Night Walkers

夜行/百鬼



第三章



「君、名前は?」
 薄暗い自分の部屋の中で、寝床に横たわる少女に、俺は訊いた。
「ナマ、エ……?」
 不思議そうな、あどけない黒い瞳に、俺の顔が映っている。
「そう、名前」
「――Lamia――acmodontum」
「なんだって?」
 聞き慣れない言葉に戸惑いながら、俺は、彼女の口元に耳を寄せた。
 少女の体に、びくっ、と震えが走る。
「ぁ……みあ……ぁく……ど……たむ……」
「……ミア?」
 はぁっ、はぁっ、と少女がせわしない息を吐く。
 そして、枕もとのコップにいけられた花に、その細い手を伸ばした。
「……」
 震える細い指に、その花を一輪、持たせてやる。今までも、何度もそうしてやったのだ。
 薔薇――。
 幾重にも重なる真紅い花弁を有したその花を手にして、少女はほっとしたように微笑んだ。
 その白い手の中で――赤い薔薇が、次第にしおれていく。
 まるで、ビデオを早回ししているような映像。
 鮮やかだったその花びらは黒ずみ、しぼみ、一枚、二枚、と畳の上に散る。
 そして、深い緑色だった茎は水気を失い、くたりと力なく折れてしまった。
「……」
 俺は、無言で、数秒前まで美しい花だったそれを、台所のゴミ箱の中に捨てた。
 ゴミ箱の中には、十数本にもなる、同じような薔薇の残骸がある。
 戻ると、少女は枕に頭を乗せて眠りについていた。
「名前……ミア、でいいのかな?」
 俺は、ぼんやりと呟いてから、出かける準備をした。



「まいどー」
 事務所のドアが開き、綺羅が中に入ってくるのを、事務机に座った若い男が笑顔で出迎えた。
「チボーさん、こっちに来てます?」
 開口一番、綺羅が訊く。
「えっと、その名前は……誰だっけ?」
 男は、額にかかった鳶色の髪をかきあげ、茶目っ気のある瞳を宙にさ迷わせた。
「緑郎さんが紹介した異端審問官ですよォ。ヴァチカンから来た」
「あー、あのイタリア人ね。お役に立った?」
「立ってない!」
 整ったその顔に、憤懣やるかたなしといった表情を浮かべ、綺羅は、十畳ほどの事務所の端にあるパイプ椅子をガチャガチャと自分で展開した。
 そのまま、ロングコートを脱ごうともせず、乱暴に座り込む。
「勝手に獲物を独り占めした挙句、今度は行方不明ですよ。何のために一緒に行動してたのか分かりゃしない」
「あらららら、向こうでの評判はよかったんだけどなー」
 わざとらしく頭を掻きながら、緑郎と呼ばれたその男は、緊張感の欠けた声で続ける。
「おーかた、綺羅ちゃんがワガママ言って怒らせたんじゃないの?」
「我が儘はあっちです」
 むすっ、と顔をしかめて、綺羅は腕を組んだ。
「だいたい、緑郎さんの紹介するヤツってみんなそう。前にペア組まされたのは狼男だったし」
「綺羅ちゃんにかかっちゃ、うちの事務所の切り札もカタナシだなあ」
「そもそもね、こうやって表通りに事務所構えてること自体、ちょっとおかしーんですよ。何、あの『萌木探偵事務所』ってカンバンは」
「どっかヘン?」
 とぼけた顔で、緑郎が言う。
「オレの名前が萌木緑郎で所長さんなんだから、萌木探偵事務所。それとも、字が間違ってたかにゃ?」
「なんで、裏の仕事一本に絞らないのかってことです」
 綺羅は、その柳眉をひそめながら言った。
「だってさ、お化け相手の仕事だけじゃ、食べていけないんだもん。浮気の証拠集めとかで地道に稼がないとねー」
「そりゃ……そうかもしれないですけど」
「チボーちゃんが持って来た仕事、こっち方面としては久しぶりだったんだよん。それをわざわざ回してあげたんだから感謝してほしかったなァ」
「恩着せがましいことを言いますねー」
「あは、ごめんごめん」
 素直に、と言うにはあまりに軽薄な口調で言ってから、緑郎は真顔に戻った。
「で、“カインの花嫁”の追跡は、諦めるの?」
