メカメカ・ママ

前編



 そしてその日、一条璃沙は、復活を果たした。



 アンドロイドに関する全ての基礎理論が確立されてから、わずか十年。
 その間に、人間に酷似した体と心を持つこのロボットたちは、急速に社会に浸透していった。
 当初は外国製の自家用車よりも高価だったその価格は、不自然なまでの技術革新によって下降し続け、徹底したパーツのユニット化は、個人レベルによるカスタマイズを可能とした。
 なぜ、アンドロイドが、特にこの国において、かくも急速に普及していったのかについては、社会学者たちも首を捻っていた。
 単純な労働力として考えるなら、そのコストは、人間のそれよりわずかに低い程度。そもそも、複雑な感情プログラムの施されたアンドロイドを、わざわざ一次産業や二次産業に投入する者はいない。人型でない、普通のロボットで充分である。
 ある者は、アンドロイドを、“人の形をしたコミュニケーション・ツール”であると定義した。
 すでに定着してしまった「都市化」という不可逆の流れの中で、歪み、虚ろになった人間関係の隙間を、人のフリをした機械が埋めているというのである。ことの是非はともかく、より魅力的なツールが現れない限り、アンドロイドの普及は止まることはないだろう、と、この説の提唱者は予言していた。
 だが、あらゆる心理学・社会学的言説がそうであるように、この説の証明は不可能であった。
 とまあ、そんな小難しい理屈はともかくとして、アンドロイドは、この社会に生まれ、そして人と同じように生きていたのである。



(あら、ここは……)
 見覚えはあるが馴染みのない、それでいながら確かに自宅の一室であるその空間で目覚め、璃沙は困惑した。
(やだ、私、こんなとこで寝ちゃってたのかな……)
 夫である一条茂の実験室は、アンドロイド工学とは全く無縁の璃沙にとって、未だに慣れることのできない場所だ。整頓されてはいるものの、訳の分からない機械が大小無数に置かれているその場所は、言わば茂の聖域だった。
(茂さん、今日は大学に出勤だったかしら?)
 なぜかはっきりしない記憶に戸惑いながら、璃沙は、その体を起こそうとする。
「ママ、待って!」
「え?」
 思わぬ方向から声をかけられ、璃沙は大きな黒目がちの目をそちらに向けた。
「だ、誰?」
「まだ、ケーブルの切断が終わってないんだよ。無理に動くと危ないから、ちょっとじっとしてて」
 だぶだぶの白衣を着た、小学校高学年くらいと思われる少年が、璃沙の問いに答えることなく、そんなことを言う。
(え……? カヲルちゃん?)
 その声音や口調に、愛しい一人息子の面影を聞き、璃沙はますます混乱した。
 息子の馨は、今年の4月に小学校に入学したばかりのはずだ。少年の体つきは華奢で、髪の毛は馨と同じように栗色でやや癖があるが、息子ではありえない。
 しかし、メガネをかけているのでよく分からなかったが、少年の顔は、息子である馨にそっくりだった。
 もし馨がメガネをかけ、そして無事に小学校を卒業する年にまでなれば、あのような少年になるだろう。
(ま、まさか、茂さんの隠し子……ううん、そんなわけない。いくらなんでも、あんな大きな子が……それに、茂さんに限って……)
 そんなことを思っている間に、ぱちん、と何かが璃沙のうなじで弾けた。
「うんっ!」
 ぱちん、ぱちん、ぱちん、と静電気のような刺激が、首筋から背中にかけて、軽い痛みをもたらす。
 それと同時に、璃沙は、不安感とも孤独感ともつかない奇妙な感覚が体を満たしていくのを感じていた。
「……きゃあああっ!」
 璃沙は、叫び声をあげた。
 自分が、素肌の上に何も身につけておらず、ただ薄いシーツを体にかけられているだけだということに気付いたのだ。
「なっ、何? どういうことっ? どういうことなんですかっ?」
