出たとこロマンサー



第十章



 魔法って何だと思う?
 クラークの第三法則とやらによれば、充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かないんだそうだ。
 じゃあ、科学技術と魔法の共通点にこそ、魔法ってモノの本質があるんじゃないだろうか。
 さて、その共通点は何かというと、ヒトの希望や願望や欲望――言葉を飾るなら“想い”を具現化することだと思う。
 想いが、理解可能なシステムで実現されれば科学技術。
 理解不可能なシステムで実現されれば、魔法。
 となると、魔法のシステムをきちんと理解している魔法使いは、実際は科学者なんじゃないかとも思うが、とりあえず、今大事なのはそのことじゃない。
 俺の手の中で不気味に震える、この真っ黒い剣に関することだ。
 こいつは、魔法の剣だ。しかも、かなりご大層なバックボーンがあるらしい。おそらく、精霊だの堕天使だの多元宇宙だの、そういったイカガワシイ何ものかが、こいつから噴き出す炎の出所なんだろうけど、まあ、それはいい。
 じゃあ、はたして、このサタナエルの剣――またの名を魔剣ベリアル――から迸る火焔をどういうカタチにするかは、何が決めているのか。
 ずばり、それは、俺の“想い”だろう。
 それを、俺はあの対トロール戦で実感した。
 俺が強く念じたとおりに、この魔剣は炎を操る。
 もちろん、魔剣が宿したパワー以上のことを心に浮かべても、それは無意味に終わるだろう。
 だから、俺がすべきことは、これまで無意識のうちに叩き出していたサタナエルの剣の魔力を計りつつ――強固に、具体的に、イメージを展開することだ。
 言わば、イマジネーションの勝負。
 今、俺の後ろを、ゴブリンの追撃をかわしつつ走る、ニケをはじめとする騎士達の運命は、俺自身の妄想力にかかっている。
 なあ、そうなんだろ、相棒――
 俺のイメージは、これだ。サタナエル、いっちょ実現させてみろ――!



 町を出ると、前方に空間が広がっていた。
 森に囲まれた畑。青白い月に照らされた風にそよぐ麦が、まるで、波打つ沼の水面のように見える。
 そして――森の木々の間から、ゴブリン達が現れた。
 皆、その手に、矢をつがえた弓を構えている。
 ゴブリン達の中央に、片目の潰れたその顔を外気にさらした、黒騎士リルベリヒの姿があった。
 それを見て取るのに、数秒――
「撃てっ!」
 はたして、そのリルベリヒの号令は、実際に聞こえた声だったのか、それとも幻聴か。
 ともかく、次に響いた、無数の弓矢が風を切る音は――現実だった。
 次々と町から脱出する騎士達の命を奪うべく、まさに突然の豪雨のように、一斉に弓矢が襲い掛かる。
 全て――予想通り。
「サタナエルっ!」
 俺は、斜め上に掲げた魔剣に呼びかけ、自らのイメージを右手を通して送り込んだ。
 しゅばっ! という音とともに、サタナエルの剣から幾百もの火線が迸る。
 それは、まるで花火のように飛び散り――宙を飛来するゴブリン達の弓矢を迎撃した。
 高熱によって一瞬にして炭化した矢が、勢いを失いながら、単なる火の粉となって地面にへろへろと落ちる。
 弾道弾迎撃ミサイル――そんな概念がこの世界にあるかどうかは知らないけど、サタナエルの奴、うまくやってくれたようだ。
「ニケ、号令!」
「あ、ああ――全軍、敵は前方! 突撃っ!」
 振り返って叫んだ俺の言葉に、ニケが、よく通る声を張り上げる。
 アンブッシュを無効化された弓兵に対し、騎兵で襲撃――敵は、射撃でひるんだこっちを前後から挟撃するつもりだっただろうから、戦場予定地である前方に落とし穴などの罠は無いはずだ。
 だから、勝機は、次の斉射が来る前に、接敵できるか否か。
 敵までの距離はけっこうある。しかし、こちらの速度が有限なら――相手の射撃を遅らせればいい。
「うおぁあああああああああああ!」
 俺は、意味不明の叫び声を上げ――そして、サカモトに跨ったままリルベリヒに肉薄する自分の背中を、見た。
 意識が、止まった時間の中で、自らの体に追いつく。瞬間移動だ。
 次の射撃を命令される前に、俺は、リルベリヒに肉薄し、漆黒の刀身を振り下ろしていた。
 ぎぃいン!
