷ、ぷあっ、あふ……だ、だったらどうして……あ、あぁン……!」
 すでに肉の莢から顔を出してしまっているクリトリスを刺激され、瑞穂は、高い声を上げた。
「ギロチンで処刑されそうになって興奮してる彼女なんて、いやらし過ぎてほっとけるわけないだろ」
 そう言いながら、林堂が、自らのペニスを露わにする。
「そんな……! ま、まさか、こんなところで……!」
 驚きに目を見張る瑞穂に、林堂が、淡い笑みを浮かべる。
 そして、林堂は、すでにぐっしょりと愛液に濡れたショーツのクロッチを横にずらし、勃起しているペニスの先端を、瑞穂の秘唇に押し付けた。
「あ……そんな、智視ちゃん……ダメだよぉ……」
 その言葉とは裏腹に、瑞穂の膣口が、亀頭をチュパチュパとしゃぶるようにひくつく。
 林堂は、その口元から笑みを消し、瑞穂の肉のぬかるみに、堅く強ばった肉棒をゆっくりと埋めていった。
「んあああっ……あ、あうっ……んあ、あはああぁぁぁ……!」
 まるで膣内に侵入したペニスに押し出されるように、瑞穂が、声を上げる。
 林堂は、根元まで肉棒を挿入してから、瑞穂の両手を解放した。
 瑞穂が、林堂の体にぎゅっとしがみつく。
「智視、ちゃん……はふぅ……んんんっ……!」
 何か言いかける瑞穂の唇を、林堂がキスで塞ぐ。
 そして、林堂は、瑞穂の体を壁に押し付けるように、腰を使い始めた。
「んっ、んんんんんっ、んく……んふ、んふぅ……んんん、ん、んううぅ……んぐっ、んくぅ……!」
 瑞穂が、切なげな鼻声を漏らしながら、林堂の背中に爪を立てる。
 林堂は、瑞穂の丸いヒップをまさぐるように愛撫しつつ、なおも腰を使い続けた。
「ふーっ、んふーっ、んふ、んふぅ……ん、んん、んっ、んうっ……んくっ、ん、んぐ……んふ、んふっ、んふうぅぅぅ……!」
 時折、瑞穂が、閉じかけの瞼をうっすらと開き、心配げに視線を左右に向ける。
 林堂は、そんな瑞穂の理性を突き崩そうとするかのように、肉棒を力強く繰り出した。
「んぐっ! ん、んふ、んふぅ……んぐぐ、んぐうっ……ふーっ、ふーっ、ふーっ……んぐ、うぐぅ!」
 子宮の入り口を突き上げられるように刺激され、瑞穂が、林堂と口付けたまま、喘ぐ。
 林堂は、瑞穂の腰を両手で固定し、小刻みに腰を使いだした。
「んうっ、うむむっ、うぐ……んっ、んんっ、んぐ……んふ、んふぅ……うううううっ……んっ! んんっ! んっ! んくッ、んんんんんんッ!」
 瑞穂が、ギュッと目を閉じ、切羽詰まった声を漏らす。
 溢れ出た愛液が、瑞穂の白い内股の内側を濡らし、ニーソックスに染みを作る。
「んーっ、んんーっ、んぐ……んうううううう! うっ、んぶっ、んぶぶ! ぷあっ! あ、あああ、あううううううっ!」
 瑞穂が、林堂のキスを振り払い、酸素を求めて大きく口を開ける。
「ハッ、ハッ、ハッ……! だめ、もうだめぇ……! あ、あううっ、うぐ……い、いっちゃうっ……!」
 瑞穂の膣壷が激しくうねり、自らを犯す林堂のペニスを逆に追い込んでいく。
 林堂は、最後のスパートに入りながら、再び瑞穂の唇に唇を重ねた。
「むぐぐっ! う、うぐ! ンうううううう! うぐ! んぐぅ! ううう! ンううううううううぅぅぅッ!」
 瑞穂が、くぐもった叫びを上げながら絶頂に達し、ビクッ、ビクッ、と体を痙攣させる。
 そして、林堂のペニスも、肉襞がざわめく密壷の中で、絶頂を迎えていた。
 二人の結合部の隙間から、白濁した体液がポタポタと滴り落ち、毛足の長い絨毯に染みを作る。
 しばらく、二人とも、互いの体をきつく抱き締めたまま、動かない。
「ぷは……あ、あはぁ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……んうっ、あふううぅ……」
 一分近く経って、ようやくキスから解放された瑞穂は、目許を桜色に染めたまま、大きく息をついた。
「はぁ……はぁ……もうっ、智視ちゃんたら……誰かに見られたらどうするつもりだったの……?」
「まあ、それなりに注意はしてたよ」
 身なりを整えながら、林堂が、涼しい顔で言う。
