第九章
「桐花ちゃん、後悔しない?」
「……するわけがないです」
「そう……」
橘果姉さんの表情が、やや硬い。
でも、私の決心が、それで揺らぐようなことはなかった。
「でもね、あたしにも、この方法が最良かどうかは分からないわ。桐花ちゃんの気持ちは分かるけど……」
「そうですか?」
私は――たぶん、生まれて初めて――橘果姉さんに向けて、皮肉な笑みを浮かべた。
――アンタなんかに、ワかるワケがない。
「…………」
橘果姉さんが、その顔から表情を消す。
そして、小さく溜め息をついて、懐から針を取り出した。
充分に、届く――その長さに、ほんの少し、心が冷える。
だが、その冷えた心を、私は、意志の力でさらに凍りつかせた。
もう、いらないのだ。こんなものは……。
「じゃあ、いくわよ」
私は、橘果姉さんに小さく肯いてから、背中を向けた。
次の日も、その次の日も、塞川さんは、学校には来なかった。
担任の烏丸先生は、そのことについて、何の説明もしてくれない。
最初のうちは、みんな、寂しがったり、僕に何か知らないかと訊いてきたりしたけど――いつの間にか、彼女のことを話題にしなくなった。
もちろん、忘れてしまったわけじゃなくて、何となく、話題にしづらい雰囲気を感じ取ったのだろう。
そういうわけで、僕の隣の席が空っぽのまま、一週間が過ぎようとしていた。
萌木さんも、あれ以来、学校に姿を見せていない。
どうすることもできず、どうしていいかも分からないまま――金曜の夕方になった。
僕は、屋上に上がっていた。
いつか、ここで心ならずも大立ち回りを演じたことが、遠い昔のことのように思える。
僕は、フェンス越しに校庭を見つめつつ、大きな溜め息をついた。
少しずつ日は長くなっているけど、今日の空は曇りで、まだ冷たい晩冬の空気全体が、暗く淀んでいるように思える。
何度か、まだ学校に残っている生徒は早く帰るように、とのアナウンスが放送で流れた。
校庭で練習をしていた運動部の人達も、いつの間にか、姿を消してしまっている。
このままだと、昇降口が閉鎖されて、ちょっと厄介なことになる、と思いながらも、体を動かすのがおっくうだった。
塞川さんにも、萌木さんにも、そして、学校全体からも、取り残されているような感じ。
何かしなくてはいけないという焦りだけが、胸の中でぐるぐると回転し、僕の気持ちを擦り減らしていく。
こんなふうでいるうちに、いつか、本当に何もかも感じないようになってしまうんだろうか。
それとも、この胸の痛みだけが――塞川さんとの思い出になってしまうんだろうか。
僕は、塞川さんが好きだった。
会えなくなって気付いたわけじゃない。たぶん、初めて言葉を交わした時から、惹かれていた。
あの整った顔に浮かぶ静謐な表情が、何かの拍子に笑み綻んだ時――ただそれだけで、僕は、嬉しかった。
彼女と、わずかの間でも、時間を共有できたことが、今は、とんでもない奇跡だったように思える。
その彼女が――僕の胸を――ハサミで刺し貫いた。
それでも僕は生きていて、そして、あの生々しい感触すら、本当のことだったのかどうか、あやふやになっている。
だけど、もし、塞川さんが本当に僕を殺そうとしたんだったら――
彼女がそこまで追い詰められていたことに気付けなかった自分が、あまりにも不甲斐ない。
それとも、塞川さんは、全て計算の上で、僕を殺すために、一緒の時間を過ごしたんだろうか。
分からない。
まるで分からない。
分からないことがもどかしく、そして、情けない。
僕は――塞川さんにとって――何だったんだろう?