 ゴブリン達の驚きの声に、金属音が重なる。
 俺は、一度距離を取ってから地面に飛び降り、イシュタルの剣を構えるリルベリヒと対峙した。
「あの少年か――」
 リルベリヒの残った右目が、奇妙な光を湛えながら、俺を睨みつけてやがる。
「まだ生きていたか。魔剣の使い手である以上、殺すつもりでイシュタルの剣の力を使ったのだがな」
「ああ、そうかい」
「二度目の奇跡は無いぞ、少年」
 物騒なことを言いながら、リルベリヒは、俺との間合いを詰め始めた。
 周囲で、叫び声が交錯する。ニケの率いる騎士達が、あたふたと弓から接近戦用の武器に持ち替えるゴブリン達に襲いかかったのだ。
 だが、魔剣を構える俺とリルベリヒの間に割り込むような奴は、どちらの軍勢にも存在しない。
「ここが正念場だ! 今、奴らは烏合の衆だぞ!」
 ニケが、剣を振るいながら、騎士達を叱咤する。
 ニケの言葉どおり、ゴブリン達の動きは全く統制が取れていない。戦場を右往左往しているうちに、各個に騎士の剣を受け、土くれへと還っていく。
 まあ、親玉がここで俺と向き合っているだけなんだから、これは当然の展開と言えるだろう。
「一人で指揮と一騎打ちの両方をこなさなくちゃならないってのが、あんたの弱点だな」
「きいた風なことを言う」
 ふん、と鼻を鳴らしてから、リルベリヒの奴は、あろうことか、俺から視線を逸らしやがった。
 その視線の先は、騎士達を率いて戦うニケの横顔に注がれている。
「麗しいな、私の姫は――彼女には、やはり戦場がよく似合う。いずれは私の傍らで戦ってもらおう」
「こっち見ろコノヤロウ」
 俺は、そう言って、奥歯を噛み締めた。
 リルベリヒが、俺の方に向き直り、ニヤリと口元を歪めた。
「誘いには乗らぬか……。てっきり、激昂して飛びかかってくると思ったが」
 そう言うからには、リルベリヒの奴、俺の攻撃に対してカウンターをかますつもりだったのだろう。
「少しは成長したようだな、少年」
 リルベリヒの口調は、あくまで偉そうだ。男子三日会わざれば刮目して見よ――って、知らねーか、こんな言葉。
「なかなかの面構えだが――人を殺す覚悟はできたか? 私はゴブリンのような土人形とは違うぞ」
「ゴブリンと、あんたや俺との間に、大した違いなんてないだろ。みんな、我を通すために武器を振り回して戦争なんてやってる馬鹿者だ」
 俺の言葉に、リルベリヒが、片眉を吊り上げ、不審げな顔を作る。
「――だから、本当だったら、あんたも殺せると思う。けど、殺さないでやるよ」
 俺は、リルベリヒの表情に構うことなく、言葉を続けた。
「何の謎掛けだ、少年」
「自分で考えろ!」
 踏み込みざまに、サタナエルの剣を大上段からリルベリヒの脳天へ振り下ろす。
 リルベリヒは、危なげの無い動きで、俺の一撃をイシュタルの剣で受け止めた。
 そして、リルベリヒが、その膂力に物を言わせて俺の剣を押し戻し、そのまま強引に攻撃を放ってくる。
 俺は、素早く後退し、イシュタルの剣を避けた。
 ここまで、まるきり予想通りの展開だ。
「とおうっ!」
 リルベリヒが、気合とともに剣の速度を上げていく。
 その刀身から、まるで毒蛇のような形をした黄金色の光が溢れ、剣先を避け続ける俺の喉笛に食らいつこうとした。
「くらあっ!」
 下から上へと振り上げたサタナエルの剣が炎をまとい、光の毒蛇の胴を切断する。
「りゃあっ!」
「うわぁっ!」
 リルベリヒが突き出したイシュタルの剣から、まるで神話に出てくる多頭の怪物のように、何匹もの光の蛇が出現し――それを、サタナエルの剣から迸った炎の矢が迎撃する。
 光と炎がぶつかり合う中、俺とリルベリヒは、互いの攻撃を漆黒の刀身で受け止めた。
 ぎぃん! ぎぃん! ぎぃん! ぎぃん! と、刃が、火花を散らしてぶつかり合う。
 剣技は、比ぶべくも無く、リルベリヒの方が上。
