Night Walkers

夜行/百鬼



第一章



 大学近くの、食堂を兼ねた喫茶店で、俺は、夕子と早めの夕食を食べていた。
 俺はこのあとで塾講師のバイトがある。いつもなら、家で軽くパンをかじるくらいなのだが、今日は、夕子に付き合ってこの店に来ていた。
 夕子は、十何回目かの失恋記念だとか言って、一人で三つもパフェを平らげている。
 これでこの後、夜は友だちと飲みに行くとかいっているのだから恐れ入る。厳密には俺たちは未成年なのだが、それは言うまい。
 まあ、こいつの大食いには慣れてしまっているので、今更驚きはしない。加えて言うなら、夕子の失恋に付き合わされるのも慣れっこだ。
 だいたい、七対三くらいの割合で振られることの多い夕子である。ショートカットにカチューシャという組み合わせがそれなりに似合う顔にメガネ。世間の基準から言ってもなかなかいい線を行っているらしいのだが、いかんせん、がさつで大食いなところが相手の幻滅を誘うらしい。
 が、今回は、夕子の方から相手を振ったと聞いている。
 振った相手というのが、大学では有名なプレイボーイだということで、それを見事に袖にした夕子に対し、影で喝采を送っている連中も多いという話だ。もともとあまり興味のある話ではないのだが、小学校のころからの夕子の幼馴染ということで、嫌でも噂は耳に入ってしまう。
 そして、相手の男の、あまり芳しからぬ噂についても……。
「でさ、さっきの初恋の話なんだけど」
 と、サンドイッチを食い終わり、コーヒーをすすっていた俺に、夕子が話しかけてきた。
「ん?」
「それってさ、何かの夢とか、幻とかじゃなかったわけ?」
「違う……とは言い切れない」
 俺は、ちょっと考えてから、続けた。
「そのあとすぐ、俺、高熱を出して寝込んだからな。まあ、夏とは言え川に飛び込んだまま夜まで寝ていたんだから、無理もなかったが」
「そりゃそーよね。鷹斗ってば、意外と線が細いし……小学校のときは、女のコに間違われたくらいだもんねえ」
「それでずいぶん苛められたよ。お前にもな」
「そーだった?」
 あっけらかんとした顔で、夕子が言う。
「ま、ともかく、そういうことだから、熱に浮かされて見た夢の記憶が、ごっちゃになってるって可能性も高い。そもそも、俺の田舎に外人が現れるってシチュエーション自体、何か不自然だしな」
「夢の無いこと言うなあ」
 三つ目のパフェを難なく平らげ終わった夕子が、呆れたように言う。
「……それでも、それが初恋だって言うの?」
「ああ」
 そう返事をする俺に、夕子は、なぜか思いきりしかめ面を作って見せた。



 日の落ちた街を、彼女は歩いていた。
 貴族的なその白い顔には、いかなる表情も浮かんでいない。
 艶やかな黒い髪に、黒い服。
 幼い顔の中で、どこか老成した光を湛えた瞳も、星のない夜空のような漆黒。
 冷えた冬の空気にひらひらと服の裾をはためかせながら、少女は、少しも寒そうな様子を見せない。
 と、路地に入った彼女は、無人の十字路で立ち止まった。
 何かを確認するように振り返る。
 濃い灰色の住宅街に、人の気配はない。
 少女は、かすかに微笑み、そして天を仰いだ。
 半ば欠けた月が、中天高く昇っている。あの月が西に沈めば真夜中だ。
「その時に、仕掛けるつもりかしら――」
 笑みを含んだような声で言う少女の声が、静まり返った夜の空気に吸い込まれ、消えた。



 塾講師のアルバイトを終え、アパートに戻る。
 高校に入学してすぐに、両親が事故で死んで以来、俺は一人暮らしだ。