 半身を起こし、シーツでその豊かな胸を隠しながら、璃沙は叫んだ。幼い頃から厳しく躾けられたせいか、感情的になると、璃沙は丁寧語になってしまうのだ。
「ママ、落ち着いて。どこか、体に違和感とか、ない?」
「だ、誰なんですか、あなた! 人の家に勝手に……警察を呼びますよ! 馨ちゃんは……茂さんや馨ちゃんはどこなんですか?」
「僕が、馨だよ。ママ」
 少年は、だぶだぶの白衣を引きずるようにしながら、璃沙に近付いた。璃沙が、固い寝台の上から転がり落ちんばかりに、身を引く。
「パパは……去年の冬に、死んじゃった。僕が、パパの仕事を引き継いで、ママを完成させたんだよ」
「なっ……ヘンな冗談言わないでください! そんな、訳の分からないことを……」
「ママは、アンドロイドなんだ」
 少年は、寝台の側に立ち、言った。そのメガネの奥の瞳が、真摯な光を湛えている。
(確かに間違いないわ……この目は、馨ちゃんの……)
 璃沙は、ぐらりと地面が揺れたような気がして、思わず手を寝台についた。
(じゃあ、本当に……茂さんが、死んだって……私、いったいどれくらい……)
 と、頭の片隅で、ちかちかと何かが瞬いた。
 そして、一瞬にして、現在の年月日から曜日、そして時刻に至るまで、秒単位で璃沙の脳裏に浮かび上がる。
 それは、璃沙の記憶が途切れた日から、5年近くもの歳月が経過した日付だった。
(な、何、今のこれ……私、頭がおかしくなっちゃったの……?)
 生々しいまでの非現実感に、璃沙は、その体を震わせた。
「ママは、事故に遭ったんだよ。交通事故で……もう、助からないってお医者さんに言われたんだ。それで、パパは、こっそりママの脳から、記憶を抜き取って、電子頭脳に移植したんだよ」
「私……私が……機械……?」
 まさか、そんなことは考えられない。自分は一条璃沙。普通の、ごく普通の主婦であり、母親だったはずだ。
 璃沙は、必死に、自らの記憶をたぐった。
 まるで、ファイリングされた古い写真のように、鮮明で、そして曖昧な記憶。それが、時系列に従って並んでいる。
 分からない……それが、人の記憶として、自然なのか、不自然なのか……。
 そんなことを思う璃沙に、馨は、話し続けていた。
「それからパパは、気が狂ったみたいにママの体を作り出したんだ。普通のアンドロイドのボディじゃない。人間の記憶を再現するための、特別なやつを、ね。大学にもほとんど行かなくなっちゃって……ここにこもりっきりだった。最後の頃は、ほとんど食べものが喉を通らなくなってたんだよ」
「そんな……茂さんが……」
 少食でありながら、璃沙が料理を作りすぎてしまうと、無理にでも全部食べてくれた茂の姿が、思い出される。
 それは、璃沙にとって、ついこの間の風景であるはずなのに、まるで古い写真のように、セピア色をしていた。
「パパは、去年の秋、血を吐いて……入院したんだけど、すぐに抜け出して、ここで……」
「もう……やめて……」
「パパは、最期に、ママだけでも生き返らせろって、僕に……」
「もうやめてっ!」
 璃沙の声に、馨が口をつぐんだ。
「ご、ごめんなさい……馨ちゃん……」
 うなだれる馨に、璃沙が言う。
「いいんだよ、ママ。ママがショックなの、分かるもの」
 いつのまにか成長していた息子にそう言われ、璃沙の目から、涙が溢れた。
「ママ……」
 細い、とは言いながらも、記憶の中の馨よりは数段逞しくなっているその腕が、璃沙の頭を抱く。
「うっ……ううっ……馨ちゃん、馨ちゃん……っ!」
 璃沙は、知らない間に十二歳になっていた息子の胸に顔を押し付けるようにして、幼女のように泣きじゃくった。



「これって……」
 小一時間がたち、落ち着いてから、脱衣場の姿見を覗いた璃沙は絶句した。