 回避力は、瞬間移動でズルしてる分だけ、俺の方が上。
 そして、互いの振るう悪魔の名を冠した剣の力は、おそらく互角。
 となると――俺の作戦が、果たして有効かどうかにかかってくるわけだが――
 不意に、背筋に悪寒を感じ、俺は大きく頭を下げた。
 頭上を、ぶん! 唸りを上げながら手斧が通過する。
 俺を狙っての攻撃だったのか、それとも、騎士の剣から逃げるゴブリンが慌てて投げ出した物なのか、それすら判然としない。すでに、周囲では乱戦になっている。
 ともかく、この隙を見逃すリルベリヒではなかった。
「うおおっ!」
 ぶうん、と唸りを上げて弧を描くリルベリヒの剣先が、俺の左の肩当てを弾き飛ばし、肩をかすめる。
「ぐわぁああああああああ!」
 まるで、腕を付け根から引き千切られたような激痛に、俺は、獣じみた声を上げた。
 イシュタルの剣による毒が体組織を侵し、動きが――いや、思考すら停止して――
 気を失いでもしたら――それで――全て終わり――!
「ああああああああああッ!」
 失神する前に大きく飛びのき、俺は、激しく痛む左の肩にサタナエルの剣を押し付けた。
 じゅーっ――という音が響き、そして、肉の焦げる匂いが漂う。
 咄嗟に思いついた、熱による乱暴な消毒――だが、それでも、火傷の痛みの方が、イシュタルの剣の毒がもたたす激痛より、数段マシだった。
「ほう……」
 リルベリヒが、感心したように声を上げる。
 一方、俺は、辛うじて両手でサタナエルの剣を構え直しながら、肩で息をしていた。
 あの、目の眩むような痛みからは解放されたが、それでも、手負いの状態には違いない。
 少し動かすだけで、左の肩に、引きつるような痛みが走る。
 それに、心臓の鼓動が不規則だ。まだ、体の中に毒が残っているのかもしれない。
 それでも、何も分からないうちに気絶して、そのまま死んでしまうよりはマシな状況だ。
「なかなかの覚悟だな、少年」
 そう言いながら、リルベリヒが、剣を構え直す。
「だが――不充分だ!」
 びゅっ! と風を切り、真横からイシュタルの剣が俺を襲う。
 俺は、半ばサタナエルの剣に操られるまま、その攻撃を上方に受け流した。両手が、じん、と痺れる。
 一瞬後、宙で翻った漆黒の剣が、俺の首を狙った。
 左肩の痛みなど気にしている場合じゃない。俺は、無我夢中で、リルベリヒの攻撃をサタナエルの剣で弾き続けた。
 火花と、光と、炎が、宵闇の中、俺とリルベリヒの顔を照らす。
「くそおおおっ!」
 僅かに生じた間隙を突き、両手に握った魔剣を振るう。
 だが、リルベリヒは、俺の攻撃を余裕のある動きで受け止めた。
「無駄だ、少年――やはり、貴様には私は倒せん」
 リルベリヒが、鍔迫り合いの状態から、どん! と俺を突き飛ばし、そのまま強烈な突きを放ってくる。
 俺は、サタナエルの剣を跳ね上げ、刀身に刀身をぶつけることで、どうにかその一撃を逸らした。
 剣先の後に襲ってくる光の蛇を、ほとんど俺の鼻先で、炎の壁が防ぐ。
「貴様の剣には、まるで殺気が感じられん。殺すつもりのない攻撃など、気に止める必要もない」
 その言葉どおり、リルベリヒは、悠々とした動きで、俺への攻撃を続けている。
 一方、俺は、傍目にはもはや防戦一方に見えるのに違いない。
「買いかぶり過ぎたな――貴様は、成長などしていない。私の潰れた左目の隙を突くことすら、できないとはな!」
 ガキン! ガキン! という、魔剣の刀身がぶつかり合う音に負けないくらいの声で、リルベリヒが吠える。
「あの姫の隣に立つだけの資格すらない――。貴様は、私が彼女を花嫁として迎えるのに、血の花を添えて祝すればいい!」
 リルベリヒの斬撃に、さらなる力が込められていく。
 俺は、左右に剣を振るい、奴の攻撃を何とか弾き飛ばし続けた。
 畜生――まだか――まだなのか――?
