第四章
「うっ」
お昼の時間、塞川さんが、鞄を開いて、何やら声を上げた。
「どうしたの?」
「い、いや、その――」
声をかけた僕の顔を、塞川さんが、眉を八の字にしながら見つめる。
「どうやら……弁当を忘れてきたようだ……」
「あ、そうなの?」
意外だ。塞川さんがそんなミスするなんて。
確かに塞川さんは、ちょっと人と違ってるところがあるけど、それでも慌てんぼうとかオッチョコチョイとかいう言葉とは対極のイメージがある。
そんな彼女が、こんな凡ミスを犯すなんて――
「ふ、普段はこんなことないんだぞ。たまたま今日は調子が悪かったんだ」
小声で、塞川さんが言い訳をする。
言われてみれば、今日の塞川さんは、ちょっとヘンだった。熱っぽいのか、授業中もぼーっとしてるみたいだったし。
それはそれとして、今、顔が赤いのは、純粋に恥ずかしいからだと思うけど。
「えーっと、じゃあ、これ、食べててよ。まだ開けてないし」
僕は、さっき購買部で買ったばかりのパンを、塞川さんに差し出した。
「え? で、でも、君の分は?」
「今行ってまた買ってくるよ」
「それは筋が違う。私が忘れたんだから、私が自分で買ってくるべきだ」
「でも、塞川さん、お金持ってきてる?」
「う……」
見立てどおり、塞川さんは学校に余計なお金を持ってきてたりはしていないようだ。何となく、そんな雰囲気はしたんだよね。
「それに、塞川さん、体調悪いんでしょ?」
「いや、別に、それほどでも――」
「いいからいいから。えと、パンが売り切れちゃうと困るから、もう行くね」
「す、すまない――恩に着る」
そんな塞川さんの言葉を背中で聞きながら、僕は、再び購買部へと向かった。
さて……まだ売れ残ってるといいんだけどなあ……。
「時任君、それは」
紙袋から小さなドーナツを一個取り出した僕に、塞川さんが話しかけてきた。
「え? あはは、これしか残ってなかった」
「そんな……それだけでは足りないだろう」
「いや、そんなことないよ。僕、あんまり食べない方だし」
僕は、強がりに聞こえないように、そう言った。
もちろん、これで本当に充分だと言えば、嘘になってしまうけど……この程度のささやかな意地は、張り通したい。
「しかし――」
「いや、本当に気にしないで。そんな大げさなことじゃないから」
「…………」
塞川さんは、じっと考え込み、そして、僕が渡した後で手付かずのままだったジャムパンを、二つに割った。
そして、その片方を、ぐい、と差し出す。
「気遣いを無にはできないが、半分は返す。これならいいだろう?」
ひどく真剣な顔で、塞川さんは言った。
「で、でも、塞川さんこそ、パン半分きりじゃ足りなくない?」
「我慢する。もともとは私の失態だし」
「うーん」
僕は、ジャムパンの半分を受け取り、そして、それを紙袋の上に置いてから、ドーナツを半分にした。
「え?」
「合わせて半分ずつにしようよ。これで、二人とも平等でしょ」
「あ、そ、そうだな」
塞川さんの、意外と小さな手の上に、半分こしたドーナツを乗せた。
目をぱちぱちさせた後、塞川さんが、ドーナツをかじりだす。
やれやれ、これで一安心かな――
「あっ、し、しかし!」
食事半ばで、塞川さんは声を上げた。
「やはり、弁当を忘れた私と、パンを恵んでくれた君とが、全く同じ分量というのは少しおかしくないか?」
「いや、そんな固く考えないでよ」
ここまで来ると、もう苦笑いを禁じえない。
「そうそう。桐花ちゃん、時任くんの好意を無にしちゃダメだよ〜」
と、今まで、僕たちのやりとりを聞き入っていた須々木さんが、割り込んできた。
「こ、好意……」
塞川さんが、顔を真っ赤にする。
「ちょ、ちょっと、あんまり塞川さんを困らせないでよ」
「むふふー♪」
僕の抗議に、須々木さんが妙な笑い声を上げる。
こうなると、もがけばもがくほど、余計にからかわれることになるんだろうなあ。
僕は、努めて冷静を装いながら、食事を続けることにした。
他の男子や女子が色々言ってくるけど、気にしないことにする。
ちら、と横目で見ると、塞川さんが、真っ赤な顔のまま、ぼそぼそと残りのパンとドーナツを食べていた。
全く……どうしてしまったんだ、私は。
体が――特に、頭から上が熱い。のぼせてしまってるようだ。
風邪でもひいて、熱でもあるのだろうか?
