Night Walkers

夜行/百鬼



第四章



 朝。
 俺が自分を取り戻して一夜明けても、ミアは、まるで当たり前のように俺の部屋にいる。
「本当に食べないのか?」
「必要ないから」
 一人分の朝飯を用意する俺が確認すると、ミアは、新聞を読みながら答えた。
 ゴシック風の黒服をまとった貴族的な顔立ちの少女が、どこか真剣な面持ちで記事を読んでいる。
 インスタントの味噌汁を啜りながら、不思議な気持で、そんな光景を眺めた。
 窓からは朝日が差し込んでいるが、ミアは平気な顔だ。
「お前、本当に吸血鬼なのか?」
「ええ。どうして?」
 新聞から顔を上げて、ミアが訊き返す。
「いや、だって、太陽の光が当たってるだろ、そこ」
「あ、そういうことね」
 ふふ、とミアは笑った。
「別に、こんなことで灰になったりはしないわ。ご心配なく」
「心配してるわけじゃないけどな……」
 この、奇妙に大人びた少女にからかわれているのではないか、という疑惑はぬぐえない。
 しかし――あの夜の惨劇から今まで、常識では計り知れない出来事が連続して起こっている事も確かな事実だ。
 なら、やはり、目の前で鹿爪らしく新聞を読んでいるこの少女は――吸血鬼なのだろうか?
「鷹斗」
 いつ俺の名前を知ったのか、ひどく自然な調子で、ミアが俺に呼びかける。
「何だ?」
「あなたの今日の予定は?」
「予定は……特にないけど」
 今日は、学校の講義のない曜日だ。バイトも入っていない。
「じゃあ、あたしに付き合ってくれないかな?」
「?」
「やっぱり、記憶が所々欠けててね、この街の地理とか、きちんと把握できないの。だから、鷹斗に案内してほしいのよね」
「その……昨夜言ってたこと、本当なのか?」
「昨夜言ってたことって言われても、いろいろあるけど?」
「だから、脳を破壊されたとか、何とか」
「ああ、あれね」
 にこりとミアが笑う。
「別に、比喩でもなんでもないわ。頭の固い異端審問官に、ここを――剣で貫かれたの」
 艶やかな前髪を掻き分け、秀でた額を指差しながら、ミアが言う。
「……平気なのか、それで」
 我ながら、間の抜けた質問だ。
「ええ」
 言いながら、ミアは立ち上がった。そして、ぱたぱたとスカートをはためかせて、裾の形を直す。
「脳が壊れても、いずれは再生するから、死なないの。でも、やっぱり脳って構造が複雑なんで、なかなか復元が難しいのよ。だから、再生が終わっても、脳細胞のネットワークは完全に回復しないみたいなのね」
「……」
「この時空間構造のポテンシャルの高低を信号化して、それに意識を乗っけるって方法もあるけど……」
「なんだそりゃ?」
「要するに、記憶や思考を周りの空間や特定の物質に移すのよ。まあ、結局は脳みそほど効率よく情報を記録できるデバイスなんてなかなかないから、この方法じゃあ意識の劣化は避けられないんだけどね。いわゆる“幽霊”が、複雑な思考に耐えられないことが多いのは、そういうわけよ」
 そういうわけよ、なんて言われたって、俺にはさっぱり分からない。
「だから、あたしはその方法はとってないわ。そこをあの夜は突かれちゃったわけ」
「敵が、いるのか?」
「いるわよ。人のカタチをしていながら人でないものを狩る連中が――たくさん、ね」
「……」
「信じられない?」
「信じるも何も……俺が無理に信じるのを拒んでも、世間がそうなってるんだったら仕方ないだろ?」
「あなたって、本当に変な人」
 何がおかしいのか、ミアがくすくすと笑う。
「ところで、どうなのかな? 鷹斗は、あたしを案内してくれるの?」
「……」
「鷹斗には無理強いは効かないから、こうやってお願いしちゃうんだけど……」
「何で、俺なんだ?」
「?」
 俺の問いに、ミアは小首をかしげて見せた。