 俺の待ち続けるその時が、いつ訪れるのか――
 そう、俺はある事を待っている。待ちながら、どうにか、自分の命を永らえているのだ。
 その時が果たして来るのかどうか、何の保証もない。しかし――明らかに剣技で劣る俺には、この方法しか――
「――まさか、私の体力が尽きるのを待つ戦法か?」
 がつッ! と剣と剣を合わせつつ、リルベリヒが、俺の顔を右目一つで睨む。
「攻め疲れを狙おうとは――私も甘く見られたものだ。第一、貴様の息が上がるのが先だぞ」
 ギリギリと合わせた剣で俺を押し込みながら、リルベリヒは、口元を歪めた。
 侮蔑と、そして失望の入り混じった嘲笑。
 俺は、せめて、そのリルベリヒの顔を、正面から見返した。
「それとも、疲労した私を、他の騎士が討ち取るのを期待しているのか? 何とも浅ましい――貴様のような男に頼らねばならない我が姫が哀れだ」
「う――うるせえッ!」
 俺は、一歩退き、黄金色の光をまとったリルベリヒの剣を、サタナエルの剣で弾いた。
 そして、遮二無二、漆黒の魔剣を繰り出す。
 リルベリヒは、悠々と、俺の連撃を自らの剣で受け止めた。
 この世のものならぬ金属を、同じく異界の金属で叩く感触に、両手が骨まで痺れる。
 それでも、俺は、サタナエルの剣を振るい続けた。
 しかし――俺の剣先は、リルベリヒの体をかすめる気配すらない。
「ここまで下らぬ男とは――興醒めだ」
 鳴り響く金属音の向こうから、リルベリヒが言う。
「この期に及んで、私の腕を落とすだけの気迫すら無い――不甲斐ないにもほどがある。これが、我が片目を奪った姫の戦士とはな」
 もはや、リルベリヒの顔に浮かんでいるのは、苛つきを伴った静かな怒りだった。
 奴の言う通りだ。このまま、何回打ち合っても、俺の攻撃はリルベリヒにかすりもしないだろう。
「貴様には、名誉ある死を迎える資格はない。その魔剣を置いて戦場を離れ、自ら命を断つがいい」
「う・る・せええええええぇーッ!」
 渾身の一撃。硬く鋭い音と、その残響。飛び散る光と炎。
 そして――俺は、待ちに待っていた気配を、サタナエルの剣を通してようやく感じ取ったのだった。
「ぬ……」
 不審げな、リルベリヒの表情。
 もう、気付いたか――それとも、まだ疑惑の段階か――ともかく、今は、攻め続けるしかない。
 そうだ。俺は攻めている。リルベリヒの野郎の最大の弱点を。
 俺は、腰の捻りまで加えたフルスイングで、リルベリヒの首筋にサタナエルの剣を叩きつけようとした。
「くっ……!」
 がきぃン!