そんなことを思っているうちに日が暮れて、辺りは、本格的に暗くなっていた。
家に帰らなくちゃいけない。あの、誰も待っていない家に。
屋上の出入り口に近付いた時、そこから、がちゃがちゃという音が響いた。
「――――!」
思わず出入り口のある建物の陰に隠れた。
たぶん、見回りの用務員さんだ。見つかると、いろいろ困ったことになる。
でも、それにしては、鍵を開けるのに手間取っているような――
ぎい、と軋んだ音をたてて、ドアが開いた。
誰かが、屋上に来た気配がする。
それと同時に、急激に、空気が重くなった。
いや、そんなわけはないと分かっているんだけど、淀んでいた空気が、ねっとりと粘つき、沈殿しつつあるような、そんな感じがしたのだ。
薄暗い空がさらに暗くなっている。
じゃり、と、靴の底が屋上の床面を噛む音が響いた。
もう、これは――この気配は、用務員さんなんかじゃありえない。
僕は、壁の陰から、半分だけ顔を出した。
「っ!」
思わず、声を上げそうになる。
そこには――学校の制服を着た塞川さんの後姿が、あった。
その両手には、あの、大きな裁ちバサミが握られている。
そして、塞川さんの正面には、奇妙な黒い人影が立っていた。
「あ……」
思わず、声が震える。
塞川さんが対峙しているのは――人間じゃない。
似てるけど、違う。決定的に違う。あれは、人のカタチを真似た別のモノだ。
まるで黒い煙のようなものが、狂おしくうねり、渦巻いて、どうにか色と形を整えようともがいている。
そして、それは、おぞましいことに――塞川さんそっくりの姿をとろうとしていた。
黒い髪。白い肌。赤い唇。そして、両手に持った、鉄色の大きなハサミ。
寸分違わぬほどにそっくりなのに、それは、ネガを反転させた風景のように、決定的に本物の塞川さんと異なっている。
その顔に浮かぶのは、まるで氷のような絶対の無表情。
そして、僕に背中を向けている塞川さんも、同じ顔をしているだろうことを、ぼくは訳もなく確信していた。
二人の塞川さん――本物と贋物の塞川さんが、両手にハサミを持ち、肩の幅に足を広げて、互いを見詰め合っている。
触媒に触れた化学薬品が凝固していくように、空気が、どんどん重くなっていた。
二人とも、目の前の相手を倒そうとしている。
互いに互いの消滅を願い、そして、そのためなら自らを捨てようとさえ考えている。
そんな場面に、僕は居合わせているのだ。
――いけない。
そんなことはいけない。間違ってる。塞川さんが消えたりなんかしちゃダメだ。
僕は、ほとんど無意識に、その場に飛び出そうとしていた。
その、ほんの数瞬前に――贋物が、動く。
そして塞川さんも、ほとんど同時に動いていた。
二人の距離は十歩ほど。それを、一瞬にして互いに詰め、そして、右手を薙ぐ。
ぎん! と鋭い音が空気にヒビを入れ、火花が散った。
贋物が、左手のハサミを突き出す。
塞川さんの左手のハサミが、その手の中で回転し、贋物のハサミを弾く。
贋物が、くるりと回転し、右の回し蹴りを放った。
塞川さんが跳躍し、両手のハサミを贋物の頭頂部に突き立てようとする。
「あっ!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
贋物が、前方に身を投げ出し、四つん這いになったのだ。
ハサミを握ったままの拳を床に突き、まるで獣のような動きで塞川さんの攻撃を避ける。
体勢を崩しながら着地した塞川さんの背中に、立ち上がり様に、贋物が逆手に持った右手のハサミを叩き込む。
塞川さんはほとんど倒れそうになりながら、体を回転させ、それを避けた。
次々と、贋物がハサミを繰り出す。
それを、塞川さんが、両手のハサミで全て弾いた。
塞川さんが、後ろに飛んで距離を取り、贋物の塞川さんもそれに倣う。
再び、二人は距離を置いて対峙した。
塞川さんの左側。贋物の塞川さんの右側に、僕が立っている形になる。
塞川さんは、明らかに、僕の存在に気付いているようだった。
ちら、と一瞬だけ、僕に視線を向ける。
その顔は――その瞳は、いかなる表情も浮かべていなかった。
――どうする?
――どうすればいい?
僕の頭が、僕の意識を振り切るほどに高速で回転し、その答えを見つけようとする。
目で、耳で、全身で、世界を限界以上に感じ取ろうとする。
知っている――この感覚――遥かな記憶――死にかけた夜に、僕は――
自身の意識も思考も超越し、僕は、塞川さんの贋物に向かって走っていた。
贋物が、僕に視線を転じようとする。
がっ!
