首の行方


解答編



 ――ごくり、ごくり、ごくり。
 喉から迫り上がり、口の中に溜まる血液を、胃の中に落とす。
 血には催吐性がある。これだけの量を胃の腑に収めたら、あとは全てをぶちまけるだけのはずだ。
 だが、彼は、そんなことは考えていない。
 ただただ、口から血を溢れさせるという無様を演じたくないばかりに、口内に溜まる生臭く生温かい液体を飲み干すだけだ。
 ――ごくり、ごくり、ごくり。
 血を飲み込むたびに――何か動作を行うたびに、体に、耐え難い激痛が走る。
 本当に、本当に、本当に、本当に耐えられない。
 彼は、自分がまだ立って歩いていることを不思議に思う。
 いや、しかし、これは当然のことか。何しろ、彼は普通の人間じゃないのだから。
 ――ごくり、ごくり、ごくり。
 大量の血液を飲み込みながら、飲み込んだのと同じ分だけの血液を失っているという矛盾。
 この根源的な渇望こそ、これまで彼を突き動かしてきたものであろうか。
 しかし、そんな自問に自答するだけの力すら、彼の体には残っていない。
 目が霞み、足がふらつき、背中は焼け付くように痛み、なのに体はどうしようもなく冷えている。
 ――ごくり――ごくり――ごくり。
 ただ、血液を飲むことだけでも、大儀になってきた。
 もう、あと十数秒しか体が動かないような気がする。
 苦痛が、死よりも深い絶望を演出し、視界を暗黒に染め上げる。
 このままでは――こんなことでは――死ねない。
 ――ごく、ぐ、ぐご、ごぐぐ、うぐ、ぐぶ、ぶふ、げぼっ。
 彼の自尊心からは許容し難い音が口元から漏れ、飲み切れなかった血液がぼたぼたと胸元に垂れ落ちる。
 彼は、歯を食い縛りながら、自ら腹這いになった。
 彼に残された時間は、もうほとんどない。
 彼が恐れ、そして待ち望んだ一瞬――それを求めて、さして繁雑ではない準備を終える。
 ――ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……っ!
 その姿勢のせいか、あるいは体を動かしたために身中の傷が広がったためか、大量の血が口から溢れ出る。
 息が、できない。目が、見えない。耳が、聞こえない。
 彼は、血を吐き続けながら、右手を宙に彷徨わせた。
 一刻も早く――早く――この苦痛からの解放を――
 ――ダン!



「……だから、吸血鬼の伝説と再葬の習慣の間には、切っても切れない関係があるわけ」
 慧那は、そう言って、毒々しいまでに緑色のメロンソーダを、ストローですすった。
 深夜のファミリーレストラン――慧那は、“授業料”として林堂におごらせたイチゴパフェを平らげ、ドリンクバーの飲み物で締めに入っている。一方、林堂が口にしたのは水だけだ。
「なるほどな。もともと墓石からして、死者が復活するのを妨げるための重しだったわけだし……吸血鬼に対する恐怖は、“蘇った死者”すなわち“不死者”に対するそれってわけか」
「お兄さんに何かを教えても、どんどん先回りされるからつまらないわ」
 本当につまらなそうな顔で、慧那が、残り少ないメロンソーダの中に、ぷーっと空気を送り込む。
 グラスの中にぶくぶくと泡が立つのを見るとはなしに見ながら、林堂は再び口を開いた。
「で、再葬――死人が本当に死んでるかどうかを確認する習慣ってのは、日本にもあったのか?」
「ええ。そう聞いたことがあるわ」
 慧那が、あっさりと答える。
「まあ、土葬自体、この国じゃ明治まで珍しくなかったもんな。そんな中で、墓の中に入ったモノが本当に死者かどうか何かの機会で疑い始めた集落だってあったってことだな」
「早すぎた埋葬のおかげでナチュラルにゾンビ騒ぎがあったりしたら、いやでも気になっちゃうでしょうしね」
 さっき、甘い物を食べていた時と同じような笑顔で、慧那が言う。
「で、どこなんだ、それは」
「私の知ってるところは、十年くらい前に廃村になったって聞いたけど――」
 慧那が、隣の県のある山の名を挙げる。
