Night Walkers

夜行/百鬼



第六章



 真紅の夢。
 頭上の月も赤く、きらめく星も赤く、燃え盛るかがり火も赤く、茂る木々の葉も赤く、草に覆われた地面も赤い。
 漆黒のはずの闇さえも深紅。――そんな、紅い、風景。
 これは、忌まわしい、呪うべき過去。
 歪んだ笑みを浮かべた、父親の姿。
 ――今宵、お前は、最強の退魔師に生まれ変わるのだ。
 殷々と響く、この世ならぬ異界へと向けられたような、狂った言葉。
 その右手には、血にまみれた剣。左手にあるのは、呆けたような表情を浮かべた、女の生首。
 生首の長い黒髪を掴み、まだ幼い自分の目の前にそれを突きつける。
 白い薄物をまとっただけの姿で、神木に注連縄しめなわでくくりつけられた自分。
 さっきまで感じていた寒さは、いまは何処にか消え、ただ恐怖だけがその身を震わせている。
 涙は涸れ果て、声も嗄れ果てた。
 目の前の、女の首。
 整った顔。幽鬼の如く白い肌。
 生きながら首を切断された女の頭部――
 かつて優しく微笑んでいたその唇は半開きになり、そこから一筋、血が滴っている。
 その、花びらを思わせる、ぽってりとした唇が、かすかに――動いた。
 このような姿になりながらなおも生きている、その恐怖、その苦痛、その絶望――それらを訴えようとするかのように。
 自分に、目の前のそれと同じ血が流れていることを思い、体の奥が凍りつく。
 脊髄が、氷柱になってしまったかのような感覚。
 動けない。
 動けない自分の唇に、生首の唇が重ねられる。
 その、最後の言葉、最期の息吹が、口腔から咽頭を通過し、肺腑へと至り、血液に溶け込んで、心臓に達する。
 どくん、どくん、どくん、どくん――
 歪んだ鼓動を、心臓が刻む。
 止まる、時間――
 そして、父親が、かがり火の中に、生首を投じた。
 ごおおおおお……と、断末魔のようの声のような音をたてながら、燃え上がる首。
 かあさん――!
 声にならない叫び。
 それをきっかけに――
 悪夢は溶暗し、冬条綺羅は、暗黒に塗り込められた現実へと舞い戻った。



 俺の部屋には吸血鬼が住み着いている。
 笑い事ではなくて。
 まあ、俺には、声をあげて笑った記憶なんて、ぜんぜん無いわけだけど。
 あれ以来、つまりミアがモロイを退治し、俺が、それを手伝った――と言うか、たまたまその場に立ち会った、あの夜以来、表面上、ミアの様子に変化はない。
 あの夜、あれだけ感情を表に出したミアのことを考えると、少し拍子抜けしたような気分がないでもない。
 もちろん、彼女の事をよく知ってるわけでもないし、さらには、表面に現れない内面の変化を察するなんてことは、俺には至難の技である。
 それはそれとして――ミアが未だ俺の部屋に居続けている理由について、俺は微妙な違和感のようなものを感じている。
 追われているからかくまってほしい、と、ミアは言った。
 かつてミアの頭を剣で貫いたという男や、あの綺羅という妙な名前の女の他にも、ミアを追っている奴が居るらしい。
 そういう連中にとって、ミアが、例えば俺のような普通の学生の部屋に居候を決め込んでいるという状況は、かなり意外性があるものらしい。
 そういうことなら、ということで、俺は承諾した。
 が、どうもそれだけでは、理由として弱いような、そんな気もする。言葉に出しては言わなかったが。
 そして、それとは別に、ミアが自分と同じ部屋の中にいる、ということに対し、奇妙な昂揚感のようなものを抱いてもいた。
 ミアがここに居る理由に付いてあえて深く追及しなかった理由は、案外その理不尽な昂ぶりによるものかもしれない。
 あの、夏の日の、記憶。
 胸のうちの不可解な――しかし決して不愉快でない、不思議な温度。それに戸惑っているうちに、数日が過ぎてしまう。
 そして、講義も演習もない、穏やかな一日。
「ねえ、鷹斗」
 昼過ぎまで惰眠を貪り、一人分の遅い昼食を食べている俺に、ミアが話しかけてくる。同居人を前にして一人だけ食事をするということの居心地の悪さにも、どうにか慣れた。
「それって、やっぱり美味しい?」
「自分で作った昼飯のことか?」
「それに限らず、食事全般が、という意味なんだけど」
「……」
 正直、こいつの言う事の意味は、今一掴み切れない。
 この前も、生活するために働くって辛くない? と訊かれて、答えにつまったものだ。
「あたしも食べてみようかな」