 目覚めた当初からあった違和感をその目で確認し、思考が停止してしまう。
 かつて長髪だったものを、結婚を契機に肩よりも少し上で切りそろえた艶やかな黒髪と、やや垂れ気味の大きな目。その童顔と不釣合いな、馨を産んで以来より大きくなってしまった丸いバストと豊かなヒップ。一児の母とは思えぬほどに瑞々しい白い肌と、控え目なアンダーヘア。引き締まったウェストと足首に反して、むっちりと肉の張った太腿……。
 そんな、見慣れたはずの自分の体に、いくつかの相違点がある。
 まずは、両耳が有ったところに付いている、丸いカバーだ。硬質の樹脂と金属を組み合わせて作られたそれは、頭部のメンテナンスハッチであるとともに、人間とアンドロイドを一目で区別させるためのものだと、以前、璃沙は茂に聞いたことがあった。
 もはや疑いようもない。自分はやはりアンドロイドなのだ。
 そのこと自体は、璃沙本人が驚くほどに、すんなりと受け入れられた。むしろ、そのことこそ、自分がアンドロイドであることの証明なのかもしれない。
 だが、問題はそれとは別のところにあった。
 頭の両脇の髪の間から、艶やかな毛に覆われた、丸みを帯びた大きな耳が飛び出ているのだ。淡い黄色の地に黒ぶちのそれは、どう見ても猫科の動物――もっと言うなら豹の耳である。
「まさか……」
 璃沙は、姿見の前で振り返り、尾骨の辺りを凝視した。
 見つめるまでも無く、そこからは、やはり豹柄の毛に覆われた、太く長い尻尾が生えている。
「ちょ、ちょっとこれ、どういうこと……?」
 充分に美しく整ってはいるが、地味目であることは否めない顔の中で、ひどく印象的になっているその耳。それを、鏡に向き直って見つめながら、璃沙は赤面していた。
「あ、あの、ママ。着替え、ここに置くね」
 脱衣所の曇りガラスのはまったドアの向こうから、馨が璃沙に声をかけた。
「ねえ、馨ちゃん、これ、どういうことなの?」
「ど、どうって?」
「だから、この、耳と……尻尾は……」
「それは……なんでだかしらないけど、パパが……」
 馨が、歯切れ悪く言う。
「外すこと、できないの?」
「僕の腕じゃ、まだ……パパには色々教わったけど、まだ勉強の途中だから……ごめんなさい」
「あ、い、いいのよ。訊いてみただけだから」
「うん……」
 馨がドアの前から立ち去る気配を待って、璃沙は、小さく溜息をついた。
 夫の茂が多忙なせいで、けして多くなかった夜の営みの中、戯れに付けた猫耳型のカチューシャが、ひどく喜ばれたときのことを、璃沙は思い出していた。
 あの時、璃沙も、まるで新婚当初に戻ったかのように、茂に甘えたものだ。
 璃沙は、自らの豹耳に指で触れ――そして、そこにも触覚センサが配置されているのを知って、ぞくんと体を震わせた。



 1ヶ月ほどの日常生活の中で、璃沙は、世の中が5年前とほとんど変わりが無いことを知った。
 すでに新世紀を迎えながらも、街並みはほとんど変わらず、行き交う人々の服装や自動車のデザインにも、大きな変化は見られない。
 ただ、アンドロイドを見かけることは、5年前よりも多くなっていた。
 ごく自然に、顔の両側に丸いハッチを付けた男女が、歩道を歩いている。そして、その中には、動物の耳や角などを模したパーツを頭部から生やしている者が少なくなかった。
 覚醒してすぐのころは、帽子とロングスカートで豹耳と尻尾を隠していた璃沙だったが、今は、それを露出させている。
 もう初夏である。
 季節柄、あまり暑苦しい服装は不自然だし、専用のスカートの尻尾穴から尻尾を出していた方が、歩く際にもバランスもとりやすい。
 もちろん、アンドロイドとして生まれ変わった璃沙は、その気になればどのような温度・湿度ともに耐えることができる。だが、体内の機械が加熱したり、過剰な湿気によって支障をきたしたりすることを防ぐべく、今の状態を不快と感じるようにはプログラムされていた。