「その山の麓にあった村だと、昔は、お役所の指導とか無視して、一回埋葬した人を、何年か後にもう一度お墓を開いて確認したんだって」
「凄い話だな」
 林堂が、そう言いながら、唇の片方の端をわずかに吊り上げる。
「――お兄さん、彼女の前でもそんな顔しちゃうわけ?」
 やや呆れたような声で、慧那が訊く。
「今の話に瑞穂は関係ないだろ」
 林堂が、真顔に戻って言う。
「関係ないけど……でも、もし、お兄さんのさっきの顔を見たことあっても付き合い続けてるんだったら、彼女も相当なアレよね」
「アレとやらが何を指してるのか分からないが、お前も、彼氏ができたら今回みたいな話を嬉々として語るなよ」
「反撃としては冴えないし、忠告としては足りないわね」
 ふう、と慧那がどこかわざとらしい溜息をつく。
「やれやれだわ。彼女の話をすると、慧那の好きなお兄さんはどっか行っちゃうみたい」
「だろうな。基本、話の中で瑞穂の名前が出た時、俺はあいつのことしか考えなくなるし」
「……お兄さん、とっととその彼女と結婚するか、もしくは死んでくれない?」
 ジト目で林堂の顔を睨みながら、慧那は、ひどく真剣な口調でそう言った。



「ああ……」
 目の前にさらけ出された肉棒を前にして、和装の喪服をまとった若すぎる未亡人は、甘い吐息をついた。
 自分にたまらない快楽をもたらし、そして狂わせたモノ――その性の臭気すら、彼女にはかぐわしいものに思える。
「さあ」
 男は、畳の上に正座する彼女の鼻先に、すでに勃起しているペニスの先端を突き付けた。
 男が何を求めているのか、女には分かり過ぎるほどに分かっている。
 そして、その男の要求に従うことこそが、彼女に、平凡な夫婦生活では味わうことのなかった愉悦を約束するのだ。
「霧宮さん……」
 呼び掛けとともに濡れた息を吹きかけてから、女が、慎ましく口を開いて、赤黒い亀頭を口に含む。
 口紅の引かれた唇が亀頭の表面を滑り、舌が、チロチロと動いて尿道口をくすぐった。
 霧宮と呼ばれたその男が、髪をまとめた女の頭に、両手をかける。
 そして、男は、ゆっくりとその肉棒を女の口内に沈めていった。
 上品な唇に似合わない男のグロテスクな肉塊が、美貌の未亡人の口内深くに侵入していく。
「うっ、うぐっ、ぐぷ……ん、んふぅ……う、うううう、うぐ……うぶ、うぐっ……!」
 先端が喉に到達するほどペニスを進めてから、男は、動きを止めた。
 逞しい肉幹をほとんど根元まで女の口の中に収め、そして、その両手でしっかりと女の頭を固定する。
「んっ、んううっ、うぐ、うぷっ……! んふ、んふぅ、うぶぶ……うぐっ、うぐぐっ……!」
 女が、眉をたわめ、訴えかけるような上目使いで、男の顔を見上げる。
 男は、その掘りの深い顔に残酷な笑みを浮かべながら、なおも動かない。
「んう、うううっ、うぐ……んぶ、うぶうっ……! ぐ、ぐぐ、うぐ……うぐっ、んぐぐぐぐ……!」
 喉を塞がれて満足に呼吸ができないのか、女が、苦しげな呻き声を上げる。
 それでもなお数秒そのままでいてから、男はようやく腰を引き、女の口から肉棒を抜いた。
「ぷあっ! はーっ、はーっ、はーっ、はーっ! あぶっ! おぐぐぐぐぐぐ!」
 息を完全に整える暇を与えず、男が、再び女の口の中にペニスを根元まで侵入させる。
「んんっ! んんんっ! んぐ! うぐうっ! んぐ……うぐぐぐぐっ、うぶっ、ぷはあっ! はあ、はあ、はあ、はあ」
 男が肉棒を引き抜き、女が喘ぐ。
 だが、男は、またもその口元に膨れ上がったペニスをねじ込んだ。
「あぶぶぶぶ! う、うぐ! んうう! うぐうっ! うぐぐ! うっ! うぐぅ! んぐぐぐぐっ!」
 目尻に涙を滲ませ、小鼻を膨らませて空気を貪る女の喉を、男が、何度も何度も肉棒で塞ぐ。
 それを繰り返すうちに、男のペニスは、ねっとりとした唾液でどろどろになった。
「んぐぐ、ぷはあああっ! はーっ! はーっ! はーっ! ひ、ひどいぃ……」
 恨むように言いながらも、女は、その顔を興奮に赤く染めている。