「俺でなくても、そこらの奴に暗示でも催眠術でもかければいいだろ。どうして、俺に頼むんだ?」
「――今は、あんまり“力”を使いたくないのよ。緊急事態以外ではね。それに……鷹斗は、他の誰かをあたしが操るのを、どう思う?」
「あんまり良い事だとは思えないな」
 正直に、そう言ってみる。
「だったら、あたしもしたくないな。それじゃ理由にならない?」
 俺は、小さく溜息をつき、肩をすくめた。
「もともと、断るつもりはないよ。ただ何となく疑問に思っただけだ」
「ありがと」
 意外なほど素直に、ミアが言う。
「それじゃあ……この事件のあった場所に、案内して欲しいんだけど」
「事件?」
 鸚鵡返しに訊く俺に、ミアがとある記事を指し示した。
 『同一犯人か? またも惨殺死体』
 そんな見出しのすぐ下に、俺の住んでいる街の地図が載っている。その上にある×印は――見出しにある“惨殺死体”が発見された場所らしい。
 印の数は、六つ。
 記事を読むと、ここ数日で六人の男女が、人気のない路地裏などで、死体で発見されているという話だ。
 全身を鋭利な刃物のようなもので何箇所も傷付けられるという状況が共通しているため、同一犯人による犯行と思われる一方、短い間隔で新しい死体が二つ、比較的離れた場所で発見されたということもある、とのことだ。警察は全力を挙げて捜査に当たっている、というお決まりの言葉で、記事は終わっている。
 ここのところ、ミアに半ば操られていたせいか、全く外に興味を向けていなかった。考えてみれば、呑気な話だ。
「……多分、このままだと被害者がもっと増えるわ」
 ミアが、その大きな目を細め、言う。
「お前に関係しているのか?」
「ええ。その可能性が高いの。だから、それを確かめるのよ」
「……どういうことだ?」
「あまり、話したくないんだけど――聞きたい?」
 眉を曇らせながら、ミアが訊く。
「無理強いはよくないと思うけど……聞いておいた方が、いいような気がする」
 そう言うと、ミアは、少しうつむいた。
「じゃあ、話すわ……。でも、この現場を確かめながらで、いいかしら?」
「分かった。しかし、こんないい加減な地図じゃ、正確な場所はわからないぞ」
「平気よ。近付けば、あたしには分かると思う」
「そうか」
 ミア本人が言うんだったら、そうなんだろう。
 食事を終え、空になった食器を片付けてから、革ジャンに袖を通す。
 外に出ると、俺を追い越したミアが、さも当然という顔で、バイクのタンデムシートにちょこんと座った。しかも横座りだ。
「どうしたの?」
 動きを止めた俺に、ミアが訊く。
「……メットなしで二人乗りか?」
「大丈夫よ。落ちたりはしないから」
「いや、しかし……目立つだろ。警察に捕まったらどうする?」
「あたしが催眠暗示でどうとでもしてあげるわよ」
「力は使わないんじゃなかったのか?」
「見つからなければ平気でしょ? それとも、電車とバスで行くつもりだった?」
 確かにそれは面倒そうだ。事件現場の中には、街外れの工場地帯などもある。
「――分かった」
 俺は、短く返事をして、自分のヘルメットを取りに部屋の中に引き返した。



「司……おいで……」
「うん……」
 素直に返事をして、弟は、姉の横たわるベッドの上に上がった。
 豪奢な木製のベッド。スプリングの効いたマットレス。純白のシーツ。
 いつのまにか、二人は広いマンションの一室に連れて来られていた。
 鮮烈な快楽の体験の合間の曖昧な記憶――。
 それは、夢よりも不確かで、幻よりも無意味。
 日付も、時刻も、人の世の暦は、もはや二人にとって意味をなさなくなっていた。
 そして、今また、黒い遮光カーテンの隙間から漏れるかすかな日光によって相手の白い体を認め、交わり合う。