「チボーさんがこのまま出てこないんだったら、事実上そうなりますよ。そもそも途中でいなくなるなんて契約違反じゃないですか」
「そだね。そこらへんを責めて、ヴァチカンから最初の話の半分でもお金がもらえれば御の字、ってとこかな?」
「……全く、これで対吸血鬼用に準備したものが、ぜんぶパーですよ」
 綺羅が、大袈裟に両腕を広げ、開いた手の平を天井に向ける。
 その綺羅の言葉に、緑郎は、しばし考え込んだ。
「なに? また何か依頼があったんですかァ?」
 綺羅が身を乗り出す。
「依頼って言うか何て言うか……でも、気が進まないなー」
「いいから話しなさい! あ、えっと、これ?」
 椅子から立ちあがった綺羅が、緑郎の散らかった机の上をごそごそと探り出す。
「わあぁ、ちょっと、そっちの山崩れる!」
「崩れるほど書類積んでる緑郎さんが悪いんです!」
 ばさばさばさ、と書類の雪崩をおこしながら、綺羅は大きな封筒を掘り出した。
「あーもう、強引だなー」
「これって――」
 封筒の中の書類を貪るように読みながら、綺羅は呟いた。その顔にはいつになく鋭い表情が浮かび、声は細かく震えている。
「あいつが、どうしてこの国に?」
「そりゃあ、“花嫁”を追いかけてじゃない? ついこないだまでは、上海辺りにいたそうだし」
 綺羅の独白に近い言葉に、緑郎が律儀に答える。
「まったく、どうやってこんな情報を集めて来るんだか……」
 言いながらも、綺羅は書類を読むのを止めようとはしない。
「ノインテーター……まさか、向こうからやってくるなんて……」
 そして、誰にともなく、そう呟く。
「――あのさぁ、お父さんのコトで頭に血ィ昇らせるの、危ないよ」
 困ったような顔で、緑郎が言った。
「だってそいつ、ドイツで最強の吸血鬼って言われてるんでしょ? 昔、C・R・C騎士団を一人で壊滅させたってのも、ガセじゃないみたいだしさあ」
「……」
「そもそも、お父さんだって、その噂聞いて、向こうに行って……で、あーいうことになっちゃったわけだし」
「……」
 綺羅は、蒼白になった顔に、いかなる表情も浮かべていない。
 ただ、書類を握る手に、不必要なほど力が込められていた。
「その、ノインテーターを追って、腕利きのハンターが日本に来るって情報もあるしさ。とりあえずそれを待ってから……」
「別に、あたしは、親の敵討ちなんかする気はありません」
「うんうん、それがいーよ」
 そう言う緑郎の顔を、綺羅が、鋭い眼で睨む。
「あたしがノインテーターを許せないのは、父さんを殺したからじゃない――」
「え?」
「あたしが殺すはずだった父さんを、あたしより先に殺したからよ!」
 血を吐くような叫び。
 緑郎は、しばし沈痛な表情を浮かべ、それから、長々と溜息をついた。
「――この情報、買いますよ。幾ら?」
「非売品のつもりだったんだけどね」
「無駄よ。もう読んじゃいましたもん」
 そう言って、綺羅が、ようやく笑う。
 しかしその微笑みは冷たく、そして、刃物のように鋭かった。



 日暮れ近くに、夕子が入院しているはずの病院に着いた。
 空は雲が覆い、このまま雪でも降りそうなほどに寒い。
 自動ドアを通り、あらかじめ聞いていた病室を目指す途中、廊下で笹宮に会った。
「羽室君、来たんだ……」
「ああ」
 俺のそっけない返事にも、笹宮は何も言わない。
「その……いろいろ大変だったみたいね」
「俺の方は、大した事じゃなかった」
「――」
「夕子は?」
「起きてる……でも……」
「俺、会わない方がいいか?」
「ううん。羽室君がどうなったか、結構気にしてたから、会ってあげて」
「ああ」
 立ち去る笹宮を見送ってから、病室に入った。
 意外と狭い個室の中、ベッドの上に、夕子が半身を起こしている。
「あ――来てくれたんだ」
 夕子は、少し微笑んで、サイドテーブルに置いてあったメガネをかけた。
