第四章
−狂気−
俊司は、早紀を毎日のように抱いた。
力なく拒む早紀を拘束し、緊縛し、性感を開発しながら、淫らな性技を教えこむ。
そして、何度も何度も、早紀の胎内に、熱い精液を流しこんだ。
まだ十六歳の早紀は、妊娠の恐怖に震えた。兄のするあらゆる行為を受け入れる覚悟は、次第に固まってきていたが、どうしても妊娠することだけは避けたかったのだ。
まだ早過ぎる、という思いもある。それ以上に、生まれてくる子供を不幸にしたくなかった。それに、堕胎などという行為は、考えることさえ恐ろしかった。
早紀は、俊司の脚にすがりつきながら、繰り返し、避妊をするよう懇願した。
しかし俊司は、早紀が恐怖を覚えるほど、優しく、そして哀しそうな表情で、早紀の自由を奪い、その体を犯し続けた。
(もし……もし、赤ちゃんができちゃったら……)
俊司が、研究所内で、何とも知れぬ“仕事”に携わってる間、早紀は一人考えた。
(そしたら、生もう……。絶対に……絶対に寂しい思いをさせないように……一生懸命、立派なお母さんになろう……)
健気といえば健気な決心を固めながらも、早紀は、自分の内の何かが、少しずつ壊れていくような、そんな漠然とした不安を感じていた。
そして――
早紀の食事は、普通、くるみか、俊司本人が運んでくる。そして、俊司が運んできたときは、一緒に食事をするのがここに来てからの日課になっていた。
が、この日の夕食は、くるみが運んできた。
「あの、お食事、お持ちしましたよ」
「あ、いつもありがとうございます」
銀色のワゴンで、トレイに乗った食事を運んできてたくるみに、早紀は丁寧にそう言った。
「……」
くるみは、思わず息を飲んでいた。
目の前の早紀が、ひどく寂しそうな笑みを浮かべていたのだ。十六歳の少女が浮かべるにしては、あまりに儚い笑みだった。
「あ、あの……大丈夫ですか? 体調とか、悪くないですか?」
「え……? ううん、平気です」
早紀は、にっこりと微笑んだ。その顔は、笑顔になると、数段魅力的になる。
しかしそれは、昨日までの早紀の顔が浮かべていたものとは、どこか違う表情だった。
「えっと……あたしにできることだったら、何でも言ってくださいね」
くるみは、人の好さそうな童顔に、複雑な表情を浮かべながら、言った。
「じゃあ、そのう……やっぱり、一つお願いがあるんですけど……」
早紀が、申し訳なさそうに言う。
何気ない口調だったが、くるみは、ひどく緊張しながら、早紀の次の一言を待った。
「……お兄ちゃん」
夕食の時間が終わり、真夜中近くになってやってきた俊司に、早紀が話しかけた。
「何だい? 早紀」
俊司が、白衣をハンガーにかけ、部屋の隅に吊るしながら訊く。
「生理――来たよ」
ぽつん、と小石を放り投げるような口調で、早紀が言う。
俊司は、ひどく神妙な顔で、早紀に向き直った。
「赤ちゃん、できてなかった……。あのね、ポシェットに入ってた分に余裕がなかったから、あの、児玉さんて人に、生理用品頼んじゃった」
「……」
「そしたら、ナプキンはあるけど、タンポンは持ってません、って、大慌てしてたよ。ちょっと、可笑しかった」
くくくっ、と早紀は、小さく笑った。
そんな早紀の目の前に、俊司が立つ。
「……お兄ちゃん……もし、赤ちゃんできてたら、どうするつもりだった?」
その顔から笑みを引っ込め、上目遣いで、早紀が訊く。
