解答編
「お爺様のオチンポ……大きくて素敵です……」
車椅子からソファーに移り、バスローブの前を大きく明けて陰茎を露出させた黒姫精次郎の前に跪いた澄乃が、言った。
実際のところは、澄乃は、精次郎のそれ以外は目にしたことがない。それを“大きい”と言うのは、精次郎の教育によるものだ。
初潮を迎えたころから、澄乃は、自らの祖父の肉棒に、専ら口で奉仕をしてきた。技術が上達すると、祖父はそれを褒め、そして、褒められると澄乃は嬉しく感じた。それ以上の気持ちはなかった。忌避感や嫌悪感、罪悪感を抱くことはなかった。そのように教育されたし、自分でも、わざわざ不快な気持ちになどなりたくなかった。祖父への奉仕に喜びを覚えられるようになればむしろ楽だと考えたし、事実、そのようになった。
「ご奉仕させていただきますね、お爺様……ちゅっ」
年に似合わず隆々と屹立した浅黒い肉棒に、可憐な指先を添え、亀頭部に、唇を被せるようなキスをする。
最初は、初々しく、恥じらいを見せながら――澄乃は、教えられた通りに、口唇奉仕を開始した。
「んむ、ちゅ、ちゅむ……ちゅぷ、ちゅぴっ……んふ、んふン……ちゅぷぷ、ちゅぴっ……」
わずかに唾液の弾ける音を響かせながら、澄乃が、ペニスのあちこちに、口付けを繰り返す。
さらに硬度と容積を増した醜悪な肉塊が、年頃の少女であれば顔を背けたくなるような性臭を放つ。
「んちゅっ、ちゅぱっ……はぷ、んちゅっ……はああ……お爺様のオチンポ、とっても逞しくて、男らしいです……ちゅぷ、ちゅぷっ、んぷぷぷぷ、ぬぷっ……」
「おおっ……」
肉棒を包み込んでいく口腔粘膜の感触に、精次郎が声を上げる。
澄乃は、さらに肉棒を深く咥え込み、舌をねっとりと動かして、静脈を浮かした幹胴を刺激した。
「んむむ、ちゅぶ、にゅぷ、ぬぷっ……んふ、んふぅ、ちゅぷぷ……んむむむむむ、ちゅぶ、ちゅぱっ……はふ……」
いったん口の中から肉棒を解放し、澄乃が、小さく息をつく。
そして、澄乃は、唾液にまみれてヌラヌラと濡れ光るペニスを握り、突き出した舌で亀頭部を舐め回し始めた。
「れろっ、れろ、れろ、れろぉ……ちゅぱちゅぱ……ちゅぷぷ、ちゅぶっ、ちゅぱっ……ちゅぷ、ちゅぷっ、んふぅ……お爺様のオヒンポ、おいひいれす……」
腺液のエグ味を舌に感じながら、澄乃は、とても演技とは思えないような声音で、言う。
そして、澄乃は、指先でシコシコとシャフトを扱きながら、先端部を音をさせて吸い始めた。
「んちゅ、ちゅううっ、ちゅぶ……んちゅぅ〜っ……ちゅうっ、ちゅうっ、ちゅうちゅう……ちゅちゅちゅっ、ちゅううぅ〜っ」
「お、おっ、おお……おおお……」
孫娘の唇がもたらす快楽の大きさに、精次郎が、天井を仰いで喘ぐ。
澄乃は、ちゅぽん、と音を響かせて亀頭から口を放し、ヒクヒクと震える肉幹に、まるでハーモニカを奏でるように唇を滑らせた。
「ちゅぷぷぷぷっ……ちゅぱ、ちゅぷっ……んちゅ、んちゅっ、ちゅぷ……ちゅちゅちゅ、ちゅぶっ、んちゅ、んちゅっ……はふぅ……」
安易に精を漏らさせることなく、精次郎をできるだけ長く楽しませる……。その課題を果たすことに、最近の澄乃は、不思議な悦びすら感じていた。
「お爺様……お爺様ぁ……はむ、んむむっ、ちゅぶ……ちゅっ、ちゅばっ、ちゅぷぷ……んふ、んふぅ……」
声と息遣いに甘い媚びをふんだんに込めながら、澄乃は、再び老人の肉棒を咥え、舌と口内の粘膜に擦り付ける。
「はむむ、ちゅぶ、ちゅぷっ、んっ、んんっ、んちゅ、ちゅば……ちゅっ、ちゅぶっ、ちゅぶ、んぶっ、ちゅぶぶぶっ……」
澄乃のフェラチオ奉仕が、次第に情熱的なものとなっていき、それにともなって、口元で響く音が卑猥で下品なものになっていく。
精次郎は、躾のできている愛玩動物にそうするように、右手で、澄乃の絹糸のような髪を撫でた。
「んむっ、あむ、はぷ、ちゅぶ、ちゅぶっ……んふぅ、んふぅ、ふぅん、ふぶぶ……ちゅぶっ、ちゅぶっ、ちゅぶぶ、じゅぶぶっ……んふ、んふう、ちゅぶぶぶぶ……」
鼻から熱っぽい息を漏らしながら、澄乃は、唇と舌だけでなく、喉まで駆使して、精次郎のペニスを扱きたてる。