「ああ」
「えっと、警察に連れてかれたって聞いたけど?」
「すぐに出てこれた」
 本当は一晩ほど警察に泊まったのだが、それは黙っていた。
 那須野も、その仲間達も、辛うじて一命は取り留めたらしい。
 とは言え、未だ意識不明だという話も聞いている。それだけの怪我を負わせて、一晩で済んだというのは、やはり奴が拳銃やドラッグを持っていたことが大きかったろう。
 あれから数日が経ち、夕子は、未だに病院のベッドに横たわっている。
 見た目は、普段とあまり変わらないが、目に見えないところにどれほどの傷を負ったのか、俺には想像もつかない。
「……今回は、ちょっと参っちゃったなあ」
 夕子は、俺のほうを見ず、いつもとほとんど変わらぬ調子で、呟いた。
「これからは、ちょっと大人しくしようかな、とか思っちゃったりしてね」
「……」
「でもまあ、きちんとは憶えてないんだ。だから――」
「夕子」
 俺は、堪らず、夕子の言葉を遮った。
「もし、俺に気を使ってるんだったら、やめてくれよ。その……うまく、言えないけど」
 胸の中で渦巻く、名付ける事のできない何か。
 もっとうまいことを言いたいのに言えないもどかしさが、俺を苛む。
 だが、そんな俺の身勝手な苦痛も、那須野たちが重傷を負ったということも、夕子の傷を癒す役には立たないのだ。
「……ありがと」
 なのに夕子は、そう、俺に言ってくれた。
 俺は――あの時、那須野を殺すことができなかった事を、激しく後悔した。
 なんて、独善的な気持。
 もちろん、夕子がそんなことを少しも望んでいないであろうことは、分かってる。
 だけど――
「……それ、何?」
 と、俺の物思いを、夕子の声が断ち切った。
「うそ、やだァ、あんた、花束なんて持って」
「見舞いだからな」
「似合わない〜。しかもバラの花束ァ?」
「変か?」
「ヘンだよお。少なくとも、お見舞いにバラってのは、ちょっとねえ」
「いや、ついでがあったから」
「ついで?」
「ああ。えっと……そこの花瓶、借りるぞ」
 言って、サイドテーブルに近付く。
「やッ!」
 突然、声をあげて、夕子が身を引いた。
「ご、ごめん……それ以上、近付かないで……」
 ベッドの端に縮こまり、布団を引き上げて胸元を覆う。その顔は蒼白で、白い歯が、カチカチと音をたてていた。
「夕子……」
「やだ、あたし……ごめん、まだダメなの……お願い……」
 子供のような声をあげながら、俺が近寄るのを拒否する夕子。
 胸の中の何かが大きく膨れ上がり、喉を圧する感覚がある。
「悪い。花は、こっちに飾っとく」
「うん……えと、ゴメンね。男の先生とかも、ダメだったんだけどさ……まさか鷹斗までなんて……エヘヘ、マジでヤバいわ、あたし」
「……」
 涙が、出ない。
 子供のころからそうだ。俺は、涙を流して泣いた記憶がない。
 けど、もし、俺にも泣くことができるのなら――本当は今こそ泣くべきなのではないだろうか。
 それとも、無理に明るい声を出している夕子に合わせ、泣くのを耐えるべきなのか。
 しかし、俺には、そのどちらもできない。
 束になった薔薇の茎を、適当な長さにするためにぼきりと折り、黙々と飾り立てる。
「あのさ……鷹斗」
 と、夕子が、俺の背中に言った。
「車の外に、女の子、いたよね?」
「え?」
 意外な言葉に、俺は、思わず振り返った。
「警察の人とか、誰も、そんな人はいなかったって言うんだけど……確かにいたよね? あたし、記憶がアイマイなんだけど……でも、絶対にいた。それだけは憶えてる」
「……」
 少女――
 そう、いた。
 憶えている。少女は実在する。それどころか、俺の部屋で眠り、触れるだけで薔薇を枯らしている。この花束だって、少女にせがまれて買って来たものを分けたのだ。
「あのコ、誰? どうしてあんな所にいたか、鷹斗、知らない?」
 誰……?
