鬼の左手


問題編



 林堂智視と西永瑞穂は、高校二年生最後の週を、スキー場で過ごしていた。
 春休み期間を利用しての旅行である。無論、林堂も瑞穂も、二人きりだということは親に内緒だ。帰る時は、アリバイ作りに協力してくれた友人たちに、土産の品を買っていかなくてはならない。
「ひゃっほ〜っ♪」
 白く輝くゲレンデを、パールホワイトにピンクのライン入りというウェアに身を包んだ瑞穂が、歓声をあげながら滑っている。空気は冷たいが、空と日差しは、もう春のそれだ。
「えいやっ!」
 瑞穂は、そんな声をあげながら、麓のレストハウスのそばで、やや危なっかしくターンして、停止した。しゅばばっ、と派手に雪が飛び散り、リボンで結ばれたポニーテールがふわりと舞う。
 少し遅れて、そんな瑞穂の傍らに、灰色を基調とした地味なウェアの林堂が、後ろでまとめた長髪をなびかせることもなく、しゅるー、と滑ってきた。
 林堂の滑りは慎重でそつがないが、控えめなため、実際以上にスピードが感じられない。見ていても、あまり楽しくは感じないような、そんな滑りだ。
 林堂本人も、ことさら楽しんでいるようには見えない。にこにこと笑みを浮かべている瑞穂とは対照的である。
「ふう……今回も、無事戻って来れたか」
 林堂が、まるで仕事から帰ってきたサラリーマンのような顔つきで、そんなことを言う。
「もー、智視ちゃん、楽しんでる?」
 ゴーグルを額にあげ、林堂の顔を軽くにらみながら、瑞穂が言った。その柔らかそうな頬が紅潮しているところを見ると、少なくとも瑞穂は、この春スキーを目一杯楽しんでる様子である。
「それなりに、な」
 林堂が、普段通りの平静な口調で言う。
「少しずつ、体が滑るってコトに馴染んでいくのが、ちょっと面白い」
「えー? 風を切ってきもちいーとか、ぐんぐんスピードが出てたのしーとか、そーいうのないのぉ?」
 瑞穂は、そう言いながら、ストックを握ったままの拳を腰に当てる。
「俺は、別に」
 そう言いながら、林堂は器用にストックを操り、スキー板のロックを外した。
「どっちかって言うと、嬉しそうに滑ってる瑞穂を見てるほうが、楽しいな」
「な、なによそれえ!」
 かあっと赤くなる瑞穂に、にやにや笑いを見せた後、スキー板を台に立てかけ、レストハウスに入っていく。
「ほれ、食事にしようぜ。そろそろ昼だし」
「む〜」
 ひとしきりうなってから、瑞穂は、スキー板をブーツから外すべく悪戦苦闘を始める。
 そんな瑞穂を、振り返った林堂が、笑みをたたえたままの顔で見つめた。



 午後、林堂は、少しだけ滑った後、レストハウスの広々としたウッドデッキの上で、椅子に腰掛けていた。
 ちゃちな作りのテーブルの上に、三十分ほど前にセルフサービスで運んできたコーヒーを放置したまま、文庫本を読んでいる。表紙がラミネート加工されているところからも、市立図書館の本であることが分かる。
 瑞穂は、今、中級者コースを楽しんでいるところだ。
 強すぎる日差しの中、細かい字を読み続けて疲れ目を覚えた林堂は、顔を上げて一つ息をついた。
 と、その秀麗な顔に、かすかに驚きに似た表情が浮かぶ。
 林堂は、文庫本をテーブルに伏せてから立ち上がり、ウッドデッキから店内へと入っていった。
「また会いましたね、品川さん」
 後ろから林堂にそう声をかけられたコート姿の男が、びく、と背中を震わせる。
「お前か……」
 振り返った男が、不味いものを間違えて口に入れてしまったような顔で、うんざりと言った。
「スキーをしに来た、って格好じゃありませんね」
「仕事だ。しかし、お前の方は平日だってのにいい身分だな」
「春休みですから」
 そう言ってから、林堂は、県警捜査一課、品川南馬警部補の手元を見た。小さなトレイの上に、まだ湯気を上げているコーヒーカップが乗っている。
「あっちの席が、眺めがいいですよ。俺と相席ですけどね」
「む……」
 うめくような声をあげながら、品川は店内を見まわした。午後三時という時間のせいか、席はほとんど塞がっている。客層がほとんど学生らしいのを見て取って、品川はますます苦い顔をした。
 その苦い顔のまま、歩き出した林堂の後ろをついていって、同じテーブルにつく。
「一人なんですか?」
 ずずず、と口ひげを湯気にひたしながらコーヒーをすする品川に、林堂が訊いた。
「普通、捜査は二人一組でやるもんだと思ってましたけど」