「キスして……」
「うん……あむ……ん……ちゅ、ちゅっ……」
「んっ……んく……んうン……司、キスが上手になったね……」
「んっ……んちゅっ……お姉ちゃん、すごくいい匂い……」
 愛情を確認するよりも、快楽を得ることを目的に、重なり合う唇と、絡み合う舌。
 そうする間にも、梓と司は、互いの滑らかな肌に指を這わせる。
 そして、梓の細い指が、司の発達途上のペニスに絡みついた。
「あ、あン……お姉ちゃん……っ」
 すでに勃起していたその部分に、さらに熱い血液が充填される。
 これまでの経験によるものか、格段に逞しくなった弟のペニスに、梓は、その大きな目を細めた。
 少女らしさを多分に残したその顔に、淫婦の表情が浮かぶ。
「すごいよ、司……お姉ちゃんの手の中で、ぴくぴくしてる……」
「ああン……だめ、そんなにすりすりしちゃァ……」
 姉の体の上に四つん這いの姿勢で覆い被さる姿勢で、司がはァはァと喘ぐ。
 梓によく似た少女のようなその顔に浮かぶ、悩ましげな表情。
 それを見つめる梓の瞳が、欲情に濡れている。
「んんッ、あっ、あぁっ……お姉ちゃん、それダメ……せいし、でちゃいそうだよォ……!」
 半ば亀頭にかぶさっていた包皮を剥かれ、綺麗な赤色の粘膜を指先で刺激されて、司がひくひくと悶える。
「ダメよ、まだ出しちゃ……お姉ちゃんの中に、ドピュって出したいんでしょ?」
 弟のペニスを弄びながら、梓が言う。
「え、でも……いいの?」
「うん……ご主人様、許してくださったの……だから……」
「うれしい……ボク、したいよ……お姉ちゃんの中に、入れたい……」
「いいよ、司……早く、このぴきぴきのオチンチン、あたしの中に入れて……っ」
 言いながら、梓は、両手で司のペニスを導き、自らの秘裂に導いた。
 そこは、すでに淫らな蜜にじっとりと濡れ、ひくひくと物欲しげに息づいている。
 先端が、重なり合う靡粘膜に触れただけで、司の細い体に震えが走った。
「すごい……すっごくやわらかいよ……」
「んふふっ……司ってば、可愛い……」
 震える弟を抱き締め、その頬に舌を這わせながら、梓が言う。
「さあ、来て……だいじょうぶだから……」
「ウン……」
 本能の命ずるまま、司は、腰を進ませた。
 柔らかな膣肉を掻き分けるようにして、反り返ったペニスが中へ中へと侵入していく。
「うッ……あああッ……お、お姉ちゃん……ッ!」
「すごい……司ァ……あッ、あああン……!」
 挿入の感覚に、身を震わせる二人。
 そして、梓は、司の細い腰に、自らの白い脚を絡みつかせた。
「ふふふ……つかまえた……♪」
 そのまま、脚で弟の腰を引き寄せ、さらに深くまで挿入させる。
「あっ、あああッ……ひあン!」
 犯される少女そのままの表情で、司が声をあげた。
 その司のペニスを、蜜に濡れた柔肉がぴったりと包み込む。
 司が、ぎくしゃくと腰を使い出した。
 愛液に濡れたシャフトがクレヴァスを出入りする。
「ああっ、あっ、あっ、あっ、あっ……お姉ちゃんの中、気持イイ……!」
「ううんっ、す、すごいよ、司……ああン……あン……あン、ンあっ、んうン……」
 結合部では卑猥な水音が響き、溢れた愛液が梓の会陰を伝ってシーツを濡らす。
「お、お姉ちゃん……おっぱい、さわっていい?」
「うん、いいよ……ああン、あッ、あン……さ、さわってェ……」
 許しを得た司が、梓の形のいい乳房に手を重ねる。
 司の小さな手からはこぼれ落ちそうな、半球型の膨らみ。
 左の乳房を右手で揉みしだきながら、司は、右の乳首に吸いついた。
 勃起したピンク色の乳首を吸い上げ、ぺちゃぺちゃと音をたてて舌を絡める。
「あッ……ああン……きもちイイ……司ァ、もっと、おっぱい吸ってェ……」