「……食事、したことないのか?」
「ううん。ずいぶん前には、したことあるけど……もう、どんな感じか忘れちゃったわ。必要のないことだったし」
「必要、ね……」
 言いつつ、俺は周囲を見回した。いくら何でも俺の食いかけを出すわけにはいかない。
「えーと、ここだったかな?」
 戸棚の中から、まだ封を切っていない箱入りのクッキーを取り出す。
「あら、焼き菓子? 意外ね。あなたがそんなもの食べるなんて」
「夕子が持ってきたんだよ。あいつ、たまに俺の部屋に上がりこんでお茶したりするから、お茶請けに置いとけって」
「ふうん」
 箱を渡すと、ミアは、慣れない手つきで開封した。
「へえ、ずいぶん綺麗にパッケージされてるのね」
 そんなことを言って、チョコレートチップが入ったクッキーを摘み上げる。
 そのまま、しばし沈黙。
 そして、思い切ったように、ぱく、とかぶりついた。
「んッ……んぐっ、ごほ、けほほっ」
 いきなり咳き込むミア。
「おいおい、大丈夫か?」
 お茶を出してやると、ミアは、ぐっとそれを飲み込んだ。
「けほっ、けほっ……んくっ、んくっ、んく……ふぅー。あー、びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ」
「ごめんなさい。固形物を口にするのは、久しぶりだったから」
「……」
「でも、コレ、美味しいわね。ふうん……甘いって、こんな感じだったっけ……」
 言いながら、さく、さく、とクッキーを頬張るミア。
 食べ方は上品なんだが、どこか仕草は子供っぽい。それを、年相応と言っていいものかどうか分からないが。
「なんだか、夕子が初めて煙草吸ったときを思い出したな」
「……?」
「いや、高校卒業したときの話だけどさ。あいつ、この部屋にやってきて、わざわざ煙草を一緒に吸おうって言ったんだよ。俺もあいつも吸ったことなかったんだけどさ」
「そうなの」
「で、あいつ、何だか覚悟を決めて吸い込んだら、すごくむせてたんだ」
「……あなたは、どうだったの?」
「俺は、別に何とも。けど、特にこれからも吸いたいとは思わなかったから、今も吸ってない。まあ、未成年だしな。あいつも懲りたのか今は吸ってないみたいだし」
「ふうん」
 ミアは、つまらなそうな顔で言った。
 確かに、あんまり面白い話題じゃなかったかもしれない。
「その……夕子さんって……鷹斗の、何なの?」
 食事を終え、洗い物をする俺の背中に、ミアが訊いてきた。
「は?」
「だから……どういう関係かって訊いているのよ」
「関係ねえ……。小学校の頃からの友人だな。それも、中学、高校、大学と同じ。一緒のクラスだったことも何度かあったし」
「……」
「あと、一応、親戚で……まあ、従兄弟の子供同士だから、はとこって言うのか。そんな関係だよ」
「そういう、表面的なことじゃなくて……」
 ちょっと焦れたように、ミアは言った。
「いろいろ、あるじゃない。えっと、妹みたいな奴とか、腐れ縁とか、そういうのがさ」
 何だか、歯切れの悪い物言いだ。
「うーん、妹は、持ったことがないからよく分からないしなあ。そもそも、あいつ、割と姉御肌だし」
「じゃあ、お姉さんみたいなもの?」
「いや、そういうわけでもないな。俺が世話をされた憶えはない。まあ、俺は、あいつが失恋したときの、愚痴の聞き役ってところかな。あいつ惚れっぽいから……」
 そう言って――嫌なことを思い出す。
 考えてみれば、ミアも、あの現場にはいたのだ。どうやら記憶が混乱しているらしいが、それでも、夕子の顔くらいは憶えているのだろう。
 俺は、うかつに口を滑らせないよう、気を引き締めた。
「……」
 幸い、と言っていいものかどうか、ミアはそれ以上俺に質問をしようとしない。
 ただ、妙な感じの沈黙が、部屋に漂った。
 ミアも、俺も、あまりおしゃべりな方ではないので、互いに何も話さない状態の方が普通だったりするのだが――今のこの空気は、何故か奇妙に落ち着かない。
 間が持たない、という奴だろうか。
 ふと、そっちを見ると、ミアが、じっと俺のことを見つめている。
 見つめているというか――睨んでいるというか――。
 と、その時、ブザーが安っぽい音を立てた。
 何となく、少し救われたような気持で、玄関に出てドアを開ける。
「おひさ♪」
 照れ隠しのような笑顔を浮かべ――そこに、夕子が立っていた。
 “説曹操/曹操就到”……だったかな?