 男は、そんな女の体を、準備よく用意されていた夜具に四つん這いにさせ、大きく裾をまくり上げた。
 女が下着を履いていなかったため、喪服の黒と対照的な雪白のヒップが、露わになる。
 その中心の熟れた雌芯は、すでに、たっぷりと蜜で濡れていた。
「ああ……は、早く……」
 その部分に男の視線を感じて、女が、尻を左右に振る。
 男は、女の腰に手を当て、そのクレヴァスを肉棒の先端で浅く掻き回した。
「あ、あうっ、うく……ハァハァ、お願い、焦らさないでっ……!」
 女が、もどかしげに声を上げた。
 溢れ出た愛液が白い太腿の内側を伝っている。
 それでも、男は、しばらくの間、女のその部分を嬲り続けた。
「あうっ、あはあぁぁぁ……駄目ぇ……お、お、おかしくなっちゃうっ……!」
 シーツを掻き毟るようにしながら、女が切なげに眉をたわめる。
 亀頭を押し付けられた膣口がパクパクと開閉する様は、まるで、原始的な生き物の捕食活動のようだ。
「あううっ……い、入れてっ……! 入れてください……! 私の、オ、オ、オマンコに、オチンポ入れてぇ……!」
 女の叫び声に、男が、嘲るような笑みを浮かべる。
 そして、男は、ゆっくりと腰を進ませた。
「んうううううっ……んあ、あはぁ……! あっ、ああっ、あはぁン! チ、チンポ、入ってくるぅ……!」
 体の内部を満たされる感覚に、女が、喜悦の声を上げる。
 そして、男の肉棒が、根元まで女の蜜壷の中に収まった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……あううっ、す、すごいわ……あふぅン……」
 女が、四つん這いの姿勢のまま、うっとりと声を上げる。
 男は、女に何も告げることなく、ピストンを始めた。
「あううっ、んく、んあ、あふぅっ……! あああっ、いい、いいのぉ……! うっ、うくっ、んぐ……うあっ、あああっ!」
 男の動きに合わせて、女が、あからさまな快楽の喘ぎを漏らす。
「んうっ、う、うあ、あはぁ……! 感じるぅ……んく、感じ過ぎちゃうっ……! あ、あううっ、んく、あはぁ……あああ、あひぃン……!」
 溢れ出た愛液が、女の白い太腿の内側を伝う。
 いつしか、女は、自ら腰を前後に動かし、背徳の愉悦を貪っていた。
「んああっ、あはぁ、も、もっと、もっとしてぇ……! あっ、ああぁン! もっと私を愛してぇ! めちゃくちゃにしてぇ〜!」
「ククッ……」
 女の言葉に、男が、嘲笑を漏らす。
 だが、それは、部屋の中に響く嬌声にかき消され、彼女の耳には届かなかった。
 男が、女のヒップに指を食い込ませ、ペニスの突き込みを激しくする。
「ひぐぐっ! うあっ、あはぁ! あああ、来てるぅ! 奥に、奥に届いてるのぉ! うっ! うあっ! おあああああ! し、子宮に響くぅ〜! んひいいいいい!」
 悲鳴にも似た声を上げながら、女が身悶えする。
 男は、女の子宮口に、肉棒の先端を打ち付け続けた。
「うあっ! あ、あはぁ! これ、これぇ! んああっ、こ、これが欲しかったのぉ! おっ、おああっ、おあっ、おあああああ!」
 女が、どこか獣じみた声を上げながら、シーツを掻き毟る。
 蜜壷が激しく収縮し、その締め付けに逆らうように、肉幹が膨張する。
「ンああああああ! イ、イク! イクのぉ! うっ、うああああああ! イク、イク、イクぅ! イっちゃうぅううううううう!」
 女が、声を限りに叫びながら、全身をおののかせる。
 男は、子宮口にペニスの先端が食い込むほどに腰を突き出し、そのまま欲望を解放した。
「ああああああ! 出てるっ! 中に、子宮に出てるぅ! ああああああ! いぐ、いぐう! し、子宮っ、いっぐぅうううううううううううう!」
 女が、激しいアクメに大きく口を開け、絶叫を上げる。
 そして、女は、まるで生まれたての仔馬がへたり込むように、夜具の上にうつ伏せに倒れ臥した。
「あひ、ひっ、ひうっ……うあ、あああ、あは……あうっ、んううっ……」
 ヒクッ、ヒクッ、と痙攣する女の膣口から、白濁液がドプドプと溢れ出る。