確かに、朝起きたときから、何だかおかしかった。
最初は微熱程度だろうと思っていたんだが……ここへ来て、どうも本格的に熱っぽい。
それはそれでいいんだが……どうして、時任覚の方を、まともに見ることができないんだろう?
申し訳ないと思う気持ち。礼を言いたいという気持ち。恥ずかしいという気持ち。
それら一つ一つはごく普通のまっとうな感情のはずなのだが……それが渾然一体となって、名状しがたいうねりを胸の中で起こしている。
好意――何を馬鹿な――時任覚は監視対象の一人だ。そのような浮ついた気持ちなど――
ちら、と隣の席の彼の姿を盗み見る。
今は、午後の授業中。時任覚が、こちらが腹が立つくらいに暢気な顔で、黒板を見つめている。
と――彼が、こちらを向き、軽く笑った。
どきん……。
何だ、この動悸は……っ!
私は、自分自身の反応に腹を立てながら、前方に視線を向けた。
家に帰り、姉さんと一緒に食事をし、寝床に入る。
微熱は、まだ続いているようだった。
まるで、胸の中で、様々な感情がぶくぶくと煮立っているような感覚。
まったくもって、まともな状態とは言いがたい。
ふと――時任覚の顔が、頭に浮かんだ。
どき、と心臓が跳ねる。
どうして自分が彼のことを考えてるのか、理解できない。
しかも、脳裏に浮かぶシーンは、どうということのない、些細な日常の風景だ。
教室の中で、時折交わす、他愛もない会話の数々。
それを、なぜか、反芻してしまっている。
学校について、彼のこと以外に考えるべきことは、たくさんあるはずなのに――
なのに、私は、彼のことばかり考えてしまっている。
思えば――同年代の異性と話をしたことなど、数えるほどしかなかった。
私の話し相手は、第一には姉であり、そしてそれ以外の一族の人々だった。
話の内容も、いかにミズヒルコやその他の脅威と相対するかということや、自分たちを統率する本殿の連中への、諦め混じりの不満などであったと思う。
私と同じくらいの年の少年少女が、どんな暮らしをしているか――それについて、知識はあったが、羨望や憧憬など感じなかった。
いや――今の自分の精神状態を省みるに、そう思い込んでいただけだったのだろう。
アラハバキとしての使命や立場を離れて、ごく普通の毎日を送りたい……そんな気持ちが、私の中にあったということだ。
そして、そんな暖かく居心地のいい日常の象徴が――あの、まるで日なたの猫のような、時任覚の微笑みなのである。
これは――この気持ちは――姉さんに対する許し難い背信だ。
私に先んじて、幼いころからミズヒルコと戦い、成長が止まるほどに体を冒されてしまった橘果姉さんに、申し訳ないと思う。
でも――
デモ……?
ああ、いけない。
瞼が重い。意識が、闇の淵に沈む。
自分が心の奥底に溜め込んでいた何カが、姿を顕わそうとシテイル――
確かに橘果姉さんはツライ目にあってきたケド――でも、どうして私マデが……?