「えっとさあ、病院では、ゴメンね。――気にしてる?」
「いや、気にはしてないけど……」
「ま、鷹斗だったら、そう言ってくれると思ったけどさ」
 ほっとしたような表情で、そう言う夕子。
 言いながらも、微妙に俺との距離を取る夕子。だが、普通に話をする分には何ともないようだ。
「……誰か来てるの?」
 と、目ざとく、夕子がミアの靴を見つけた。
 これは――誤魔化しがきかない。いや、誤魔化す必要があるのかどうかは、よく分からないんだが。
 でも、ミアは吸血鬼だし、一度あの場で顔を合わせてるわけだし……。
「こんにちは」
 と、俺が迷っている間に、俺の背後から、ミアが夕子に声をかけた。気のせいか、ちょっと挑戦的な響きだ。
「え……?」
 夕子の、メガネの奥の目が、見開かれる。
 どういうわけか――少し、いやな予感がした。



 薄暗い部屋の中、綺羅はぐるりと視線をめぐらせた。
 体の自由を奪われている。
 豪奢なベッドの上で、手首にそれぞれ枷がはめられているのだ。それに繋がる銀色の鎖は、どうやらベッドの足に固定されているらしい。
 軽く両手を上げたような姿勢で、それ以上は動くことができない。
 全裸だった。
 一糸まとわぬ体の上に、純白のシーツがかけられている。それが、かえって頼りない。
 日本人としてはめりはりのあるその体の線は、布の上からでも窺い知ることができた。
「く……っ」
 屈辱に、歯を噛み締める。
 腹部の傷は塞がっていた。
 自分は吸血鬼なのだ、ということを思い知る。
 そんな、人外の身に成り果てながら、目的を達することはできなかった。
 ノインテーターの秘密を知ることはできたが、それも、今の綺羅にとっては意味がない。自分は、もはや狩る側から狩られる側に身を堕としてしまったのだ。
 こんな体のまま、異形のモノどもを狩るというのでは、それこそ、あの父親の妄執のままに振る舞うことになってしまう。
 人の領域を踏み越えた、最強の――そして最兇の退魔師。
 ふっ、と綺羅は笑った。
 もう、今となっては、何もかも馬鹿馬鹿しい。自分自身が滑稽だ。
「まったく……どーしちゃいましょうか」
 天井をぼんやりと眺めながら言った時――ドアが開いた。
「起きたんですね?」
 中学生か、高校生くらいに見える少女が、そこに立っていた。その背後から、小学生くらいの少年が現れる。
 二人とも、服を着ていない。遮光カーテンが張り巡らされ、昼とも夜ともつかない部屋の中、色白な肌が浮き上がって見える。
「あたし、橋姫梓って言います。こっちは、弟の司」
 優雅に腰を折って挨拶をする姉の隣で、弟が、ぺこり、と頭を下げる。
「……ノインテーターのペットさんってとこですか?」
「はい♪」
 思わず皮肉を言ってしまった綺羅に、梓は、にっこりと無邪気な顔で微笑んだ。
「ご主人様は、あなたに負わされた傷を癒すために、どこかにお出かけです。その間のお世話は、あたしと、この司がします」
「え、えっと……どうぞ、お構いなく」
「そうはいきませんよ。そんなことしたら、あたしがご主人様にお仕置きされちゃう」
 言いながら、梓は、年の割に豊かなその胸や、股間の淡い翳りを隠そうともせず、ゆっくりと綺羅が横たわるベッドに近付いた。
 司が、姉に比べると少しおどおどした様子で、その後に続く。
 そして梓は、何の前触れもなく、綺羅の体を覆っていたシーツを取り去った。
「きゃっ!」
 思わず悲鳴をあげてしまう綺羅を、梓が、奇妙に濡れた瞳で見つめた。
「ふふ……思った通り、綺麗な肌……」