 誰なんだ、あの少女は……?
 何だ、俺は、誰とも知れない少女を、自分の部屋に寝かせているのか?
 どうして、そのことを、今の今まで疑問に思わなかったんだ?
 水も食事もとらず、ただただ薔薇の花の命を奪い続ける少女――
 ミア……なんだそれは? 名前? どこの国の人間だ? いや、そもそも――
 あれは――
 あの少女は、人間なのか?
「ねえ、鷹斗ってば、どうしたの?」
「い、いや……」
 少女のことを口にしようとすると、頭が痛む。まるで脳の中で何かが暴れまわっているようだ。
「し……知らない。俺は、見なかった」
「そう? じゃあ、やっぱり、幻だったのかな」
「……」
「ねえ、ホントにどうしたのよ。体調悪いの?」
「いや、違う……ただ……」
「お医者さんに診てもらったら?」
 くすっ、と笑いながら夕子が言う。
 その時には、頭痛は嘘のように消えていた。夕子にあの少女――ミアのことを言おうと思わない限り、どうにもならない。
 ともあれ、今の夕子にあの少女のことを話すのはやめておこう。混乱させるだけだ。
 俺は、とりあえず自分の意志で、そう思った。



 橋姫梓は、暗い倉庫の片隅で、目を覚ました。
 腕に、弟の司を抱いている。
 窓から差し込む月光に、自分と、弟の白い肌が浮き上がって見える。――二人とも、全裸だ。
 ほどなく目を覚ました司が、梓の顔を見る。
「お姉ちゃん……?」
 ぼんやりとした顔で、周囲を見回す司。
 梓自身の脳も、血の流れが淀んでしまったように鈍くなっている。自分が何故ここにいるのか、少しも思い出せない。
 確か自分は、この小学生の弟を連れて、海の傍にあるテーマパークに行って……
 そこで、“あれ”に逢ったのだ。
 黒い服をまとった大きな体。白い長髪。そして、信じられないほどに赤い瞳――。
「目が覚めたか?」
「キャッ!」
 闇の奥から響く低い声に、梓は悲鳴を上げた。
 普段からよく少女と間違われる司が、姉の体にしがみつく。
「怯えることはない」
 暗い空間の向こうで、ぼう、と赤い光が二つ、宙に浮かぶ。
 ぎらぎらと輝く凶星にも似たそれに、見覚えがあった。
 日が沈み、電飾に飾られたパレードが行われる中、自分達をさらった男。
 いや、自分と弟は、自ら進んで、この男のマントの中に体を潜り込ませたのではなかったのか。
「あ、あなたは誰?」
 梓は、気丈にもそう叫んだ。
「ここはどこなの? 服を――服を返して!」
 寒さは感じないが、名状しがたい恐怖にその白い肌には鳥肌が立っていた。
 腕の中の、四つ違いの弟の体が、小鳥のように細かく震えているのを感じる。
「愚かな事を言う……先程、自ら脱いだのではないか」
 男の声に、かすかな嘲弄の色がある。
 が、姿は見えない。ただ、闇の中で、赤く光る二つの光点が認められるのみだ。
「いいから返してよ! それから――それから、ここから出して!」
 言いながら、自分の言葉の空しさに、涙がこぼれそうになる。
 まるで理不尽な悪夢。
 なのに、弟の体の温もりは、これが現実だということを残酷に示していた。
「自分でも叶うと思わぬことを口にするな」
「な……なにが目当てなの?」
「……」
「ねえ、お願い、弟は……弟だけは帰して! あたしは、ここに残ってもいいから……」
「ダメだよお姉ちゃん!」
 思いもかけず強い口調で、司が言った。
「そんなのダメだよ……お姉ちゃんも……お姉ちゃんもいっしょじゃなきゃダメだよッ!」
「司……」
 じん、と胸が熱くなるのを、梓は感じた。
 頼りない、今も自分にしがみついていることしか出来ない、まだ子供の弟。
 だからこそ、自分は司を守らなくてはいけない。自分は――お姉さん、なんだから。
「いいのよ、司……だいじょうぶ。お姉ちゃんは、だいじょうぶだから」
「ウソだ! そんなのウソだよ! ボクが……ボクが残るよ! 男なんだから!」
 人一倍怖がりの司が、大きな目に涙を溜め、必死に恐怖を堪えながら言う。