まだあどけなさを多分に残す容貌に相応しくない、熟練の娼婦のようなディープスロートが、澄乃をここまで育て上げた精次郎の欲望と性感を追い詰めていく。
「じゅぶぶっ、ちゅぶ、ちゅぶぶぶっ……! じゅっ、じゅぷっ、じゅぶ、じゅるっ……! じゅじゅじゅ、じゅるる、じゅぶ、じゅぷ、じゅぷぷぷぷ……!」
「うぐ……で、出るぞ……」
その言葉は、孫娘を思いやってのことではなく、最高の射精に自らを導くようにという合図だった。
「ちゅぶぶ、じゅぶ、じゅぱっ! お爺様、どうぞ、どうぞ出してください……はむ、じゅぶぶぶ、じゅぱっ! 澄乃のいやらしいお口マンコに、ミルク恵んでください……はぷぷっ、じゅぷ、じゅぷぷっ! じゅぱ、じゅぱっ! じゅぷ、じゅぶぶ! じゅぶぶぶぶ! んじゅぅううううううう〜っ!」
自分はお爺様のミルク飲み人形だ――そんな、奇怪な自己規定が、澄乃の胸の内を不思議なほどに充足させている。
ありったけの思いを込めて祖父の肉棒を吸引する少女の口内で――老人のそれとは思えないほどに濃厚な精液が、迸った。
「んむっ! ん、んんむむ、んぐ、んぐっ! んぷ……んぐぐぐぐ……んぷ、んぷふぅ……」
生臭いスペルマを、まだ飲み干すことなく、澄乃は、全て口の中で受け止める。
そして、老人が全てを出し終え、たっぷりと余韻を楽しんだのを見計らってから、澄乃は、ゆっくりと頭を引き、肉棒から唇を離した。
そして、その可憐な口を大きく開き、自らの口の中に、精次郎の黄ばんだザーメンが池になっている様を、見せつける。
「……飲んでいいぞ」
言われて、澄乃は、小さく頷いてから、細い喉を上下させて、口の中に溜まった大量の精液を、最後の一滴まで飲み干した。
その、一連の行為は、澄乃にとってごく当たり前の日常であり、祖父を殺害する動機に成り得るものではなかった……。
「警察が本格的な捜査を終える前に犯人の目星を付けないと、困ったことになるかもしれないですよ」
食堂兼談話室で、薄暗さを増していく曇り空を窓越しに見上げながら、阿久津が林堂に言う。
「なぜです?」
「いえ、この状況で、いちばん怪しいのはマスターキーを持っている僕じゃないですかあ」
「客観的に見てそうですね」
「そして、僕が犯人でないことを保証してくれるのは、林堂さんの証言だけなんですよ」
「証言すれば、ですけどね」
「林堂さぁ〜ん!」
阿久津が、泣き笑いのような表情で声を上げる。
「冗談ですよ……。ただ、黒姫家というのがお話どおりの資産家なら、裏から手を回して阿久津さんと俺を犯人に仕立て上げて家名を守る、というストーリーはいかにもありそうですね」
「そうですよう。だ・か・ら、せめて、警察第一陣が来る前に推理を完成させて、ズバッと、ビシッと、犯人を指摘してくださいよう。皆を集めて“さて”と言ってください!」
「…………」
林堂は、何を考えているのか解りづらい顔で、押し黙った。
「僕はですね、考えましたよ。誰が犯人か。それで、1つ、推理を完成させました」
そんな林堂にめげる様子も無く、阿久津が、明るいと言ってもいいような口調で再び話し出す。
「聞きたいですか?」
「話したいんでしょう?」
「その表情で、その切り返し……。林堂さん、女の子にもてるんでしょうねえ」
「いえ、全然」
「……まあ、いいです。とにかく、話します。名探偵を前にしての端役の推理。きっと、絶対、間違ってますけど、でも、それも素晴らしい役割です」
「何か、阿久津さんは、妙な様式美にこだわってるみたいですね」
「名探偵と呼ばれる存在の周辺状況は、まさに様式によって構成されてますからね」
むふーっ、と荒い鼻息をつきながら、阿久津が言う。
「阿久津さん、昨夜、ちょっと触れてましたね。ミステリは究極的にはメタフィクションにつながるとか」
「宿命、と言うより、袋小路的な意味で、ですね。いや、これは、名探偵・林堂智視にはまさに釈迦に説法でしょうが」
「いえ、全然」
嘘ばっかり、と言いながら、阿久津が、下品に歯を剥き出しにする笑みを浮かべる。
「まあ、いいです。ありがたくも発言の機会を得たと思って語りますよう」
