終章
−秋の歌−
木枯らしの吹く中、僕は、名前すら知らなかった山あいの町を歩いていた。
未だに、知ってる人に出くわす可能性のある地元を歩くよりも、知らない町を歩く方が、気楽でいられる。
風に、枯れ葉が舞っていた。
「…………」
教えられた住所を探して、何度か歩を止める。
どうやら、目的地は近いようだ。
「……あそこ、かな?」
新築らしき、こじんまりとした綺麗なアパート。
郵便受けの名前を確認して、深呼吸する。
時間は、指定どおり。二人とも家にいるはずだ。
僕は、ドアの横のチャイムを鳴らした。
中で、人の動く気配がして、予想よりちょっとだけ早く、ドアが開いた。
「……!」
「こんにちは……」
そう挨拶をして、それから、微笑んで見せる。
「久しぶりだね」
エプロン姿で、目を大きく見開いている美保さんに、僕は、言った。
「け、研ちゃん……どうして……」
美保さんが、唇を震わせながら、ようやく言った。
「――私が呼んだの」
美保さんの後ろから、懐かしい声が聞こえる。
まあ、懐かしいと言っても、3ヶ月くらいしか離れていなかったんだけど……。
「智沙ちゃん……」
「いいでしょ。だって、赤ちゃんのパパに会いたかったんだもの」
智沙ちゃんが、そろそろ目立ってきたお腹を撫でながら、姿を現す。
あの中に……僕の赤ちゃんが、居るんだ。
すでに智沙ちゃんからの手紙で知らされていたので、そんなに驚いたりはしない。
けど、やっぱり、じーん、と体がしびれるような感覚があった。
「美保さんだけで智沙ちゃんをかばうの、大変だったよね。その……ありがとう」
僕の子供を宿した智沙ちゃんに対する愛しさと、そして、美保さんに対する感謝の気持ちで、胸が、一杯になる。
最近まで知らされていなかったとは言え、今まで果たすべき義務を果たしていなかった自分が、ちょっと情けない。
もちろん、父親が僕だということは、美保さんも、智沙ちゃんも、周囲に隠し通している。
智沙ちゃんは、この夏、誰とも知らない男にレイプされ、妊娠した――そういうことになっているのだ。
どんなに、智沙ちゃんは辛い思いをしただろう。
それを、美保さんが、今まで守ってくれた。
そのことを、智沙ちゃんが美保さんに内緒で出した手紙で知って、僕は、一晩中泣き続けた。
名付ける事すら出来ないような温かく濡れた感情で、胸がいっぱいになったのだ。
断ち切ろうとして断ち切れなかった想いは、一つ季節が過ぎる間に、いつのまにか変わっていて――
そして、僕は、二人の前に、意外なほど穏やかな気持ちで立っていた。
変わることって――もしかしたら、そんなに悪くないことかもしれない。
「その……今すぐは無理だけど……僕、きちんと働いて、立派なお父さんになるから」
だから、僕は、そう言った。
「そ、そんな……研ちゃん、そんなこと……」
「よろしくね、研児くん。……頼りにしてるからね」
おろおろと声をあげる美保さんのすぐ後ろで、にっこりと、智沙ちゃんがほほ笑む。
「うん」
僕は、そんな智沙ちゃんに肯きかけてから、美保さんの方を向いた。
「僕だけ仲間外れなんて、やめてよ」
「研ちゃん……」
「これから、みんな一緒に、家族になろう……ね?」
僕の言葉に、美保さんが、目を見開く。
「……うん」
子供みたいにそう返事をしてから、美保さんは、ぽろぽろと涙をこぼして泣きじゃくった。