第ニ章



 宮廷魔道士たるハリウスの執務室は、広大な王宮の西の端にあった。
 威厳ある国王宮や、典雅な後宮、その主である双子のようにそっくりな王子宮と王女宮、そして王立議会議事堂などの、国政の中枢から少し離れた、鋭く天を突く尖塔の基部に、その部屋がある。
 ハリウスの執務室は、四方のほとんどが、分厚い書籍や、薬びんや水晶球、さらにはもっと妖しげな品々を収めた書棚に覆われていた。その隙間に、机や椅子が置かれている。
 すでに、小さな窓の外は暗く、わずかな夕暮れの残照が、赤黒く西の空を染めていた。
 ハリウスは自らの席につき、何やら書き物をしている。昼から、ずっとそうである。
 さすがに疲れたのか、ハリウスはその一重の目をしばし閉ざした後、ランプの火をさらに明るくした。
 そのオレンジの光に、机の上の書類が照らされる。レオン王子の教育に関する企画書や、魔道の研究論文に混じって、アルメキア、ネルドール両国全土を描いた詳細な地図がある。
 ハリウスは、ちらりとその地図を細い目でにらんだ後、机の傍らの呼び鈴を押した。ほどなく、背後の扉が開く気配を、その鋭敏な耳が捉える。
「ルール茶を……」
 従者にそう頼もうとして、ハリウスは絶句していた。
「……サラ」
 不覚にも、そう、声に出してしまう。
 扉の前には、髪を肩の上あたりで切った幼い少女が佇んでいた。あまり凹凸の目立たない肢体を、素朴な平民服が包んでいる。
「お久しぶり、お兄ちゃん」
 少女がそう言った時には、しかし、ハリウスの顔から再び表情が消えていた。
「あれ? もしかして、お兄さま、だった? それとも、まさか兄貴とか」
「その口を閉じろ、ネルドールの間者」
 そう決め付けながら、ハリウスは立ちあがり、書棚に立てかけてあった杖に手を伸ばす。
「おおかた、リリムやサキュバスの類いだろうが、俺は惑わされんぞ」
「そんな低級な夢魔なんかといっしょにしないでよ」
 くすくすと妖しく微笑みながら、少女はハリウスに近付いた。
「あたしは、アリエル。もともとは異界ヘブライの天使よ。あ、でも、そう呼びたいんだったら、サラって呼んでもいいンだけど」
「妹は、死んだ」
 黒い瞳に危険な光を宿らせながら、ハリウスはアリエルを睨みつけた。
「お前がどういうつもりか知らんが、そんな姿をとって俺の動揺を誘おうなどというのは、全くの逆効果だ」
「そうかなぁ?」
 アリエルは、ハリウスのすぐ前にまで迫り、そして、ふわりと空中に浮いた。
「あたし、知ってるのになア。あなたが、妹にどんな想いを抱いていたか」
「!」
 何か言おうとしたハリウスの口を、アリエルは柔らかな唇で塞いだ。
 そのまま、うろたえるハリウスの首に細い両腕を絡め、顔をねじるようにして濃厚な口付けをする。
「ぷはっ」
 しばらくして、ハリウスの首に腕を絡ませたまま、アリエルが口を離した。
「キスなんて、ひさびさでしょ。……子どものころ、眠ってる妹にして以来だもんねェ」
「き、貴様……!」
 言いかけて、ハリウスは愕然とした。四肢が、痺れたように動かなくなっている。
 アリエルに唇を奪われた際に、すでに彼女の術中にはまっていたのだ。
「んで、三十間近だってのに、女を知らないまま……。人には、魔道の修行のためとか何とか言ってるけど、ホントは、死んじゃった妹への義理立てなんでしょ?」
「く……」
 ハリウスは、屈辱にきつく歯を食いしばった。そんなハリウスの首筋を、アリエルは指先と舌でねっとりと愛撫する。
「あたしが、あなたを解放したげる……ご主人サマ♪」
「なん、だと……?」
「今日からあたしが、あなたの奴隷になったげるの」
 舌足らずな声でそう言いながら、アリエルは床にひざまずき、ハリウスのローブの帯を解き、その前をくつろげた。
 そして、ローブと同色の、暗い青色のゆったりとしたズボンの股間のあたりに、小さな手を這わせる。
「だから、アリエルに、ご主人様の精気、ちょうだい……」
 アリエルは、布地の上から、固く強張りつつあるハリウスのその部分に、すりすりと頬ずりした。
「あはァ……ご主人様の熱い精気が、伝わってくる……」