俊司は、そんな早紀の視線を、真正面から受け止め、言った。
「生んでほしかったよ」
その言葉に、ぴくっ、と早紀の華奢な体が震える。俊司は、そんな早紀の肩に手を置いて、続けた。
「僕と、早紀の、赤ちゃんだからね……」
「お兄ちゃん……」
ささやく早紀の唇に、俊司は、優しく口付けした。
ちゅっ、という、聞いてる方が恥ずかしくなるような、ついばむようなキスの音が、部屋にかすかに響く。
「お兄ちゃん……っ」
早紀は、かすかに震える声でそう言って、ぎゅっ、と両腕を俊司の体に回した。
そして、しばらく俊司の胸の温度を頬で感じる。
「早紀……」
ささやくようにそう言いながら、俊司は、早紀の体をゆっくりと離す。
「口で、してくれるかい?」
そう言う俊司の声は、少しかすれていた。
俊司の言葉に、早紀が、頬を赤く染めながらも、こっくりと肯く。そして、フローリングの床に、両膝をついた。
「お兄ちゃん、ココ、大きくなってるよ……」
そう言って、早紀は、スラックスの上から、すりすりと俊司の股間を白い手で撫でた。そのあどけない顔に、どこか妖艶な笑みが浮かんでいる。
そして、ジッパーに指をかける。
中に収められたものが膨張しているために、ちょっとひっかかるジッパーを下ろすと、熱い怒張を隠したトランクスが隙間からのぞいた。
早紀は、まだなれない手つきで、俊司のベルトを外し、ホックを外して、スラックスごとトランクスをずり下ろした。
「あ……」
恐いくらいに反りかえった、間近で見る兄のペニスに、早紀は思わず声をあげてしまう。
強い牡の匂いが、早紀の鼻孔をくすぐる。それを不快に感じていない自分に、早紀は気付いていた。
「はぁ……ン……」
早紀は、どこか恍惚としたため息をつきながら、ピンク色の舌を俊司のシャフトに這わせ始めた。
俊司の、その優しげな顔に似合わない、浅ましく静脈を浮かした濃褐色のシャフトを、自らの唾液で濡らしていく。
「早紀……」
「お兄ちゃん、あたし……ちょっとヘンだね……おかしくなっちゃったみたい……」
ふっ、と口元に笑みを浮かべながら、早紀はそう言い、俊司の亀頭部分に口付けした。
そして、先端部分を浅く含み、先走りの汁を溢れさせる鈴口を、ちろちろと舐めしゃぶる。
「お兄ちゃんが、そうしたんだよ……」
「うん……」
早紀の言葉に、俊司は素直に肯く。
早紀は、何が可笑しいのかくすくすと微笑んだ後、ぱっくりと、その可憐な口に、俊司のペニスを咥え込んだ。
「あぁ……」
俊司が、恍惚とした息を漏らす。
それを聞いて、早紀はどこか嬉しそうに目を細めながら、俊司に教えこまれたとおり、シャフトにピンク色の唇を滑らせた。
ちゅぶっ、ちゅぶっ、ちゅぶっ、ちゅぶっ……という卑猥な音が、部屋に響く。
俊司のペニスは早紀の唾液で濡れ、淫らな口唇愛撫の動きは、ますます滑らかになっていった。
「ン……ふぅン……んふ……ンむ……んぷっ……ふぅ〜ン……」
早紀は、媚びるような鼻息を漏らしながら、熱心に俊司のペニスを舐めしゃぶった。口内で大胆に舌を絡め、ときおり、じゅるっ、じゅるっ、と音を立てながら、唾液と先走りの汁をすする。
俊司は、はぁはぁと荒い息をつきながら、無意識にゆるゆると腰を動かしてしまっていた。
早紀が、そんな俊司の腰に両手を添え、頭をねじるように動かして、さらに激しく兄のペニスに奉仕する。
「ぅあああッ!」