いけない、いけない、こんなことを考えちゃいけない。
そう思って暗闇に沈めてきた感情が、今や、無視できないくらいに堆積していて――
日常に対する憧れも――時任覚に対する想いも――ソレは、単なるエサとして貪り食らい、私の一番深いところで肥大化していく。
うねうねと動く、不気味な、何カ。
でも、眠りに落ちつつある私は、それに、親近感のようなものさえ感じていた。
だって――ダッテ、毎晩、会ってイルものネ――
毎晩毎晩、あんなに気持ちイイ目に合わせてモラッテルじゃない――
私の隠レタ欲望――今まで無視シテキタ情動を――ソレは、煽り、焚き付け、燃え上がらせテ――
それも当然。アラハバキとしての道を選んだ――選らばされた時から、ソレは、私とともにアッタんだカラ――
嫌イ。嫌イ。今の自分が嫌イ。今置かれてイル自分の立場が嫌イ。アラハバキとしてミズヒルコと戦ワネバならない自分の運命が嫌イ。
ダカラ、壊ス。ダカラ、犯ス。今ノ私ヲムチャクチャニスル。
壊シテホシイ――犯シテホシイ――二度ト元ニ戻ラナイヨウニ――ムチャクチャニシテホシイ――
そんな私の声に答えて――ソレは、今夜も姿を顕わした。
「あ……」
いつの間にか夜具は消えうせ、それどころか、全裸で、床に寝そべっている。
寒くはない。背中に当たる黒い床面は、まるで人の肌のように生温かく、柔らかい。
そして、私は、真っ黒な何人もの男に、手足を押さえ付けられていた。
「や、やめて……」
やめてもらえるわけがなく、やめてほしいとも思っていないのに、そんな空しい言葉を口にする。
黒い男たちは、目鼻の無い顔に不気味な笑みだけを浮かべ、私の肌をまさぐりだした。
「あっ、い、いや、いやっ……やめ……あくううっ……!」
すでに、私は、自分がいかに弱く、脆い存在かを思い出している。
こんなふうに……こんなふうに敏感な場所を何本もの手で撫でられたら、それだけで――
「あうっ、くふうっ……いや……いやぁ……あ、ああっ、あひ……はあああン……ダメ……ダメぇ……」
自分の声が、ひどく子供っぽくなっている。
まるで、この黒い男たちに甘えているような声音だ。
そのことにますます歪んだ笑みを浮かべながら、顔の無い男たちは愛撫を続けた。
「はふ、は、あはぁっ……そんな……ダメ……いやあっ……! あうっ、あうううう……あく……あぁ〜っ……!」
指先で乳首を撫でられ、乳房を揉まれ、首筋や腋を掻くように刺激する。
脇腹や太腿を這い回る指は、触れるか触れないかの微妙な力加減を維持し、まるで羽毛でくすぐられているよう。
私は、手足を自由に動かせない状態で、ただビクビクと胴体を震わせていた。
仮にも――仮にもアラハバキとしての行を修めた私が、これほど一方的に体を弄ばれるなんて――
そう思った瞬間、股間から、恥ずかしい液が溢れた。
「い、いやぁ……っ!」
自分の体の浅ましい反応に、悲鳴が漏れる。
だが、愛液は、あとからあとから溢れていく。
まだ、その場所を触れられてもいないのに……。
と――まるで、私の溢れさせた液に誘われたように、黒い男の一人が、股間に顔を近付けてくる。
「やめて! やめてっ! そんな所――!」
私は、体をよじり、喉を反らして喚いた。
そうされたら、自分がどうなってしまうか分かっているから。
だが、もちろん、男は止まらない。
「ひッ!」
ぬるりとした感触が粘膜に触れたとき、ひきつるような声を発してしまった。
嫌悪と、期待。
その二つの感情を味わうように、男の舌がねっとりと動き、私の秘唇を舐めしゃぶる。
「ああぁ……い、いやぁ……いやだ……あうっ……やめてぇっ……!」
拒絶の言葉とは裏腹に、身体は、快感に震えている。
穴の周辺を舐められ、固くなったクリトリスを吸われて、視界に、白い火花が散った。
「あうっ……!」
舌が、内部に侵入する。
これほどと思うほどに、深く、深く。
実際は大した太さではないはずだが、体を内側から広げられるような重苦しい感覚が、下半身を支配している。
そして、舌が――いや、もはや触手と化したその器官の先端が、私の処女の証に触れた。
「――ひああああああああっ!」
体内を蹂躙する人ならぬモノの舌が、肉の膜を、嬲るように舐めまわす。
背筋を、寒気に似た何かが這い登る。
もし、このまま、この舌に貫通されてしまったら――
そんな不安を見越したように、その黒い男は、ずりずりと触手状の舌を抽送させ始めた。
「あうっ、あっ、あああっ、あぐ……はひいいっ……! あっ、ああっ、あっ、あっ……!」
おぞましさと気持ちよさが、私の思考をぐちゃぐちゃに攪拌する。