一拍措いて、阿久津が再び口を開く。
「ミステリは、読者を驚かすことを目的とする文学だと、僕は、個人的に定義しています。そのせいもあって、また、まさに様式として、ミステリは、かつて他のミステリで扱われたトリックなどのアイデアを、原則、使えません。使うには、アイデアを料理して、読者を驚かすような形に再構築しないといけない」
「……まあ、大体においてはそれを目指してる、くらいの言い方が無難だと思いますけどね」
「林堂さん、注意深く断言を避けますねえ。ま、それで結構です。しかしですね、それによって、ミステリというフィクションは、必然的に、物語の外側の事情――これまで、他のミステリにおいてどのようなトリックが使われてきたのかということを意識しなくてはならなくなるわけですよ」
「そのミステリの作者が、でなく、ミステリ自体が、ですか?」
「そうです。もちろん、作者は意識しています。しかし、フィクションというのは、書き上げられた瞬間から、作者の脳内から独立する。読者に――世界に共有される、一つの閉じた宇宙になるわけです。だって、ドイルが死んでもホームズは死なず、乱歩が死んでも明智は死なないでしょう」
「興味深いですね。詭弁のような気もしますけど」
「まだまだ詭弁を弄しますよう。それでですね、ミステリというフィクションは、宿命的に、他のミステリを意識する。もう少し具体的な例を挙げると、ミステリの登場人物たちが、古今のミステリを意識し、果ては考察を始めたりしてしまう」
「ああ、いろいろありますね、そういうの。フェル博士の密室講義とか」
「ええ。これはもう、ブレイクスルーの一歩手前ですよ」
「何のです?」
「人が、他の人々を観察し、自分との差異を見出しながら、自らもまた人であることを意識するように――ミステリが、自らがミステリというフィクションだということを意識する! その、そのブレイクスルーです。メタフィクションのブレイクスルーですよっ!」
「…………」
肩で息をするほどの勢いでまくし立てた阿久津を、林堂は、冷めた目で見つめていた。
「……で、そのミステリのメタフィクショナルな様式美に憧れる阿久津さんの推理を、これからお聞かせいただけるわけですね」
「うまくまとめましたね」
阿久津が、わずかに悔しそうな口調で言う。
「林堂さん、自覚、無いんですか?」
「いいえ、と即答したいところですが――念のために聞き返しておきます。何の自覚です?」
「だからあ、あの“第四の壁”の向こうは見えてないんですか? メタフィクションの中のキャラクターは、自らが虚構の存在であることを自覚してるものでしょう?」
「俺には、別に、そんな自覚は無いですよ。俺自身も、俺を取り巻く諸々も、いわゆる“現実”としてしか捕らえていません。ただ――」
林堂は、右手で口元を隠しながら言い淀み――そして、くすりと笑った。
「いや、今は黙っておきましょう。まだ、足りない」
「今に、満ちますよ。その器が」
訳知り顔で、阿久津が言う。
「阿久津さんが何を言いたいのかさっぱりです」
「僕がご披露したいのは、僕の推理ですよ。陳腐で、そして恐らく間違っている、ね」
「ようやく話が本筋に戻りましたね」
「僕の推理の鍵となったのは、やっぱり、あの“D”のダイイングメッセージです」
わざとらしく人差し指を立てながら、阿久津が話を続ける。
「もちろん、あれがアルファベットとは限りません。半円とか半月という意味かもしれませんし、弓の形にも見えなくもない。しかし、精次郎氏に残された時間がそれほど長くなかったことを考えると、あまり複雑な、暗号じみたメッセージを残せたとは考えられない」
「同感ですね」
「でしょう? だから、やはり、あれはアルファベット、それも、犯人に直に結び付く、イニシャルであったと僕は考えました」
「――醍醐鐘彦氏、ですか? 封印された4号室の」
「ええ。4号室は確かに封印されてました。しかし、僕達のうち誰も、醍醐氏が4号室に入ったのを見た者はいない!」
「……そうですね」
林堂が、静かに頷く。