 それまで住んでいた賃貸マンションは、一人で住むには広すぎるということもあって、葬式のごたごたが収まってから引き払った。そして、このアパートを借りたのである。
 俺に残された遺産は、今は、夕子の親父さんに管理してもらっている。夕子の家とは遠縁に当たるのだ。
 遺産の中から、生活費と学費を切り崩していっているわけだが、いつまでも続くわけではない。そういうわけで、俺はそれなりにバイトに精を出しているわけだ。
 玄関で靴を脱いだときに、携帯電話が鳴った。
「あ、羽室君? 笹宮だけど」
 電話をかけてきたのは、夕子の友人の一人だった。
「もしかして、夕子、そこにいない?」
「いや」
 俺の短い返事に、笹宮が小さく溜息をつく。
「あのね、夕子と連絡がつかないのよ。家にも学校から帰ってないみたいだし、それに、他の友達にかけても、誰も知らないって言うし……。で、もしかしたらと思って、かけたんだけど」
「そうか」
「羽室君、心配じゃないの?」
 むっとしたような声で、笹宮が言う。
「いや、そんなことはないけど」
「あ、ごめん、おっきな声出して……」
 恐縮したような、笹宮の声。が、こういうことには慣れている。しかし、感情というのは、無理に表に出そうとしても、できるものではない。特に……俺の場合は、そうだ。
「あのね……あの時の那須野さん、なんか普通じゃなかったから」
 笹宮が、話を再開した。那須野というのは、今回夕子が振った相手である。
「あたし、夕子に頼まれて、二人が話をするのを、陰で見てたの。もしかしたら、那須野さんが何かするかもしれないって言われて……そしたら……」
「実際、何かあったのか?」
「うん。いきなり、那須野さん、夕子に掴みかかって……あたし、びっくりして、飛び出して大声あげたの。人を呼びますよって。そしたら、那須野さん、すごい顔で、夕子を睨んで……ものすごい捨て台詞残して……」
「そうか」
 俺は、思わず奥歯を噛み締めた。悪い噂は、噂だけでは済まなかったのかもしれない。
「夕子は平気な顔だったし、あたしもまさかとは思ったんだけど、やっぱり心配で……」
「分かった。俺も、心当たりを探してみる」
「うん、よろしくね」
 言って、笹宮は電話を切った。
 脱ぎかけていたジャケットを羽織り、外に出る。
 そして俺は、まだ冷え切っていないバイクのエンジンに火を点し、走り出した。



 海に面した、再開発地区。
 埋立地の中の、建設途中で放棄されたビルが、佇んでいる。
 白茶けたコンクリートに覆われているのは、下半分だけだ。上の方は、太い鉄骨が剥き出しになっている。
 まるで巨人の死骸のようなオブジェ。
 その下に停められたワゴンの中で、夕子は、目を覚ました。
「――!」
 手首を手錠で戒められ、倒されたシートの上に、まるで荷物のように転がされている。
 そんな夕子を、四人の男が囲んでいた。そのうち一人は那須野だ。
「薬が切れたか」
 暗い車内に浮かび上がる那須野の白い顔が、にやけた笑みを浮かべている。
「まあいいや。今度は別の薬を使ってやるからな」
 かつて、この顔に少しでも好意を抱いていたことが、夕子には信じられない。なまじ顔立ちが整っている分だけ、その歪んだ微笑はひどく醜悪に見えた。
「那須野さん、最初からアレを使っちゃうんですか?」
「ああ。どうせ処女じゃないんだ。最後にうんと感じさせてやろうぜ」
 ワゴンの中にいる男達が、ハイエナのような笑い声をあげる。
 まだ、拉致されるときに嗅がされた薬品の後遺症か、頭がくらくらする。それでも、自分が恐ろしい危地に立たされていることだけは理解できた。
