エピローグ
そして、僕は転職を果たした。
生活はちょっと苦しくなったけど、それなりに充実している。
お嬢さんは、また、アメリカに帰っていった。空港まで送りに行った僕とミミコに、いつもの、元気いっぱいの笑顔を見せながら。
そんなある日――僕は、新聞を見たまま、硬直した。
『アンドロイド研究家猪俣金司氏、変死体で発見される』
「どうしましタ? マスター」
ひどく強張っているであろう僕の顔を不思議そうに見つめながら、ミミコが訊いてくる。
「ううん……なんでも、ないよ」
そう言って、僕は、新聞を持ったまま自室に引っ込んだ。
ミミコは、さして不審がらずに、朝食の後片付けを再開した様子である。
自室でミミコの歌を遠くに聞きながら、僕は、新聞記事に目を走らせた。
“異端のアンドロイド研究家として知られる猪俣金司氏の死体が、東京湾第42埋立基地で発見された。死体には複数の銃創がある上、頚部を鋭利な刃物で切断されており、警察は、殺人事件と断定して捜査を始めている……”
所持品や指紋などから、それが師匠の体であることは、間違いないらしい。
僕の脳裏に、榊さんの顔が浮かんだ。
確かに、僕はまだ、師匠のしたことを許す気にはなれていなかった。でも、こんなことって……。
いきなり、電話が鳴る。
びくっと体を震わせた後、僕は、ゆっくりと受話器を取った。
「よお、操」
聞き憶えのあるひょうきんな声が、いきなりそう言った。
「え……し、師匠?」
「俺の死亡記事は、もう読んだか?」
そう言う電話口の向こうの師匠の声は、どこかかすれている。幽霊なんて信じていないけど、僕は、大いに肝を冷やしていた。
「別に驚くことはねえ。清流会の目をくらますためのトリックだよ」
「え……でも……」
「あの体は、確かに俺ンだ。俺はな、体をすげ替えたんだよ」
「すげ替え……」
「俺の頭は、脳味噌を中に入れたまま、アンドロイドのボディに乗っかってる……窓の外、見てみな」
言われて、僕は窓に飛びつく。
丈の低い生け垣のむこうで、携帯電話片手の師匠が、こっちに向かって手を振っていた。
「あ……」
ぽかん、と口を開ける僕の前から、師匠がにやにや笑いながら歩み去る。
その体は、生身のときよりもだいぶ身長が高かった。
「あばよ」
ひどく年代もののセリフを告げた後、電話が切れた。
「……まったく、かなわないな」
しばらくして、僕はぼんやりと呟いた。
最近、思うことがある。
ミミコはあのことを忘れたが、僕は憶えている。そして、けして忘れることはできないだろう。
ミミコのことを受け止めるということは、そういうことなのだ。
相変わらず、ミミコは失敗が多い。でも、同じ失敗は繰り返さないようになったみたいだ。
何よりも、怖い夢を見なくなった。そのことを、ミミコはにこにこしながら何度も何度も嬉しそうに僕に言う。
ミミコを幸せにするためなら、僕はミミコの記憶をいくらでもいじくるだろう。
アンドロイドとの恋は、どこか歪んだものなのだと思う。それは間違いない。
でも、僕はその歪みを受け入れることにした。この先どうなるか分からない。だけど、今のミミコの笑顔を手に入れるために、僕はこれまでやってきた。そのことに悔いはない。
お嬢さんは、僕が、ミミコを人間と同じように扱ってる、というようなことを言った。
多分それは違うと思う。少なくとも、誤解を招く表現だ。
僕は、アンドロイドのミミコが、好きなんだ。
できたら……
できたら、世界中の人が、相手が人間かそうでないかなんてことにとらわれず、好きなら好きと素直に言えるような、そんな世の中になればいい……
ミミコを見てると、そんなことを思ってしまうのである。
おわり