「く……ぅぅ……」
 布越しの、じれったいような刺激に、ハリウスは思わず呻き声をあげていた。
 そして、アリエルに導かれるまま、椅子に腰掛けてしまう。
 アリエルは、そんなハリウスの目の前で、するすると身につけていた衣服を脱ぎ捨てた。
 痩せた、まだ硬さの残る体に、膨らみかけた胸と、丸みをおびつつあるお尻のラインが、独特の魅力をかもし出している。
 アリエルは、全裸になって、ハリウスの股間の部分の布を開き、その剛直を両手で丁寧に取り出した。
 ハリウスのそれは、今や完全に天を向いて屹立していた。
「ご主人様の、すっごく元気……」
 アリエルは、好物を前にした童女のようににこにこと微笑み、そして、わざとあーンと声に出して、ハリウスのペニスを咥えた。
「うッ……」
 名状しがたい、生温かく柔らかな感覚に、ハリウスが声を漏らす。
 アリエルは、まるで口腔粘膜でその部分の熱い温度や硬さを味わうかのように、しばらくじっと動きを止め、そして、そろそろと舌を竿の部分に絡め始めた。
「んむ……うン……んふ……ふぅン……」
 かすかな鼻声を漏らしながら、アリエルはゆっくりとピストン運動に入る。可憐な桜色の唇を、唾液に濡れた褐色の牡器官が出入りする様が、ひどくなまめかしい。
「くぅ……ッ」
 ハリウスは、思わず顔をのけぞらせた。敏感な雁首の部分を、アリエルの少しざらついた舌が奔放に刺激したのだ。
 さらに、アリエルは口内からペニスを出し、唾液でぬるぬるになったシャフトをしごきながら、裏筋に舌を這わせ、陰嚢を優しく口に含んだ。かと思うと、舌の裏側の柔らかい部分で亀頭を刺激する。あどけない姿態に似合わない、娼婦顔負けの技巧である。
 ハリウスのペニスは、鈴口からとろとろと先走りの汁を溢れさせ、アリエルはさも美味しそうにその苦い液体を舐めしゃぶり、すすりあげた。
 ハリウスのその部分は浅ましく静脈を浮き出させ、びくびくとしゃくりあげるように律動している。
「うふっ……」
 アリエルが、軽く亀頭にキスしたあとで、唾液の糸を引きながらその部分から口を離したとき、ハリウスは荒い息をついていた。
「お口でいただいてもよかったんだけど、やっぱり、アソコが、一番感じるから……」
 あどけない顔に似合わぬ淫蕩な表情で、アリエルが微笑んだ。
「ご主人様ァ……アリエルに、ご主人様のどーてー、ちょうだい♪」
 そんなことを言いながら、ハリウスの両手を取って、自らは黒色のじゅうたんの敷かれた床に倒れこむ。
 ハリウスは、ぎくしゃくと体を動かしながら、アリエルの幼げな体にのしかかる姿勢になった。
「ふ、不覚だ……こんな魔族などに、いいように操られるとは……」
 言いながら、ハリウスは、自らの自由を取り戻すのに必要な呪文を、必死になって思い出そうとする。
「あたし、ご主人様のコト、操ってなんかないもん」
 ハリウスの体の下で、アリエルは悪戯っぽくそう言った。
「なに?」
「ご主人様の欲望を、解放しただけ……♪」
 まるで、その言葉が鍵であったかのように、ハリウスは、体の自由を回復させていた。
 そして、自由になったその体で、アリエルの細い肩を掴み……
 そのまま、きつく抱き締めていた。
「んふ……♪」
 全身にハリウスの体重を感じながら、アリエルは満足そうな表情を浮かべる。
 そのアリエルの可憐な唇に、ハリウスは貪るような荒々しいキスをした。
 口内に侵入してくるハリウスの舌に、アリエルの舌が優しく絡みつく。
「んふン……ンう……うム……ふぅ〜ン……」
 アリエルは、うっとりと目を閉じ、脳を痺れさせるような媚声をもらす。
 ようやく、ハリウスは口を離した。そのまま、信じられないような顔で、間近にあるアリエルの顔を見下ろす。
「悪魔、め……」
 明らかに敗者の声で、ハリウスがつぶやく。
「“魔”ってのはサ、よーするに、人の欲望を肯定するコトでしょ」
 アリエルが、訳知り顔で言う。言いながら、その両手を、唾液に濡れ、むき出しになったままのハリウスの股間に伸ばす。
「魔法は人の欲望を叶える方法だし、魔道は人の欲望を満たす道、悪魔は……人の欲望に応えるために、悪を為すモノ♪」