「俺達の下半身はショーケースの死角になってたし、上半身だけだったら抱き合ってキスしてるくらいにしか思われないだろ。あと、誰か来たら、ケースのガラスに反射して見えてたはずだ。それに、もうホテルの中のレストランとかは、閉店になってたし、そもそもこういうところに出入りして深夜まで飲み食いするような人達は、階段じゃなくてエレベーターを使うだろうしな」
「……けっこう冷静だったんだね」
 瑞穂が、どこか不満げな表情を浮かべる。
「冷静じゃなくて、真剣だったんだよ」
 瑞穂がしゃくに思うほど涼しげな口調で、林堂はそう言った。



「お待ちしていましたよ」
 ホテルのロビーまで来た二人にそう声をかけたのは、仕立てのいいスーツに身を包んだ霧宮蒼利だった。
 肩で切り揃えた漆黒の髪に、手入れの行き届いた上品な顎髭、そして、鋭角的な目鼻立ち――
 驚きとは別に、その肌の青白さもあいまって、どこか吸血鬼っぽいな、と、瑞穂はこっそり思ってしまう。
「マジックの続きを見せてくれるんですか?」
 林堂が、感情の動きを感じさせない声で、尋ねる。
「いえ、私がお会いしたかったのは、そちらの可愛らしいお嬢さんではなくて、君です。――林堂智視さん」
 霧宮の浮かべる笑みには、血の通った温かみがまるでない。
 それでも、霧宮が、林堂に対して友好的であろうとしていることは、瑞穂にも感じられた。
「誰かに俺のことを?」
「ええ。名探偵、林堂智視――その噂はかねがね聞いてますよ」
 霧宮の双眸が、真っ直ぐに林堂の顔を見つめた。
「面映ゆい――と言うより、ちょっと居心地が悪いですね。その名探偵ってのは」
 言葉とは裏腹に、特に物怖じした風もなく、林堂が言う。
「しかし、否定はしない、でしょう? 実際に何件もの事件を解決しているのだから」
「…………」
 林堂が、霧宮の言葉に、思慮深げに沈黙する。
「実は、君に頼みたいことがあるんですよ」
 霧宮は、特に気分を害した様子もなく、言葉を続けた。
「警察や、いわゆる興信所には、頼むことができないこと――まさしく名探偵にのみ、お願いできること。君も、そんな話を、内心では待ち兼ねていたんじゃないですか?」
「ロマンチストなんですね」
「たぶん、君と同じようにね」
 口元を三日月型に歪めながら、霧宮が言う。
 つい先程の行為の余韻が体の中から消え失せ、ぞくりと背筋に冷たいものが走るのを、瑞穂は感じた。
「ところで、何です? 頼みたいことって」
「――私は、狙われているんです」
 霧宮の笑みが大きくなり――その口元に、瑞穂は、一瞬だけだが、発達した犬歯の先端を見た。
「誰にです?」
「かつて私が犯した数多の罪のうちの一つに、です」
「そういう持って回った言い方には戸惑うんですけど」
「こう言った方が君の興味を引くと思ったんですがね。ともかく、何者かが私に危害を加えるのを、君に防いでほしい」
「警察に相談――できる類の話ではない、と?」
「ああいう無神経な手合いに私自身のことを詮索されるのは御免です。考えただけで怖気がする」
 霧宮が、わざとらしいくらいの渋面を作る。
「俺自身も、けっこう無神経な方なんですよ?」
「君は別です」
 そう言って、霧宮は、パチリと右手の指を鳴らした。
 その人差し指と中指の間に、いつの間にか、名刺が出現している。
「実は、この県内にわが家が有りましてね。気が向いたらここに書いてある住所に来てください。経緯を説明します。日時は――来週の土曜日の三時頃、どうです?」
「急ですね――デートの予定が入らなければ」
 ちら、と傍らの瑞穂の方を見てから、林堂が、気乗り薄げな顔で霧宮の名刺を受け取る。
「では、期待しないで待ちましょう。――そういうことで、お嬢さん。できましたらご配慮願います」
 霧宮は、瑞穂に柔らかな――それでいて少しも誠意の見られない笑みを向けてから、優雅な動作で踵を返した。
 そして、そのままホテルから出て、待たせていたらしいハイヤーに乗り込む。
「……あたし、さっきの智視ちゃんの気持ち、分かったような気がする」
「は?」
 明らかに不機嫌そうな瑞穂に、林堂が向き直る。
 瑞穂は、その林堂の頭を抱えて強引にお辞儀をさせ、むちゅーっ、と乱暴なキスをした。



 遠くで、ダン! という音が響くのを、林堂は霧宮の家の前で聞いた。