「成る程……麗しき家族愛というやつか」
 その男の言葉に、皮肉げな響きはない。
「それはとても貴重だ……まるで泡沫うたかたの夢のように、儚く、脆いが故にな」
 宙に浮かぶ赤い光が、一際、その輝きを増す。
 まるで、それを見る者の目を貫き、脳髄まで侵入しそうなほど、強い光。
 熱を発しない炎の如きその光に、姉弟は、いつしか魅入られていた。
 頭の奥が痺れていくような、奇妙な感覚。
「娘、年は幾つだ?」
「じゅ――十六、です――」
「幼い顔立ちだな……東洋人は皆そうか」
 紅い光がますます強くなり、姉弟の心を圧倒した。
 これまで十数年かけて培ってきた自我が、まるで大波の前の砂の城のように押し流され、崩れていく。
「処女か?」
「は――い」
「弟の方は……訊くまでもないな」
 どくん!
 自分の心臓が奏でたとは思えないような、奇妙な拍動。
 それとともに、全身に、じわじわと甘く熱い血液が広がっていく。
「あ、あぁ……あっ……あぁっ……」
 血管の中を、どこか粘液質な血液が駆け巡る――そんな感覚。
 下腹部がぼおっと熱くなり、未だ誰にも触れさせたことのない秘密の場所が、甘たるく疼く。
「ダ、ダメ……こんな……あ、あぁ……っ」
 ついさっき、我が身に変えても守らなくてはならないと思った弟の体が、今は、別の意味を持ち始めている。
 幼いながら、自分と同じように欲情している、牡のカラダ……。
 そのペニスはきりきりと勃起し、意外なほどのサイズを誇示している。
「お、お姉ちゃん……ボク……ボクぅ……」
 はぁ、はぁ、と犬のように喘ぎながら、司がそのペニスを梓の太腿にこすりつける。
 すっかり固くなり、腺液に濡れたその部分の感触が、少しも不快でない。
 弟が浅ましく欲情する姿に、姉も、間違いなく興奮を覚えていた。
「まだだ」
 そのまま、原始的な本能に押し流されそうになっている姉弟に、男が声をかけた。
 びくっ、と梓と司が、体を硬直させる。
「私の食事が先だ――」
 そう言う男の姿は、闇の中で相変わらず見えない。
 ただ――紅い瞳だけが、闇の中で光っている。
 と、男がいるはずの闇の中から、のろりと蛇のような何かが這い寄ってきた。
 赤黒い肉色をした、触手にも似たモノ――
 その先端は膨らみ、縦に切れ目が入っている。
 それが、男根の形をしていることに気付いたとき、梓は、不気味さよりも淫らな期待に身を震わせてしまった。
 それが、自分に近付いてくる。
 んく……と唾液を飲み込み、梓は、床に尻を付けたまま、立てた膝を左右に開いた。
 そして、唇を舌で舐めながら、自らの指で、まだピンク色の女陰を広げる。
 そこは、すでに透明な液にまみれ、ひくひくと息づいていた。
 秘部を晒す羞恥と、それを圧倒する燃えるような性の衝動に、はしたなく腰を浮かす。
 それを、目を丸くして見つめている司の視線すら、今は身の内の炎を昂ぶらせるものでしかない。
「あ――ああァッ!」
 触手が、梓のクレヴァスに頭を潜り込ませた。
 そのまま、ぐいぐいと身をよじりながら体内に侵入してくる。
「か、はぁぁ……ンあああああああッ!」
 体をこじ開けられる強烈な痛みは、一瞬後に、凄まじいほどの快感となった。
 呆気なく処女膜が破られ、鮮血が結合部の隙間から溢れる。
 そんな無残な光景に、司も、そして梓自身も、目くるめく興奮を覚えていた。
「あッ……あ、あああ……ひうううッ!」
 経験を積んだ女性でも痛みを覚えそうなほどに太い男根状の触手が、梓の体内へと侵入していく。
「あぐ……ンあ、はぁン……あッ、あッ、あッ、ああぁッ……!」
 梓は、そのしなやかな体をくねらせ、甘い喘ぎを上げた。
 かすかな痛みを伴った快楽の電流が、脊椎を駆け上り、脳髄を痺れさせる。
「お、お姉ちゃん……ひゃンッ!」
 司が、少女のような悲鳴をあげた。
 その白い臀部の中央にあるすぼまりに、今まさに姉を犯しているのと同じ触手が侵入しようとしている。