「とは言え、廊下に潜伏する場所は無いし、その意味もありません。しかし、精次郎氏に宛てがわれた2号室には潜むことができる。醍醐氏は、ずっと、2号室――その中のトイレかクローゼットの中にでも潜伏していたわけです」
「そして、午前2時以降、黒姫澄乃が部屋を出てから、精次郎氏を殺害した、と?」
「そうです。そして、再び、醍醐氏は2号室のどこか――それこそ、ドアの影にでも潜伏します。もともとはそういうつもりなんてなかったんでしょうが、4号室に戻ろうとした時、偶然、僕の封印を発見して、それを利用しようと考えたんでしょうね。それで、2号室に戻って朝まで潜伏することに決めた。これで、2号室は、僕がマスターキーを使うまで密室を維持できます。どうです!?」
阿久津が、身を乗り出して、向かいに座る林堂に顔を近付ける。
「それで――俺も、阿久津さんも、隅屋勝広氏も、黒姫澄乃も、醍醐氏が2号室からいったん廊下に出たことに気付かなかった、と言うんですか?」
「えーと……ははは、それが、まさにネックなんですよう。澄乃さんは、ずっと2号室のドアのところにいましたからねえ」
「それに……2号室の電気、点いてましたよね?」
「はあ?」
林堂の指摘に、阿久津が、意外そうな声を上げる。
「ああ、そう言えば、そうでしたねえ。でも、それが何か?」
「そもそも電気が点いてたこと自体が引っ掛かったんですが――犯人が、あの明るい部屋の中に何時間もいたのだとしたら、自分が殺した相手が、床に自分のイニシャルを血でカーペットに書いているのに気付きませんかね」
「それは……確かに、気付くのが普通ですねえ。あんなにハッキリ書いてましたし」
「だったら、被害者の血で上書きをして消すなり何なりするはずだと思うんですよ。何しろ、イニシャルがDの人間は、醍醐氏しかいないんですから」
「なるほどお……。ダイイングメッセージでイニシャルを書かれてるからこそ、犯人ではあり得ない、ってことですか。チェスタトン的逆説ですね」
自らの推理を否定されたにもかかわらず――いや、それゆえなのか、阿久津が、妙に嬉しそうな表情で言った。
「いや、まあ、チェスタトンは関係ないと俺は思うんですがね」
林堂が、呆れ混じりの苦笑いをする。
「あと、同じように、醍醐氏が犯人なら――いや、誰が犯人であれ、充分な時間があるなら、机の上の煙草の吸殻やウィスキーの入った2つのグラスを放置したままにはしないと思うんです。あれは、煙草や酒をたしなむ人間が2号室を訪れ、それに精次郎氏が応対したという状況証拠ですからね。煙草やグラスに付着した唾液をDNA鑑定すれば、誰が訪れたのかも特定できるでしょうし……。そう考えると、犯人は、あの部屋を一刻も早く出たいと考えていたため、灰皿やグラスを片付けなければならないということを見落としてしまった、という解釈の方が自然だと思うんです」
「ふむぅ……」
「そもそも、醍醐氏が食堂を出た時点では、2号室は施錠されてたと考えるのが自然じゃないですか? 夕食前に鍵は全員に渡していたわけですから。そうなると犯行前に2号室に潜伏するのは合鍵がないと難しいですよね。それに、もし、合鍵を持っていたとしても、その時には阿久津さんは和紙による封印をしていなかったわけですから、犯行前に2号室に潜伏しようと考える必然性がないですよ。もし、密室という不可能状況を演出したいという動機があったんだとしても、夜になってから合鍵を使えばいいんですからね」
「うーん、おっしゃる通りですね。完敗です。僕の推理、ボロボロですねえ」
妙に嬉しそうな口調で、阿久津が言葉を続ける。
「では、では、名探偵・林堂智視は、このダイイングメッセージの謎をどう解きます?」
「このダイイングメッセージが、ごく単純なものである、というのは、俺も賛成です」
そう言って、さらに説明を続けようとしたところで、林堂はゆっくりと立ち上がった。
「どーしましたあ?」
「いや……警察が来る前に、犯人の指摘をしないといけないんですよね。だとするなら、阿久津さんの言う様式美に従った方がいいと思って」
「じゃあ、やるんですね、あれを!」
阿久津が、これまで以上の、露骨な喜悦の笑みを浮かべる。