「相棒は、別口を聞き込み中だ」
「なるほど。この近辺には、このスキー場の駐車場くらいしかありませんもんね」
 そう言って、林堂は冷めたコーヒーに口をつけ、気障ったらしく眉をしかめた。
「で、俺には聞き込み、してくれないんですか?」
「お前がここに来たのは、つい最近だろう」
「昨日着いたばかりですよ」
「じゃあ、対象外だ」
 そう言われ、林堂は、ひょい、と肩をすくめた。
「なら、俺の方から訊く事にしますよ。――何があったんです?」
 品川は、林堂の顔をじっと見つめてから、ふー、と溜息をついた。
「……密室で、変死体が発見された」
「それはすごい」
 品川の言葉に、林堂は、まるで外人のように口笛を吹いた。
「……まさか、デカが一介の高校生の知恵を拝借するようなことになるとはな」
 そう言って、品川は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「しかもそのマヌケなデカの役を俺がやることになるとは、笑い話にもならん」
「事実は小説よりも奇なり、ですよ」
 林堂は、しれっとした顔で言った。
「ま、これって、小説の登場人物のお決まりのセリフですけどね」
「――お前、何が言いたいんだ?」
 品川が、不思議そうな顔で訊く。
「別に。それより、事件の詳しい話、聞かせてくださいよ」
 そう言われて、品川はもう一度溜息をついた。

 その死体は、完全な密室で発見された。
 個人所有の山小屋の中である。
 死体は、その山小屋の所有者である男性だった。絹川康二というのが、名前である。今年、四十九歳。
 発見者は、その息子である博康だった。
「死んだ絹川は彫刻家でな」
 使いこまれた大判の手帳のページを繰りながら、品川は言った。
「その山小屋が建てられた一帯の地主でもある。まあ、彫刻の方は半分以上道楽だったんだろうな。それでも、冬になると、山小屋にこもって創作に専念したって話だ」
「創作に専念とは言いますけどね」
 林堂は、ぐるりと周囲の山々を見回してから、言った。
「真冬になったら、雪と氷で閉じ込められちゃうじゃないですか」
「変人だったらしいな。が、世の中にこれくらいの変人はごろごろいるさ」
 品川は、そう言って、説明を再開した。
 息子の博康の話によると、絹川は、冬になると山小屋にこもり、春になると、麓の家に帰ってくるという生活を繰り返していたという。
 が、今年に限って、三月になっても戻らない。
 父親の奇行には慣れているとはいえ、博康も、さすがに心配になった。食糧などの備蓄は充分にあるはずだが、体を壊しているとも限らない。
 山小屋にこもってる間は、けして誰も近付くな、と絹川はことあるごとに言っていたが、博康は迎えに行くことにしたのだ。
 山小屋までは、細い私道が走っているが、その入り口は施錠された鎖と車止めによって封鎖されている。博康は、鍵を外し、山小屋に向かった。
「その鍵を持ってるのは、死んだ絹川と息子だけですか?」
「ああ。しかし、息子もそんなに厳重には管理してなかっただろうから、合鍵を作ろうと思えば、作れんことはなさそうだ」
 山小屋は、ちょっとした林の中にある。平屋で、LDKが一部屋だけという、さして大きくはないログハウスだ。電気は通っているが、電話は引いていない。屋根のある駐車スペースには、絹川自身が使っていたRV車がうずくまっている。
 絹川が車を置いて外出しているとは、考えられない。一番近いスキー場までも、歩けば四、五時間はかかるほどなのだ。それも、晴れた日に、という条件付きである。
「その、一番近いスキー場ってのが、ここですか?」
「そうだ。まあ、歩いて歩けない距離じゃないが、普通はそうしないだろう」
「でしょうね」
 博康は、呼び鈴を押したが、中からは応答がない。ドアを開こうとしても、中から鍵がかかっている。合鍵を使ったが、中から掛け金まで下ろしているらしく、やはりドアは開かない。
「それで、窓から中を覗いたらしいんだな」
「その窓の大きさは?」
「ん? ああ、1メートル×1メートルってとこだな。人がくぐれないような窓じゃない。しかし、やっぱり中から施錠されていた。で、博康が、外から小屋を覗くと……」
「父親が、死んでいた?」
「ああ。部屋の真ん中の床に倒れていたって話だ。博康は、大慌てでこのスキー場まで車を飛ばし、ここから警察に通報した。それが、一週間ほど前の話だ」