「お前が悪いんだぜ。オレに、恥をかかせるからよォ」
「か、勝手なこと言わないでよ!」
 夕子は、那須野の顔を蹴り飛ばそうとした。それを、男たちの腕が押さえ込む。
「暴れるな、コラ!」
「おとなしくしろよ!」
 その手の平の感触のおぞましさに、夕子は身悶えした。
 冷たい絶望感が体内でせり上がり、吐きそうになる。
「へっ、せっかくコイツの味を教えてやろうと思ったのによ」
 蒼白になった夕子の顔の前に注射器をちらつかせながら、那須野は言った。
「そんなのを使わなきゃ女を抱けないの? このバカ! 離しなさいよッ!」
 暴れる夕子の白い腕を、那須野が掴んだ。
「うるさく言ってられんのも今のうちだぜ」
 ヒヒヒヒッ、と癇に障る笑い声をあげながら、那須野が、慣れた手つきで注射器を構える。
「やめて! やめてよお! イヤ! イヤあーッ!」
 夕子の声にも、男達は、一向に動じる様子はない。それどころか、獲物に群がる肉食獣のようにぎらついた目つきで、夕子の体を押さえつけている。
 注射針が、ひどく呆気なく、夕子の肘の内側に刺さった。
「や、やああああああああああああッ!」
 その様を、恐怖と絶望に見開いた目で見つめながら、夕子が叫んだ。
 注射器のピストンが押され、透明な薬液が、夕子の静脈の中に注入されていく。
「イヤあああああぁーッ! 誰か、誰かァーっ!」
 助けを求める声が、ワゴンの外にかすかに漏れる。
 しかし、それに注意を払うものは、そこには一人もいなかった。

 犯されている。
 カラダも、ココロも、陵辱されている。
 赤黒い絶望的な快楽のうねりが、体の内側を暴れまわり、脳を侵蝕している。
 夕子は、着ているものを乱暴に剥がれ、四つん這いの姿勢で後から貫かれていた。
 最初は苦痛を感じていた靡肉が、今は蜜を溢れさせ、自らを犯す剛直を愛しげに迎え入れている。
 膣内を抉る一突き一突きが、快感の電流と化して背筋を駆け上った。
 脳が痺れ、融け崩れていくようなカンカク。
 口を塞がれていなければ、あられもなく歓喜の声をあげてしまっていただろう。
 夕子の口を塞いでいるのは、いきり立ったペニスだ。
 左手で上体を支え、二本のペニスを口に含みながら、右手で別のペニスをしごく。
 すでに何度となく、顔と、口の中に射精されていた。かけられたままになっているメガネのレンズも、すでに白濁液にまみれている。
 青臭いスペルマの匂いや味さえも、今は夕子の性感を高める刺激でしかない。
 後の男が、何か喚きながら、夕子の膣内に熱い精液をぶちまけた。
「んうッ! ン、んんんんんんんッ!」
 びゅるッ、びゅるッ、と断続的に射精するペニスの律動に、夕子も他愛なく絶頂を迎えてしまう。
 そんな夕子を嘲る言葉は、しかし、きちんと脳に届かなかった。
 今まで夕子の口に奉仕させていた男のうち片方が、背後に回りこむ。
 男に促され、夕子は、はしたなくヒップを持ち上げ、くねくねと揺らした。
「い、いれて……オチンチン、早くいれてェ……」
 そして、はしたなく挿入をおねだりする。
 すでに何度か射精しているせいか、男は、余裕を見せるように、亀頭で入口の部分を掻き回した。
「あッ……ひあああン……やぁア、じ、じらさないでよォ……っ!」
 いくら絶頂を迎えても満たされないもどかしさに半狂乱になりながら、夕子が叫ぶ。
 男が、そんな夕子の白桃のような尻肉を叩く。
「ひあッ! いたァい! ぶたないで、ぶたないでェ!」
 男は、笑いながら夕子のヒップをスパンキングし、彼女の言葉遣いを叱った。