 つい、自分がアンドロイドであることを、忘れそうになる。
 が、そのことを強制的に思い出させられるのが、食事の時だった。
 ほとんどのアンドロイドには、味覚が無い。そして、口から摂取できるのは、冷却用の水や燃料電池のためのゲル状の液体燃料、そして潤滑用の各種フルードなど、液体のみであることが普通だ。
 最新のモデルの中には、人間と同じように食事ができるアンドロイドもいるそうなのだが、電子頭脳の性能にのみ特化した璃沙には、無縁の話だった。
 甘い、という感覚をどうしても思い出せないまま、璃沙は夕食の買物を終え、帰宅した。
 長距離を歩いても疲労を感じないのはありがたいが、今や健康やダイエットのために歩く、ということ自体が無意味になっている。
 事故当時の自分のスリーサイズを忠実に再現した自らのボディを見下ろし、もう少しシェイプアップした体にしてほしかった、などと思いながら、璃沙はエプロンをつけた。
「さ、お掃除お掃除」
 自らを鼓舞するようにそう言いながら、璃沙は、家の掃除を始めた。
 ここのところ、四肢がより滑らかに動くようになっている。どうやら、電子頭脳のフィードバック・システムが様々な運動出力への最適化を着実に行っているらしい。
 もちろん、アンドロイド工学に関する知識は、生前の璃沙同様、ほとんどゼロに近い。今、璃沙のボディを“管理”しているのは馨だ。
 そのことに、未だ何の疑念も不安も抱くことなく、璃沙は、馨の部屋の掃除に取りかかった。
 自分が覚醒した当時の、この部屋の散らかりようを思い起こしながら、璃沙は掃除を進めていった。
「あら?」
 璃沙は、馨のベッドの大きなマットレスがずれていることに気付いた。
 女の細腕では容易に動かすことのできないものではあるが、今の璃沙が本気を出せば何の問題もない。軽い気持で、璃沙はマットレスのずれを直した。
「ん……?」
 マットレスの下に、何か異物がある。
 偶然に何かが入り込むような場所ではない。
 璃沙は、軽い気持で、マットレスの下を確認した。
「や、やだ、馨ちゃんたら……」
 出てきたものに、璃沙は思わずそう言ってしまう。
 それは、扇情的な姿態の女性が表紙を飾るポルノ雑誌だった。
「そ、そっか……馨ちゃんも、もう十二歳なんだもんね」
 そう言いつつも、璃沙は、赤面していた。
 確かにそれは、思春期の少年の寝床には、あって何の不自然も無いものではある。が、璃沙の意識の中では、馨は未だ小学校に入ったばかりの男の子なのだ。
 感情出力のフィードバック機能により顔が火照るのを自覚しながら、璃沙は、そのポルノ雑誌のページをめくっていった。
 それは、国内の女性のヌードグラビアが構成の主体となっている、ごく普通の代物であった。いかにも頭の悪そうな雑誌名が、胸の大きな女性をメインに被写体としていることを示している。確かに、写真の中のモデルたちは、皆、豊かな胸を意識させるべく、あるいは誇示し、あるいはわざと一部が見えるように隠していた。
「こ……こんなかっこうして……いやらしい……」
 明らかに男を誘うポーズで、こちらに向けて流し目を寄越しているモデルと、擬似的に目が合う。
(これで――この雑誌を見ながら――馨ちゃんが――)
 あの、少女じみた優しい顔立ちの馨も、このモデルと視線を絡めていたのかと思うと、言いようもない感情が、胸のうちに湧き上がった。
(この――このコの裸を見ながら、馨ちゃんが――このオッパイや、お、おしりを、見ながら――あの、カヲルちゃんが――女の子みたいな顔で――声で――エッチな声を出して――)
 禁断の思考が電子頭脳を駆け巡り、そのスパークが、胸の内の思いに引火する。
(な、なに? この感じは?)