 リルベリヒが、イシュタルの剣で、俺の攻撃を受ける。
 俺の、目論見どおりに。
「少年、貴様は、まさか――」
「うおりゃああああああああああ!」
 リルベリヒのセリフを遮るようなつもりで、俺は、なおも剣を振るった。
「くぅうううっ!」
 リルベリヒが、俺の剣を避け、後方に退く。
「逃がすかぁ!」
 ショートレンジの瞬間移動で、踏み込みの足りない分を補い、剣を振り下ろす。
 リルベリヒが右手に持つ――イシュタルの剣に。
「うおっ!」
 ぎぃいいいいいいいン、と、さきほどまでとは明らかに違う音が、夜気を震わせる。
 それは、まるで、剣が上げる悲鳴のように聞こえた。
「もう一丁っ!」
「よ――よせっ!」
 制止の言葉を叫びながらさらに下がるリルベリヒを追い、俺は、またもイシュタルの剣にサタナエルの剣を叩きつけた。
 ぎぁあああああああン! という奇怪な不協和音を聞きながら、リルベリヒが表情を歪める。
 ――いけますよ。
 そう、どこか愉快そうな声を、耳ではなく、サタナエルの剣を握った両手で聞く。
「どりゃああああああああああっ!」
 俺は、さらに数度、リルベリヒの剣に目がけて、自らの剣を叩きつけた。
 リルベリヒは、自身の剣に対する攻撃を、さばききることができない。
 いつしか、俺は、リルベリヒを、巨大な木を背負わせるような位置にまで追い詰めていた。
 よし、このまま――奴の自慢の剣を叩き折ってやる。
 リルベリヒが、いつからイシュタルの剣を操っていたのかは、俺にも分からない。だが、その言動から、奴がどれほどその魔剣を頼りにしているかは、伝わってくる。
 それでも、リルベリヒは、自らの魔剣が、他の剣によって叩き折られる可能性など、考えてもいなかっただろう。
 俺には人殺しはできないが、勝負は人殺しだけで決まるとは限らない。別の勝利条件を先に発見し、それに徹すれば、俺でも勝つことができる。
 魔剣は、この世ならぬ異界の炎によって鍛えられた、まさに悪魔の力を宿した剣だという。それは眉唾だとは思うが、それでも、単純な硬さだけ考えたって、そこらの鉄だの鋼だのの武器で、文字通り太刀打ちできる代物じゃない。
 そして――もし、リルベリヒが、かつて魔剣の使い手と戦ったことがあったにしても、まさかそいつは俺みたいなマネはしなかっただろう。
 魔剣の使い手は、普通、命の次に魔剣を大事にするはずだ。それが、強力なマジックアイテムを手にしたキャラの習性ってもんである。何しろ、失えば再び手にいれることは至難の業なんだから。
 しかし、俺は、はっきり言って、サタナエルの剣になんて未練は無い。今後も使えれば便利だろうくらいには思っているが、もし、ここでイシュタルの剣と共に折れてしまったとしても、いくらでも諦められるのだ。
 ――ひどい人に使われてるものです。
 そんなふうなテレパシーを飛ばしてきながらも、サタナエルのやつは、どこか楽しげだった。
 まあ、実際のところ、俺は、魔剣同士の相打ちを覚悟してはいるが、別に狙ってるわけじゃない。
 これまでも、サタナエルの剣の刃の部分で、イシュタルの剣の平らな部分を打ち続けてきた。もし、そのダメージの蓄積を活かせれば――
 がきン!
 ぎょわぁあああああっ! という、デタラメに掻き鳴らされたエレキギターのような悲鳴。
 見えた。イシュタルの剣の平に、サタナエルの剣の刃が食い込んでいる。
「き、貴様らっ!」
 背中を大木に付けたリルベリヒが、片方だけの目を血走らせ、周囲のゴブリン達に叫んだ。
「――撃て! こいつを撃てっ! 弓だけではない! 斧でも槍でもいい。こいつを殺せ!」
 その声が終わるか終わらないかのうちに、俺に、ゴブリンどもの矢や武器が殺到する。
「サタナエル!」
 ごう! と音をたて、俺の体の両脇から、放射状に炎が噴き出た。
 それが、まるで車輪のように回転し、飛来する弓矢や手斧、手槍などを、次々とはたき落とす。
 外から見れば、それは、まるで火で形作られたチャリオットのように見えるかもしれない――
 などということを考える暇もなく、俺は、なおもサタナエルの剣を振るい続けた。
「ぐおおおおおおおおおおおお!」
 リルベリヒが、手負いの獣のような叫びを上げながら、イシュタルの剣を振り下ろす。
 自らの剣を折られる前に、俺を倒してしまおうという、そういう魂胆だろう。
 正しい。しかし、その決心は遅すぎだ。
 俺の脳天に振り下ろされるその黒い剣に、真横からサタナエルの剣を――
 ぎぃいいいいぃ――んんんんんん……!