「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさいィ……」
 麻薬に犯されたココロはたやすく屈服し、泣き声交じりに詫びの言葉を吐き出す。
「ゆ、ゆるして、ゆるしてください……ひあッ! あッ! ああぁ……オチンチン……オチンチンいれてくださいぃ……」
 苦痛と恥辱がもたらす奇妙な快楽に身を焦がしながら、夕子は哀願した。
 その、秘裂ではなく菊座に、力を漲らせた剛直があてがわれる。
「そ、そっちは……ンあああああッ!」
 固く勃起したペニスが、肛門を割り開くようにして侵入した。
「んぎっ! ひッ! ひあああああ!」
 雁首が直腸粘膜をこすりあげ、えぐる。
 常ならば苦痛でしかないはずのその刺激は、狂ったカイラクとなって夕子の脳を赤く灼いた。
「ンあああッ! はッ! んひいいいいいいいッ!」
 皺が無くなるほどに引き延ばされた肛門をいたわることなく、男は、夕子の体を乱暴に起こした。
 そのまま、仰臥した自分の腰をまたがらせる。背面騎乗位だ。
 剛直が、直腸のさらに奥にまで入り込む。
「ふわぁああン! い、いっぱいッ! おしりにいっぱいィ!」
 体をのけぞらせ、身悶える夕子の腰を乱暴にゆすり、体内を撹拌する。
「ひあああン! あッ! ンああ! おしり、おしりィ……っ!」
 もはや意味のある言葉を紡げなくなっている夕子の桃色の唇に、さっきまで彼女を犯していた肉棒が押し当てられる。
 愛液と精液にまみれたその萎えかけのペニスを、夕子は、ためらうことなく口に含んだ。
「んッ……んちゅ……ちゅぶ……はむ、あむ……ン、んふゥ……んちゅっ……」
 そして、まるで自分を犯してくれたことへの礼であるかのように、熱の入った奉仕を施す。
 鈴口を吸い、まだ中に残っていた精液をすすり上げ、嚥下する。
 口に含み、献身的に舌を絡めると、半ば力を失っていた肉茎に、熱い血液が戻ってきた。
 それが再び自分を犯し、貫いてくれることを思うだけで、さらに体が熱くなる。
 と、ほったらかしになっていた二本のペニスが、夕子の上気した顔に押しつけられた。
 そのまま、腺液にまみれた亀頭やシャフトの裏側が、夕子の頬をこすりあげる。
 化粧の必要のないくらいに滑らかで白い肌が、無残にも汚穢な体液にまみれた。
 そのことにすら恍惚となり、夕子は、ペニスを交互に口に咥え、舌を使い、両手の指先で扱いた。
 顔を犯していたペニスの一つが、ひくひくとしゃくりあげる。
 射精の予兆を感じ取った夕子は、その先端にむしゃぶりついた。
 瞬間、剛直が弾け、大量の精液が夕子の口内に注ぎ込まれる。
 ぶびゅっ、ぶびゅっ、ぶびゅっ、ぶびゅっ……と長々と続く射精。
「んッ、んんー……んぐっ、んく、んくっ……」
 喉に絡みつく牡の粘液を、夕子は、白い喉を上下させながら飲み込んだ。
「んン……ふわぁ……おいしい……ザーメンおいしいです……」
 壊れた笑みを浮かべながら、夕子は言う。
 その顔や、形のいい胸に、熱い白濁液が浴びせられる。
「あッ♪ ああン……いっぱい……ザーメンいっぱいィ……!」
 下からアヌスを突き上げられ、自らも腰を使いながら、夕子は歓喜の声を上げた。
 そして、その白い指先で精液を塗り伸ばし、顔にかかったゲル状の塊を口に運ぶ。
 そのピンク色の唇はつやつやと濡れ、妖しく光って見えた。
 舌が、軟体動物のように動き、指にまとわりついた精液を舐め取る。
 その様に興奮した男の一人が、夕子の体を後に倒した。
「ひぎいン!」