 警察は、ドアを無理矢理にこじ開け、中に侵入した。
 絹川康二は、確かに死んでいた。
 死体は、すでに腐敗が進行していた。冬の雪山の山小屋の中、ということで、死亡推定時刻の割り出しは難しかったが、一ヶ月は経過している、との結論が出された。
 死因は、失血死。
 左腕が、手首と肘の中間あたりで、切断されていた。
「それが致命傷ですか?」
「ああ。それ以外に、目立った外傷はなかった」
「不思議な死に方ですね。殺すとしたら、もっと確実な方法をとればいいのに」
 林堂が、涼しい顔で、そんなことを言う。
「殺害が目的ではなかったかもしれん」
「――拷問ですか? それとも、相手に痛みを与えることが目的とか」
「かもしれんな」
 品川が、苦い顔をする。
「凶器は?」
「部屋に残されていた。いや、備え付けてあった、と言うべきかな」
「?」
「電動の丸ノコギリだ」
 品川の言葉に、林堂は目を見開いた。
「絹川が、彫刻する木を切断するために使っていたものらしい。梃子と一体になって、台に固定するタイプのやつだな。こう、レバーを下ろして、簡単に太い木でも切断する」
「凄いなあ」
 林堂が、どこか歪んだ笑みを、かすかに浮かべる。
「で、それが死因ってことは、絹川はしばらく生きていたんですか?」
「そうらしい。失血性のショック死も考えられるほどの重傷だがな。しかし、それどころか、傷口を縛った形跡がある」
「自分でやったんですか?」
「犯人がしたのかもしれんがね」
「……で、問題の左手は?」
「発見できなかった」
 ふう、と品川は溜息をついた。
「犯人が持ち帰ったんですかね? まあ、これが他殺だったとしてのことですが」
「――自殺だと言うのか?」
「それは、まだ分かりません。でも、世間にはいろいろと風変わりな方法で自殺する人がいますから」
「……」
「まあ、まだ息がある被害者をそのままにして、左手を持っていく理由というのが、よく分かりませんけどね。高価で、しかも外れないように細工されれたブレスレットでも嵌めてたのか……それとも手錠かな?」
「だとしても、左手を持っていかなくてもいいだろう。腕を切断した時点で外れるんならな」
「ですね」
「――それから、密室の問題もある」
「密室?」
 忘れてた、といった顔で、林堂は品川に向き直った。
「そうだ。絹川の発見された山小屋は、ドアも窓も、完全に施錠されていた。むろん、床板や天井裏にも、進入の形跡はないし、煙突のたぐいも無い」
「でも、そんなの何の謎でもないじゃないですか。左手を失っても、絹川は息があったんでしょう?」
「ああ」
「だったら、犯人が――他殺として、ですけど――出ていってから、鍵を閉めることだってできるでしょう。と言うか、そうしない方がおかしいでしょうね。意識があったなら」
「そんなことは分かってる。だが、それは難しい」
「どうしてです?」
「問題の掛け金には、はっきりと、絹川康二の左手の指紋がついていたのさ」
 林堂は、しばし沈黙してから、口を開いた。
「一度、左手で掛け金に触れてから、左手を切断され、その後で、右手で掛け金を下ろしたのかもしれない」
「言い直そう。掛け金には、絹川の左手の指紋しかなかった。それも、一箇所だけだ。他の、誰の指紋も――それに絹川の右手の指紋も、検出されなかった。これでどうだ?」
 挑むような顔でそう品川が言うと、林堂は苦笑いした。
「品川さんは、その部屋をどうあっても密室にしたいんですか?」
「いや、まあ、そういうわけじゃないけどな」
 品川は、そう言って、突き出した顔を引っ込めた。
「しかし、絹川は、右手を含め、全身血まみれだった。だと言うのにドアの周辺には、血痕は全く検出されなかったんだ。部屋中、いたるところに血液反応はあったのに、な」
「でも……別に、不可能犯罪ってわけじゃない。ただ、不可解なだけですね」
「そうだ」
 品川は、ぎっ、と椅子を鳴らした。
「ところで、もしこれが殺人だとしたら、動機はなんでしょうね?」
「尋常の方法ではないから、怨恨の線が濃厚だろうな」
 品川の言葉に、林堂は小さく肯いた。
「絹川は、けして人格者ではなかった。その奇矯な行動から、他人とトラブルを起こすこともしばしばだったらしい」
「家族とは? 例えば、第一発見者の息子とか」
「関係は、よくはなかったようだ。絹川が起こしたいざこざの尻拭いをするのは、いつもその息子の役目だったし……それに、最近では、地所の開発の問題でも揉めてたらしい。問題の山小屋の一帯をスキー場にするとかしないとか、そういうことでな」