 そう言いながら、梓は、その指を綺羅の肌に這わせる。
「ちょっと冷たくて、気持イイです」
「や、やめなさい! そんなこと……!」
「なんでですか? あたしたちのこと、欲しくないんですか?」
 ふにっ、ふにっ、と綺羅の形のいい乳房を軽く揉みながら、梓が言う。
「本当だったら、そんな鎖なんて、引き千切る事ができるくらいの力があるはずなんでしょ? 血が足りないから、そんなふうなんじゃないですか?」
「だ、だからって……やだ、やめて……っ!」
 同性ならではの絶妙な愛撫に性感の炎を着実に煽られながら、綺羅が悲鳴のような声をあげる。
「遠慮しなくてもいいんですよ。あたしも司も、ご主人様のペットですけど……きちんと、許可はとってますから」
「そ、そーいうことを言ってるんじゃ……」
 完全に吸血鬼の虜となってしまっている人間と会話をすることに、軽い徒労感を覚えながら、綺羅が言う。
 その唇を、梓が、キスで塞ぐ。
 温かく柔らかな、少女の唇の感触。
 ぞくん――
 その、赤い唇を噛み破り、血を啜りたいという、名状しがたい圧倒的な衝動。それを、意志の力で必死にねじ伏せる。
 ちゅぱ、と可愛らしい音をたてて、梓が唇を離した。
 そして、妖しく濡れ光る眼を、弟に向ける。
 司は、早くも勃起しかかっているペニスを両手で隠すようにしながら、顔を赤くしていた。
「ほら、司も――ご奉仕しなさい」
「う、うん……」
 ためらいがちに返事をして、司がベッドに上がる。
「ちょ、ちょっと、そんな小さい子に……!」
「大丈夫ですよ。司、けっこう上手ですから」
 そう綺羅に言って、梓が、再び弟に向き直る。
「ね、いつもお姉ちゃんにしてるみたいにしてみて」
「そんなふうに言わないでよぉ……」
 ますます顔を赤くしながら、司は、その少女じみた顔を、綺羅の右の乳房に近付けた。
 そして、梓の愛撫によって、すでに半ば勃ってしまってる乳首を、ちゅるん、と口に咥える。
「あうッ!」
 ぴくっ、と綺羅がしなやかな背中を反らす。
「うふふ……敏感なんですね」
 言いながら、梓もベッドに上がり、空いている左の乳首に吸いつく。
「だ、だめェ……そんな……あンッ! あ、あぅ、うッ……」
 両の乳首を同時に攻め立てられ、綺羅は、ひくひくと体を震わせてしまった。
 こんな子供に、という屈辱感が、なぜかますます体を敏感にさせる。
 固く尖った朱鷺色の乳首を、てろてろと舐め回す、幼いピンク色の舌。
 姉弟の顔のあどけなさに、背徳感がぞくぞくと背筋を震わせる。
 さらに、二人の舌と唇は、驚くほど巧みに、綺羅の性感帯を探り当てた。
 乳首のみに留まらず、半球型の白い乳房や、きちんと手入れのされた腋、鎖骨のくぼみ、なだらかな脇腹、足の付け根――
 綺羅自身すら意識したことのなかった箇所を、吸いたて、しゃぶり、くすぐって、快楽を紡いでいく。
「あッ……ひぃン! や、ぁ、ぁン……んくっ……ひぁ! はン……ああああぁぁぁっ!」
 梓と司の口唇や指先が奏でるままに、甘い嬌声をあげてしまう綺羅。
 まだ触れられてもいないのに、秘裂からは熱い蜜が溢れ出てしまう。
「ふふ……すごいですね」
 しどけなく開かれた脚の間に身を置いた梓が、ふーっ、とその部分に息を吹きかけながら、言う。
「とってもイヤらしくて……可愛いですよ」
「やっ……い、いやぁ……っ!」
 クレヴァスの周囲を焦らすように撫でまわされながら、綺羅はかぶりを振った。
「さ、司……そのオチンチンで、いっぱいご奉仕するのよ」
「うん……」
