夏 の 歌



序章
−夏の歌−



 僕の母さんの実家は、海沿いの町である。
 さすがに、村って言うほどではないけど、田舎だ。
 近くに海水浴場があって、夏にはけっこう人で賑わう。
 僕の思い出の中のその町は、常に夏だった。 
 砂浜。
 磯辺。
 海原。
 青空。
 太陽。
 夕立。
 神社。
 縁日。
 浴衣。
 花火。
 そして次の日――
 強い日差しに照らされ、白っぽく見える、海岸沿いの道路。
 そこで僕は立ち尽くし、泣いていた。
 そんな、記憶がある。
 たまに夢で見てしまうほどに強く心に残っている記憶だ。
 小学校に入学する、ちょっと前のことだったような気がする。
 とにかく、僕は泣いていた。
 そして、僕の周囲の大人たちは、何やら楽しそうに笑っていた。
 めでたい祝いの場だったように思う。
 そんな中、僕は、悲しくて、悲しくて、ひたすら泣いていた。
 自分がなぜ泣いているのかも途中で分からなくなり、ただ惰性で泣き続ける。
 そして――涙でにじんだ視界に、美保さんの顔が現れた。
 美保さん――母さんの妹。僕の叔母。
 その美保さんが、寂しそうな顔で、僕の顔を覗き込んでいる。
「ごめんね」
 美保さんはそう言って、僕の頭を撫でてくれた。
 柔らかな手の感触。かすかに汗の匂いが混じった香水の香り。優しい声。
 今まで見たことのなかった、綺麗な服。
 白無垢だった、と思う。
 僕は、美保さんがお嫁に行くのが嫌で、もう会えなくなるのが寂しくて、それで泣いていたのだ。
 僕は――まだ幼稚園児だったわけだけど、ともかく、美保さんが好きだったのだ。
 それで、泣いていたのである。
 そんな悲しい夏の日があって、それからも年に一度はこの町に遊びに来て、海で泳いだり、虫を捕ったり、縁日に行ったりした。
 あの日、もう会えなくなると勝手に思い込んでいた美保さんとも、あんなに大泣きしたのが嘘みたいに、普通に会って話をした。
 もちろん、それはそうだった。美保さんがお嫁に行ったのは、そんなに遠く離れた場所ではなく、お盆には毎年実家に帰ってきてたのだから。
 そして――いつしか、僕は、この町に来ることはなくなっていた。
 そう、今年の夏までは……。



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