「金持ち土地持ちに、トラブルはつきものですからねえ」
 そう、林堂が知った風な口を利く。
「――それと、な」
 品川は、やや歯切れ悪く、言った。
「少し、気になることがあるんだ」
「何です?」
「絹川康二には、兄がいたんだ。謙一という、一つ違いの兄だ」
「はあ」
 話の展開よりも、奥歯に物の挟まったような品川の口調に、林堂はかすかに首をかしげる。
「その男が、事件に関係あるんですか?」
「それは、分からん。いや、常識で考えれば、無関係だろう」
「?」
「絹川謙一は、二十年以上も前に、失踪しているんだ」
「……」
「で、その謙一だがな、若いころの事故で、左手を失っていたらしいんだ」
「……何ですって?」
 林堂が、きりっとした眉を跳ね上げる。
「奇妙な偶然だろう? と言うか、ちょっとミステリーじみてる。私は、そういうのは、好きじゃない」
「――俺だって、別に好きってわけじゃないですよ」
 そう言いながらも、林堂の口元には、笑みが浮かんでいた。



「ふー、ごちそうさまっ♪」
 夕食に林堂が作ったハスと明太子のパスタを平らげ、瑞穂は満足そうに言った。
「コーヒー、入れるね」
「さんきゅ」
 林堂は、立ちあがる瑞穂に肯きかけた。
「……でも、よくコテージなんて借りられたね。しかも、キッチン付きなんて」
「オーナーと個人的に知り合いなんだ。キャンセルが出たから、安くしとくって言われてさ」
 かちゃかちゃとコーヒーカップを用意している瑞穂の背中に、林堂がそう答える。
「へえー、あのオーナーさんと?」
「ネットで知り合った」
「どこのホームページ?」
「SMサイトだよ」
 林堂の言葉に、テーブルにカップを置こうとした瑞穂の動きが、一瞬止まる。
「じゃあ――あたしたちの関係も、知ってるんだ」
「だろうね」
「む〜」
 顔を赤くしながら小さくうなり、瑞穂は、林堂の前に再び座った。
「――何か、考えてる?」
 そして、テーブル越しに林堂の顔をのぞきこみ、言う。
「俺は、いつも色々なことを考えてるよ」
「そうじゃなくて、昼間言ってた、刑事さんの話」
「ああ、あれね」
 林堂は、今まで口元を覆っていた手を外し、言った。
「ちょっと、考えてた」
「ひっどいなあ、せっかく、二人っきりの夜なのに」
「――ごめん。悪かったよ」
 林堂は、瑞穂が拍子抜けするくらい、素直に謝った。
 そして、ごそごそとポケットを探る。
「?」
 そして、小首をかしげる瑞穂の前に、小さなジュエリーケースを差し出す。
「え? え?」
「誕生日だろ、瑞穂」
「これって……」
「指輪だよ」
 そう言って、林堂は片手で器用に蓋を開いた。銀色のリングに乗った淡青色の透明な石が、室内の光を反射する。
「うわぁ、きれー……何、この石?」
「アクアマリンだよ。3月の誕生石だから。……手、出して」
「……」
 瑞穂は、ちょっと考えてから、左手を出した。林堂は、照れもせず、その薬指に指輪をはめる。
 と、瑞穂が、くすくすと笑い出した。
「どした?」
「あ、ごめん。えっとね、智視ちゃんのことだから、もっと別のもの出すのかと思った」
「あのなあ……ボディピアスとか、言うなよ」
「じゃなくて、手錠とか」
「ばか」
 林堂の言葉に、ちろっ、とピンクの舌を出してから、瑞穂は自分の指にはまったリングをうっとりと見つめた。
「すっごく嬉しい……ありがと♪ 智視ちゃん」
「あ、うん」
 真正面からお礼を言われて、林堂は、初めて照れたような表情を見せる。
「えへへっ。ね、似合う?」
 そう言って、瑞穂は、左手を林堂に差し出した。
 その手を、右手で持ち、林堂がじっと見つめる。
 そして、手の甲に、まるで貴婦人に対する挨拶のように、ちゅ、とキスをした。
「あ……」
 ぴくん、と瑞穂の体が震える。
 林堂は、目を閉じ、キスを続けている。
「えっと……あ、ひゃぁん」
 瑞穂が、可愛い悲鳴をあげた。林堂が舌先でちろちろと手を舐め始めたのだ。
「ね、ねえ、智視ちゃぁん……あひゃ……あ、あン……」
 瑞穂が何か言いかけるのにも構わず、林堂は、いっそう大胆に舌を出し、瑞穂の手を舐める。
 整った顔の林堂が、目を閉じ、一心に自分の手を舐めている様に、瑞穂は、なぜか背筋をぞくぞくさせてしまう。
 舌を突き出した林堂の顔には、奇妙な色気さえあった。