 うねうねと白い体を淫らにくねらせながら、梓が言う。
 司は、かくかくと腰を使いながら、姉の乳首を交互に吸いたてた。
 さらに、完全に勃起し、唾液にぬらぬらと光る乳首を、指でつまみ、くりくりといじる。
「あうッ、あン! ひああン……そう、それ、イイの……き、きもちイイの……っ!」
 さらなる愛撫をねだるように、体を反らす梓。
「きゃッ!」
 きゅううぅん、と膣肉が収縮する感触に、司は悲鳴をあげた。
「やッ、だ、だめェ……お姉ちゃんの、ボクのを食べちゃってるッ!」
 うねうねと蠕動し、ペニスを奥へ奥へと引き込もうとする膣内の動きに、司は、叫び声をあげた。
 だが、その腰の運動は、止まる様子がない。
「あああッ、あひッ! ひあッ、ンああああッ!」
 姉の胸の谷間に顔を埋めるように突っ伏し、激しく喘ぎながら、腰だけは別の生き物のように動かし続ける司。
「あああッ、す、すごいよ、司ァ……もっと、もっとちょうだい……!」
 梓は、弟の頭を掻き抱きながら、さらなる抽送をねだる。
「ひあッ、ひゃッ、ひゃうううン! ダ、ダメ! せーし出る! せーし出ちゃうッ!」
 あまりの快感に、少年は、脆くも屈服した。
 かつてないほどの熱い欲望が、輸精管を充満させ、ペニスを膨張させる。
「やッ、やあン! 司ぁ、も、もっとォ……!」
「ダメ! ダメだよォ! あッ! あああッ! 出ちゃう! お姉ちゃんの中にせーし出ちゃうゥーッ!」
 びゅびゅッ! びゅッ! びゅッ! びゅーッ!
 びくン、びくン、とその体を痙攣させながら、司が、姉の体内に精液を注ぎ込む。
「ああぁ……っ、つ、つかさァ……」
 体の奥で熱い体液が迸る感触に陶然となりながら、梓は、司の体を抱き締めた。
「ひあーっ、はあっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「んふっ……すごい一杯……」
「ご、ごめんなさい、お姉ちゃん……ボク……」
「いいのよ、ガマンできなかったんでしょ?」
 優しく微笑みながら、梓は、司の猫っ毛を柔らかく撫でた。
「お姉ちゃんも、とっても気持ちよかったわ……」
「で、でも……ひゃぐッ!」
 突然の衝撃に、叫び声をあげる司。
「ど、どうしたの……きゃッ、あああン!」
 梓の体内で、萎えかけていた司のペニスが、急激に固さと大きさを取り戻す。
 二人に一切気配を覚らせる事なく、部屋の中に現れたノインテーターの触手。
 それが、司のアヌスを深々と犯し、前立腺を刺激して、勃起を強制したのだ。
「す、すごいィ……司の、さっきよりもおっきい……ひいいン!」
「あッ、あああッ、お、お姉ちゃん、お姉ちゃァん!」
 直腸に挿入された触手に操られるまま、司がかくかくと不恰好に腰を使う。
 ペニスとアヌスに入力される快楽の信号のあまりの強烈さに、司の脳は飽和状態だ。
「ひぎッ! ひあッ! ひゃああッ! ダメぇ! ダメぇ!」
「ンあッ! つ、司ァ! ンあああああッ! あくッ! ひいいいいッ!」
 精液で満ちた膣内を、反り返るほどに勃起したペニスが撹拌する、信じられないほど卑猥な音。
 二人の悲鳴のような快楽の声が、それに重なる。
「ひはあッ、はあッ、ひッ、ひいン……すごい、すごいィ……ッ!」
「お姉ちゃんッ! あッ! ああああン! ボク、ボクぅ……ッ!」
 梓と司は、互いの体をきつく抱き締めあいながら、犬のように息を荒げ、喘ぎ続けた。
「ひあああああッ! イ、イクッ! イクう! イっちゃうーッ!」
 すでに充分刺激されていた梓のその部分は、呆気なく絶頂を迎え、びくびくと激しく慄いた。
「ひああああッ、ひゃぐッ! 出ちゃう! また出ちゃうよーッ!」
 その動きに誘われ、司も盛大に射精する。
 ぶびゅッ! びゅる! びゅるる! びゅびゅびゅッ!