「な、なにコレ……きゃ、あああッ! ンあッ! あうううう……」
 皺がなくなるほどに引き延ばされたアヌスを犯されながら、司は、未知の感覚に打ちのめされたかのように、床に這いつくばった。
「ひッ……ひぐゥ……ンあ、あああ……あいいいいッ!」
 見る者に恐怖すら覚えさせるような巨大な男根が、幼い少年のアヌスを陵辱する。
 が、その挿入は、驚くほどに滑らかだ。
 得体の知れない体液を分泌しながら、触手は、うねうねとその身をうねらせ、さらに奥までその身を侵入させていく。
「あ、ああ……司、司ぁ……」
 少女のように犯される弟の姿に、忘れかけていた感情を揺さぶられ、一筋、梓のあどけなさを残す顔に涙が伝った。
 しかし、そんな感情は、この世ならぬ快楽に成す術もなく飲み込まれてしまう。
(司が、司が犯されてる……)
(司のお尻……あんなになって……す、すごい……)
(お尻に、あんなの大きいのが出入りしてる……すごすぎるよォ……)
(ダメ……あたし……あたし……司が……お尻を犯してもらってる司のことが、うらやましい……ッ)
 その浅ましい気持を見透かしたように、新たな触手が、浮かされた梓の腰の下に潜り込む。
「ひゃぐうッ!」
 突然、後ろの穴にも触手を捻じ込まれ、梓は喉を反らして叫びを上げた。
 そのまま、まるで和風便器をまたぐような屈辱的な姿勢のまま、前と後を別々に犯される。
「ひッ……ひぐう! こ、こんな、こんなの……!」
 まるで、排泄の際の快感を何倍にも拡大したような、そんな感覚が終わりなく続く。
 ついさっきまで汚れを知らなかった少女は、体の奥から湧き上がる変態的な快楽に、他愛なく屈服してしまっていた。
「あああッ! ひあッ! こ、これ……あうッ! ンうううううッ!」
 躰の内側をこすられ、撹拌される快楽に身を委ね、はしたなく愛液を垂れ流す。
 その口元に突き出された触手を、梓は、ためらうことなく口に含んだ。
 ペニスそっくりのそれが、容赦なく口腔を犯し、喉奥を圧する。
「んッ……んぶ、んぐぅ……はぶ、ぢゅ、ぢゅる……ちゅうゥ……っ」
 生臭いそれに夢中で舌を絡め、愛しげに吸引する。
 視界の端で、四つん這いになった司が、やはり口内を陵辱されている。
 その少女のような顔は赤く染まり、眉は切なげにたわめられていた。
 それでも梓には、司が、その小さな体では受け止め切れないほどの快楽に晒されていることを感じていた。
 梓自身が、逞しい触手のごつごつとした表面で口内をこすられ、えもいわれぬ快感に身悶えしている。
 その可愛らしい顔に痴呆のような表情を浮かべながら、梓は、夢中になって口の中の男根に奉仕していた。
 そんな梓に褒美でもやるように、膣内と直腸の触手が、薄い肉の壁を挟んで力強く抽送運動を行う。
 腰から下が――いや、全身が蕩けてしまいそうな快感に意識を失いかけながら、梓は、口唇奉仕をやめようとはしなかった。
 その胸元に、新たな触手が三つ、現れる。
 両手にそれぞれ持って扱きたてると、余った一本は、梓の胸の谷間にその身を潜り込ませた。
 密かに自慢だった、同年代の少女達に比べても大きな乳房。その狭間で、粘液にまみれた触手が躍っている。
 白い乳房をべとべとに汚されながら、梓は、奇妙な誇らしさのようなものを感じていた。
 見ると、四つん這いになっている司も、口とアヌスを犯されながら、片手で触手に手淫を施している。
 自慰を覚えたばかりの右手で、ヒトならぬものの男根に奉仕しながら、司は、どんな少女よりも少女らしい表情をその顔に浮かべていた。
 その股間では、普段の何倍にも膨張したペニスが、赤い先端を包皮の狭間から健気に露出させ、ひくひくと震えている。
「ンうッ! ふぐ! ンうううう……ふうううううううッ!」
 前立腺を容赦なく刺激され、司が、射精の予兆にその身をくねらせる。
 次の瞬間――
「んんんんんんんんんン〜ッ!」
 びゅッ! びゅッ! びゅッ! びゅッ!