 璃沙は、今まで経験したことの無かったような内部感覚に、とまどった。
 灼けるような熱さが、体の中心から末端にまで走り、電子頭脳の演算にまで影響を与えようとしている。
 息子の純真な瞳を、この印刷された女体が汚してしまったような、そんな謂れの無い思いが、明らかに自分の内部機構を暴走させている。
 熱として認識されるその体内の奔流に、璃沙は、恐怖を覚えていた。
(ヘ、ヘンよ……そんな……たかが、こんな雑誌で、こんなふうになるなんて……)
 璃沙とて、初心な少女ではない。茂との愛の営みの末に馨を産んだ、一人の母なのだ。少なくとも、その記憶は、しっかりと受け継いでいる。
 が、璃沙のボディは、そんな璃沙の記憶を――心を、裏切っていた。
「ま、まさか……」
 璃沙は、怯えた声で言い、そっと自分でエプロンとスカートをめくった。
 そして、その奥のショーツに、震える指を伸ばす。
 特に、濡れてはいない。息子のあられもない姿を妄想しながら女の反応を示す、という最悪の可能性を回避し、璃沙は小さく息をついた。
 が、体の火照りは、ますます強くなっていく。
「だめ……私、オーバーヒートしちゃう……」
 璃沙は、頭の中で響く警告音に背中を押されるようにして、ふらふらと浴室に向かった。
 そして、脱いだ服をたたむこともできないまま、冷たいシャワーを浴びる。
「ああぁ……」
 璃沙は、ようやく息をついた。
 素肌を水に晒しての強制冷却など、よほどジェネレーターに負荷がかかったか、それとも記録的な猛暑でなければ、行うようなことではない。
 が、ともあれ、当面の危機が去ったことに、璃沙はほーっと溜息をついた。
「……あれ?」
 ぱちっ、と胸の中で、何かが、弾けた。
 小さな、小さな、璃沙の鋭敏な豹耳型センサでも捕えきれないような、かすかな音。
 そして、璃沙は、まるでスイッチを切られたかのように、がっくりとそこに倒れてしまった。



「ん……」
「だいじょぶ、ママっ?」
 目を覚ますと、すぐそばに、馨の顔があった。横たわった彼女の右手側に、馨が立っている。
「あ……私、どうして……?」
「びっくりしたよ! 帰ってきたら、ママがお風呂場で倒れてるんだもん!」
「え……?」
「ママ、胸の防水ポリマーを、いいかげんに塗ってたでしょ?」
 馨は、こっそりと涙を拭ってから、怒った声で言った。
「だから、ハッチから水が入っちゃったんだよ」
「そ、そうなの……」
「僕が塗ってあげるって言ったのに、ママが、自分でするってきかないから、そうしたんでしょ」
「だ、だって……」
 胸のメンテナンスハッチは、ちょうど人間の肋骨と同じ形で、胸部を覆っている。そのハッチの隙間を埋めるのが、クリーム状の防水ポリマーだ。
 それを馨に塗らせるということは、必然的に、胸をさらけ出すことになる。そのため、璃沙はそれを自分で塗ると言ったのだ。
 璃沙は、叱られた子供のような顔になりながら、周囲を見回した。
 茂の――いや、今は馨の実験室だ。窓から夕日が差し込んでいる。
 璃沙は、またもケーブルであの寝台に繋がれていた。
「馨ちゃんが、運んでくれたの?」
「うん……中の回路がいくつかダメになって、メンテナンス・ベッドにつながないと、意識が戻らなかったから」
「そ、そうなの……」
 言いながら、璃沙は、自分がまだ全裸であることに気付いた。
 ぎこちなくしか動かない両手で、そっと、乳房と股間を隠す。
「ママ、胸を開けて」
 と、馨は、璃沙に向けていった。