 司の中に挿入された触手と、いつのまにか二人を囲むようにしていた残り八本の触手も、一斉に白濁液を放出する。
 もちろん、それでは終わらない。
 一向に勢いを衰えさせない触手は、濃度の高い白濁液にまみれた姉弟の体にまとわりつき、嬲り始める。
 梓のアヌスの中や、抱き締めあった二人の体の隙間に潜り込む触手たち。
 立て続けに絶頂を迎える姉弟の体を、ねっとりと異質な空気が包み込む。
 ノインテーターがその身を置く、時間と空間の狭間。
 絶対の孤独を極めた存在である吸血鬼の、城にして、棺桶にして、食餌場。
 その中で、梓と司は、ただただその身を貫く快楽に自身を委ねている。
「あッ! あああッ! ひあッ! ああああああああああああああああアアアァーッ!」
 重なる絶叫。
 重なる鼓動。
 重なる魂魄。
 熱く淫靡で粘液質な愉悦の坩堝が、梓と司のタマシイをどろどろに熔かしていく。
 自他の区別もつかなくなるような快感の中――ノインテーターは、静かに、その存在の根源を満たしていくのだった。



 タンデムに横座りするミアを乗せたまま、街の中を走る。
 ミアは、どこに掴まっている様子もないのに、少しもバランスを崩さなかった。
 ただ、俺の背中に寄りかかり、ことん、と頭を預けている。
 最初は、さすがにのろのろと運転していたのだが、いつの間に、一人で乗るときのようにバイクを走らせてしまった。
 それほどに、ミアの様子は危なげがなかったのだ。
 そんな感じで、次々と、殺害現場を巡る。
 そうしながら、ミアは、ぽつり、ぽつりと話し出した。
「やっぱり、そうだわ……」
「何が?」
「この事件よ。あたしの眷族の仕業だわ」
「ケンゾク?」
「ええ。独特の、空間の歪みが残ってる……あたしたちの匂いよ」
「匂いって……俺には、ただの路地裏にしか見えないけど」
「比喩よ。もう、ここはいいわ。次をお願いできるかしら?」
 そして――次の現場。
「あそこのあれ、血の染みね」
「……」
「やっぱり、あまり動揺しないのね」
「してるよ。顔に現れないだけだ」
「それだけでも、大したものだと思うけどね」
「何で笑うんだ?」
「あたし、笑ってた?」
「ああ」
 そして――次の現場。
「二つ目だわ」
「何? ここ、三つ目の場所だろ」
「ううん。これをやったモノが、二つ目、ってことよ。あなたたちが言うところの“犯人”がね」
「犯人は二人いる、ってことか」
「ええ。二人――もしくは、それ以上」
「まだ、いるってのか?」
「最悪、三人ね」
「……」
 そして――次の現場。
「なあ、さっき言ってた眷族って、どういう意味だ?」
「一族とか、血族とか、そういう言葉よ。知らない?」
「いや、知らないわけじゃない。そういうことじゃなくてさ」
「“犯人”の正体を知りたいってこと?」
「ああ……つまり、吸血鬼の仕業なのか?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるわ。微妙なところね」
「……」
「ただ、あたしの責任ってことは、確かだわ」
「え?」
「ここは、もういいわ。次、行きましょ」
 そして――昼食を挟み、次の現場。
「……さっき、聞きそびれたんだが」
「あたしの責任がどうこう、ってこと?」
「ああ。……どういうことだ、それ」
「吸血鬼に血を吸われると、吸血鬼になる、って伝説があるわよね?」
「あ、ああ」
「あれは、正しくもあり、誤ってもいるの。吸血鬼の側に、そうしようという意志があるか――血を吸われた側に、そうなるような素質がないといけないのよ」
「素質?」
「ええ。そういう存在は、クドゥラクとか、ストリーガとか、ヴェドゴニアとか呼ばれるわ。死後、吸血鬼になるものとして、魔女と同一視されて忌み嫌われたものよ」