 下から自分を犯す男の胸に仰向けになり、違う角度で直腸内を抉られて、夕子は悲鳴をあげる。
 そんな夕子の、ささやかな陰毛に飾られたクレヴァスに、節くれだったペニスが挿入される。
「ンああああああ〜ッ!」
 ぶびゅッ! と音をたてて、膣内に残っていた精液が、結合部の隙間から溢れ出る。
 秘裂を貫いた男は、余裕のない腰使いで、激しく抽送を始めた。
「ひあああッ! ああン! あン! あン! あン! あン!」
 ヴァギナとアヌスを別のリズムで犯され、夕子は、断続的なアクメの小爆発にさらされていた。
 もはや、男達に対する嫌悪は、微塵も残っていない。ただただ、この異常なカイラクをもたらしてくれるペニスに奉仕したいという、歪んだ欲望が頭の中を占めている。
 男のうちの一人が、膝立ちで、夕子のしなやかな胴にまたがった。
 そして、仰向けになっても形の崩れない豊かな双乳で、自らのペニスを挟む。
 幾度かの陵辱で、唾液と、腺液と、精液と、愛液にまみれたペニスは、ぬるぬると滑りながら夕子の乳房を犯した。
 それすらも刺激となって、夕子の乳首は痛いくらいに勃起してしまう。
 男は、尖った乳首を指先で弾きながら、夕子の胸を犯し続けた。
「ひいいン! おっぱいィ! おっぱいきもちイイッ! いいですうッ!」
 乳首を嬲られ、くりくりと弄ばれ、引っ張られながら、夕子は高い歓喜の声を上げる。
「チクビ、チクビ感じますゥ! か、かんじる……ひあッ! はぐ! ンああ! ひッ! くぅうン! ンあああああッ!」
 喉をのけぞらせ、声をあげ続ける夕子の口元に、ペニスが差し出される。
 何も言われないうちから、夕子は、進んでそのペニスを口に含んだ。
 体中を犯され、陵辱されながら、声をあげる口すらも塞がれる。
「んッ! んぐウ! ふぐ! ふうぅン……ンッ……んんんんんんン〜ッ!」
 すでに理性は打ち砕かれ、感情さえも引き裂かれて、快楽の刺激にのみ、動物的に反応する。
 薬によって虚ろにされた底なしの穴に、甘く、熱い毒液を注ぎ込まれ、体内を満たされていくようなカンカク。
 夕子は、さらなる陵辱を求め、腰をゆすり、膣肉を締め上げ、体をくねらせ、口内のペニスを吸引した。
 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと……!
 どこまで行っても満たされない、終わりのない欲望の先に、暗く冷たい何かが待ち受けている。
 ぬぐおうとしてもぬぐいきれない、針の先ほどのかすかな破滅の予感を消し去ろうと、夕子は、さらに貪欲に男たちの精液を求め続けた。
 体中で、男達の射精を求め、精液をねだる。
 男たちは、ケモノのような声をあげながら、一斉にその身をケイレンさせ、シャセイした。
「あああッ! あッ! あッ! あッ! あッ! あああああああアァァァァァァァァァ〜ッッッ!」
 体の中と外に大量の精液を浴びせられ、夕子は、タマシイが千切れるほどの絶叫を上げた。



 こういう店は、クラブと言うのだろうか。俺は、そういうことにくわしくないのでよく分からない。
 繁華街の裏路地の、薄汚れたビルの地下。まるで工事途中のようにコンクリートが剥き出しの空間。
 リズムがメロディーとハーモニーを寸断するような大音響の音楽。それに合わせて明滅する安っぽい七色の光。
 客たちはその中で踊り、床に座り込み、カウンターで酒を飲んでいる。
 もしこれがクラブというものだとしても、かなり程度や雰囲気の悪い部類だろう。