 林堂は、白く小さな手の甲から、指の間、指の根元から指先まで、そして手の平と、丹念に舌を這わせている。
 指先を口の中に含まれると、生温かく柔らかな感触が、ぬるりとまとわりついてきた。
 その感触は、しかし、少しも不快でない。
 それどころか、敏感な指先で、林堂の口腔を、もっともっと感じたいと思う。
「はぁぁ……ン」
 指と指の間を舌先でちろちろとくすぐられ、瑞穂は、切なげな溜息をついた。
 普段は性感帯として意識していなかった個所を、林堂の舌が、奇妙なくらいの正確さで探り当てていく。
 確かにある快感は、しかし、体の末端で感じているせいか、ひどくもどかしかった。
 ショーツの中で、瑞穂の牝の部分が、じんじんと熱を帯びている。
 瑞穂は、その甘い疼きに煽られ、もじもじと太ももをこすり合わせたが、むろん、そんなことでは望むだけの性感は得られなかった。
 それどころか、切なさが、まずます強くなっていく。
 瑞穂は、テーブルの上に乗っていた右手を、そろそろと引っ込めようとした。
「あ!」
 その瑞穂の右手を、林堂の左手が、掴む。
「だめだよ、瑞穂」
 にっ、と笑って、林堂が言った。
「だ、だめって、なにが?」
「分かってるくせに」
 そう言って、林堂は、再び愛撫を再開させた。
 細い、白魚のような瑞穂の指を一本一本吸い上げ、そして、軽く歯を立てて甘噛みする。
「あ、ああっ、あンっ」
 瑞穂は、押さえられた右のこぶしを、ぎゅっと握り締めた。
 ぴちゃぴちゃという湿った音に、ますます頭がかーっと熱くなっていく。
 瑞穂は、がまんできなくなり、くにくにとそのヒップを動かし、椅子にこすりつけるようにした。
 が、そんなことで得られる刺激はごくわずかだ。
「ね、ねえ、智視ちゃぁん」
 自然と、媚びるような口調になりながら、瑞穂が林堂に呼びかける。
「なに?」
「智視ちゃん、おねがぁい……」
 涙で潤んだ瞳で、林堂を、じっと見つめた。
 無論、目で訴えるだけで林堂がこの甘美な責めを終わらせるようなことはないと、瑞穂には、分かりすぎるほど分かっている。
 しかし、羞恥が、あからさまなおねだりをさせることをためらわせた。
 服を脱いでいるわけでも、ベッドに横たわっているわけでもない。ただ、同じ食卓に向かい合わせに座っているという、あまりに日常的な場面の中で、気が付くとここまで昂ぶってしまっている。
 瑞穂は、耳まで赤く染めながら、林堂の顔を見つめつづけた。
 その眉は切なそうにたわめられ、珊瑚色の唇が半開きになって甘い喘ぎを漏らしている。
 林堂は、そんな瑞穂に残酷な笑みを見せてから、その人差し指と中指を、同時に口に含んだ。
「ああン!」
 ちゅばちゅばと音を立てて指を吸われ、舌を絡められて、瑞穂は小さな悲鳴をあげる。
 かすかにざらつく林堂の舌の表面を、唾液でぬるぬるになった指先が滑る感触に、気が狂いそうなほど体の奥底が疼いた。
 その部分が物欲しげに蜜を溢れさせ、ショーツの薄い布をじっとりと濡らしているのが、自分でも分かる。
 ブラの中では、乳首が秘所の疼きに共鳴し、まるでぴりぴりと帯電しているようにむずがゆい。
 こんなにも全身で林堂を感じたがっているのに、この男は、ただ左手だけを、執拗に責めるだけなのだ。
「智視ちゃんっ!」
 強い口調でそう言われ、林堂は、さすがに目を見開いた。
「お、おねがいだから、さわって……体中、さわってほしい……」
「触るだけでいいの?」
 林堂の意地の悪い言葉に、瑞穂はふるふると首を振る。
「さわって……気持ちよくしてほしい……です……おねがいです……」
 口調が、自然と奴隷のそれになる。瑞穂は、羞恥と、かすかな屈辱に、目に涙をにじませた。
 林堂が、両手を離し、一動作で立ちあがる。
「あ……」
 テーブルを回り込み、不安そうな顔をしている瑞穂を、立たせる。
 そして、その体をぎゅっと抱き締めながら、口付けした。
「んんんんんんンっ♪」
 瑞穂が、嬉しそうな鼻声をあげる。
 林堂は、そんな瑞穂の体をまさぐるようにしながら、一枚一枚、その服を脱がしていった。

 瑞穂は、全身を緊縛された。
 首から前方に左右揃えてぶら下げるようにした縄を、体の前側で何箇所か結び、股間に通す。そうしてから、背面に回した縄を体のサイドから前に持っていき、結び目と結び目の間の、輪になった部分に通して、左右に引っ張るようにする。そういう形だ。