 司は、触手に塞がれた口でくぐもった声をあげながら、大量の精を床目掛け放っていた。
 姉の処女血と弟の精液に、冷たいコンクリートの床面が汚れる。
 しかし、司のペニスは、一向にその勢いを衰えさせない。
 アヌスを犯され、再び熱い血液をペニスに充填させながら、司は少女のような顔で悶え続けた。
 そして、訳も分からぬまま、拙い手つきで触手に手淫を施し、口内の触手をぺちゃぺちゃと舐め回す。
 そんな弟の姿に、梓は、ぞくぞくするような快楽を覚えていた。
 四つん這いで陵辱される弟と、まるで主人の命令によって後足で立った犬のような姿勢で犯されている自分。
(ああ――そうか――)
(自分は、犬なんだ)
(バカみたい――ずっと――ずっと今まで人間だと思ってたよ――)
 うねうねと力強く脈動する触手に全身で奉仕しながら、梓は、倒錯した悦びにひくひくと体を震わせた。
(あたしは犬――司も犬――ご主人様に可愛がられて悦ぶペット――)
 奇怪な体液にまみれ、びゅるびゅると透明な液を先端から溢れさせる都合九本の触手が、自分達の主人――
 梓は、暴風のように荒れ狂う快楽の中、目の眩むような喜悦を感じていた。
(こんなに……こんなに可愛がられて……スゴく幸せ……っ!)
 ぶびゅッ! びゅッ! びゅる! びゅるる! びゅるッ! びゅうううぅーッ!
 体の内と外で、触手たちが、一斉に白濁液を放つ。
 腐った果実のような、不健康なまでに甘たるい匂い。
 そんな汚穢な液体を、梓と司は、喉を鳴らして飲み干した。
 どくッ、どくッ、どくッ、どくッ、どくッ、どくッ――
 精液を溢れさせる触手の脈動と、自分の心音が重なる。
 この世の物理法則から外れた、奇妙な拍動――。
 触手を――自分達の主人の体を循環する血液の流れと、自分達の血流が同調する感覚がある。
 自分達とは比べ物にならないほどに巨大で強力な何かと、束の間一体となる、法悦に近いカイラク。
 そして……
 梓と司は、吸血鬼ノインテーターに、自らの未来を削り、差し出したのであった。



 病院からバイト先に行き、戻ったときはいつもの通り真夜中だった。
 本当は、病院から真っ直に帰り、少女のことを確かめたかったのだが、時間がなかった。
 そして、奇妙なことに、帰って少女のことを確かめるのを忌避している気持が、俺の中に確かにあった。
 それが、恐れという感情のためなのかどうかは――俺には分からない。
 部屋は真っ暗だ。
 速まる心臓の鼓動を自覚しながら、スイッチを押す。
 少女が、布団の上にちょこんと座り、本を読んでいた。
 そして、驚いた様子もなく、こちらに顔を向ける。
「お帰りなさい」
「……」
 あの真っ暗闇の中で、こいつは本を読んでいたのか?