 ダークブラウンのスーツの上に革のジャケット、という俺は、その中でかなり浮いている。が、そんなことを気にすることなく、客たちはダンスに恍惚となり、アルコールに酩酊している。
 その中を、歩き、目的の人物を見つけた。
「石原だな」
 床に座り込み、仲間たちと何やら話していたそいつの前に立ち、俺は訊いた。
 石原は、どんよりとした目をこちらにむけた。
「矢神夕子を探している。知ってるだろう?」
 石原は、しばらく俺の言葉が脳に届いていない様子で、鈍い表情を見せた。
「聞こえないのか? 矢神を探しているんだ」
「あァ?」
 威嚇のつもりか、口をあけ、俺を睨みつける。
「矢神は、那須野と一緒なんだろう? あいつがどこにいるか知らないか?」
「るせえ、帰れよ!」
 そう叫んで、叫んだことがさも面白い冗談だったかのように、仲間たちとげたげたと笑い合う。
 俺は、小さく溜息をついて――無造作に右脚を繰り出した。
「げッ!」
 革靴の爪先が鳩尾に吸い込まれる。
 まったく、これだけ殺気を放ってやってるのに、未だに座り込んだままというのはどういうつもりだったのか。
「げえ! うえええ! べえ! ぶべべげッ!」
 だらしなく胃の中身を吐き散らしながら、石原は床を転げ回る。
 吐瀉物がかからないように用心しながら脚を引き、俺は、石原に詰め寄ろうとした。
 ぐっ、と傍らから襟を掴まれる。
「お客さん、揉め事は困るんだけどね」
 この店の用心棒なのか、体格のいい髭面の男が、俺に息を吐きかけるように言う。
 その後には、その同僚らしき長身のスキンヘッドが、腕組みをして立っていた。
「……」
 手間を、かけさせる。
 俺は、くるりと体を半回転させ、髭面と同じように、右手で相手の襟を掴んだ。
 そのまま、一瞬突き飛ばすと見せかけ、それに抗おうとする力を利用して引き寄せる。一種の合気だ。
 襟から右手を離し、近付いてくる髭面の側頭部に右肘をカウンターで入れる。
「げッ! ぐぶッ!」
 二度目のくぐもった悲鳴は、落とし気味の肘による打撃で屈みこんだ顔面に、跳ね上げた右膝を入れたときのものだ。
 師匠に叩き込まれた葛城流柔拳術のうちの、“迎月むかえづき”。
 そんなものを使うまでもないのだが、時間が惜しい。
 二度の打撃で脳を揺らされた髭面が、だらしなく倒れる。
「この、てめええッ!」
 スキンヘッドが、腕組みをほどき、こちらに迫った。
 遅い。師匠に比べれば止まっているように見える。
 重いことは重いが、ただそれだけの前蹴りを、スキンヘッドが放つ。
 俺は、それを、髭面の後頭部を踏み付けにしながら、左腕で抱え込んだ。
「なッ……?」
 そのまま、不安定な姿勢のスキンヘッドの股間に、前蹴りを叩き込む。
 相手の動きを封じた後の金的蹴り――“蛇蠍だかつ”。
 軸足になっている左足の下で、ごりっ、と、髭面の顔面が床に押しつけられる嫌な感触があった。
「があああああああー!」
 スキンヘッドが、股間を押さえ、悶絶する。
 他の客たちは、声もなく凍り付いていた。
 ああ、厭だ。
 人の悲鳴というのは、けして聞き慣れるものではない。
 明らかにやりすぎだとは思うが、しかし、穏当な手段をとってはいられないのも事実だ。
 俺は、無表情のまま、二人から離れ、ぜえぜえと息をつく石原の上にのしかかった。
「げぶ!」
 右膝を腹に押しつけ、右腕を左手で押さえつけて、反撃を封じる。
 そのまま、右手で顔を覆い、親指を、奴の右目に浅く潜らせた。
「わああああああ! やめっ! 指い! やめ! やめええー!」
 親指の腹で、眼球の表面を撫でてやると、石原がばたばたと暴れた。