 アリエルは膝を立てるようにして大胆に脚を開き、熱くたぎるハリウスの剛直を、自らの柔らかな部分に導いた。
「だから、いくら禁欲生活をおくっても、“魔”を制することはできないの。……“魔”を制するには、欲望を満足させながら、それを、コントロールしなきゃ……」
 ぴったりと、堕天使と魔道士の粘膜が触れ合う。
 先ほどの口淫でかなり興奮していたのか、アリエルの靡粘膜は愛液に濡れ、少しめくれあがるようにして息づいていた。その微細な動きが、亀頭の裏側を通じて感じられる。
 最後の一線を越えたのは、ハリウスだった。
 全くの未経験でありながら、牡の本能の命じるまま、アリエルの幼い秘部を貫くべく、腰を進ませる。
「ンアアアアアアッ!」
 ハリウスのその部分が肉襞をかき分け、膣壁をこすりあげる感覚に、アリエルは高い嬌声をあげた。
「ス、スゴい……ご主人様のオチンチン、おっきいィ……」
 そして、あどけない少女の顔からは考えられない、あけすけな言葉を口にする。
 ハリウスは、最初から早いペースで、腰を前後させた。アリエルの肩を掴んで固定し、叩きつけるような勢いで、ピストン運動を繰り返す。
「ああッ! ス、スゴい! あ! あン! ンあッ! ひあァ!」
 アリエルは、眉を切なげにたわめながら、短い悲鳴で快感を訴える。
 熱くとろけるようなアリエルの蜜壷は、柔らかい圧力でハリウスのペニスに締め上げ、内部で暴れ狂う剛直に絡みつくような動きを見せた。
「ぐうううううううううッ!」
 ハリウスが、獣のような声をあげた。
 そして、そのまま、あっけなく最後のときを迎える。
 彼は、大量の精を、幼くして死んだ妹の姿をしたアリエルの体内に注ぎ込んだ。
「あはぁ……♪」
 アリエルが、満足げなため息をつく。
「スゴぉい……どぴゅどぴゅぅって、いっぱい、出てる……。ご主人様の、あつい精気、かんじるの……」
 恍惚とした顔でそう言うアリエルの体を、ハリウスはのしかかるようにして抱き締め、びくびくと体を痙攣させた。まどまとっている濃い青色のローブが、重なった二人の体を半ば以上隠してしまう。
 ぐったりとなったハリウスは、犬のような荒い息を、アリエルの耳元に吐きかけていた。
「んふふ……ごちそうさまっ♪」
 そんなことを言いながら、アリエルは、その細い両脚をハリウスの腰に絡めた。
「あ……」
 ハリウスが、普段のカミソリのような彼からは考えられないような、呆けた表情をその顔に浮かべる。
「精気は、じゅーぶんもらったンだけどォ……アリエルのアソコ、まだ足りないの……」
 はにかんだような表情で、アリエルはハリウスの体を横にくるりと半回転させた。ハリウスは、なされるがままだ。
 そのままアリエルは、ハリウスの腰から自らの腰を離そうとはしない。自然、アリエルがハリウスの腰にまたがる姿勢になる。
 ハリウスの男根は、やや力を失いながらも、アリエルの体内にとどまっている。
 そのハリウスの器官を、ざわざわとした柔らかく微妙な蠕動が包み込んだ。
 まるで、無数の微細な舌先で、細かく舐めあげられてるような感覚である。
「うぁ……」
 思わず、ハリウスは声をあげていた。
 ぞくぞくするような快感とともに、熱い血液がまたハリウスのペニスに集まっていく。
「あ、はァん……ご主人様のオチンチン、またカタくなってきたァ……」
 体内でペニスが硬度を増していく感じに、アリエルは喜悦の声をあげた。
 そして、左右に投げ出されたハリウスの両手を持ち、自らの薄い胸に当てる。
「ね、ご主人様、分かる……?」
「……?」
 ハリウスが、東方の血を色濃く受け継いだ顔に、どこか少年じみた表情を浮かべた。
「あたし、今、すごくドキドキしてるでしょ」
 その言葉通り、ハリウスはその両手に、とくン、とくン、というアリエルの心臓の拍動を感じていた。
「えへ……動く、ね……」
 照れたように笑いながら、ハリウスの両手を胸に押し当てたままの姿勢で、腰を動かしだす。
 大量の蜜と、ハリウスが放ったばかりの白濁液が、二人の結合部から溢れ、じゅぼじゅぼという淫猥な音をあげた。