俊司は、自らが教えこんだ妹の技巧に、思わず声をあげていた。
びくっ、びくくっ、と、早紀の小さな口の中で、俊司のペニスが律動する。
「さ、早紀……僕、もう……」
うめくようにそう言う俊司の顔を上目遣いで見て、早紀は、ちゅうっ、とペニスをきついくらいに吸引した。
そして、喉の奥まで、愛しい兄の亀頭を受け入れる。
ずるうっ、とペニス全体が飲みこまれ、口腔粘膜にこすりあげられる感覚に、とうとう俊司は欲望の枷をはずしてしまった。
「くあああああッ!」
びゅくううっ、と、早紀の口の中の一番奥に、激しく精を放つ。
「んーッ! ンぐっ! んぶぶッ!」
ひどく苦しそうな早紀の声にならない悲鳴に、俊司が、慌てて腰を引く。
「ンあッ!」
ようやく解放された口で、短い悲鳴をあげる早紀の顔に、熱い白濁液の第二弾、第三弾が弾ける。
ぴしゃっ、ぴしゃっ、と痛いくらいの勢いで顔に当たる兄のスペルマを、早紀は、上気した顔で受け止めた。
「はぁぁぁぁぁ……」
その震える唇の端から、唾液に混じった精液が、糸を引いて垂れる。
ようやく、俊司の射精が終わった。
早紀のいたいけな顔も、さらさらの髪も、お気に入りのピンクのブラウスも、兄の大量のスペルマによって汚されてしまっている。
「はぁ……すっごい、いっぱい出たね……」
白濁液にまみれた顔で、兄の顔を見つめながら、早紀は、ぼんやりとつぶやいた。
俊司は、濡らしたタオルで早紀の顔を丁寧に拭き、そして、何度も口付けした。
そして、ブラウスをはだけさせ、ブラを外して、胸を露わにする。
「次は、胸だよ……」
そう言いながら、俊司は、いつも早紀の胸を愛撫するときに使うチューブ入りのジェルを手の平に垂らした。
その、明らかに媚薬の混じった薬品を、早紀は、どこか熱っぽい目で見つめている。
「おいで……」
ベッドに腰掛け、そう言う俊司の膝の間に、早紀は素直にひざまずいた。俊司は、下半身に何もまとっていない。その股間では、早くもペニスが力を取り戻しつつあった。
早紀の胸に、俊司が、ジェルでぬらつく両手を伸ばす。
「あン……」
ジェルの冷たさに、早紀は、小さく身をよじった。
しかし、その冷たさはすぐに去り、代わって、不自然な熱が、早紀の双乳を包みこむ。
「あ、あぅ……ン……んぅン……」
俊司の両手が、早紀の胸を優しく揉みしだく。早紀は、うっとりと俊司の愛撫に身を任せた。
「早紀は、これがお気に入りみたいだね」
「し、知らない……」
からかうような俊司の言葉に、早紀は、頬を赤く染めながらそっぽを向いた。
そんな早紀の乳首を、俊司が、きゅっ、とつまむ。
「ひゃうン! あ……あひッ……!」
鋭い性感に、早紀は、ぷるぷると震えた。
「素直にしないと止めちゃうよ、早紀」
口元に笑みを浮かべながら、俊司が言う。
「い、いじわる。お兄ちゃんのいじわる……っ!」
早紀は、顔を戻し、熱っぽい目で、俊司をにらみつけた。その瞳は、うるうると涙で潤んでいる。
「続けてほしいんだろう?」
そう訊かれて、早紀は、こくん、と肯いた。
「じゃあ、教えてあげたとおり、やってごらん」
再び肯いて、早紀は、胸を愛撫する俊司の手に、その手を重ねた。
(お兄ちゃんの手、おっきくて……あったかい……)
そんなことを思いながら、体を前にずらし、その胸で、俊司の陰茎を挟みこむ。
(あたし……おっぱい、前より大きくなったかな?)