「……」
「そして、そうでないものが、吸血鬼によって血を吸われ、死に至ったときは――生者の宿業と欲望に取り付かれた死者になるの。言わば、生きた死体ね」
「ソンビって奴か?」
「それは、ハイチの伝承でしょう? 東欧では、モロイとかムロニって言葉があるわね」
「……」
「グールって呼ぶ人もいるけど……モロイとまったく別のものが、グールと呼ばれることもあるわ。まあ、一般人にとってはどうでもいいことでしょうけど」
「……」
「さあ、行きましょう」
 そして――次の現場。
 最後の現場だ。古い工場地帯にある、赤錆だらけの廃工場。その敷地の中で、ミアは、今までと同じように、周囲を見回してから、口を開いた。
「三つ目の匂い……やっぱり、三人とも、モロイになったのね」
 すでに家を出てからかなりの時間が経っている。現場を特定するのに、意外と時間がかかったのだ。
 傾いた日の光が、薄赤くミアの顔を照らしていた。
「三人?」
「ええ。“犯人”は三人いるわ。この街には、血に飢えた吸血鬼のなりそこないが三人もいるの。この世ならぬ飢餓に苛まれながら、それを満たす方法を知らない、哀れな死者がね」
「……」
「せめて、永遠の眠りを与えてあげなくちゃいけないわ。――あたしの手でね」
「それは、まさか……」
「ええ。あたしがあの時に手にかけた、例の三人の男よ」
「……」
 俺は、思わず息を飲んだ。
「もう、あの時には死んでいたのに、モロイになっていたからお医者さんには分からなかったのね。そのまま、病院を抜け出したんだわ」
「……」
「あたしが、この惨劇を起こした怪物の産みの親よ。――気味が悪い?」
 挑戦的な笑みを浮かべ、俺を見上げるミア。
 しかし、その姿が、俺には、必死になって強がっているだけのように見えた。
「――故意にしたことじゃないんだろ?」
「もちろんだわ……あの異端審問官に不覚を取らなければ、こんな無様な真似は晒さなかった」
 きつく、唇を噛むミア。
 低い位置にあるその頭に、ぽん、と手を乗せてやる。
「え? え?」
「……うまく言えないし……気にするなとも言えないけどさ……その、なんだ、頑張れ」
「ちょ、ちょっと、子ども扱いはやめてよ。あたし、あなたよりよっぽど年上よ」
「年なんか関係ないだろ。……俺も、手伝うから」
 何とも奇妙な表情で、ミアが俺を睨む。
 それから、するりと俺の手から逃れ、妙に寂しそうな顔で、微笑んだ。
「ありがと……じゃあ、次の場所に、行きましょ」
「次? ここが最後の現場だろ?」
「ええ。これで、モロイの数と行動パターンは大体分かったわ。あとは、罠を用意しなきゃ」
「罠?」
「そう。今夜でケリを付けなきゃいけないでしょ。だから、三人を呼び寄せるための仕掛けを、これからするの」
「できるのか? そんなことが」
「あたしは、モロイにとっては親と同じだもの。何て言うのかな……精神的なチャンネルが開いてるのよ」
「……そうか。まあ、お前ができるって言うのならできるんだろうな。で、どこでその罠を用意するんだ?」
「――おおかた、あの埋立地のビルのとこでしょ?」
 突然――
 聞き覚えのない声が、どこからともなく聞こえた。
 若い女の声――
「――冬条綺羅!」
 ミアが、弾かれたように身を翻す。
 その視線の先に、いつの間に現れたのか、ベージュのコートに身を包んだ髪の長い女が立っている。
 俺よりは年上のように見えるが、幾つくらい上かは、判然としない。整った顔に、子供みたいな笑顔を浮かべている。
 距離にして、十メートル以上。
 だが、ミアと、綺羅と呼ばれたその女は、傍らの俺にも分かるほどに緊張している。
 ミアが言っていた“敵”とは――こいつのことなのか?