 熱にうかされたような顔で肯き、司が、その幼げな腰に似合わないサイズの肉茎を、綺羅の秘部にあてがった。
「だ、だめ……そんなこと……そんなことしちゃ、だめです……んむン!」
 弱々しく声をあげる綺羅の唇に、再び梓が口付けた。
 ぬるり、と侵入してきた舌に、綺羅は為す術もなく口内を蹂躙される。
「んっ……んちゅ……んく……。んふふっ……だいじょうぶです。弟ってば、本当にセックス上手いんですよ」
「だから、そういう問題じゃ……あうううッ!」
 ずるうぅっ、と司のペニスが、綺羅の体内に入り込んだ。
「あぁっ……す、すごい……っ!」
 肌の冷たさに反して、煮えているように熱い蜜壷の感触に、司が声をあげる。
「す、すごい、すごいですッ……! お姉さんの中、熱くて……あぁン……オ、オチンチン、とろけちゃうよぉ……」
 はぁっ、はぁっ、と荒い息を吐きながら、綺羅のくびれた腰を抱えるようにして、腰を使う司。
「だ、だめ……あっ、ああン! そんな……そんなァ……あうン! あン! ひあッ! ああぁン!」
 抽送に合わせ、綺羅の口から、本人の意思とは無関係に、艶っぽい喘ぎが漏れた。
 幼いながらも完全に勃起し、成人と遜色ないサイズにまで膨張したペニスが、愛液に濡れながら、クレヴァスを出入りしている。
「あぁン……とってもエッチ……み、見てるだけで、アソコが濡れちゃう……」
 まだあどけなさを残した顔に、淫猥な表情を浮かべながら、梓は、我知らずその丸いヒップを小さく揺すっていた。
「だ、だめェ……そんな、しないで……あんッ……あぅ……んふうっ……うン……っ!」
 際限なく高まる性感に、恐れのようなものを抱きながら、綺羅は、両手を拘束されたまま、身をくねらせる。
 膣内に挿入されたペニスを通じて、幼い少年の健気な鼓動を感じる。
 時を刻みつつ血液を循環させる、真紅の臓器。
 そのリズムに、一度死んで蘇った自分の心臓のリズムが、重なっていく。
「あぁ……ご、ごめんなさい……あたし、ガマンできない……」
 そう言いながら、梓が、綺羅の顔にまたがった。
「んむっ……」
 口元に押しつけられる、甘い蜜に濡れた少女のクレヴァス。
 その、生々しい匂いに、頭がくらくらする。
 綺羅は、あふれる愛液によって喉の渇きを潤そうとするかのように、その場所に口付け、吸いたてた。
「ひいいン……! き、きもちイイ……っ! イイですぅ!」
 体を仰け反らせ、自らの乳房を揉みしだきながら、梓が身悶える。
 さらに溢れる愛液を啜りながら、綺羅は、梓の心臓の鼓動も、感じ取っていた。
 同調する、三人の血液の流れ。
 それが、歪んだメビウスの輪を描き、虚無で満ちたクラインの壷へと流れ込む。
 梓と、司と、そして綺羅は、時間の狭間に堕ちこみながら、互いの体を貪っていた。
「ああン! せ、せーし出ちゃう……もう、もうご奉仕できないよォ……」
 柔らかく締め付けながら、精液を搾り取ろうとするような綺羅の膣肉の動きに、司が切羽詰った声をあげた。
「だ、だめよ、司……がんばって……もうすぐ、もうすぐよ……!」
 “その時”が近いのを、綺羅よりも確信をもって感じ取りながら、梓が言う。
「ああッ! あン! ひああッ! もう、ダメぇ! 出ちゃう! セイエキ出ちゃうっ!」
 叫びながら、激しく腰を使う司。
 その、遠慮も何もない動きに子宮口を突き上げられ、綺羅は、思わず梓の秘肉に歯を立ててしまった。
「ひいいいいいいいいいいいいいィッ!」
「あッ! あーッ! あ、あ、あああああああーッ!」
 歓喜に、高い声をあげる、梓と司。
 びゅううううっ!