「えっ?」
「胸のハッチを開けないと、回路の交換ができないよ」
「で、でも……」
 素肌どころか、体の内部まで見せるように言われ、璃沙は戸惑った声をあげた。
「パパがロックをかけたままにしたから、ママが自分で開けてくれないと、ダメなんだよ」
「……」
「どうしたの? 壊れたところを直すだけだよ?」
「う、うん、分かってるわ」
「そりゃあ、僕はまだ子供だし、頼りないかもしれないけど……」
「そ、そうわけじゃないの」
 璃沙は、慌てて言った。実際、馨は、アンドロイド工学に関しては天才的な頭脳と技術を有しているのだ。
「……」
 璃沙は、なぜか顔が赤くなるのを自覚しながら、自らの胸のロックを外した。
 そして、ハッチに指をかけ、自ら開いていく。ここまで自分を息子の前にさらけ出すのは初めてだ。
 観音開きに開いた胸部のメンテナンス・ハッチの奥を、馨のメガネの奥の目が、じっと見つめた。
(あっ……み、見られてるぅ……)
 羞恥心とも不安感とも付かない何かが、璃沙の中でせりあがった。
(か、体の中を……馨ちゃんに……どうしよう……馨ちゃんが……私の中を……じっと見てる……)
 自分が、機械の塊であるということを思い知らされ、そして、幼い息子にその機械部分を見つめられている。
 そのことに、璃沙は、またもあの正体不明の熱を感じていた。
「ママ、回路を交換するよ。ちょっとピリピリするかもしれないけど、ガマンしてね」
「え、ええ」
 馨が、静電気防止のための手袋をして、璃沙の胸の奥に両手を差し入れた。
「んッ……!」
 体内に挿入されていた回路ユニットを抜き取られ、璃沙が、抑えきれずに声をあげる。
 馨は、淡々と、作業を進めていった。
(あぁ……今、馨ちゃんが、私を、直してる……私の中をいじってるんだ……)
 そう思うと、璃沙の体内の熱は、さらに高くなっていった。
 この熱は、物理的な、つまり本物の熱だ。馨が火傷するほどではないにしても、気付かないはずが無い。
 そのことに、言いようのない恥ずかしさを感じ、璃沙は、薄桃色の唇をきゅっと噛んだ。
 かちゃかちゃという小さな音が、部屋に響く。
「……ママ」
 不意に、馨が、璃沙に声をかけた。
「僕の部屋、掃除の途中だったんでしょ?」
「え……ええ……」
 胸を開けられた状態のまま、璃沙は答えた。
「あの本、見つけちゃったんだね」
「……!」
 かああっ、と璃沙の中の熱が息苦しいまでに高まる。
「ねえ、そうなんでしょ? 床に置きっぱなしだったよ?」
「だって、だって、馨ちゃん……あれは……」
「別に、怒ってるわけじゃないよ。ただ、訊きたいんだ」
 馨が、璃沙の顔を覗き込んだ。
 メガネのレンズが光を反射し、馨の目が、見えない。
 璃沙は、まるで、知らない男に顔を凝視されているような錯覚を覚えた。
「あの本を見つけて、どんな気持ちになったの?」
「どんなって、どういうこと?」
「エッチな気持ちにならなかった?」
 訊き返す璃沙に、馨が、信じられないことを言った。
「か、馨ちゃんっ!」
 璃沙が、叫ぶような声をあげる。
「ヘンなこと言わないで! ママ、怒りますよっ!」
「ならなかったんだ?」
「当たり前です! そんな、はしたないこと……」
「ふーん」
 馨は、その幼い口元に、ぞくりとするような笑みを浮かべた。
「じゃあ、こうすると、どうなるのかな?」
 そして、璃沙の体内に、新しい回路ユニットを挿入する。
「えっ? あ……ああァッ!」
 全身を貫く感覚に、璃沙は、悲鳴をあげた。