 アリエルの小さな膣口を出入りするハリウスのシャフトは、その粘液に濡れ光り、まるで何か別の軟体生物のように見える。
「あっ……んふ……うぅン……んク……ふぅン……」
 くいくいと幼い腰をリズミカルに動かしながら、アリエルが可愛い喘ぎ声をあげる。
 ハリウスは、何かを求めるように差し出した両手に力を込め、発育を始めたばかりの胸に指を食いこませた。
「っはあァん!」
 痛みを感じるはずのその仕打ちに、アリエルは高い嬌声をあげる。
「ンッ……はあァ……ごしゅじんさま……アリエルのおっぱい、もっとイジめて……!」
 そう訴えながら、アリエルはますます大胆に腰をグラインドさせた。
 ハリウスの手の中で、まだ乳房と言うのもためらわれるような胸のふくらみが、無残に形を変える。そのこりこりした青い感触の頂点で、小さな乳首が小生意気に勃起しているのが分かった。
「もっと、もっとキツくして……あッ、んあああああッ……! イイっ……きもち、イイよう……」
 いつしかハリウスは、下から腰を突き上げていた。
 最初はぎこちなかったその動きが、次第に滑らかになっていき、今や、腰にまたがるアリエルの小さな体を翻弄するように上下させている。
 ハリウスは、その切れ長の一重の目を閉じ、荒い息をつきながら、下からアリエルのことを責めたてていた。
「スゴい……ごしゅじんさまってば……んア……スゴい、スゴい、スゴいよお……ッ!」
 アリエルは、舌足らずな声でそう叫びながら、いやいやをする童女のように首を振る。
「あ……も、もうダメ! ダメぇ! アリエル、もうダメだよう……ッ! ふわ、あ、ああアッ!」
 白く細い喉を反らせ、快楽を訴えるアリエルの背中に、二つ、縦に傷が走った。
 ちょうど、肩甲骨の内側あたりだ。
「あ、ああああああッ! あひッ! ひああああああァ!」
 ひときわ高い声とともに、ぶわっ、とその傷口から、コウモリのそれに似た翼が生え出る。
「ンあ! あ! あああアア! あああァアアアアアアアアアアアアアーッ!」
 ざん、と風を切り、漆黒の巨大な翼が、部屋一杯に広がる。
 そして、お尻の谷間の部分からは、しなやかな黒いムチのような尻尾が生えていた。
 半ば以上その正体をさらしたアリエルの腰の下で、ハリウスは、ひときわ大きく腰を突き上げる。
 幼い性器の一番奥まで侵入したハリウスのペニスが、断続的に熱い精液をアリエルの体内に叩きこんだ。
「イ、イク! イクッ! イク、イク、イク! イクううううううううぅーッ!」
 感極まった声で絶頂を訴えるアリエルの頭から、一対の角が生え出ている。
「あ、アアアああ……ふわぁン……」
 ハリウスの体液から、命の源である精気をたっぷりと吸収しながら、アリエルはその姿のまま、ぐったりとハリウスの体の上に横たわった。

「ごしゅじんさまァ……」
 しばらく後、翼と尻尾、そして角を体内に収め、ただの少女の姿に戻ったアリエルが、ハリウスの痩せた胸に顔を乗せたまま、言った。
「あたしと、契約してよォ……悪いようには、しないからさ♪」
「……」
「別に、魂くれなんて言わないから……。ただ、ご主人様のオチンチンで、いっぱい精気くれるだけで、いいんだよ……。ご主人様だって、気持ちよかったでしょ?」
 そう言いながら、服の上から、ハリウスの胸板をまさぐる。
「そして、アルメキアを裏切り、ネルドールの手の者になれというのか?」
 どこか覇気の感じられない声で、ハリウスが訊く。
「ホントは、それが任務なんだけど……ご主人さまのオチンチン、あたしとすっごく相性イイんだもん」
「……」
「ん、もう」
 アリエルは、焦れたように言って、ハリウスの耳に唇を寄せた。
「それじゃ、とっておきのコト、教えたげる」
 そして、こしょこしょと何事かをつぶやく。
 ハリウスは、半ば閉じていた目を見開いた。
「……それは、本当のことか?」
 ハリウスの顔に、次第に鋭さが戻ってくる。その黒い瞳に、炯々とした、夜の星のような光が宿った。
「ホントだよッ。あたしの頭、覗いてみる?」
 半身を起こすハリウスの首にかじりつくような姿勢のまま、アリエルが言う。
「……」
 しかし、ハリウスは、答えなかった。