 殺気――
 抜き身の日本刀を突きつけられたような、全身が総毛立つような感覚。
 と言う事は――この距離が、この二人の間合いということなのだろうか?
 綺羅が、ポケットの中に入れた手に、どんな得物を持っているかは分からない。だが、拳銃とかではなさそうだ。
 薄暮の空気が、凍りついたように張り詰める。
「困っちゃいましたね。あんまり面白そうなお話だったんで、つい横入りしちゃいました」
 口調だけは明るく、綺羅が言う。
「あたしを、追って来たの?」
「いえ、偶然ですよ。チボーさんとははぐれちゃいましてね。で、今は、別の獲物を追っかけてるんです」
「いっぱしのハンター気取り? 吸血鬼は専門じゃないんでしょう?」
 そう言うミアの袖の中から、次々と銀色の何かがこぼれ落ち、地面に当たって澄んだ音を立てた。
 涙滴型の金属だ。見ると、目に見えないほどの細い糸が、それに繋がっている。
 これが、ミアの武器なのか?
「確かに、苦労してますよ。だから、もうあなたを追いかけてる余裕は無くなっちゃいました」
「信用できないわね。あの時も、まんまと騙されちゃったし」
「ああ、手を出さないって言ったことですか? あれくらい、騙すうちに入りませんよー」
 言いながら、ゆっくりと、ポケットから手を出そうとする綺羅。
 何を、仕掛ける気だ?
「じゃあ、どうしてここにいるのよ」
「吸血鬼の事件を、地道に潰すことにしたんですよ。そしたら、たまたまあなたがそこにいたってわけで」
「繰り返すけど、信用できないわ」
「でしょうね――」
 刹那。
 綺羅が、何か白いものを投擲した。
 ミアが大きく両手を動かす。
 宙を薙いだ銀色の糸が、凄まじい速度で飛来するその白いものを捉え、切り裂いた。
 空中に、ぼッ、ぼッ、ぼッ、と炎があがる。
「!」
 一瞬目を奪われ、視界を回復させたときには――綺羅は、そこにはいなかった。
「くッ!」
 悔しげに声をあげ、振り返るミア。
 しかし、完全に綺羅を見失っている。もちろん、それは俺も同じだ。
 これまで、経験したことのないような、闘い。
 ぞくりと――背筋に、冷たいものが走った。
 気配!
 反射的に振り返り、俺の体を盾にしてミアに剣を振り下ろす綺羅の姿を認める。
「――っ!」
 考えるより先に、体が反応した。
 腰を落とし、剣を持つ右手の手首を左手で取り、体を寄せて掌底で肘を突き上げる――姿勢としては、柔道の一本背負いに似ていなくもない。
  “棚蔓たなかずら”。
 相手の斬撃の勢いを利用して肘を折る、葛城流無刀取りのその技から――綺羅が、腕を捻って逃れた。
 跳び退る綺羅と、同じく跳躍して距離を取るミア。
 俺は、両者の真ん中に取り残される。
 綺羅が右手に持っているのは、古墳から出土されそうなほどに古風なつくりの剣だ。諸刃の刀身は、しかし、夕暮れの陽光を反射させるほどに磨かれている。
 コートの下に隠していたのだろうか? それにしても、いつの間に構えたのか。
 そもそも、その移動の速度からして、人のものとは思えない。
 俺がその攻撃に反応できたのも、自分が目標になっていなかったからに過ぎないだろう。
 遅れをとったものの、ミアの動きだって、人の領域を遥かに越えている。
 とんでもない場所に自分は立っているのだろう。
 そう思いながら――目の前にいる綺羅に、歩いていく。
 正直、かなり分が悪いが、こちらはミアや綺羅と違って、飛び道具はないのだ。接近しなくては話にならない。
 ぞくぞくと背筋に戦慄が走る。体が勝手に恐怖を感じているような感覚だ。
「鷹斗! 駄目よ! どいて!」
 背中で、ミアのそんな言葉を聞きながら、距離を詰めた。
 体が震えそうになってるのが、どこか奇妙だ。
 もう少しで間合い――というところで、今までなぜか動かなかった綺羅が、ひょい、と手を上げた。