 床に散乱しているのは、大学で使っている英語やドイツ語の辞書だ。それと、何冊かの文庫本。
 それらを、少女は、一度に何冊も広げていた。まるで、たった今まで、同時にそれらの本を読み比べていたような様子だ。
 枕もとに差してあった薔薇は、ことごとく枯れている。
「お前――何者だ?」
 俺が訊くと、少女は、驚いたように目を見開いた。そうすると、年相応に幼い顔になる。
「ふうん……術が解けてるわね」
 歌うような口調で言いながら、少女は微笑んだ。
 この顔――憶えている。あの、川の向こうにいた少女だ。
 しかし、あれは、もう七年も前の話である。幾らなんでも、同一人物とは思えない。
「そう言えば、あの自動車の中にいた女の子にも、暗示がかかりにくかったし……あの子とは、親類か何か?」
「一応……いや、そんなことより」
「あたしが誰かって?」
「ああ」
 言いながら、俺は、ジャケットを脱いでハンガーに架けた。
 何がおかしいのか、少女が、くすくすと笑いだす。
「何だよ」
「変わった人ね……普通、こういう時、何事もなかったように上着を脱いだりする?」
「外から帰ってきたら上着を脱ぐだろう」
「おっかしい……あなた、凄いわ。それともよっぽど鈍いのかしら」
 ひとしきり笑ってから、少女が顔を上げた。
「怒った?」
「別に。変わってるって言われるのは慣れてる。それより――」
「名前? 名前なら、あなたが付けてくれたじゃない」
「付けたって、それは……」
「だから、ミアでいいわ。あなたがそう呼んで、あたしがそれに応えれば、別に不都合はないでしょう?」
「……」
「今まで色々な名前で呼ばれてきたけど、今は、ミアで充分」
 俺は、どう言っていいか分からず、とりあえず彼女――ミアの前に座った。
「お礼、言ってなかったわね。ありがとう」
 奇妙に大人びた口調で、ミアが言う。
「その……もういいのか?」
「ええ。随分と出費させちゃったみたいね。薔薇って高いんでしょう?」
 確かに、それほどでもない、と言えるほど経済的に恵まれてない。
「まあ、あたしに操られるままに買ったんだから、どうにもならなかったかもしれないけど」
「どういうことなんだ、それは」
「あなた、本当に冷静ね」
 はぐらかすようなミアの口調。
「それとも、まだ少し暗示の効果が残ってるのかしら? そういうふうには見えないけど」
「……人に、お前のことを話そうとしたら、頭が痛くなったよ」
「それを自覚できるってことは、術はもう解けたのと同じよ。しばらくすれば効果はなくなるから、安心していいわ」
「そりゃどうも」
「……」
 俺の顔を、ミアが、じっと見つめている。
「どこかで、逢ったかしら?」
「かもしれない……いや、だけど、あれは七年前だ。その時、その人がお前と同じくらいだったから、もう二十歳過ぎだろ?」
「ふうん。でも、きっとそれ、あたしだわ」
 くすっ、とミアは微笑んで、続けた。
「でも、思い出せないなあ……。さすがに脳を破壊されると、記憶の回復も難しいわ」
「何?」
「ちょっとね、あなたと出会う前に、色々あったのよ」
 何でもなさそうなその口調に、かえって違和感を感じる。
 背筋をぞくぞくと震わせるこの感じは――恐怖、なのだろうか?
「でも、お陰様で、どうにか再生できたわ。言葉もようやく憶え直せたしね。……まだ、ちょっとふらつくけど」
「お前は……何者なんだ?」
 何度目かの、質問。
「分からない?」
 ミアの、漆黒の瞳が――その時、赤く光って見えた。
「年をとらず、傷を負っても再生し、人の命を啜り、触れるだけで薔薇を枯らす、夜の住人――」
「それじゃ、まるで……」
「ヴァンピール……ううん、ヴァンパイアって言った方が、最近は通りがいいのかしら?」
「……」
「この国の言葉で言うなら――吸血鬼よ」
 にこりと微笑むミアの口元に、尖った歯が、ちらりと覗いたように――見えた。

第四章

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