 ただ、さしものアリエルでさえひるんでしまうような強い視線を、その顔に向けただけである。
 アリエルは、その視線を正面から受けとめた。
 そして――
 次第に深まる闇の中で、魔道士ハリウス・スーマは、悪魔アリエルとの契約を交わした。



 森の中を、王室仕様の馬車が走っている。
 爽やかな昼下がりである。木漏れ日が、灰色の石が敷き詰められた街道を照らしている。
 しかし、馬車の中のノエルは、浮かぬ顔であった。
「お父様のバカ……」
 聖王女と称えられる身では口にすべきでない言葉を、涙混じりの声でつぶやく。
「ねえさま……」
 ノエルと向かい合う形で、例によってクッションに身をうずめているレオンが、かすかにとがめるような声をあげた。
「なによッ!」
 ノエルは、普段見せているこの病弱な双子の弟に対するいたわりを忘れたような顔で、きっ、とレオンの顔をにらみつけた。
「レオンも、お父様と同じなの? あんな予言なんかに、心を囚われて!」
「……」
 ノエルの剣幕に、レオンは沈黙で応える。
 今日、二人は、片足を失って以来、王都アルムを離れて南の離宮で静養している国王を見舞いに行ったのである。
 双子の父であるナンテスI世は、いつものごとく、愛らしい王子と王女を歓待した。しかし、ノエルの話がダニルとの関係に及び、彼と婚約を結びたいと言い出した時、国王はその柔和な顔に苦渋に満ちた表情を浮かべたのだ。
「ノエルよ……」
 かつて英雄王とさえ称されたナンテスI世は、歯切れの悪い口調で言った。
「お前も、知らぬわけではあるまい。お前が生まれた時の予言のことを……」
「……」
「『かの聖王女と結ばれし者、聖魔両王国の真の主君とならん』……お前を娶ったものは、魔王国に通じた上で、聖王家に対する簒奪者になるやもしれんのだ。それを、忘れたわけではあるまい」
「それは……」
 ノエルは、可愛く唇を尖らせながら、答えた。
「でも、結局、魔道士が訳も分からずにさえずった、ただの曖昧な予言でしょ。お父様やあたしが気にするようなことじゃないわ」
「魔道は、恐るべき力だ。最愛の娘よ」
 ナンテスI世は、諭すような口調でノエルに言った。
「それを軽視してはならん。ダニル将軍とのことは、少なくとも今は、許すことはできん」
「お父様!」
「許せ……これは、アルメキアの聖なる国土を預かる国王の命令と心得よ」
 ナンテスI世の宣言に、ノエルはきつくその小さな拳を握った。その姿を、レオンが痛ましそうな表情で見つめている。
 そして、三人の親子は、互いに言葉少なに別れを告げたのだった。
「お父様は、あたしに一生独りでいろっていうつもりなのかしら……」
 馬車の中で、ノエルの恨み言が続いている。
「そんなコト、ないと思うけど」
 レオンが、その美しい緑色の目に涙をためている姉を慰めるように、言う。
「それに、あの予言については、ハリウスたちが一生懸命、研究してます。だから、その意味するところも、いずれ明らかになりますよ」
「……」
 その時、不意に、馬車が止まった。
 それも尋常の止まり方ではない。急停止である。ノエルとレオンは、あやうく馬車の床に投げ出されそうになる。
 無論、まだ王宮に着いたわけではない。それどころか、森を抜けてさえいなかった。
 馬のいななきに、護衛の近衛騎士たちの怒号が重なる。
「何?」
 気弱な弟に代わって、ノエルが、窓の向こうに座る御者に問いただす。
 ざっ、とその窓を赤いしぶきが叩いた。
「きゃあああああッ!」
 御者には、首がなかった。
 窓のしぶきは、その御者が頭部を失ったときに溢れた血だったのである。
 いつしか、騎士たちの声は止んでいた。
 ノエルは、震える手で、それでも勇敢に、馬車の扉を開いた。
「ひ……!」
 両の拳を口元に当て、息を飲む。
 騎士とその乗馬は、ことごとく地面に倒れていた。その体に、日の光が場違いなほど明るくさんさんと降り注いでいる。
 騎士たちは、例外なく致命的な一撃を受けているらしく、自らの作った血だまりに沈み、ぴくりとも動かなかった。