 そんな様を、男は、冷笑を浮かべたまま、見下ろしていた。



「もう会えないって……どういうこと!?」
 行為を終え、身繕いを整えた男に、まだ服を乱れさせたままの女が、叫ぶように尋ねる。
「言った通りの意味だよ。これから先、私と君が一緒にいるところを人に見られるのは、あまりいいことじゃない」
「だ、だからって……!」
「私も君も、君の夫が死んだおかげで、莫大な利益を得た。それでいいじゃないか」
「な……何を言ってるのよ! 私は、お金のために夫を裏切ったんじゃないわ!」
 女の言葉に、男は、肩をすくめて首を振った。
 その態度に、女は、表情をますます険しくする。
「私――警察に、あなたが夫を殺したって言うわ」
「それはやめた方がいい。君も疑われるし――それに、私には、アリバイがある」
「アリバイ?」
「あの時、もう一人の私が、ある場所である人物と会っていてね。その人物は今回の事件に無関係で、しかも非常に信用のある人物なんだ」
「ど、どういう意味よ……」
「手品師はけして手品の種を明かさないものだよ」
 男が、嘲るような口調で女に言う。
「そんな……それだったら、私と別れなくてもいいじゃない! そのアリバイが完璧ならば、別に、私と一緒だって……!」
「それ以上は、言わない方がいいんじゃないかな?」
「え……?」
 女が、涙を浮かべたその双眸を見開く。
「君も、少しは自分の容姿に自信を持っているんだろう? だったら、私がその顔や体が目当てで近付いたんだと思ったままでいる方が、プライドを保てるんじゃないかな?」
「なっ……」
 女の顔が、さっと青ざめた。
 男は、サディスティックな笑みを浮かべ、女の表情の変化を見つめている。
「ぐうううぅぅぅっ……!」
 女の口から、呻きとも嗚咽ともつかない声が、漏れる。
 そして――女は、枕元にあったガラス製の灰皿を咄嗟に掴み、男の口元に渾身の力を込めて叩きつけた。



「――やはり、歯医者の線だったよ」
 品川が、行きつけの喫茶店の中で、向かいに座る林堂に言った。
「お前の言った通りだった。犯人は、霧宮の歯型を調べるために、首を持ち去ったんだな。まあ、犯人は歯医者本人じゃなかったが」
「霧宮氏の歯を治療した経験のある歯科医、もしくはその歯科医に最近接近した人物――買収か何かで、協力を持ちかけたとしたら、相当な金持ちだったんでしょうね。事が事ですから」
「当たりだ。ただ、金だけでなく、その体を使って籠絡したようだが――」
 言ってから、品川は、少し顔をしかめた。未成年との会話の内容としては相応しくないと考えたのだ。
「ということは、犯人は女性ですか? まあ、歯科医が男性であったと仮定してですけど」
「そういうことだ。動機は霧宮との痴情のもつれのようなんだが――しかし、完全に黙秘しちまってる」
「じゃあ、例の密室の謎については、まだ分かってないわけですね」
「こっちはな」
 そう言って、品川は、穏やかな笑みを浮かべる林堂の端正な顔を見つめた。
「そっちはどうなんだ? 何か、調べがついたか?」
「実は、知人と一緒に霧宮氏の故郷と思われる村に行ってきました。廃村でしたけどね」
「知人?」
「本職の探偵なんですけど、飄々としてる割に、なかなかすごい人ですよ。まあ、それはともかく、そこで色々と調べてきました」
「何か分かったのか?」
「その村出身の人をどうにか調べだして、探偵さんと一緒にいろいろ聞いて回ったんですが……霧宮蒼利というのは、やはり偽名だったようですね。かなり過疎化が進んだ村だったので、特定は思ったより容易でした。まあ、ここでは混乱しそうなので、引き続き霧宮氏と呼びますけど――彼は、三つ子のうちの一人だったようです」
「三つ子、か……。じゃあ、今現在拘留されてる替玉は、その三つ子のうちの別の一人だったというわけだな」
「でしょうね」
「それで、もう一人はどうした?」
「中学生の頃に亡くなったそうです。質の悪いインフルエンザか何かが流行って、霧宮氏も罹患したようですよ」
「…………」
