2016年6月22日(水)

「国会で表現規制反対のために奮闘してくださってる山田太郎議員に投票するためにはどうしたらいいんだろうと思ってちょっと調べたら“山田太郎に投票するにはどうしたらいいの?”っていうtogetterまとめがあって吹いた」
「そのままズバリですね」
「オレみたいな政治音痴にはありがたい世の中になったもんだよ。ちなみに、ドカベンって書いても得票にならないそうだから注意だな」
「当たり前ですよ」
「あと、よく似た名前の別の人がいることにも注意だな」

2016年6月20日(月)

「あんきら尊い」
「いきなり何を言いだすんですか」
「いや、ニコ動で素晴らしいあんきら動画を見てね」
「はぁ……」
「そもそも杏の“働いたら負け”っていう主張は、神が知識の木の実を食ったアダムに下した罰――“お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ”とか“お前は顔に汗を流してパンを得る”という呪いへのアンチテーゼであり、原罪という概念に対する弾劾なわけだ。その一方で現代社会における人間は、額に汗しないまでも何らかの形で収入を得て日々のパンを得ないことにはやはり生きていくことができない。働いたら負けだけど働かないと死んでしまうという閉塞状況。働きたくないのに飴を与えられてアイドル稼業に勤しんでしまう杏の矛盾。しかしきらりは、杏と対極の生のエネルギーに満ちた存在でありながら、その存在全てでもって杏の抱える矛盾を肯定し、受容する。罪と罰という父性社会的価値観ではなく、ハピハピ――つまり幸福という価値観で人の生を肯定するのだ」
「いや、ええと……」
「きらりの肯定・受容は、“小さく可憐なもの”への好意に基づくものだ。きらり自身は“小さく可憐なもの”ではなく、そして自分がそうなることがけして叶わないということを知っている。しかしきらりは同時に人生を幸福にする方法も知っている。ゆえに、“小さく可憐なもの”に強い憧れを抱いても、それを妬みに変えてしまうようなことは一切しない。“小さく可憐なもの”に自らがなることは諦めても、その諦念が絶望や自己憐憫に変わることはない。むしろきらりは“小さく可憐なもの”が好きな自分を全力で肯定する。それこそが幸福、ハピハピだからだ。そして、徹底的に他者である“小さく可憐なもの”に向けられるきらりの憧れや好意は、自己愛や自己憐憫が一切混入しない、純粋な母性愛へと蒸留される。すなわち、きらりの母性を導き出したのは“小さく可憐なもの”である杏であるとも言えるわけだ。そして、そんなきらりの母性こそが、現代社会に生きるすべての人が渇望する癒しであり、あんきらの尊さの源泉とも言えるわけだ」
「いや、本格的に何言ってるんですか?」
「しかしこのことを徹底的に論じるには時間があまりにも足りない。なので今日はこの辺で」

2016年6月14日(火)

「先日iphone SEが届いたんで、今日、ようやく機種変更の手続きをしてみた」
「それにしても、アイフォンの5とSEってそっくりですねえ」
「色と、あとホームボタンがちょっと違うって感じかな。キーボード付きケースを流用したかったからこれを選んだんだけど……今になってみると、画面が大きくならなかったことがちょっとさみしいなあ」

2016年6月6日(月)

「ううぅ……またamazonで同じ本を注文してた……」
「ですから、この本注文しましたよって表示が出るんじゃないですか?」
「いや、今回は通常版とDVD付特装版だったんで、たぶんそれが出なかったんだよ……」
「――今の私たちの会話だけで、ご主人様が何を二重注文したのかは、ほぼバレちゃうでしょうね」

2016年6月2日(木)

「『借り妻―今夜、兄嫁と寝ます―』の作品ページ等へのリンクをトップに張らせていただきました」
「これは人妻寝取りものなんですね」
「自分が担当したのはシナリオの一部ですが、できるだけエロくなるよう頑張りました! 寝取りモノも好きだし!」
「ご主人様って本当に節操がないですねえ」
「前々から言ってるけど、歳を重ねていくにつれ、ヒロインの年齢層的な意味でのストライクゾーンも広がっているような気がする。今作のメインヒロインのさゆりさんも好きだけど、そのお母さんの朱美さんのシーンも書いてて楽しかったからねー」