屋上のコンクリート――僕の進路を塞ぐように、ハサミが突き刺さった。まるで、邪魔するなとでも言いたげに。
塞川さんだ。塞川さんが左手のハサミを投げつけたのだ。
その隙を見逃す贋物じゃない。
贋物の塞川さんが、床を蹴った。
まるで短距離走者のような全力疾走。両手のハサミは、塞川さんの喉笛を狙っている。
塞川さんは、防御を捨て、ほとんど半身になりながら右手のハサミを贋物に突き出していた。
二人とも、相討ちを狙っている。
その結果を阻むことができるのは――僕だけだ。
僕は、足元に突き立ったままのハサミを引き抜き、塞川さんの贋物目掛けて投げた。
「ギャああああああああああああああああああああああああああ!」
刺さった。
空中でくるくると回転しながら飛翔したハサミが、贋物の塞川さんの背中に。
思いもしなかった悲鳴の余韻が空気を震わせる中、塞川さんの右手のハサミが贋物の心臓を貫こうと――
「えっ?」
消えた。
いかなる音も発することなく、いかなる痕も残すことなく。
完全に、あの塞川さんの贋物は、その存在を消滅させていた。
どしゃっ。
塞川さんが、勢い余ったように、前のめりに倒れる。
「さ……塞川さん!」
僕は、塞川さんに駆け寄った。
「…………」
塞川さんは、右手にハサミを握ったまま、目を閉じていた。
その固く結ばれた唇が、かすかに歪んでいる。
僕は、その場に膝を突き、塞川さんを抱き上げた。
見ると、塞川さんの白い首筋に、僅かに赤い切り傷があった。
ほんの少し引っ掻いただけのような、小さな傷だ。あの贋物の最後の攻撃が付けたものだろう。
「あ、う、ぅ……」
塞川さんが、僕の腕の中で小さく悶えながら、苦しげな声をあげる。
「っ――!」
塞川さんの首筋の傷が、白い煙を上げ、じわじわと大きくなっていた。
毒? それとも、何かの薬品?
ともかく、このままでいい訳がない。
「塞川さん、ごめん」
僕は、一言そう言って、塞川さんの傷口に唇を押し当てた。
そして、じくじくと爛れつつあるその場所をきつく吸って、口の中のものを屋上に吐き出す。
僕は、何度か、その行為を繰り返した。
意外にも、かすかな血の味の他は、何の刺激も口の中に感じない。
それでも、塞川さんの首筋のそれは、ごく普通の傷に戻った。
念のためにあと数回、傷口を吸ってから、ようやく、一息つく。
そして、僕は、もう一つ、塞川さんの首筋に異常を見つけた。
「これって……」
一見すると、銀色の点にしか見えない、何か。
それが、塞川さんのうなじに、ちょこんと張り付いてるように見える。
それは――どうやら、針の頭の部分のようだった。
つまり、塞川さんの首に、後ろから針が刺さっているのだ。
ちなみに、針の方向は、やや斜め上に向かっているようである。
一瞬、どうしたものかと迷った。
普通、こんな場所に針は刺さらない。いや、どこにだって、こんなふうに、針の頭がちょっと見えるだけ、なんていうふうに針を刺されたら、痛くて仕方がないはずだ。
ということは、逆に、これは何かの意図があって刺したものかもしれない。
だけど……やっぱり、こんなふうに針が刺さったままなのは、良くないだろう。
さっき、塞川さんは、まさに目にも止まらぬ速さで戦っていた。もし、今度そういう激しい動きをしたら、この針が、ますます体の中に入ってしまうかもしれない。
やっぱり――抜くべきだ。
僕は、針の頭を爪で摘まみ、ゆっくり、ゆっくり、抜き始めた。
「え……ええっ?」
針は、予想外に長かった。
普通の裁縫針くらいかと思ったら――それだけでも、そんなものが刺さってるなんてのはかなりの物だと思うけど――とてもそれどころの話じゃないのだ。
「う、うわ……」
3センチ、5センチ、10センチ――
これは、もしかして――いや、確実に、骨の隙間を通って、頭蓋骨の中――脳にまで達していたんじゃないか。
ぞおっと、背筋に冷たいものが走る。指先が震えてしまいそうだ。
僕は、とんでもないことをしちゃったんじゃないだろうか?
けど、今さら中断するわけにはいかない。まさか、元に戻すために、この針を押し込むなんてこと、できるわけないのだから。
そして、とうとう、針が抜けた。
針の刺さっていた場所には、ほとんど痕跡は残っておらず、血も滲んでいない。
僕は、手に持ったその長い針を、まじまじと見つめた。
こんな物が、人の体に刺さっていたなんて――
「う、うぅ……うっ……」
と、塞川さんが、小さく呻き声を上げた。
どこか苦しげな声だ。見ると、その顔に、つらそうな表情が浮かんでいる。しかも、塞川さんの体は、小さく震え始めていた。
まさか、やっぱり、この針を抜いたせいで……?