「そして――その病気が治ってから、霧宮氏は、いろいろ村の中で洒落にならない悪戯をしたということなんです。夜中に村の墓場を荒らしたとか、自分にうるさく吠えた番犬を夜中にナイフで刺し殺したとか、井戸を利用した落とし穴に恋敵を落としたとかね。まあ、全て証拠は無かったようですが」
「…………」
「あるお年寄りなんかは、彼は、自分が死なない人間だと考えているようだと言ってましたよ」
 そう言って、林堂は、面白そうにくすりと笑った。
 一方、品川は、仏頂面だ。
「まあ、あの霧宮が若いころから手のつけられん犯罪者だったとして……今回の密室とどうつながってくる?」
「あれは、自殺ですよ」
 あっさりと、林堂は言った。
「自殺? じゃあ、あの背中のナイフは?」
「それは、逮捕された犯人の女性によるものでしょう。まず、霧宮氏は、おそらく自宅前で、犯人に背中を刺された。そして、家の中に逃げ込み、門扉と玄関に鍵をかけ、例のギロチンの部屋に入って――自ら首を落としたんです」
「じゃあ、あの犯人は――いや、自殺ということは殺人犯ではないのか? まあ、ともかく、あの女はどうやって霧宮の首を……」
「恐らく、その女性は、最初は塀を乗り越えて霧宮氏の家に入るつもりだったんでしょう。そのために、車で脚立か何かを用意していたんじゃないですかね。しかし、家の前で霧宮氏に遭遇し、犯行に及んだものの、死亡を確認する前に逃亡された――。それで、霧宮氏の様子を確かめるために、用意していた脚立か何かを使って敷地の中に入った」
 見てきたような口調で、林堂が言う。
「そしたら、あの部屋でギロチンによって首を落とされた霧宮氏を発見したわけです。ですが、彼女としては、それが本当に霧宮氏の死体なのか分からない。替玉かもしれないとも思ったでしょう。何しろ、霧宮氏は稀代のマジシャンですし、彼女は替玉の存在にも薄々気付いていた。だから、本人確認の手段として、首を持ち帰り、歯科医の治療記録と照合することを考えたわけです」
「どうやってあの部屋から首を持ち出した? 例の掃き出し窓の上の小窓からだとしても、もともとそういうつもりでなかったのだったら、そのための道具など持ってなかったはずだぞ」
「そうですねえ……有り合わせのもので考えるとなると、どの家の庭にもある物干竿と、霧宮氏にとどめを刺すべく持っていた予備のナイフ、それと、丈夫な紐くらいがあれば、充分ですかね」
「…………」
「物干竿に紐でナイフを縛り付ければ、即席の槍になる。それを持って脚立に乗り、掃き出し窓の上の小窓越しに首を刺せば――あとは、槍を手繰り寄せるだけで首が手に入ります。うまいことに、あの家は、まるっきり四角形で、槍を使うのに邪魔になる窓の上の庇やその他の装飾はありませんでした。まあ、小窓が開いていたのは偶然だったんでしょうね。もし開いていなければ、窓を破ったかもしれませんが……その時に音がするのを嫌ったんでしょう」
「何と言うか……何とも言えんな……」
 品川が、太い吐息を吐き出す。
「窓枠に血痕が無かったのが偶然なのかどうかは分かりませんけど――俺は、おそらく着ていた服か何かで窓枠を覆ったんじゃないかと思います。ナイフくらいなら手袋をしてても扱えるでしょうけど、即席の槍は、手袋だと滑りそうできつい。だから、素手で扱った。服は、うっかり窓枠に指紋を付けないための苦肉の策――というのは、ありそうじゃないですかね」
「お前、本当は現場を外から見てたんじゃないだろうな」
「いや、ぜんぶ推測ですよ。ともあれ、その女性が脚立を運んだり物干竿を持ち帰ったりするのに便利なワゴン車なんかを所有していないか、確認しておいた方がいいでしょうね」
「ふむ……まあ、密室の謎は、解決したようだな」
 そう言って、品川は、冷めたコーヒーを啜った。
「しかし……何だって、霧宮は医者や警察を呼ばず、自分の首を落としたんだろうな。捨てた女に刺されて悔恨の念に襲われたのか……それとも、助からないと覚悟して潔く死を選んだのか? どちらもあの男にはありそうもないんだが」
