Night Walkers

長夜/無明



終章



 朝。
 いつのまにか床で寝ていた俺は、起き上がり、朝食の準備を始めた。
 この部屋で食べる、最後の食事だ。
 と、ミアの気配が、背後にした。
「夕子さんとは、どうだったの?」
 ミアが、さりげない口調で、訊く。
「きちんと挨拶できたよ」
 俺は、目玉焼きを焼きながら、答えた。
「あと、お前にありがとうって、言ってた」
「……そう」
 ミアの返事を聞きながら、目玉焼きを皿に移し、ちゃぶ台に付く。
 この食器も、ちゃぶ台も、台所用品も、全てここに置いていくつもりだ。
 俺は、目玉焼きをトーストに乗せ、食べ始めた。
 そんな俺を、ミアが、見つめている。
 ミアとの、どこか不思議な日常の風景。
 俺は、朝食を食い終わった。
「ミア」
「え?」
 俺が呼びかけると、ミアは、びっくりしたように声をあげた。
「俺、きちんと泣くことができたよ」
 ミアの言葉を待たず、俺は続けた。
「いや、今までも、どういう顔していいか分からなかっただけで、悲しいときは、きちんと泣いてたんだ」
 ミアは、答えず、ただ、真剣な顔で、俺の言葉を聞いてくれた。
「親が死んだときも、飼ってた犬が帰ってこなかったときも、夕子が、俺の目の前で灰になったときも……」
「……」
「綺麗な景色を見た時だって、同じような感覚を感じてた。俺、涙が出ないだけで、けっこう悲しがりなのかもしれない」
「そうね」
 ミアは、その幼い顔に、優しい笑みを浮かべ、言った。
「――じゃあ、行こうか」
「ええ」
 俺とミアは、立ちあがった。
 いつもの黒い服のミアが、俺に身を寄せる。
「あのね、鷹斗」
「ん?」
「今、こんなこと言うと、叱られちゃうかもしれないけど……」
 言いながら、ミアが、ぎゅっ、と俺の服の袖口を掴む。
「ここを出たら――その、できるだけ早く、二人きりになれるところに、行きたいの」
「――分かった」
 そう返事をする俺に、ミアが、ぱっと顔を輝かせた。
 そして、その一瞬後には、自分がそんな顔をしたことを恥じ入るように、顔を真っ赤に染める。
 どういう形であれ、こうやって顔を合わせて話をすることができる。だから、ミアは、俺にとっては生ける死者でもなんでもない。
 死ぬってことは、もう、話ができなくなるってことだ。
 だから、夕子にきちんと最期の挨拶が言えて――俺は、本当にほっとしていたのだった。
 俺は、ミアの小さな肩を抱くようにして、部屋のドアを開けた。
 夕子が去っていった窓に背を向ける形で、外に出る。
 これから自分が、どんな道を歩み、どんな夜を過ごすのか分からない。
 それでも、ミアとともに歩いていく。
 ドアを閉める時、一瞬だけ、部屋の中を振り返りながら、俺は、そう思った。

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