 膣奥に迸る熱い精液の感触と――口内に広がる甘い血液の味。
 自らの閉じた時間に、姉弟を取り込み、そして、その未来を強奪する、目くるめく快感。
(あ――熱い――熱いのが、あたしの中を、満たしていく――)
(――この子たちの――命が――あたしの中に――)
(これが――血を――吸うってことなの?)
 永遠の生を擬装する、偽りの命のカラクリ。
 世界の時間の流れを欺いた負債を、他者の命をもって贖う。
 真紅の闇を浮遊しながら、綺羅は、自らの罪深さに、その赤い瞳から涙を溢れさせた。



 ミアと夕子が、向かい合ってちゃぶ台の前に座り、紅茶を飲んでいる。
 なぜとは言葉ではいえないが、妙に居心地が悪い。
 別に、二人の間が険悪なわけではない。それどころか、表向きはミアも夕子も笑顔を浮かべながら話をしている。
「ふーん、ミアちゃんは、帰国子女なんだ」
「ええ。まだ、日本語がちょっと苦手だから、鷹斗お兄ちゃんに教えてもらってるの」
「どこの国なの?」
「ギリシャ。母が、向こうの出だから」
 流暢な言葉遣いで、しゃあしゃあと嘘をつくミア。
 俺が講師のバイトをしている塾の生徒だという“設定”を、何の相談も無しに語り出した時は、正直、合わせるのに苦労した。
 とりあえず今、俺は沈黙を守っている。
 夕子は――ミアと、あの夜のことを関連付けて思い出している様子はない。
 それが、ミアの暗示によるものかどうかは疑問だ。何しろ、俺と夕子には、何故かは分からないがミアの力が及びにくいらしい。
 もし、夕子があの夜のことを思い出したりしたら……。
 俺は、最悪、ミアの正体について、全てを告白する覚悟を決めていた。もともと、あまり夕子に隠し事はしたくない。
 が、俺の居心地の悪さは、どうもそのことに由来するものではないようだ。
「あの、ごめんなさい。夕子さんが買ってきたお菓子、勝手に開けちゃって」
「え? あ、コレのこと? いーのいーの」
 皿に盛られた先ほどのクッキーをかじりながら、夕子は答えた。
「でも……ここで、鷹斗お兄ちゃんと一緒に食べるの、楽しみにしてたんでしょう?」
 今まで聞いた事のないような奇妙な口調で、ミアが言う。
「別に。リスがドングリを隠しといたようなもんだから。気にしなくていーのよ」
 夕子は、意味ありげなにやにや笑いを浮かべながら、そんな風に切り返す。
 これだ。こんなやりとりに、なぜか俺は緊張してしまうのだ。
 笑顔を見せながらも、真っ直ぐに夕子の事を見つめているミア。
 それに対し、まるで余裕を見せつけるようにリラックスしている夕子。
 ミアと綺羅の間に立っていた時の方が、まだ気が楽だったような気がする。
 話題は、いつのまにか、俺自身の事に移っていた。
 本人が目の前にいるというのに、俺の、あまり人に言いたくない過去を、次々と夕子は暴露していく。
 子供の頃、よく女に間違われたこと。それが原因でいじめに遭っていたこと。そんな俺を、夕子の叔父にあたる師匠が、徹底的に鍛えなおしたこと。同じ格闘術を習得している師匠の息子と何時間にもわたって取っ組み合いのけんかをしたこと。中学生になった俺が、三人の上級生を病院送りにして大問題になったこと。
 特に最後の件は、俺にとって恥以外の何でもない。素人相手に手加減を忘れて、かえって立場をまずくした俺を、師匠は厳しく“指導”したものだ。
「鷹斗お兄ちゃんが怒るなんて、何だか、想像できない」
「まーね。見てのとおり、無表情と無愛想が合体して、服着て歩いてる感じだし」
「何か原因があったんですか?」
「えっとね――」
「言うなよ」
 俺は、ようやく二人の会話に口を挟むことができた。
「別にいいじゃない。楽しい思い出話なんだから、ジャマしないでよ」
「そうよ。あたしも聞きたいわ」
「……」
 協同戦線を張られてしまった。
「えっとね、あの頃、鷹斗、犬飼ってたのよ」
「犬?」