 背中の方から回ってきた縄に、輪になった部分が左右に引かれ、菱形になるところから、菱縄縛りなどと呼ばれている緊縛方法である。
 さらに、余った縄で、手首を縛り、乳房の上下に縄がけする。こちらは、高手小手という縛り方だ。
 瑞穂の、形はいいが控えめな胸が、縄で絞られ、無残に強調されている。
 その状態で、瑞穂は、椅子に腰掛けさせられた。
 さらに、脚をMの字に開脚させられ、それぞれ肘掛けのところに縄で固定される。
「あぁ……ン」
 かつてないほどに全身を拘束され、瑞穂は、うっとりと溜息をついた。
 身をよじると、縄がきしみ、そして、かえって全身に縄が食い込む。手で触れられていなくても、体中を、林堂にきつく抱き締められているような気持ちになるのだ。
 二重になった縄を食い込まされた秘所からは、とめどもなく愛液が漏れ、椅子に淫靡な水溜りを作っている。
「はぁ……あ、あぁぁ……」
 瑞穂は、髪を結んでいるリボンすら外され、まさに、一糸まとわぬ全裸になっている。
 身につけているものは、縄と、そして左手にはまった指輪だけだ。
 その指輪が、なぜか瑞穂には、拘束具の一つのように思われた。
 全ての緊縛を終了し、林堂は、出来映えを確かめるように、一歩下がった。
 その顔は隠そうとしても隠しきれない興奮の色がある。
「……似合ってる、瑞穂」
 林堂は、思わず、といった感じで、そんなことを言った。
「あ、あんまり、見ないで……」
 そして瑞穂は、思っているのと反対のことを言い、顔を背けた。
 が、林堂を視界に収めていないのが不安なのか、ちら、と流し目で様子をうかがう。
 そんな瑞穂の仕草に誘われたように、林堂は、彼女に近付いた。
 そして、自らが施した淫靡で凶悪な緊縛とは対照的に、優しく瑞穂の頬に両手で触れ、ちゅ、とキスをする。
 まるで、初心な子供が、眠っている女の子を起こさないようにするような、優しい口付け。
 そんなキスでも、瑞穂は、熱い蜜をとろとろと溢れさせてしまった。
 もう、どこに触れられても、電流のように快感が走る。
 瑞穂がそういう状態になっているのを知ってか知らずか、林堂は、ことさらに優しいタッチで、瑞穂の髪を撫でた。
「ひあぁ……」
 ひく、ひく、と瑞穂の体が痙攣し、きちきちと縄が音をたてる。
 そして、ちょうどその場所に当たるように残酷に配置された結び目が、ぐりぐりと容赦なくクリトリスを刺激するのだ。
「ひゃうッ! んッ! ンあああッ!」
 固く尖った乳首を交互に吸われたとき、瑞穂は、ひときわ高い声をあげた。
 林堂は、しっとりと汗に濡れた瑞穂の肌に口付けを繰り返しながら、椅子の前にひざまずいていく。
 そして、しっかりと縄をくわえこんだ割れ目を、じっと見つめた。
 二重になった縄は、瑞穂のまだ成熟し切ってないクレヴァスに無残に食い込み、そこから分泌される淫らな体液をじっとりと吸っている。
 まさに、縄に犯されている瑞穂のそこを、林堂は、恐いくらいに真剣な目で凝視した。
「あ、あ、あァ……」
 林堂に視姦されていると思うだけで、瑞穂は、さらなる蜜を体内から溢れさせてしまう。
 林堂は、かすかに震える指で、二重になった縄ごと、瑞穂のそこを割り開いた。
 むわっ、と牝の匂いが、林堂の顔を叩く。
 その淫靡な性臭に誘われるように、林堂は、瑞穂のそこに口付けした。
「ひあああああア!」
 すでにすっかり敏感になったその部分をぞろりと舐め上げられ、瑞穂は、悲鳴のような声をあげた。
 わずかに自由になる膝から先が、ゆらゆらと揺れる。
 林堂は、そんな瑞穂のおののく太ももに両手を当て、喉を渇かせた犬のように、ぺちゃぺちゃと激しく舌を使った。
 いつものテクニックも忘れてしまったかのように、夢中になって熱くとろけるクレヴァスを舌先でえぐり、ぢゅるぢゅると音を立てて愛液をすする。
「ああッ! ンあッ! あッ! あッ! ああァーッ!」
 無残に緊縛された体を必死にうねらせ、瑞穂は、押し寄せる快楽に身悶えた。
 縄をかけられた、無駄肉のないなだらかな腹部が、絶頂の予感にひくひくと波打つ。
 と、林堂は、唐突に愛撫を中断した。
「あっ……! あ、あぅ、う、うううゥ……」
 瑞穂は、ぱくぱくと口を開閉させながら、涙目で林堂を見た。イキそこね、ぐちゃぐちゃになった脳では、恨み言も、理由を聞く言葉も紡げない。