処女膜をおびやかしながら快楽を紡ぎ続ける、人外の舌。
その動き一つ一つに体をくねらせて反応しながら、私は、いつしか快楽の声を上げていた。
「あうっ! ンあああああっ! あひっ! ひいいいン! ああっ! あっ! あン! ああぁン!」
ここは私の家などではない。
自らの声が姉さんの部屋に届かないことを知っている私は、思い切り声を出してしまう。
どうせ、これは夢。
朝になれば全ての痕跡は消えうせ、この記憶も無くなってしまうのだ。
「あっ! あああああああ! イクっ! イクうっ! もうイクの……! ああああああ! イクうううううう!」
夢の中で何度も何度も味わった絶頂――それを求めて、腰を浮かし、くねくねと揺らす。
黒い男たちが、私の肌を撫で回しながら、その場所へと導いていく。
また――またアノ瞬間を――全てが裏返ルような、悦楽ノ瞬間ヲ――
「あああああああああああああああああああああああああああ〜っ!」
弾ケ――跳ビ――流レ――消エル――
全てが、闇に、還元され――無へと帰す。
私は――またもや――死にも似た安息に囚われながら――忘我の淵から虚無の水底へと沈んでいくのだった――
「時任君」
午前の授業が終わってすぐ、僕は、塞川さんに呼び止められた。
「えっと、何かな?」
「その……昨日の礼に、作ってきたんだが」
塞川さんが、カバンの中から、お弁当箱を二つ、取り出した。
「え? そんな、わざわざ?」
「一人分も二人分も手間は同じだしな。それとも……迷惑だったか?」
「い、いや、そんなことないよ!」
少し心配そうな顔をする塞川さんに、僕は慌てて言った。
そして、こちらに向けて真っ直ぐに差し出された手から、お弁当を両手で受け取る。
いつの間にか周りに集まっていたクラスのみんなが、おお〜、と声を上げた。
「う……私は、また何かズレたことをしてしまったのか?」
「そんなことないよー♪ ねー、時任くん」
口をへの字に曲げてる塞川さんに、須々木さんが明るい声で言う。
「うん、そのー、すごく嬉しい。ありがとう」
「そ、そんなふうに大袈裟に言われると、照れ臭い」
塞川さんが、そっぽを向く。
「んふふ、さ、食事にしよ。そっちの机くっつけて」
にこにこしながら、須々木さんとその友達が、お昼の準備を始める。
「おいおい、いつからお前らそういう関係になったんだ?」
机を動かしてると、クラスメイトの男子に、そう聞かれた。
「そういう関係?」
「時任、とぼけんなよ〜。弁当作ってもらえるなんてかなり好感度稼いでないとありえねーだろ?」
「っつうか、あの堅そうな彼女のどこに攻略の隙があんだよ」
「それとも、あれか? 塞川ちゃんはペット系が好きなのか?」
「何の話だかよく分かんないけど、みんなが期待してるようなことにはなってないよ。たぶん」
そう言うと、みんな、おいおい、って顔になった。
「あのさー、覚ちゃん、天然もいいんだけど、ここまでしてもらったんだぜ? 男だったら、次は自分からアクション起こさないと」
「ど、どういうこと?」
「要するに、時任が塞川のことどう思ってるかが問題だってことだよ」
ぜんぜん“要するに”じゃつながらないような気がしたけど、なぜか、その言葉は僕の心に響いた。
僕が、塞川さんのことを、どう思ってるか――
「言っとくけど、オレら、わりとマジで覚ちゃんのこと応援してんだからな」
「あ……ありがと」
お礼を言うと、なぜか、ばし、と背中を叩かれた。
これが何の応援なんだか、と思いながらも、席につき、お弁当箱の蓋を開ける。
鶏の照り焼きを中心とした、例によって純和風のお弁当だ。ものすごく手が込んでいる。
いただきます、と挨拶して、まずは卵焼きを一口。
美味しい。甘くて懐かしい味が、口の中に広がる。
そもそも手作りのお弁当を食べるなんて、何年ぶりだろう?
そんなことを思いながら、一つ一つのおかずを、じっくりと味わう。
と、塞川さんが、女の子たちと話ながら、ちらちらとこっちを見ているのに気付いた。
感謝の意味を込めて笑いかけると――なぜか、机の下で、男子の誰かに足を軽く蹴飛ばされてしまった。
どうやら、人に弁当を作ってやるという行為は、私が思ってた以上に、意味深いものだったようだ……。
少し反省しながら、私は、放課後の校舎の中を歩き回った。
特に、あてなどはない。
多くの生徒は部活だの同好会だのというものに所属し、何やら遊んでいるようだが、私には無縁だ。
だが、別に、何とも思わない。悔しくも、羨ましくもない。私が、そんなふうに考えるわけがない。
それよりも……奴はついてきているか?