「うん。捨てられてた子犬になつかれて、飼い始めたのよね。あたしがちょうだいって頼んだのに、お前は甘いものを食わせるからダメだって言ったのよ、こいつ」
「お前にはカールを虫歯にした前科があっただろう」
「うっさいなあ。あ、ゴメン、カールってのは、あたしが飼ってた犬のことなの。でね、問題の上級生なんだけど、鷹斗があんまり自分たちを無視するからって、鷹斗が飼ってた犬を蹴飛ばしたのよ」
「へえ――」
「そしたら、鷹斗ってばキレちゃってさ。って言うか、ぜんぜん顔つきとか変わんないんだけど。でも、いきなりその上級生を殴り倒したのよね」
 黙っている俺の方に、意味ありげな視線を寄越してから、夕子は続けた。
「で、倒しちゃあムリヤリ起こして、また殴り倒すの。その繰り返しなわけ。倒し方も、なんか普通でなくてね、足を引っ掛けるみたいな感じでえげつないんだわ。で、倒れるたびに、あの人たち、傷が増えてたな」
「鷹斗お兄ちゃん、野蛮」
 わざとらしく、ミアが言う。
 いや、俺だって、あの時の自分がどうかしていたってことは、きちんと自覚してるんだが。
「……ところで、その犬は、どうなったの?」
「それがねえ、鷹斗の様子があんまり恐かったのか、それ以来、寄り付かなくなっちゃったのよ。で、ある日、どっか行ったきり帰ってこなかったの」
「そうなんだ……」
「あの時の鷹斗、顔には出てなったけど、マジで落ち込んでたよねー」
 言って、可笑しそうに夕子が笑う。
 一方ミアは、何だか感心したような顔をしていた。
 俺は――例によって、どんな顔をしていいか分からない状態だ。まあ、この話をして欲しくなかったことは確かなんだが。
 そんな風に、夕子が俺をダシに喋ってる間に、ずいぶんと日が傾いてきた。
「おい」
 まだまだ際限なく喋り続けそうな夕子に、俺は声をかけた。
「お前、そろそろ帰れよ」
「え?」
 話を中断して、夕子が俺に向き直る。
「別に、まだいいじゃない」
「いいから暗くなる前に帰れ。……送ってやるから」
 俺の言葉に、夕子が、少し黙り込む。
「じゃあ、そうしてもらおうかな」
 そして、素直にそう言って立ち上がった。
「じゃあ、ミアちゃん、鷹斗のこと、ちょっと借りるね」
「え――ええ」
 夕子の思わぬ言葉に、ミアが珍しくうろたえる。
「ど、どうぞ、ごゆっくり」
 そして、うろたえたことを恥じ入るように頬を赤くしながら、そんなことを言った。

「鷹斗……あのコ、何者なの?」
 道の途中で、いきなり夕子が訊いてきた。
 夕子の家まで、歩いて十五分ほど。バイクの後に乗せることは無理だったから、徒歩である。
 今から夕子の家まで誤魔化しきるのは、ちょっと難しいだろう。
 もちろん、ミアが言わなかったことを、俺が言うわけにもいかない。しかし……。
「前に、病院で訊いたでしょ? あの時、誰かいなかったかって」
「……」
「あのコ、だよね?」
 憶えていたか。
 いや、忘れていてほしいという方が虫がいい話だ。何しろ、ミアの印象は強烈過ぎる。
「これはさ、何て言うか……勘なんだけどさ」
「……」
「あのコ、人間じゃないでしょ」
 足を止め、俺の顔を見ながら、夕子が訊く。
 立ち止まり、夕子に向き直りながらも、俺は答えない。
 否定も肯定もできない、中途半端な自分。それが、ひどく情け無い。
 そんな俺を見つめる夕子の顔に――なぜか、妙に満足げな笑みが浮かんでいた。
「ま、あんまり鷹斗をいじめる気はないから、返事をしてくれなくていいんだけどさ」
「……助かる」
 思わず、本音を言ってしまう。
「あんたねー、そんなこと言っちゃあ、こっちの気遣いがダイナシじゃない」
「そうか?」
「まあ、いいんだけどさぁ」
 腰に手を当てた姿勢で、夕子は、ふう、と息を吐いた。
「でも、世の中って、イロイロなことがあるのね。……幼馴染が、妖怪に見初められるなんてさ」
 その、“見初める”なんていう古風な言い方に、俺は咄嗟に反応できないでしまう。
「……何だって?」