そう思ったとき、ぽつん、と雨粒が屋上を叩いた。
「え……? あ、雨?」
視線を上げると、どんよりと曇っていた空はさらに暗くなり、遠くの方は霞んでさえいる。
大気の中に、土の匂いのようなものが満ち――そして、本格的に雨が降り始めた。
こうしちゃいられない。
僕は、いわゆるお姫様抱っこで塞川さんの体を持ち上げて、慌てて校舎の中に入った。
寒い。
暑い。
寒い。
暑い。
皮膚で捉える外気の温度が、全く判然としない。
私の体は、今、ガタガタと震えている。
なのに、肌は、汗びっしょりなのだ。
ともかく――私は、震えていた。
震えてるということは、寒いということなのだろうか。
いや、人は、寒くなくても震えることがある。
今の私は、たぶんそれだ。
寒いわけじゃないのに、体の内側から何かが迫り上がってきて、そのせいで、こんなにもみっともなく、ガタガタと震えてるんだ。
汗だってそうだ。暑いわけじゃないのに、私は今、大量の汗をかいている。
これは、暑さのせいじゃない。この汗は、暑いときにかく汗じゃない。
寒くもないのに震えていて、暑くもないのに汗をかいている。
どうして?
どういう時に、人は、こんなふうになるんだっけ?
真っ暗な闇の中、自問自答する。
真っ暗で、真っ黒で、自分以外の何がそこにあるのかも分からなくて、それなのにどうにもできなくて――
まるで、悪夢。
恐怖に塗り潰された悪い夢。
それが、私を震えさせ、冷たい汗をかかせている。
そう――私は――今まさに真っ暗で真っ黒な悪夢の真っ只中に――
ああ。ああ。ああ。ああ。
自覚した瞬間、私は、パニックに陥った。
嫌だ。
嫌だ厭だ嫌だ厭だ。
私は何をしてしまった?
何かとんでもないことをして、その償いをするつもりで、自らを殺す覚悟で――
でも、そんなことは単なる逃避で、目を背けて視線を逸らして闇の中でうずくまっていたいがために選んだ道で――
何カラ目ヲ逸ラスツモリダッテ?
血。
血が。
血が血が血が血が血が血が血が。
暗黒の中で街灯に照らされて真っ赤な鮮血がカレの口からどばっと溢れて地面を濡らして――
「――イヤああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「ご、ごめん!」
私の悲鳴に、慌てたような声が重なった。
「ごめん、その、あんまりうなされてて……それに、すごい汗だったし、だから、その、ちょっと胸元を開けたほうがいいのかなって……」
胸元?
本当だ。ブラウスのボタンが幾つか外されている。
思わず、右手で襟元を掻き合わせながら、私は周囲の状況を確認した。
私は、ベッドの上にいるようだ。しかし、病院ではない。フローリングの床の上には、ベッドのほかに、机に椅子に本棚がある。ごく普通の洋間のようだ。そんな洋間の端っこに置かれているベッドに、私は、上半身を起こしている。
そして、私の目の前には――
「ほんと、ごめんね」
「え――?」
人に飼われて覇気をなくした、毛並みのいい猫のような、この顔は――
「と、時任――覚――?」
「あ、うん。その、気分、だいじょうぶ?」
心配されてしまった。
私が殺した相手に。
私は、咄嗟に左の袖に隠していた鋏を右手に握り、構えた。
「――――」
避けない。
避けられないんじゃない。時任覚は、鋏を持った私の右手をじっと見つめながら、どこか困ったような表情を浮かべたまま、動こうとしないのだ。
――違う。
違うんだ。彼は違う。彼は、ミズヒルコじゃない。
落ち着いて見れば、間違いようがない。彼は彼――私を、どういうわけか好きだといってくれた、あの、時任覚だ。
私は、右手を下ろしてから、無意識のうちに、ほーっ、と溜め息をついていた。
「えっと……塞川さん?」
「その……よく状況が飲み込めていない……ここは?」
「僕の部屋。えっと、塞川さんの家がどこだか分からなかったから」
「君が私を運んだのか?」
「タクシー使ったけどね」
「散財させてしまったようだな。すまない」
「気にしないで」
時任覚が、微笑む。
その時、唐突に、私は、彼がひどく可愛い顔で笑うことに気付いた。
「どうも……察するに、私は、学校の屋上で不覚を取ったようだな」
曖昧な記憶を辿りながら、私は時任覚に確認した。
「うん、まあ、どうなんだろう? 僕には、その――よく分からないんだけど」
「……どこまで知ってるんだ?」
「え?」
「もう、君に隠し事はしたくないし、私自身も確かめたいことがある。そのためには、君が、どこまで知っているのか、理解していないと、困る」