 漆黒の刃が、硬い残響で夜気を震わせながら、宙に舞った。
「う、あ、あぁぁ……」
 がくりと、リルベリヒが大木の根元近くに膝を落とす。
 そして、信じられないような目で、先端から三分の一ほどの場所で刀身を折られた、自らの魔剣を凝視した。
 周囲のゴブリンたちが、完全に逃げ腰になっている気配を感じながら、俺は、自らの剣先をリルベリヒに突き付ける。
「続けるか、それとも降伏か?」
「き……貴様っ……!」
 屈辱に歯を食いしばりながらも、リルベリヒは、立とうとはしなかった。
 イシュタルの剣からは、未だに毒蛇の形をした金色の光が立ちのぼり、鎌首をもたげているが、その様は、どこか弱々しく見える。
 リルベリヒ自身は未だ健在だが、奴の魔剣の方は、すでにその力の半ばを失っているようだ。もはや、サタナエルの剣の敵ではないだろう。
 リルベリヒが剣を捨てるのならそれでよし。だが、まだ戦おうとするなら――イシュタルの剣の漆黒の刀身を、根元から叩き折ってやる。
 俺のその気持ちを読み取ったかのように、サタナエルの剣が、俺の手の中で、うずうずと脈打つ。何というか、こいつ、どうやらイシュタルの剣とは仲が悪いようだ。
「さあ――」
 一歩踏み出し、リルベリヒの動きを促す。
 と、その時――頭上の太い枝から、小さな影がリルベリヒ目がけて飛びかかった。
「父さんの仇ぃーっ!」
 頭上にナイフを振り上げ、落下しながらそう叫んだのは――スウと同じくらいの年の子供だ。
「うおああああっ!」
 リルベリヒが、どこか悲鳴じみた声を上げながら、その左腕を振る。
「ぎゃん!」
「わあっ!」
 空中でリルベリヒに弾き飛ばされた子供の体が、俺にぶつかった。
 もつれあって倒れる子供と俺に目もくれず、リルベリヒが立ち上がり、頭上に剣をかざす
「イシュタルっ!」
 その場に黄金色の光が溢れ、いつか見た、青い角をした金色の牛がその場に出現した。
 だが、牛の背中に生えた羽根は奇妙に折れ曲がり、右の前足は根元から無くなっている。その上、そいつの顔は半分が削げ落ち、暗赤色の不気味な断面を見せていた。
 リルベリヒが、傷を負ったその牛の背中に跨がる。
「逃げるのかっ!」
 俺は、そう叫びながら、失神したらしい子供の体を押しのけ、立ち上がった。
 そして、サタナエルの剣を、翼のある牛に突き出す。
 牛は、一声唸りながら俺の剣を避け、そのまま走りだした。
 逃げ遅れた何体かのゴブリンを蹴散らしながら、牛が、巨大な翼をはばたかせる。
 そして、その黄金色の巨体は、折れた剣を携えたリルベリヒを乗せたまま、ふわりと宙に浮いた。
 リルベリヒは、こちらを見る事なく、捨て台詞すら残さない。
 俺は――夜空の中を大儀そうに飛びながら、次第に小さくなっていく金色の牛を、茫然と見つめた。
 逃がした――リルベリヒを逃がしちまった――
 ちくしょう……またとないチャンスだったのに……
 そう思いながらも、リルベリヒと戦い終えて、それでもまだ生きているということの安堵が、俺の気力を萎えさせていく。
 それにしても、この、足元に転がった子供は、いったい……
「トール、無事か!?」
 いきなり、視界に竜馬に乗ったままのニケが現れた。
「ああ、ニケこそ、ケガとかしてないか?」
「ったりまえだろ!」
 アイアケス王国第二王女は、ひらりと愛馬から飛び降り――そして、いきなり俺の体に腕を回した。
「ニ、ニケ!」
「トール……っ!」
 ぎゅーっ、と、ニケが、痛みすら覚えるほど強く、俺の体を抱き締める。
「アンタ、勝ったんだな、あの、黒騎士に」
「あ、ああ……結局、逃がしちまったけどな」
「いいんだ……アンタが無事だったら」
 そう言って、ニケが、抱き着いてきた時と同じくらい唐突に、腕をほどいた。
 そして、どこか決まり悪げに、視線を逸らす。
 つられて周囲を見回すと、すでにゴブリンはほとんどが逃げ去っており、騎士達が、俺達の周囲に集合しつつあった。
 ああ、勝ったんだな……俺達……
 そう思うと、さらに一層、気が抜けてしまった。
 騎士達が、ニケに状況を報告し、ニケが、てきぱきと命令を下している。もう、俺の出る幕も無さそうだ。