「やっぱり、気付いてなかったか」
「ちょっと待て。あいつは、単に俺の部屋を隠れ家にしてるだけだぞ。妙な誤解するなよ」
 そう言う俺を、ふふん、と鼻で笑って、夕子は再び歩き始めた。
「あのコの態度を見れば分かりそうなもんだけどなあ。ま、ミアちゃんの方も、すんごい不器用だったけど」
「勝手に決め付けるな」
 俺は、一歩先を行く夕子を追いかけるような形になる。
「まあまあ。こういうコトに関しては、あたしの方がうーんと先輩なんだからさ。きちんと話を聞きなさいって」
「……」
「別にいいじゃない。あんな可愛いコになつかれるなんて、男冥利に尽きるってモンでしょ? 妖怪さんかもしれないけど」
「あのなあ……」
「愛があれば、年の差なんて関係ないしさ。あたしだって、何を隠そう美少年好きだし」
「お前が言うと洒落にならないぞ」
「べつに、シャレで言ってるわけじゃないんだけどね」
 ちら、と夕子が、意味ありげな流し目を眼鏡の奥から寄越す。
「見たところ、取り憑かれてるってわけでもなさそうだし、いつもの朴念仁な鷹斗だしねー」
「大きなお世話だ」
「とにかく、素直になることよ。妖怪だからとか、年下だからとか、そういうことで自分の気持にフタしてると、後悔するよ?」
 年下なのかどうかは、分からないんだけどな。――いや、そういうことじゃなく。
「好きだとか嫌いだとかだけが、人間関係じゃないだろ」
「そりゃそうなんだけど――鷹斗が言うことじゃないよね、それって」
 長い付き合いだけあって、夕子の切り返しは鋭い。いっそ爽快感を感じるほどだ。
 そんな夕子の様子に、少しだけ、安心する。
 そうこうしているうちに、夕子の家に着いた。
「鷹斗、送ってくれてありがと」
「ああ」
「ミアちゃんによろしく。じゃあねん♪」
 玄関のドアを開けながら、夕子は、そんな挨拶を寄越して見せた。

 沈みかけた太陽が、街を淡いオレンジに染める。
 そんな中、家路につきながら、夕子の言葉を反芻した。
 何故だか分からないが、妙に胸の辺りがざわついている。
 そのせいだろうか――背後の気配に気付くのに、ずいぶん遅れてしまったのは。
 片側が、コンクリートで固められた小さな崖、もう片側が雑木林という、狭い道。人通りは無い。
 そこで、くるりと振り返る。
「……気付かれましたか」
 道路わきの木の陰から、一人の男が現れた。
 金髪碧眼。一目で外人と知れる、彫りの深い顔。
 ダークグリーンのスーツを着て、両手をポケットに入れている。そんな姿勢であるにもかかわらず、男には、一分の隙も無い。
「羽室鷹斗君ですね?」
 ほとんど癖の無い日本語で、その男は訊いてきた。
「彼女の家を張っていたら、貴方が現れたので、声をかける機会を窺ってたんですよ」
 そして、俺が返事をする前に、自分でも信じていないようなことを、ぬけぬけと言う。
「夕子に何か用か?」
「いえ。実際の目的は貴方でした。名前までは貴方の通う学校で突き止められたんですが、正確な住所が分からなくてね。しかし、これも神のお導きですねえ」
 なるほど。夕子が俺のことを呼んだのを、この男は聞いていたわけだ。
「俺に、何の用だ?」
「――十代初め位の、髪の長い黒服の少女」
「……」
「その行方をご存知ないか、と思いまして」
「さあな」
「人に、嘘が下手だと言われませんか?」
 揶揄するように、その白い顔に笑みを浮かべる男。
「それで? 名前も知らないような奴とあまり長話するつもりは無いんだが」
「おお、これは失礼しました。日本は礼節の国でしたね」
 言いながら、大袈裟に両手を広げる。その右手には、黒い革の手袋がしてあった。
「私の名は、ジョバンニ・バッティスタ・チボー。以後、お見知り置きください」
 そう言って笑う男の顔が、薄暗い黄昏の中、奇妙に作り物めいて見えた。

第七章

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