 未知の感覚ではない。自分が女であることを意識してから、慣れ親しんでいた、あの感じだ。
 全身を包んでいた熱い火照りが、まるで行き場を見出したように、熱いうねりとなって下半身を痺れさせる。
「やッ! なに? 馨ちゃん、ママに何をしたのッ!」
「何って、ママの体を、直したんだよ」
 そう言いながら、馨は、ピンク色の舌で、自らの唇を舐めた。
「ママ、目が覚めてから、一度もエッチな気分にならなかったでしょ? あれはね、パパが、わざと回路を切ってたからなんだよ」
「なっ……何を言ってるの……馨ちゃん……?」
「体が熱くて、苦しくなかった?」
「そ、それは……」
「多分ね、フィードバックするはずの信号がせき止められて、ジェネレーターが誤作動してたんだよ。でも、もうダイジョブだからね」
「だ、大丈夫って……あっ、ああぁ……」
 璃沙は、ケーブルに接続されたまま、くねくねと身悶えた。
 今まで存在することすら忘れていたあの欲求が、爆発的に高まり、熱を持った潤みとなって溢れ出ている。
「ね、思い出して。僕の部屋で、エッチな本を見付けたときのこと……」
 馨が、璃沙の豹柄の耳に口を寄せ、囁く。
「今は、どんなふうに思う? 僕が、あれを見ながらオナニーしてたこと、どう思うかな?」
「や、やめなさい、馨ちゃん……そんな、いやらしいこと……」
「んふふふふっ」
 馨が、妖しい中性的な声で、含み笑いをする。
「安心して、ママ。僕、もうあんなの使ってなかったよ」
「え……?」
「パパが、ママの体を完成させてからは、ずっとママのこと考えながらオナニーしてたんだよ」
「ああっ! やめ、やめてええッ!」
 璃沙は、まだぎこちなくしか動かない手で、その顔を覆った。
 脳裏に、自分のことを想いながら激しく手淫する馨の姿が、生々しく浮かぶ。
「それだけじゃないんだ。僕、パパがいない隙を見て、何度も何度も、ママにキスしたんだよ。まるで、眠り姫にするみたいにね」
「だめっ! や、やめなさい! 馨ちゃん、そんな悪いコト言っちゃだめっ!」
「だって、ホントのことだもの」
 言いながら、馨は、右手を璃沙の股間に伸ばした。
「きゃあッ!」
 その部分に触れられただけで、強烈な刺激が、全身を貫く。
 璃沙は、胸を開けられ、いくつものケーブルに繋がれたまま、背中を弓なりに反らせた。
「すっごく濡れてるよ。今まで溜まってたのが、みんな溢れてきたみたい」
「ウ、ウソよ……そんな、そんなウソついちゃいけませんっ!」
「ウソじゃないよ、ほら」
 馨は、熱く濡れた璃沙のクレヴァスに指を潜らせ、動かした。
 さすがに拙いながらも、その指は、璃沙に待ちかねていた快楽をもたらしていく。
「ほら、ビチョビチョになって、クチュクチュいってるでしょ?」
「あッ! あああッ! だめッ! だめですッ!」
「んふふっ」
 馨は、璃沙のあられもない言葉に励まされたかのように、一層激しく指を動かした。
「ほーら、すごく濡れてて……僕の手、どろどろになっちゃうよ……」
「やッ! だめえェ! ああッ! ひッ! ひああッ!」
「1月分……ううん、5年分がいっぺんに来てるんだよね、ママ?」
「あッ! ああッ! あーッ! あーッ!」
 迫りくる最初の波を意識しながら、璃沙は、白い喉を反らすようにして声をあげた。
 と、馨が、忙しく動いていた指を止め、ぬるりとクレヴァスから引き抜いた。
「ママ、すごい声だすんだもん。ぜんぜんクチュクチュって音、聞こえないよ」