 林堂は、獣のように息を荒げながら、下に着ているものを脱ぎ捨てた。
 焦らすつもりも何もなく、ただただ、可愛らしい悲鳴をあげてのたうつ瑞穂を犯したいという気持ちが、我慢の限界を超えたのだ。
 椅子に座ったままの瑞穂に、覆い被さるようにする。
「……っ!」
 そして林堂は、ものも言わず、これ以上はないというくらいに固く勃起したペニスを、一気に瑞穂の中に挿入した。
「っあああああああああああああああああああああああああああああああアーっ♪」
 その一撃で、瑞穂は、絶頂を迎える。
 激しい、目のくらむようなアクメ。
 が、無論、林堂にとっては始まったばかりだ。
「はっ、はっ、はっ、はっ――」
 いつになく激しく息をつきながら、遮二無二腰を動かす。
 一度イってしまった瑞穂には、強すぎる刺激だ。
「だ、め……さと、み、ちゃ……」
 瑞穂は、息も絶え絶えにそう訴える。
 が、林堂の動きは止まらない。
「いた……い……いや……ぁ……」
 そう、切れ切れに言う瑞穂の唇を、林堂は噛みつくようなキスで塞いだ。
「んうー、んぐ……ふ、うううッ!」
 瑞穂は、涙とよだれをこぼしながら、口腔を林堂に陵辱された。
 そのまま、痛みを伴った快感で、強制的にまた絶頂に追い込まれる。
「んううううううううううううううッ!」
 きゅううううっ、と瑞穂の膣肉が収縮した。
 そのきつい締め付けに、ようやく、林堂は、自分を取り戻す。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
 林堂は、短い呼吸を繰り返しながら、腰の動きを緩めた。
 瑞穂は、陸に上げられた魚のように、縄で戒められた体を、びくびくと痙攣させている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁあーっ……」
 林堂は、どうにか呼吸を整えた。
 そのペニスは、先程よりも硬度と容積を増した状態で、瑞穂の膣内に納まったままである。
「大丈夫か? 瑞穂」
「もぅ……だめぇ……」
 瑞穂が、弱々しい声でそう言う。
「瑞穂……」
 そんな瑞穂の様子に、林堂の嗜虐心が、蛇のように鎌首をもたげる。
 そして、林堂は、残酷に抽送を再開させた。
「あ、やぁ……ダメって、いってるのにい……」
「しょうがないだろ。俺、まだなんだから」
「でっ……で、でもォ……」
 そんな瑞穂の抗議の声も、林堂の巧みな腰使いに、甘くとろけていく。
「ほら、今度は、優しくしてやるから」
「あう……ン、あ……ゆるし、てェ……」
「だめだよ。許さない」
 くすりと笑って、林堂は、舌で瑞穂の耳を嬲る。
「あっ……ンああ……はァ……っ」
 湧き起こる快楽のうねりに、瑞穂の心は、どろどろと他愛なくとろけていった。
 先ほどの、鋭い苦痛に似たそれとは違う、柔らかく温かな快感が、瑞穂の中に溢れていく。
「や、あ……やぁん、いやぁ……」
 それでも、抵抗しているのだという姿勢を、形だけは崩さない。しかし、その媚びるような声音には、一片の説得力も感じられなかった。
 今や瑞穂は、無理矢理に感じさせられる自分というものに陶酔するためだけに、否定の言葉を口にしている。
 そんな瑞穂が愛しくてたまらないように、林堂は、ことさらに大きなストロークで瑞穂と自分自身の快感を高めていった。
 その快感に瑞穂が身悶えるたびに、ぎちっ、ぎちっ、と縄がきしみ、みずみずしいその肌に食い込む。
 瑞穂は、全身を犯され、陵辱されているような感覚に、もはや言葉を忘れていた。
 はあぁっ、はあぁっ、という甘い喘ぎだけが、その可憐な唇から漏れる。
 林堂も、もう、何も言わない。
 ただ、ひたすら高まっていく快楽に、ふたりともその身をゆだねている。
 きゅうん、きゅうん、と瑞穂の膣道が収縮し、靡粘膜がざわざわと蠕動した。
「く……っ」
 瑞穂が、無意識にもたらしているであろうその快楽に、林堂は奥歯を噛んで耐える。
 そして、ぐっと椅子の背もたれを握り締め、ぐりぐりと腰をグラインドさせた。
「ンはっ……!」
 瑞穂が、白い喉をのけぞらす。
 そして、ますます激しく蠢く膣内の動きに逆らうように、林堂は、ピストン運動を瑞穂の中に送り込んだ。
「は、ああ……ああァ……ンああああああアっ!」
 喘ぎが高い声に変わり、歓喜の悲鳴になる。
 林堂は、そんな瑞穂の声と、縄のきしみを聞きながら、ぐいぐいと激しく腰を動かし続けた。