 俺は、全身を包む疲労感にようやく気付き――座って少し休もうとしたところで、そのまま仰向けになってしまった。
 木の枝の間に、星の無い夜空が見える。
 何人かの騎士と、そしてニケが、何やら俺に呼びかけてるのをぼんやりと聞きながら――俺は、眠りについてしまった。



 人生、山あり谷あり、という言葉はいささか聞き飽きた感じだけど、何度も繰り返し言われるということは、それだけ真実に近いってことなんだろう。
 個人的には、できるだけ平坦な道を楽して歩きたいとも思うんだが、そういうわけにはいかないらしい。それに、初めから終わりまでだらだら緩い上り坂が続くだけ、というよりは、起伏に富んだ山道の方が楽しいかもしれない。少なくとも、景観はいいだろう。
 かつて一つの山を越えた自分を、そんなふうに鼓舞しながら、俺は、今、次の山を見据えている。
 胸に去来するのは、一つの困難を乗り越えても、油断はならない、という自戒だ。
 つまり、何が言いたいかというと、一学期の中間テストが終わって一息ついたと思ったら、もう期末テストの時期だということである。
 暢気な校風に安穏としていた俺は、先の中間テストの最中、次々と襲いくる難問に火だるまになってしまった。その反省もあって、現在、週末の休みだというのに、真面目に勉強しているわけだ。
 そして、俺よりもさらに何もしていなかった揚げ句に爆発炎上してしまった芙美子が、現在、俺の目の前でノートを広げている。つまり、テスト対策の勉強会ってわけである。ちなみに、場所は俺の自室だ。
 今年は空梅雨なのか、窓の外では、一足先に夏仕様となった太陽がギラギラ輝いている。
「うむむむむむ……」
 芙美子が、難しい顔をしながら、シャカシャカと音をさせてノートの上にシャーペンを走らせている。
 漢字か英単語の書き取りにしては妙な様子だなと思って覗き込んだら、ノートには、びっしりとラクガキがされていた。
「――何覗いてんのよ、スケベ」
 芙美子が、視線だけ上げて俺を睨み、そんなことを言う。
「そういう問題じゃねーだろ。勉強しろよ。そんなもん描いてどーいうつもりだ」
「いや、ちょっと現実逃避をね」
「自分で言ってりゃあ世話ねえな」
「中間テスト、かなりヤバかったから、また今度赤点取るとマジでピンチなのよ。お父さんに、漫研の部活やめろって言われるかも」
 相変わらず、芙美子の奴、あれだけ傍若無人なくせに、親父さんには弱いんだな。
「そんな状況なんだもん、現実逃避したくなるのも無理ないでしょ」
「半分は分かるような気がするが、そういうわけにもいかんだろうに」
 俺は、ふー、と一つ溜め息をついた。
「ホント、お前って漫画バカだよな」
「むふふー」
 俺の言葉に、芙美子が、何だかやらしー感じの笑みを浮かべる。褒め言葉だと思ってるらしい。
 そして、実は俺も、褒め言葉のつもりでバカと評したのだ。
 これだけ状況が悪いというのに、それでもなお漫画を描き続ける。それって、何だか沈みゆく巨大豪華客船の甲板でお客の心をなだめるために演奏を続ける楽団みたいでカッコいいじゃないか。
 告白すると、俺は、子供のころから、それだけ打ち込める何かを持っている芙美子が羨ましかった。羨望のあまり、何度かアシスタントをさせてくれと言ったくらいだ。そのつど断られてきたんだけどな。
 まあ、それはさておき――
「で、一番ヤバいのはどの教科なんだ?」
「理数系。特に化学が最悪」
「烏丸先生が泣くぞ。担任だし顧問でもあるんだから、少しは義理を果たせよ」
「でもさあ、これから生きていく中で、高校の化学とか物理とかって何の役に立つわけ?」
「そうだなあ……」
 俺は、思わず腕を組んだ。
「確かに、日常生活で化学式だの物理法則だのを使う場面が来るとは思えないけど……でも、論理的にものを考える訓練にはなるんじゃないか、って、俺の叔父さんが言ってたな」
「あんたの叔父さん、何してるヒト? まさか学校の先生なんて言わないでよ」
「よく知らないんだけど、ゲームとか作ってるらしい。いろいろなルートのストーリーを考える時、展開に矛盾が出ないよう気を使うんだとさ」
「それで、化学だの数学だのが関係してくるわけ?」