胸の谷間からのぞく赤黒い亀頭を見つめながら、早紀は、ふとそんなことを思った。
確かに、最近、ブラがきついような気がするし、ジェルにぬらつく自分の乳房は、以前よりも膨らんだように見える。
しかし、そんな考えは、胸に押しつけられる俊司のペニスの熱さに、次第に追いやられていった。
(お兄ちゃんのが、あたしの胸で元気になってく……なんだか、嬉しい……)
そんな自分のはしたない想いに突き動かされるように、早紀は、くにくにと体を動かし始めた。
ぬるっ、ぬるっ、とジェルに濡れた胸の谷間をペニスが往復する感触が、妙に生々しい。
「あぁ……いいよ、早紀……」
そう言いながら、俊司は、胸への愛撫を再開した。
早紀の乳房で、さらにきつく自らのシャフトを挟みつけながら、くりくりと指先で乳首を弄ぶ。
「あ……ンぁ……お兄ちゃん……やぁン……」
早紀が、媚びるような声をあげながら、その華奢な体を震わせた。
そして、反撃とばかりに、胸の谷間からのぞく亀頭部分に、てろてろと舌を這わせる。
「うっ……」
敏感な粘膜を、かすかにざらつく舌でねぶられ、俊司は思わず声をあげてしまった。
ペニスにもたらされる快感もさることながら、愛らしい妹の淫らな仕草に、さらに興奮が高まる。
俊司は、マシュマロを思わせる柔らかさと弾力を有した早紀の乳房を、ぐにぐにと揉みしだいた。
「はうン……ンあ……ああぁ〜ン……」
早紀が、白い喉を反らすようにして、あからさまな喘ぎで快感を訴える。
「早紀……早紀の胸、柔らかくて、すごく気持ちいいよ……」
俊司は、どこか熱に浮かされたような口調で、そう言った。
その言葉に、早紀ははにかみながらも嬉しそうに微笑んで、再び俊司のペニスに舌を伸ばした。
そして、自らの体をより大胆に動かし、ジェルでぬらつく胸の谷間でシャフトをしごきあげながら、繰り返しペニスの先端にキスをする。
その早紀の目元は、興奮にぽおっと赤く染まり、時折漏れる喘ぎは、甘く濡れていた。
俊司が、乳房でペニスを挟みつけるのを早紀に任せ、指先で重点的に乳首を責め出す。
「きゃううううッ!」
早紀が、高い悲鳴をあげる。
しかし、俊司は手を止めず、尖った乳首を指先で激しくいらい、くりくりとしごくように刺激した。
「ア……お、おにいちゃん……それ……だめえ……ッ!」
早紀が、ミディアムショートの髪をふるふると振り乱しながら叫ぶ。
「イくのかい? 早紀……」
「は、はずかしい……ンあッ!」
「おっぱいだけでイっちゃうんだね、早紀……」
「あひッ! ひゃううううッ! だ、だめェ……もう、もうだめェーッ!」
びくびくびくっ、と早紀の体が痙攣する。
「お、おにいちゃああああん!」
「早紀ッ!」
俊司は、再び早紀の双乳を鷲づかみにし、激しく腰を使った。
妹の乳房で、怒張をしごきあげ、自らを限界にまで追い込む。
その兄の行為が、妹を絶頂まで押し上げた。
「あッ! イっ……く……イ、イっちゃうううううううううううウーっ!」
「早紀いッ!」
高い絶頂の声をあげる早紀のあどけない顔に、俊司は、再び大量の精を放った。
二度目だというのに、どびゅうううっ! という音すら聞こえそうな、激しい射精。
「あッ! あッ! あッ! あッ! ああアーッ!」
何度も何度も熱いスペルマを浴びせられる感覚に、早紀は、立て続けに絶頂を感じていた。
俊司は、服を着て、早紀の部屋から出た。
シャワーは、別々に使った。生理中の早紀を思いやってのことである。
そして、俊司が、これから東京に戻ることを告げると、早紀は心底寂しそうな顔をした。早紀を抱いた後、朝まで同じベッドで寝るのが、ここに来てからの二人の日常だったのだ。
しかし、俊司には、東京で見届けなくてはならないことがあった。
照明が抑えられ、薄暗い廊下を、俊司は、どこか暗い表情で歩いている。
「いっそ、恨んでくれた方が、よかったかもな……」
窓の外の暗い空に目をやりながら、ぽつり、と俊司は呟いた。
俊司が東京に帰ってから、一週間。
早紀は、日々をひどく退屈に過ごしていた。