 霧宮蒼利の家は、邸宅と呼ぶのに相応しい規模のものだった。最近の建売住宅であれば二、三棟は入りそうな敷地が高い塀に囲まれ、その中に、頑丈そうな四角い家が建っている。家屋のサイズそのものは極端なものではなかったが、構造は鉄筋コンクリートであり、壁の表面が打ちっぱなしのままであることもあって、どこか寒々しい印象を見る者に与える。
 林堂は、門扉越しにその建物を見たとき、墓石を連想した。
 指定された土曜日の午後三時、林堂は、表札にローマ字でKIRIMIYAと書いてあるのを確認してから、カメラ付と思われるインターフォンを押した。
 反応が無いため、二度、三度、ボタンを押す。
 その時――ダン! という、林堂にとって聞き覚えのある、しかし咄嗟には思い出せないその音が、響いたのだ。
「…………」
 林堂が、口元に手を当て、考え込む。
 周囲は閑静な住宅街で、この時間、人影は無い。
 林堂は、しばしそのままの姿勢で佇んだ後、携帯電話を取り出し、品川警部補の番号をコールした。



 十数分後、品川が他の私服刑事とともに覆面パトカーから目の前に降りて来たのを見て、林堂は、その切れ長の目をちょっと見開いた。
「警部、どういうことです?」
「警部補だ。呼び出したのはお前だろうが」
 品川が、にやりと口元を歪める。だが、その目はまるで笑っていない。
「てっきり一人で来るかと思ってたんですけど」
「いろいろ訳ありでな。霧宮は、すでに我々にマークされていたのさ」
「マーク?」
「これ以上は守秘義務だ。今のところはな」
「――開きました」
 私服刑事の一人が、林堂と話をしていた品川に言う。どうやら、門扉の鍵をこじ開けたらしい。
「よし。じゃあ、佐藤、お前はここに残れ。鈴木と田中は敷地内へ」
 品川を含めた三人の刑事が、敷地内に入る。
 そして、品川達は、門扉のすぐ前にある玄関の扉が施錠されているのを確認し、庭の方へと回った。
「――どういうことです?」
 佐藤と呼ばれた刑事は、林堂の問いに、無表情な顔を作ったまま、答えない。
 程なくして、品川達が、門扉の前に戻ってきた。その顔は、皆、一様に青白く、緊張している。
「署に応援を頼め。殺人だ」
 品川は、苦り切った口調で佐藤刑事に言ってから、林堂に視線を向けた。



 庭に面した掃き出し窓から覗いた部屋の中は、血の海だった。
 鮮やかな色の血が飛び散った重厚な色のフローリングの上には、赤い海原の上にそびえる無数の塔を連想させる、異様なオブジェがひしめいている。
 確実に、そして効率的に斬首刑を執行するために発明された、呆れるほどに単純な構造の処刑器械。
 数にして、二十は下らないであろう、ギロチン。
 それらが、本物なのか、偽物なのか、見ただけでは分からない。
 しかし――少なくとも、中央にある、首を出す穴を窓の方に向けたそれだけは、本物なのだろう。
 その断頭台は、完璧に、その機能を果たしている。
 重い刃は既に重力に引かれて下に落ち――血溜まりは、その断頭台を中心に広がっていた。
 斜めから見れば、そのギロチンの向こうに、斬首された男の姿が見て取れる。
 その背中に突き立ったナイフは、刃を根元まで埋めていながら、断頭台の迫力の前には霞んで見えた。
 過剰に傷付けられたその男が、すでに絶命していることは、言うまでもなく明らかである。
 しかし――
「首が無いですね、警部」
「……警部補だ」
 ――不完全に閉ざされたその部屋の中に、当然、転がっているはずの首は、どこにも無かった。



「すまんな、こんな部屋で」
「取調室でなかった分だけありがたいと思いますよ」
 県警の庁舎内の、会議室とは名ばかりの、薄汚れた和室を見回しながら、林堂は言った。
「一応、未成年者に対して配慮してるわけだ」
「よく言いますよ。あんな凄い現場を見せておいて」
「見ても大丈夫だとお前が言ったんだろうが」
「ですから、大丈夫でしたよ」
 林堂の減らず口に、品川が口をへの字に曲げる。
「……それじゃあ、“捜査会議”を始めるとするか」
「ええ」
「現場は、密室だった」
 品川が、顔をしかめたまま、言う。
「厳密にはそうじゃないですよね。鍵の開いている窓がありましたよ」
「あの部屋の、でかい掃き出し窓の上にある、小さな窓だけな。しかし、あの大きさじゃあ、たとえ子供でも人の出入りは不可能だ。首を通すだけで精一杯だろう」