奴とは、もちろん、この学校の用務員――萌木とかいう名前の、あの男だ。
奴は、おそらく、私を尾行している。姿を見たわけではないが、背後に気配がある。
何とも素人臭い尾行だが、逆に、それが誘いかもしれない。
だから、私も、奴を誘う。特に目的を定めずに校舎内を歩き、相手の反応を確かめる。
自分自身をエサにして、釣りをする気分だ。
階段を上る。
気配はついてくる。
さらに上る。
行き先は屋上だ。
そこで、二人きりにもしなったら……カマをかけてみるか。
そう簡単に馬脚を現すとは思えないが、もし奴が本殿の回し者なら、何等かの反応を返すはずだ。
もちろん、ここで本殿の手の者と敵対するつもりは無いが――疑惑は早めに確信に変えておきたい。
最上階から、さらに上……。
屋上への出口に手をかけた時――かすかな気の淀みを感じた。
何か、屋上にいるのか?
まさか、ミズヒルコとは思えないが……しかし、時刻は黄昏。まさに逢魔が時だ。
どうする……?
しかし、ここで引き返すのも不自然だ。
屋上に何がいるかは分からないが――もし、私が滅ぼすべきモノがいるなら、見過ごすことはできない。
しかし、もし、私を尾行しているのが、本殿の手先なら――私がアラハバキとして戦うところを見られるわけにはいかないのだ。
一つの管区に一人のアラハバキ――橘果姉さんが正式なアラハバキである以上、私がアラハバキとして活動していることを、本殿に知られてはならない。
まさか、こんなふうに自分が追い詰められるとは――
こうなったら、いっそ、屋上の何者かを斃し、返す刀で尾行者を葬るか……?
死人に口無し――本殿には、正式なアラハバキである姉さんと、ミズヒルコとの戦いに巻き込まれたのだと、そう言い訳すれば――
もちろん、そんなことをして、ばれでもしたら、命を失うだけでは済まないが……しかし、私と姉さんが協力すれば……。
わずかな逡巡の間に、物騒な覚悟を決めて、私は、扉を開いた。
「…………」
一瞬、言葉を失った後、溜め息をついた。
屋上にいたのは、ミズヒルコでも何でもない。
ただ、数人の生徒が、輪になってしゃがみこみ、煙草を吸っていただけだったのだ。全くもって早とちりである。
生徒たちが、じろりとこちらを見る。気を淀ませるだけあって、その体全体から、不健康な雰囲気が溢れ出ている。
私は、そんな彼らの様子を、まじまじと観察してしまった。
「テメエ、見てないでどっか行けよ」
生徒たちの一人が、私を脅す。
もちろん、私にとっては、何の威嚇にもならない。
それどころか、私を勘違いさせたこの生徒たちへの、八つ当たりに近い怒りが湧き起こってくる。
「君たち、未成年の喫煙は法律違反じゃないのか?」
よせばいいのに、私は、そんなふうに言ってしまった。
私の言葉が予想外だったのか、生徒たちが、きょとんとした顔をする。
「大人の真似をしたいんだったら働いて金を稼げばいい。畏敬の念が欲しいのだったら自分を磨け。もしただ悪い事をしたいだけなら――恥を知れ」
言いながら、私は、連中に近付いていた。
全く、こいつらは、自分がどれほど恵まれた立場にいるかも知らないで――
将来に対して選択の余地があるということがどれほど素晴らしいことかも知らず、自由というものを持て余し、わざわざこんな下らないことをしている。
いや、違う――この連中は、自由を恐れ、選択することを先延ばしにし、そしてそんな自分の弱さを忘れようとしてこんなことをしているのだ。
私が、求めることすらできなかった自由を足蹴にしている――そんな連中に対する反感が、不自然なまでに膨れ上がっていく。
ああ、どうやら私は、ここのところ、情緒不安定のようだ。
連中がようやく立ち上がり、私を囲む。
「何ゴチャゴチャ言ってんだよ、テメエは。頭おかしいんじゃねえか?」
「あんまナマばっか言ってるぞ犯すぞコラ!」
犬が唸るような声で、口々に喚く男子たち。
そのうち一人が、私の制服の胸倉を掴む。
さて……一つ痛い目に遭わせてやるか。
もし、本殿の手の者に見られたって、構うものか。アラハバキとしてミズヒルコを狩るわけじゃない。ただ、同じ学校の生徒を蹴散らすだけだ。
軸足に体重を移し、体を半回転させようとしたその時――
「塞川さん!」
背後から、声が響いた。
この声――まさか、尾行者は、あの萌木という用務員じゃなくて――
「ちょっと、手を放しなよ。女の子に乱暴するのよくないよ!」
後ろを見ると、そこに、ぎゅっと拳を握り締めた時任覚が立っていた。