 自分の趣味分野と若干のつながりを認めたせいか、芙美子が、多少なりとも俺の話に興味を示す。
「さあな。いちばん役に立ったのは国語の授業だったって言ってたけど……でも、パズル的な展開になってくると、理数系の考え方が応用されることもあるんじゃないかね」
「フン、そもそも、理数系の考え方って要するに何なのよ。あんた、イメージだけで言ってない?」
「そうつっかかられても困るんだけど……」
 俺は、しばし言葉を探してから、再び口を開いた。
「もしかすると、偶然やご都合主義を持ち込まない、って感じじゃないかな」
「……どういうこと?」
「例えば、進化論てあるだろ? あれ、アメリカなんかじゃ否定してる人間がいっぱいいるらしいんだよ。聖書の内容と違うからってな。だから、人間が二本足で立って指が五本あるのも、神サマが自分に似せて人間を造ったからってことになってる。世界中で化石が見つかるのも、それは、大洪水の時に溺れ死んだ生き物だとか、人間の信仰を試すためにわざわざ造られたものだとか、そういうふうに言われてるらしいんだ」
「ずいぶんとこじつけめいてるわね」
「ああ、こじつけだろ。かなり無理のある話だと俺も思う。だけど、偶然だのご都合主義だのを無制限に持ち出せば、説明だけはつくわけだよな」
「…………」
「でも、俺らみたいな無信心な人間からすれば、どうにもそれはおかしいように思える。むしろ、単純な生き物が何億年もかけて複雑な生き物に進化したんだってストーリーの方が、理路整然としてて納得しやすいと思うんだ。何よりも、お話として面白いだろ」
「それは、ご都合主義じゃないから、って言いたいわけ?」
「まあな。何か不思議なことがある。それは、そういう不思議なことを起こす神サマなり何なりがそうしたからだ、なんてのは、ご都合主義だろ? 少なくとも、お話としてはもう少しひねらないとつまらないよな」
「確かに、いきなり伏線もなしにバカ強いキャラクターが現れて問題を解決していったら、面白くないもんね」
 そう言ってから――芙美子は、意味ありげに、ニヤリと笑った。
「……あんた、どうにかしてあたしに勉強させようと、そんな話持ち出してるんじゃない?」
「ん――まあ、実はそうだ。よく分かったな」
「分かるわよ。ぜんぜんらしくないこと言ってるんだもの」
 やれやれ。ちょっと俺自身の話の展開が強引すぎたか。
 しかし、芙美子の奴、少しでも漫画に絡むことじゃないと、全くモチベーションを持たないしなあ……
「お節介ね、あんたって」
 俺の考えを読み取ったかのように、芙美子が苦笑いを浮かべる。
「まあ、確かにお節介かもな」
「まったくよ。あたしが赤点取ろうが落第しようが、あんたには関係ないじゃない」
 芙美子のセリフ……何だか、ちょっと普段と言い方のニュアンスが違うな。いつもだったら、内容は同じでも、もうちょっとトゲを感じるもんなんだが。
「あんた、どうしてあたしにいつもお節介焼いてくれるの?」
 芙美子が、メガネのレンズの奥から、俺の顔を覗き込む。
 これは――何と言えばいいのか――疑問形のセリフではあるのだが、単なる質問とは違っているように思える。
 つまり、芙美子が、ある特定の答えを無意識のうちに期待しているような……
「……どうして?」
 質問が、重ねられる。
 その表情はいつもどおりの芙美子のはずなのだが、瞳の中に、妙に真剣な光が湛えられているような――いや、これは気のせいか?
 ともかく、いつまでも答えを保留していられる雰囲気でもないわけで……
「そりゃあ、小さいころからの腐れ縁だからな。腐っていても、縁は縁だ」
 はっきり言って、何の答えにもなっていない言葉で、とりあえずこの場をしのぐ。
「縁、ね」
 芙美子は、わずかにガッカリしたような表情を見せてから、フン、と鼻で笑いやがった。
「まあいいわ。お節介ついでに、ノート見せて。あたし、授業中ぜんぜんノート取ってなかったのよ」
「知ってるよ」
 そう言いながら、俺は、芙美子にノートを差し出してやった。
 勉強するつもりになったところを見ると、どうやら俺の回答は、赤点だけは免れたようだ。
 しかし……俺、いったいどんな答えを返せば、満点がもらえたんだろうな。

 



第十一章へ

目次へ