「背中を刺された苦痛から逃れたかったというのはあるでしょうね。ですけど、それは、助からないと思ってというより――このままいつまでも生きていそうだと恐怖したからのような気がします」
「はあ?」
 品川が、年甲斐も無く素っ頓狂な声を上げる。
「彼は、自分が死なない体だと思い込んでいた――首を落とさない限り不死身だと考えていた。しかし、背中を刺された苦痛は激しく、その苦痛に悶える姿を他人に晒すことにはプライドが耐えられなかった。だから、自分で自分の首を落とした」
「お、おいおい……」
 品川が、さすがに呆れたような表情なる。
 だが、林堂は、平気な顔で説明を続けた。
「中学生時代、霧宮氏が、死んだ三つ子の兄弟の一人とともに重病にかかった話はしましたよね? その際、霧宮氏は、深い昏睡に陥って、誤って埋葬されてしまったそうなんですよ。土葬ですけどね」
「なっ……」
 品川が、林堂の言葉に絶句する。
「ですが、霧宮氏は、自力で棺桶を破って脱出したというんです。その時に、彼は、自分が特別な存在だと思い込んでしまったんじゃないでしょうか」
「…………」
「そして、それを決定的にしたのが、霧宮氏が行った墓荒らしです。彼は、数年後、死んだ兄弟が棺桶の中でどうなっているかを確かめたんですよ」
「そ、それで……?」
「死体は、腐敗することなく、生前と同じ姿を保っていたそうです。だから、死を確実にするために、墓を掘り返すのに使った鍬でその死体の首を切断した――と、村では信じられていたようです」
「馬鹿な……! いくら何でも……そんなもの、霧宮の妄想だろう」
「でなければ、屍蝋でしょうね」
 林堂の言葉に、品川は、憑き物が落ちたような顔になった。
「ああ、屍蝋か……。法医学の先生に聞いたことがあるぞ。何かの条件で死体が腐敗しないで、脂がセッケンみたいになるっていう、あれだな?」
「ええ。ちなみに、問題の村には、過去、死体が本当に死んでいるかどうか、墓を開いて確かめる習慣があったそうです。こういう行為は、東ヨーロッパなんかにはけっこうあったそうですよ。霧宮氏は、そこから着想を得たんじゃないですかね」
「ふむ……なるほどな……」
「ただ、もう少し意地悪な解釈もあります」
 林堂が、そう言いながら、口元に手を当てる。
「意地悪?」
「はい。霧宮氏は、自分が不死身の怪物だと思い込んでいた――しかし、そのことに、内心は疑問を抱いていたのかもしれません。怪我をすれば普通に血が出たでしょうし、歯の治療も受けたわけですから」
「それで?」
「霧宮氏は、そんな“自分がただの人間かもしれない”という疑惑を常に否定しながら生きていた。しかし、もしも背中にナイフが刺さっただけで死んでしまったら、やはり、ただの人間だったということになってしまう」
「だから……か?」
「ええ……自分が普通の人間であることを否定するためには、背中のナイフで死ぬ前に、ギロチンで首を落とすしかなかったのかもしれませんね。不死者としての人生を完成させるために」
「……本当はどうなのか、今となっては分からないな」
「霧宮氏自身も、分かっていなかったのかもしれないですね。ですけど、自分は人間ではないからと非人道的な犯罪を行いながら、もしかすると自分は人間なのかもしれないと意識下で悩んでたんでしたら、これ、なかなかに人間らしいですよね」
 そう言って、林堂が、口元から手を離す。
「お前、そういう生意気な口ばかりきいてると、いらん敵を作るぞ」
「気を付けます――ところで、霧宮氏の首は、もう見つかったんですか?」
「まだだ。しかし、さっきのお前の話をネタに揺さぶれば、あの女も吐くんじゃないかな」
「それは何よりですね」
 そう言って、ふっ、と林堂は意味ありげな笑みを浮かべた。
「体と一緒に首も火葬にすれば、霧宮氏も安らかな眠りってやつにつくでしょう――もし、本物の吸血鬼だったとしてもね」


あとがき

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