 王都のほど近くということで、護衛の近衛騎士の数は確かに少なかった。それでも、ほぼ一瞬にして五人の騎士が屠られたのだ。御者を含めれば、犠牲者は六人である。
 襲撃者の姿は、今は見えない。
 一度にこれだけの、しかも酸鼻を極める死体を見るのは、無論、初めてのことである。ノエルは、立っているのがやっとであった。
 そのノエルの前に、ゆらりと、ローブ姿の男が現れた。
「殿下……お迎えに上がりました」
 男が、慇懃な態度でそう言う。
「ハリウス……」
 ノエルが、ほっとしたようにつぶやいた。たとえ気性が合わないにしても、ハリウスが王家の忠実な臣下であるということだけは、ノエルも認めている。
 が、そのノエルの眉が、不審げにひそめられた。ハリウスの傍らに、まだ年端も行かぬ、平民服の少女がよりそっていたのだ。
 少女は、そのあどけない顔に、無邪気な笑みを浮かべながら、ノエルの蒼白の顔と、騎士たちの死体を見比べている。
「ハ、ハリウス、そのコは……」
 その少女に、喩えようもない邪悪さを感じて、ノエルは声を震わせた。
「妹……のようなものですよ。本物の妹は、十五年以上も前に、誰とは知らぬ者の馬蹄にかけられ、息絶えましたがね」
 ノエルは、まるで自分が悪夢の中に迷い込んでしまったように感じていた。およそ現実感のない陰惨な風景の中で、不吉な魔道士が、低く響くような声で何かを言っている。
「ちょうど、殿下のご生誕で、国中が沸きかえっていた時期でした。早馬もそこら中、行き来してましてね……結局、誰が妹を殺したのかは、分からなかったのです」
「……」
「私は、半ば自暴自棄になって、魔道士としての修行を始めました。そして、意外にも身に余る栄誉と地位を賜ったのですが……しかし、仇は、思いのほか近くにいたのですよ」
「まさか……彼らが……?」
 ノエルは、震えながら、横たわる死体をちらっと見た。
「彼らは当時、祝賀の酒に酔って市中を暴走していた、若い騎士見習の連中でした。私は、何人もの人々の精神を操作して、彼らを再び一箇所に集めたのです。それが、この場だったのですよ」
「……お前が、彼らを殺したの?」
「はい」
 あっさりと、ハリウスは肯く。
「私にとっては、これが終わりなのですが……」
 ハリウスは、手に持つ杖で、ノエルとレオンが乗り込む馬車を指し示した。
「殿下にとっては、これが始まりです」
「きゃっ!」
 本能的に身の危険を感じ、馬車を飛び降りようとしたノエルの足元が、ぐらりと揺れた。
 馬車が、その馬車を引く四頭の馬ごと、宙に浮いたのである。
「レオンっ!」
 ノエルは、悲痛な声をあげて振りかえった。レオンは、顔を真っ青にして、馬車の中で失神している。
 今なら、そしてノエルだけなら、飛び降りることができたかもしれなかった。しかし、ノエルにとってレオンを見捨てることなど、できることではない。
 馬車は、魔道の力場に包まれ、高々と宙に浮いた。馬たちは悲しげないななきをあげながら、懸命に、何もない空中で足を動かし、身悶える。
 ハリウスが、さらに複雑な呪文を唱える。
 怪音が、蒼穹を切り裂いた。高い、乙女の悲鳴のような声が、いくつも重なる。
「……さ、いくぞ」
「はァい♪」
 ハリウスは、軽々と飛び上がり、空中にある馬車の御者台に降り立った。アリエルが、それに続く。
 その馬車を引く馬たちは、いずれも、翼を持つ不可思議な怪物に変身させられていた。猛禽の上半身と馬の下半身という、ありうべからざる体を有する、ヒポグリフと呼ばれる幻獣である。
「あぁ……」
 ノエルは、ぺたん、と馬車の床に座り込んでしまった。その馬車の扉が、音をたてて自動的に閉まる。
 ハリウスは、御者台に未だ座っていた死体からムチを奪い、死体の方ははるか下の地面へと無造作に転げ落とした。
 そして、赤く目を血走らせたヒポグリフにムチを入れる。
 幻獣たちは、高い声をあげ、その翼を羽ばたかせた。
 馬車が、天を滑るように飛ぶ。
「あ……」
 ノエルの精神は限界を迎え、双子の弟に折り重なるようにして、気を失った。



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