「ある意味、それで充分じゃないですか」
「悪い冗談だな。お前、将来ろくな大人にならんぞ」
「もう矯正できるような年齢じゃないですからねえ」
 林堂が、気障な仕草で肩をすくめる。
「そうだな……。さて、あの家の鍵は、とても人が出入りできないような小さな窓を除いて、全て施錠されていた。あと、もちろん玄関もだ。玄関の鍵は、合鍵があれば外から開けることが可能だが……しかし、例の音が聞こえてからずっと、お前は門扉の前に立ちっぱなしだった。これは間違いないな」
「ええ」
「そして、例の音が、お前の言うとおり、ギロチンの刃が落ちた音だとしたら――やはり、霧宮は、密室状態の中で首を落とされたことになる。その音がしてから、玄関を犯人が出入りしたところは、目撃されていないんだからな」
「……死体の首の切断面に、生活反応はあったんですか?」
「あった。霧宮は、生きてるうちに首を切り落とされた。背中の傷は、即死に至るようなものではなかったが、そのままだとどっちみち致命傷だったようだ。刃先は肺まで傷付けていたらしい」
「相当苦しかったでしょうね」
「そうだな……ただ、ナイフが刺さったままだったので、逆に、出血はほとんどなかったらしい。床にぶちまけられていた血は、ほとんどが首を落とされた時のもののようだ」
「血痕は?」
「部屋中に飛び散っていると言った感じだったな。まあ、完全に調べきったわけではないが」
「あの、鍵の開いていた小さな窓の窓枠には?」
「検出はされていない」
 品川の言葉に、林堂が、口元に手を当てて考え込む。
「とは言え、それだけで死体の首があの窓から出て行ったことを否定することはできませんね」
「ああ……しかし、だとしても、どうやって持ち出したんだかな」
「犯行が複数によるもので、家の内側と外側でそれぞれ首をやり取りしたんだったら簡単なんですけどね」
 そう言って、林堂は、右手で口元を隠したまま、まるでバレーボールの選手がネット際でボールを相手陣地に押し出すようなジェスチャーを。左手でした。
「しかし、家の中には、生きている人間はいなかった。あの死体だけだ」
「発見当時、家の中に隠れていた――もしくは、今も隠れているという可能性は?」
「除外していいだろう。推理小説じゃあるまいし……私とお前が庭に回った時には、すでに応援の警官達があの敷地を完全に囲んでいた。それに、あの建物自体、3年前に霧宮が中古物件を買い取ったものだし、元の持ち主は、事件とおそらく無関係の人物だ。隠し部屋や秘密の抜け穴などはないだろう」
「ところで、玄関以外に、外から鍵で開けることのできる出入口は無かったんですか? 勝手口とか」
「無い」
 簡潔に、品川が答える。
「となると、本当にミステリで言うところの密室ですね……。窓枠が外された形跡とかも無かったんですよね?」
「ああ。しかし、あの敷地に入ること自体は、脚立か何かを準備すれば難しくはなかっただろうな。塀に防犯センサーなどは付いていなかったし、お前のいた玄関前から死角になる場所で、塀に面した路地はあった。しかも、そこはほとんど人通りのない袋小路だったからな」
「俺に見られることなく塀の中に入るのは可能だが、家の中には入れない――そう、整理してよさそうですね」
「そうだな」
「しかし……密室が成立する要件が俺の目撃証言だけだとすると、俺が犯人、ないし共犯という可能性を捨て切れなくなりますね」
「――冗談だよな?」
 品川が目を細める。
「冗談ですよ。俺が人殺しなんてするように見えますか?」
「そうは見えないが、根っこのところでは、自信ないな」
「ひどいなあ」
 林堂が、口元から手を離し苦笑いする。
「まあ、しかし、お前が犯人だとすると、こっちは犯人に事件の解決に付いて相談する大間抜けになっちまう。それは願い下げだな」
「だから、冗談ですってば。俺は犯人じゃないですよ」
「だとしても、犯人が玄関から出入するところを見逃していた、という可能性は考えないとな」
「それも、ないと断言していいと思いますよ。塀は俺の身長より高かったから庭の様子なんかは見えませんでしたけど、門扉のところからは玄関が丸見えでしたし――それに、少なくとも、あの音がしてからずっと、俺はあの場所から離れてません」
 そう言って、林堂は、再び口元に手を当てた。