するすると、その言葉が、私の口から滑り出た。
意外に呆気ないものだ。アラハバキとしての最大の禁忌を犯そうとしているのに。
いや、しかし、もともと私は、橘果姉さんとともにアラハバキとして活動している段階で、道を外れていたのだ。
「詳しいことは、何も分からないんだけど……」
時任覚が、少し考えてから、私の質問に答えた。
「アラハバキって言葉だけは、ある人に教えてもらったけど。でも、それだけかな」
「そうか……」
少し、長い話になりそうだ。
私は、一つ深呼吸をしてから、思いつくままに話を始めた。
私が、アラハバキだということ。
アラハバキとは、古い時代から存在する退魔の一族から選ばれる存在で、ミズヒルコ掃討の専門家であること。
実は、この世界には、ケガレが凝り固まった妖かしであるミズヒルコがあちこちに出没し、人に害を為し、増殖しているということ。
アラハバキは、“本殿”と仮に呼んでいる組織の下で、一つの管区を任されているということ。
この街を管区としていたのは私の姉だったが、その姉の体の変調により、私が次のアラハバキを継承したこと。
しかし、私の未熟ゆえに、姉もまだアラハバキとして活動を続けてしまっているということ。
そして、それは、本殿によって固く戒められていること。
そのような中、私自身が、ミズヒルコに憑かれかけ――そして、姉の手によって自らの意識を封印してもらったこと。
そこまで話したとき、ようやく、時任覚が口を開いた。
「その……封印って、あの、首に刺さってた針のこと?」
「そうだ」
「…………」
時任覚が、その眉をしかめる。
「……どうして、塞川さんはそんなことしたの?」
「君を――殺してしまったから」
そう言ってから、私は、再び深呼吸をした。
「……次は、私の方から訊きたい」
「え……?」
「君は、どうして生きてる?」
「ど……どうしてって……」
「私は、君をミズヒルコだと錯覚し、殺してしまった。このことは確かなことだ。幻覚ではありえない。何しろ――姉と、君の死を確認したからな」
ぎゅうっ、と胸の奥が痛む。
私は、その痛みをこらえながら、どうにか平静を保った。
「君は、完全に死んでいた。私が、心臓を貫いたのだ。もし、傷が心臓に達していなかったにしても、致命傷であったことには違いなかった。現に、君は死んでしまった。死んで、死体を隠すための場所に、埋められた」
「…………」
「君は、何者なんだ?」
じっと、時任覚の目を見る。
時任覚は――心底、困ったような顔をしていた。
何だか、これではまるで、私が彼を苛めているようだ。
しかし――このことは、絶対にはっきりさせなくてはならないことなのだ。
「実は――私は君を、“サトリ”だと思っていた」
「さ、さとり?」
「ああ。人の心を読む妖怪――あ、いや、そういう力の持ち主、ということだな」
「え、えっと、それは――」
「荒唐無稽な話と思わないでほしい。サトリも、オロチも、ツチグモも、ミズヒルコも、この世界にはいるのだ」
「う、うん、それは信じるよ。でも――僕には人の心なんて読めないよ」
時任覚が、慌てたような顔になる。
「しかし、君の動き――あの雪合戦の時や、男子たちとの立ち回りを見ると、そうとしか思えなくてな。もしくは、君は――人の心ではなく、もっと別の何かを見ることができるのかもしれない」
「別の何かって……何?」
「例えば、先を――未来を見る能力、とかな」
そういう人間にはまだ会ったことはないが……しかし、ありえないことではない、と思う。
だいたい、私や橘果姉さんにしたって、一般の人間から見れば、超常の力の持ち主としか思えないだろう。
「もちろん、その力は常に働いてるものではないだろう。もしかすると、無意識のうちに発現してるものかもしれない。しかし、そもそも、最初の一撃だけとはいえ、普通の人間には私の鋏を避けることはできなかったはずだ」
「け、けどさ、そういう力がもし僕にあったとしても……そのう……死んだ後で生き返るってことには使えないと思うよ」
「……そうだな」
確かに、そうだ。
時任覚に自覚がなく、私の方は想像が及ばない。どうもここで結論を出すのは難しいようだ。
溜め息をつこうとしたところで、代わりに、くちん、とくしゃみが出た。
外を見ると、すでに夜だ。しかも、私の体は汗まみれである。このままでは風邪をひいてしまいかねない。
「えっと……お風呂、使う?」
「……すまない。恩に着る」
時任覚の申し出に、私は、そう言って肯いた