「はぁーっ、はぁ−っ、はぁーっ、はぁーっ……」
 璃沙は、馨の言葉をきちんと理解することもできず、ただ虚ろな瞳を向けるだけだ。
「ね、僕の手、こんなになってるでしょ?」
 そう言って、馨が、愛液に根元まで濡れた指を、璃沙の顔の前に差し出す。
 本物そっくりの性臭に、璃沙は、わずかに理性を取り戻し、顔を背けた。
「ど……どうして……こんな……私、機械のはずなのに……」
 恨みっぽく、璃沙が言う。
「アンドロイドは、そのための機能も充実してるんだよ。知らなかった?」
 馨が、くすくすと笑いながら、言った。
「パパも、ママの目が覚めたら、セックスしまくるつもりだったんだよ、きっと」
「パパのことを悪く言うのは止めなさい!」
 さすがに柳眉を怒らせ、璃沙は言った。
 まだ情欲の余韻でかすかに潤んだ目で、それでも、馨の顔を睨みつける。
 馨の顔から、笑みが消えた。
 メガネの奥の、璃沙によく似た大きな目は、涙ぐんでいるようだ。
 まるで、それを見られるのを恐れるように、馨は下を向いた。
「馨ちゃん……」
 璃沙は、一転して、優しい声で言った。
「ママ、馨ちゃんが言ったことや、したこと、全て忘れるわ。馨ちゃんだって、男の子だもん。それは、分かるつもりよ」
「……」
「だから、ね? 馨ちゃん……いつものいい子に戻って?」
 馨は、顔を伏せたままだ。
 その口から、泣き声とも、唸り声ともとれる声が、漏れる。
「……な……」
「え?」
「ふざけるな!」
 叫んで、馨は、璃沙の胸に手を差し入れた。
「ひッ……!」
(壊されちゃう!)
 璃沙が、純粋な恐怖の声をあげる。
 が、璃沙を襲ったのは、先ほどとは比べ物にならないほどの、暴力的なまでの快感だった。
「き――やああああああああああああああああああああああああああああああーッ!」
 ぶしゅうううッ! と璃沙のクレヴァスから大量の潤滑液が溢れ出す。
「何がママだッ! アンドロイドのくせにッ!」
「あッ! ひあああッ! あいッ! ひいいいいいッ!」
 鋭い針のような硬質の快感に、電子頭脳を灼き切られそうになりながら、璃沙は、最も恐れていた言葉を聞いた。
「こんなふうに、回路を直結されただけでオモラシして、そんなんでどうしてママなんだよ! お前は……お前はアンドロイドだろっ!」
「あーッ! ああぁッ! あッ! あああああああァーッ!」
 快楽と、そして、知覚することにさえ痛みを伴うような悲しみの感情に、璃沙が、涙を溢れさせる。
「イクんだろ? イっちゃうんだろ! このロボット! イクならイクって言えよッ!」
「や……め、て……そんな……ひいいいッ! ひぎッ! 壊れちゃう! 壊れちゃうゥ〜ッ!」
 パチッ、パチパチパチッ! と音を立てて、剥き出しの胸部ユニットから火花が散る。
「ひどい……かをるちゃん……ひ、ひどいよ……ママは……ママはぁ……っ!」
「お、お前なんか……お前なんか、ママじゃないッ!」
「ああああアアアーッ!」
 あらゆる信号を圧倒する、強力な性感が、璃沙の全身を貫いた。
 もはや、全ての感覚が、快楽に変換されてしまう。
 悲しみも、切なさも、そして、息子に対する思いも、全てが――
「イクーッ! イク! イク! イク! イク! ママ、イっちゃうううううううううううううゥ〜ッ!」
 そして、璃沙は、純粋な快楽のみに体内を満たされた後、ふっ、と意識を失ってしまった。
後編

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