ここのところ、早紀を取り巻く環境は、意外なほど緩やかになっている。TVにはアンテナが接続され、普通の番組を見ることもできるようになっていたし、早紀が望めば、外の敷地を散歩することも許された。
研究所の敷地は、まるきり牧場のようであった。ゆるやかな緑の丘が連なり、木製の柵が、区画を仕切っている。さらにそこでは、牛や羊などが、のんびりと草を食んでいた。
無論、散歩は監視付きである。
早紀の監視役は、くるみだった。
くるみ自身には、早紀に一番年齢が近いのは、くるみだから、と説明されている。確かに、早紀とくるみが並んで歩いていると、同年代の少女同士にしか見えない。
無論、くるみは、そんな説明など、信じてはいなかった。
(誘われてるんだろうなあ、コレは……)
くるみは、Lの組織に敵対する“結社”の一員である。そしてLたちも、そのことには薄々気付いている様子だ。
(組織は、あたしが尻尾を出して結社と連絡するところを押さえようとしているんだわ……。この研究所で、唯一、組織の構成員でない彼女と接触させることによって……)
(でも、あたしだって、結社の一員だもの。なめてもらっちゃ、困るわよ)
今、二人は、研究所の敷地の大部分を占める牧場の中の道を歩いている。
青い空に、綿菓子のような雲が浮かんでいた。ひどくのどかな風景だ。
「ふーっ」
一息ついて、大きなポプラの木の下のベンチに、早紀が腰掛けた。周囲では、やはり何本かのポプラの木が、地面に影を落としている。
くるみは、立ったままだ。
「あの……児玉さん、座らないんですか?」
早紀が、小首をかしげながら言う。
くるみは、しかし、いつになく神妙な表情を、その幼い顔に浮かべて、白衣の懐から携帯電話を取り出した。
「?」
怪訝そうな早紀に、にっ、と小さく笑いかけた後、くるみは、いくつかの番号をプッシュした。
そして、しばらくディスプレイを確認した後、早紀に視線を戻す。
「速水さん……だと、所長とまぎらわしいから、早紀ちゃん、でいいかな?」
「え、ええ……」
「代わりに、あたしのこともくるみでいいから」
「はい……」
明らかに今までと様子が違うくるみにとまどいながら、早紀は返事をした。
「単刀直入に言うわ。あたしはね、あなたを監禁しているこの組織の、敵なの」
「てき……?」
「そう。あんまり詳しくは言えないけどね。……この組織は、人類を滅亡させようとしているのよ」
「えええ?」
あまりに突拍子のないくるみの発言に、早紀は大声をあげていた。
「信じられないのは無理ないわ。って言うか、別に信じてもらわなくてもいい。つまりは、あたしが、この研究所に忍びこんだスパイだってことを分かってくれればね」
「くるみさんが……スパイ、ですか……?」
あまりにも非日常的な単語の連続に、早紀はきょとんとした顔をするだけだ。
「そ、スパイ。エージェントって言った方がカッコいいんだけどね。とにかく、あたしは、あなたを逃がしてあげることができるの」
「逃がす?」
「そう。家に戻れるのよ」
「……」
早紀は、口をつぐんでしまった。
「どうしたの? それとも、あたしがこんなんだから信用できない? これでも、けっこう腕利きなのよ」
そう言って、くるみは薄い胸を張った。
「今、あたしが仕込んだウィルスが、研究所中のコンピュータをダウンさせてるわ。……皮肉な話だけどね」
「皮肉って?」
「だって、こここそが、人類を滅亡させるウィルスの研究所なんだもん。ま、そんなことはいいわ。さ、一緒に来て。向こうに、車隠してるから」
「なんで、ですか?」
早紀の言葉に、くるみは思わず目を見開いていた。そのあどけない顔が、ますます幼くなる。
「なんでって……早紀ちゃん、家に帰りたくないの?」
「……」
「それとも、あたしが信用できない? だいじょうぶよ。別に、ヘンなとこに連れてこうっていうつもりはないから。ただ、警察に行って、今まで閉じ込められてたことを正直に言ってくれればいいだけなんだから」
「そ、そんなの、だめです……」
「何がだめなの?」
早紀の予想外の反応に、くるみは怪訝そうな顔をする。
「だって……だってここ、お兄ちゃんの研究所なんですよ」