「ストップです! そこで止まってください」
 思わず立ち止まってしまうほど、普通の声。
「……あなた、人間ですね」
「そう、ですけど」
 一応、年上のようだし、丁寧語で言われたので、丁寧語で答えてしまう。
「その上、意識も残ってる……。操られてるわけじゃないんですね」
「そのつもりです」
 じっ、と俺の顔を見つめる綺羅。しかし、その目からは、さっきまでの攻防が嘘だったかのように、殺気が失せている。
「驚きですね。“カインの花嫁”が、正気のままの人間を部下にするなんて」
「――その名前で呼ばないで」
 俺の背後で、ミアが言った。
「それから、鷹斗は部下なんかじゃないわ……。協力者よ」
「へえー、お友達ってことですか」
 勝手にそんな解釈をして、にやにやと笑う綺羅。
「それじゃ、やめにしましょうか。一般人を巻き込むのは、本意じゃないですし」
「あなたから手を出してきたんでしょう?」
「今ならいけるかも、なんて甘いこと考えちゃったことは謝ります。ごめんなさい」
 ぺこ、と頭を下げる綺羅。
 正直、訳が分からない。
「でも、さっき言った事は本当なんですよ。少なくとも、あたしの今の最優先目標は、あなたじゃありませんから」
「ぬけぬけと言うわね……」
「ノインテーターが、あなたを探しに、この国に来てます。あたしは、それを追ってるんです」
 綺羅の顔から、表情が消えた。そうすると、まるで陶器の人形のように見える。
「随分と大物狙いね……」
「個人的事情があって、引けないんです」
「そう……」
 ミアの声も、何だか固い。
「じゃあ、これで失礼しますね。チボーさんに気を付けて。あの人、執念深そうですから」
 そう言って、綺羅は、剣をコートの内側に提げた鞘に収め、身を翻した。
「――ノインテーターを探しているなら、九龍商会をあたりなさい」
 と、いつの間にか、俺のすぐ傍まで来ていたミアが、綺羅の背中に言った。
「大陸で、彼が支配下に置いた組織よ」
「ありがとうございます」
 振り返り、やや意外そうな顔で、綺羅が言った。
「お礼は要らないわ。あなたとノインテーターが潰しあってくれた方が、あたしにとっては好都合だもの」
「それでも、感謝しますわ。花嫁さん」
 にっこりと綺羅が微笑む。
「あたしのことは、ミアって呼んで」
「?」
「鷹斗が付けてくれたのよ。いい名前でしょう?」
 そう言って、ミアも微笑む。
「そうですね」
 そんな言葉を残して、綺羅は、姿を消した。
 思わず、溜めていた息を吐き出す。
 そして、ミアの方を見て――微妙な違和感に襲われた。
 しばらくして、違和感の正体に気付く。
 その足元に、影が無いのだ。
「あ、見られちゃった?」
 ばつが悪そうに言うミアの足元に、すーっ、と影が現れる。
 まるで、水がこぼれた地面に、色がつくような感じ。
「吸血鬼ってね、世界と異なる、独自の時間を生きるものなの。孤立した時間――。だから、きちんとこの世界と時を重ねないと、影が消えちゃうのよ」
「……」
「それで、影を落とすには、ちょっと注意力が要るから……ああいうのを前にすると、どうしてもおろそかになっちゃうのよね」
 失敗の言い訳をするように、かすかな恥じらいとともに語るミア。
 俺は、言葉も無い。
 ただ、この目の前にいる少女が、本質的に、根源的に、自分とは異なるのだということを、噛み締めるように自覚した。
 綺羅と対峙した時とは比べ物にならないほどの、体の奥底から来る震え。
 これは――これこそが――恐怖なのか?
 しかし、その答えが出る前に、震えは、俺の中から消え失せてしまっていた。

第五章

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