「となると……考えられるのは、自殺、ですかね」
「だが、あの背中のナイフは、自分で刺せるような位置にはなかったぞ」
「何かに紐で結んで固定しておいて、体ごとぶつかって背中にナイフを刺してから、紐を解いたとか……えらく不可解ですけど、不可能ではないですね」
「不可解なのは困るな。そもそも、あの部屋の中に、ナイフを固定するような場所はなかった。それに、もしナイフとギロチンを使った自殺だとして、首はどこに行ったんだ?」
「例の小窓があるので、何か器械的な装置を使えば外に持ち出すのは不可能ではないでしょうが――やはり不可解ですね」
「…………」
 品川が、林堂の次の言葉を予想したかのように、苦い顔をする。
「この不可解な状況を解決に導くためには、霧宮氏に関する個人的な情報が不可欠なわけですが……」
「……ここまで相談に乗ってもらったわけだし、別に、隠すつもりはない」
 そう言って、品川は、懐から手帳を取り出し、開いた。
「霧宮蒼利――職業は手品師。性別は男。本名不明、本籍不明、来歴不明、年齢不明……」
「何ですか、それは」
 さすがに呆れたように林堂が言う。
「言ったとおりだ。警察は、自称・霧宮蒼利がいったい何者なのか、役所的な意味でまるで把握していない」
「そんな人間がテレビに出演できるんですねえ」
「まさかテレビ局や番組製作会社が戸籍調査なんかしないだろう。ともかく、あの男は、自分に関することはほとんど周囲に話さなかったし、ごく僅かに語っていたことは全てデタラメだった。不動産の売買なんかの際に出された公的な証明書も、ほとんどが偽造だったようだな」
「…………」
「ただ、あの男には、双子の兄弟がいたらしい」
「双子?」
「いや、もしかしたら三つ子の兄弟かもしれんし、整形で顔をそっくりにした血縁関係のない人物かもしれん。ともかく、霧宮蒼利には、容姿の酷似する人物がいることは確かだ。そして、霧宮は、その人物の存在をトリックに、様々な悪事を働いていた」
「一人二役ならぬ、二人一役ですか」
「ああ。それをアリバイに使ってかなりあくどいことをしていたんだが……ようやく、その替え玉を警察で特定したんだ」
「その人物は?」
「今は、所轄の警察の監視下にある。しかし、事件当日は、行方が掴めていなかったそうだ。ちなみに、例によってその男も本名、本籍、来歴、年齢、全て不明だ。しかも、定職にも就いていなかったらしい。おそらく霧宮蒼利からの送金で生活していたんだろうな」
「霧宮氏は、具体的には何をしていたんです?」
「詐欺、窃盗、密輸、強姦、傷害、殺人……片手では数え切れないな。しかし、替玉の存在が警察に判明したのがつい最近なので、全て不起訴になっている」
「地位も名誉もある人間なのに、ずいぶんとまた派手なことをしてたんですね」
「根っからの犯罪者気質なんだろう。金銭が目的というより、犯罪のスリルそのものを楽しんでいたようだぞ」
「しかし、それだと、霧宮氏の命を狙う人間も少なくはないでしょうね」
「それこそ、両手両足の指を使っても数え切れんよ。ただ、個々の被害者に面識はないと思われるので、今回の件が殺人だとしたら、おそらくは単独犯、そうでなくとも少人数による犯行だと思われる」
「なるほど……」
 林堂が、しばし考え込む。
 品川は、腕を組み、林堂の次の言葉を待った。
「……霧宮氏の出身地の目星は、ついてないんですか?」
「出身地か」
 品川が、意外そうな顔になる。
「さっきも言ったようにまるで分かっていないんだが……だからこそ、記録のしっかりしている都市部ってことはないだろうな。むしろ、人に忘れられたような山の中の僻地ってことの方がありうるかもしれん」
「そうですか」
「それが……関係あるのか?」
 怪訝そうな顔で、品川が訊く。
「あまりにも飛躍しすぎた考えなんで、ここで話すってのは勘弁してください」
 林堂は、口元から手を放し、どこか照れくさそうな笑みを浮かべた。



「慧那、ちょっと、吸血鬼に関する本を貸してくれ」
「はあ?」
 林堂慧那は、ノックをしてから部屋に入ってきた兄の言葉に、思わず目を丸くした。


解答編

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