「あのねえ、その速水所長が、あんたを監禁してたんでしょ!」
くるみは、噛みつかんばかりの勢いで、そう言った。
「詳しくは詮索しないけど……早紀ちゃん、ひどい目にあったんでしょ? そんなお兄さんに義理立てする必要なんかないよ!」
「義理立てとかじゃありません! 何も知らないくせに!」
早紀が、くるみに負けないくらいの大声で、言う。
くるみは、その眼鏡の奥の目を、すっと細めた。
「――ストックホルム症候群」
そして、ぽつんと呟く。
「え?」
「ストックホルム症候群よ。今の、早紀ちゃんの状態。誘拐や監禁の被害者が、犯人に、必要以上の同情や連帯感、好意などをもつことを、そう言うの……」
「しょうこうぐんって……くるみさん、あたしが病気だって言うんですか? 気が狂ってるって……!」
「それに近い状態よ。確かに、分からないわけじゃないけど……」
くるみが、小さくため息をつく。
と、ぱあん! という乾いた音が、辺りに響いた。
ベンチから立ち上がった早紀が、くるみの頬を平手で打ったのだ。
「な、何するのよ!」
「知ったふうなこと言わないで!」
頬を押さえて言うくるみに、早紀も涙声で叫ぶ。
「いきなり、訳わかんないこと言って、人の気持ちを勝手に決めつけて……そんなんじゃない! あたしとおにいちゃんは、そんなんじゃないのっ! あたしは、あたしはずっと前から……!」
「……」
早紀のあまりの剣幕に、くるみは茫然と立ち尽くす。
そのため、次に起こったことに対するくるみの反応は、一瞬だけ遅れてしまっていた。
「!」
危険を感じて飛びすさり、懐から拳銃を抜いて、引き金を絞る。
その一連の動きを行う前に、くるみは、くたっ、と地面に横たわってしまっていた。
「く……くるみ、さん?」
早紀は、茫然と呟いた。
くるみの白衣の肩の部分に、小さな穴があいている。
「大丈夫。死んでなんかないわ」
そう言いながら、ポプラの木の陰から現れたのは、豪奢な金髪の美女だった。その右手に、サイレンサーをつけた拳銃を握っている。
「弾の中にクスリが仕込んであるの。要するに、麻酔弾よ」
「誰、なんですか……?」
「あなたのお兄さんのスポンサーよ。ルーシィって呼んでくれればいいわ。……今、研究所はシステム復旧で大騒ぎなんだけど、こういう時って、意外と管理職はヒマなのよね」
そう言いながら、ルーシィ――Lは、横たわるくるみに近付いていく。
「可愛い顔して眠っちゃって……でも、ちょろちょろ危なっかしく動き回ってるより、よっぽど似合ってるわね」
Lの横顔に浮かんだ笑みに、早紀は、ぞくりと背を震わせた。
「殺す……んですか?」
「ふふふっ」
早紀の言葉に、Lは含み笑いを漏らした。
「このコが何を言ったか知らないけど、ずいぶんとおっかないコトを言うのね。――まさか、そんなマネしないわ」
「……くるみさん、言ってました。この研究所で、人類を滅亡させるウィルスを開発してるって」
「……」
「本当、なんですか?」
Lは、その白皙に微笑を浮かべたまま、早紀に向き直り、口を開いた。
「明日、お兄さんが帰ってくるわ。彼に訊いてみるのね」
Lの言葉通り、俊司は、翌日の昼に研究所に戻ってきた。
その顔は、いつにも増して青白い。
部屋で迎えた早紀が、思わず言葉を失ってしまうほどに、俊司は憔悴しているようだった。
「お兄ちゃん、どうしたの……?」
早紀が、心配そうに訊く。
俊司は、悲痛な声で、静かに言った。
「君のお母さんが、僕たちの父さんを殺したよ」
「……え?」
言葉の意味が脳に届かない。早紀は、思わず聞き返していた。
「速水紀子が、速水重蔵を殺した」
俊司は、わざわざフルネームを使って言い直し、そして続けた。
「僕が、そう仕向けたんだ」
早紀は、ようやく俊司の言わんとしていることを理解した。
兄の言葉は、嘘とは思えない。本当のことなのだろう。
母が、父を殺した。
長い間、義父だと思っていた、実の父親を。
そのことに、さほどショックを受けていない自分自身に、早紀は多少の驚きを感じていた。
(やっぱりあたし……おかしいのかもしれない……)
そして早紀は、ぼんやりとそんなことを思うのだった。