 微細な襞がいやらしい粘液にまみれながらシャフトにまとわりつき、ぎゅっと優しく締めつけながらもざわざわと刺激している。
「く……う……っ……!」
 必死で射精をこらえる林堂のペニスが、まるで独立した生き物のように、びくびくびくっ、と脈動した。
「あいっ……! い、ひあ、ひあああっ!」
 その動きを感じながらも、その身を拘束された瑞穂は、声をあげることしかできない。
 抱き締めることも、腰を浮かすこともできない代わりのように、見かけによらず貪欲な瑞穂の蜜壷は、林堂のペニスを奥へ奥へと引きこもうとした。
「ぐっ……!」
 もう、限界だった。
 林堂が、獣のように一声うなり、ひときわ強く、ペニスを瑞穂の中に打ちこむ。
「ン――あアッ!」
 瑞穂の膣の一番奥で、林堂のペニスが、激しく射精した。
 熱い粘液のかたまりが、子宮口の辺りではじける。
「あ、あああ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああーッ!」
 瑞穂は、びゅくびゅくと律動しながらスペルマを放ち続ける林堂のペニスを体内に感じながら、三度目の絶頂を迎えていた。



 瑞穂が、生温かな闇から意識を取り戻したとき、まだ、緊縛は解かれていなかった。
 それどころか、林堂は、目の前で何やら凶悪な責め具を、ごそごそと準備している。
「な、何してるの? 智視ちゃん……」
 色々とコードにつながったプラスチック製の器具を手にしている林堂に、瑞穂は、かすかに震える声で訊いた。
「いや、ちょっとこれから考え事するから」
 林堂は、爽やかな笑みを浮かべて、言った。言いながら、瑞穂の左の乳首にピンク色のローターをあてがい、絆創膏でぺたりと貼りつける。
「瑞穂がその間、退屈しないようにと思ってさ」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとお!」
 そんな瑞穂の言葉に耳を貸さず、林堂は、右の乳首にも、そのうずらの卵大の振動器具を貼りつけた。
 本来ならコントローラーに伸びているはずのコードは、何か、手製らしいプラスチックの小さな箱につながっている。
 まるでタッパーのようなその箱には、いくつかのスイッチと、小さなつまみがあった。
「えーと、こっちは……ぐちゃぐちゃだな、こりゃ。貼りつけるのは諦めるか」
 そんな無遠慮な口調で、林堂は、未だ二人分の体液にまみれている瑞穂のそこを評した。
「それは、智視ちゃんのせい……ひゃぐっ!」
 ずるり、とバイブをそこに挿入され、瑞穂は抗議を中断してしまう。
 林堂は、そのバイブの根元に股縄を当て、抜けないように固定した。
 バイブのコードは、例によって、あの得体の知れない箱につながっている。
「ど、どうするの……?」
「瑞穂に、気持ちよくなってもらうだけだよ」
 不安げな顔の瑞穂を安心させるように、林堂は、その頬を優しく撫でた。
「スイッチが入りっぱなしだと、飽きちゃうし、感覚も麻痺するだろ。だから、一定時間でスイッチが入るように、タイマーをしかけてある」
「そんな……」
 息を吸い、声をあげかける瑞穂の口に、林堂は、容赦なくボールギャグを突っ込んだ。
「ぅぐ……!」
 くぐもった、ほとんど聞き取れないような悲鳴をあげる瑞穂の頭に、手馴れた様子で、ギャグを固定する。
「縄には手ぬぐいの方が合ってるんだけど、持ち合わせがなくてさ」
「う、ううー、ふぅー!」
「じゃ、俺は隣の部屋にいるから」
 そう言って、林堂は、箱のスイッチを、いくつかオンにした。
 まだ、ローターとバイブは、振動を始めない。
 瑞穂は、見開いた目に涙を浮かべて、箱と林堂とを交互に見つめている。
 と、その体が、びくっ! と痙攣した。
 ぶうううう……ん、と複数の振動音が、室内に響く。
「ふ、うううう! ンうううーッ!」
 強制的に送り込まれる無機質な快感に、瑞穂がむちゃくちゃにかぶりをふる。
 林堂は、やや名残惜しげにそんな瑞穂から目をそらし、そして、隣室に至るドアを開けた。
「――! ――!! ――!!!」
 早くも絶頂を迎えてしまった瑞穂の気配を、背中に感じる。
 林堂は、一度だけ立ち止まったが、それでも振り返らず、隣室に入って、ゆっくりとドアを閉めた。


解答編

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