「俺は急いでいるんだ。……矢神夕子は、那須野のところだな?」
「そうッ! そうだッ! そうだよっ!」
 そうやって、最初からきちんと喋ってくれれば、俺もこんな嫌な気持ちにならなくて済んだ。
「お前が、那須野にワゴンを貸したんだろ?」
「そうだ! そうだ! だから、那須野さんは、ビルの下にいるよッ!」
 要領を得ない説明だ。
「どこだ、それは」
「埋立地だよ! 指、指が目にッ!」
「どこだよ?」
「埋立地だって! と、途中で建てるのを止めたビルがあんだよ! 女を拉致るときゃ、いつもそこなんだよッ! 本当だよッ!」
「そうか」
 俺は立ち上がり、駆け出した。
 何か言いかけてくる連中をかわし、突き飛ばして、階段を駆け上り、バイクにまたがる。
 愛車の加速すら今はもどかしく、俺は、メットの中できりきりと奥歯を噛み締めた。



 そのころ――
 遥かに高い場所で、あらゆる意味で地上とは次元の違う衝突が、そこでは行われていた。
 剥き出しになった太い鉄骨。その上に、距離を取って、三人の男女が立っている。
 一人は、ベージュのロングコートをまとった、若い長髪の女性。
 一人は、銀の鎖帷子の上に、変形十字が染められた長衣を身に付けた、金髪の青年。
 一人は、黒い服を着た、黒髪の少女。
 いずれも場違いな三人が、破れた安全ネットをはためかす寒風に髪をなびかせながら、不安定な足場に立っている。
「退魔師の冬条綺羅と、異端審問官のジョバンニ・バッティスタ・チボー……」
 少女が、浴びるだけで凍り付きそうな蒼い月光を背にしながら、言った。
「驚きね。排他的なお二方が、わざわざ共同戦線を張るなんて」
「それは自分を過大評価しすぎですよ、吸血鬼」
 チボーと呼ばれた青年が、優美な笑みを白皙に浮かべつつ、言う。
「綺羅さんは、言わば現地ガイドに過ぎません。あなたと戦うのは私だけで充分です」
 言いながら、右手に長剣を、左手に篭手付きの短剣を構える。
 いずれも、その両刃の刀身は針のように鋭い。
 それぞれレイピアとマン=ゴーシュと呼ばれる剣である。
「そういうことなら、お手伝いしてあげませんからねー」
 整った顔で、いー、と歯を剥き出しにしながら、綺羅は言った。
「当然です。異教徒の手を借りるほど厚顔ではありません」
「例えば、第八機密機関とかに、手柄を横取りにされたくないということ?」
 鋭い切っ先を突き付けられながら、少女は、チボーに言う。
「……」
「安心なさい。連中、まだ大陸で遊んでるわ。この国で私に一番乗りの基督教徒は、あなた――」
「そして、最初で最後ですよ」
 鉄骨の上を、じりじりと移動しながら、チボーが言う。
 が、少女の乗る鉄骨との間には、足場はない。下は、覗くだけで目が眩むような暗黒だ。
「ここは、貴方を閉じ込める檻です。これだけ鉄骨に囲まれた空間では、さしもの貴方でも、その糸を存分には使えないでしょう?」
「……」
 チボーの嘲弄に、少女は、沈黙で答える。
「懺悔は、聞きませんよ」
「すると思ってるの?」
 二人の間の空気が、ガラスのように硬質になった。
 綺羅は、長い髪を風になぶらせながら、淡い笑みを浮かべている。
「まあ、二人とも存分におやんなさいな。立会いはしてあげますから」
 そう言う綺羅に返事もせず、チボーは跳躍した。
 それを迎え撃つように、少女も跳ぶ。
 ぎン!
 鉄の柱と梁によって構成された格子の中、赤い十字架を抱く青年と黒い服の少女が、激突した。

第二章

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