「ええ……皆を集めて、さて、ということにしますよ」
「さて――」
食堂兼談話室のソファーに座った黒姫澄乃、隅屋勝広、醍醐鐘彦、そして阿久津真を前にして、林堂は、口を開いた。
「そろそろ警察の第一陣が来るということなんですが、それに先立って、少し、確認をさせていただきたいことがあります」
「それは、つまり、探偵としてってことか?」
醍醐が、うさん臭げな表情で、言う。
「俺自身、警察が来れば、容疑者の一人とされかねない事態なんで――まあ、それは、この場にいる全員が同じなんですが」
「確かにそうだけど……」
勝広が、神経質そうに眼鏡を直してから、他の面々の顔を順番に盗み見る。
醍醐は露骨な渋面を作り、阿久津は何が可笑しいのかニヤニヤと笑い、澄乃は、例によって無表情だ。
「皆さんは、精次郎氏が床に書いたとされる、あの血文字を見てますよね。あれは、アルファベットの“D”に見える。しかし――」
「俺じゃないぞ!」
醍醐が、大声を上げてから、口元をわなわなと震わせる。
「ええ。ここにいる阿久津さんがしかけたイタズラや、あの血文字をそのまま放置いていたことから、犯人はあなたではないと、俺は思っています」
そう言って、林堂は、先ほど阿久津と話をした内容を、かいつまんで説明した。
「そもそも、ダイイングメッセージってのは厄介なものです。それが被害者が書いたものか、もしそうだとして犯人を名指しするものであるのか、また、犯人によって改竄されてなかったのか――そういうことを考えると、はたして犯人を指摘する有力な手掛かりだと考えていいのかどうか、分からなくなってきます」
「しかしだね、D、もしくはそれに似た文字だか記号が残っていたことは事実だし、それを無視するのは――」
そう言う勝広を、醍醐が、ジロリと睨み付ける。
「本当に、Dだったんですかね」
「は?」
林堂の言葉に、他の全員が、程度の差こそあれ、驚きの表情を浮かべる。
「例えば、数字の“1”と書いたのを、犯人が改竄し、“D”にしたとも考えられる」
「1……それに、何の意味が……」
「い、1号室っ! つ、つ、つまり、おま、お前が犯人かっ!」
勝広の言葉を遮るように叫んだ醍醐が、右手の人差し指を澄乃に突き付ける。
澄乃は――きょとんとした顔で、小首を傾げた。
「隅屋から聞いたぞ! お前、お前、あの爺さんの慰み者だったって話じゃないか! だから、それで、爺さんを殺したんだろう!」
「落ち着いてください、醍醐さん。逆も考えられるんですから」
「逆う?」
林堂の言葉に、醍醐が、声を裏返させる。
「つまり、犯人が、1号室の人間に罪を着せるために“1”のメッセージを残し――それに、被害者が右向きの弧を追加してしまったために、結果として“D”の文字になってしまった、とも考えられるということです」
「何ィ……い、いや、なるほど……確かに……しかし、どうしてDなんかに……そんなんだから、それで俺が疑われるハメに……」
「偶然だと思いますよ」
林堂が、涼しい口調で言う。
「そもそも、なぜ、凶行が行われた後の2号室の電灯が点けっぱなしだったのか……。そのことに、俺は、疑問を抱いてました。どうせ翌朝には発覚する犯罪ではありますが、やはり、普通は、電気を消して、誰かに見つかるリスクを少なくしようと、そういう心理が働くんじゃないかと思ったんです。結果的にはそうならなかったですが、ドアの隙間から夜を徹してずっと光が漏れてるのを誰かが気付いて、不審に思う可能性があるじゃないですか。ですが、犯人は電灯をつけたままにしていた。それは、被害者がダイイングメッセージを残せる環境というのを、あえて整えていたから――つまり、あのダイイングメッセージは、被害者ではなく犯人の意図によって作られたものかもしれない、と、そう俺は考えたんです。まあ、その可能性もある、くらいではありましたがね」
そこで林堂は一度言葉を切り、そして、さらに説明を続けた。
「精次郎氏が、薄れ行く意識の中で、何とか孫娘が罪を被ることがないよう、“1”の字を自分の血で消そうとしたのか、それとも、断末魔の痙攣なり死後硬直なりで偶然に床を引っ掻いた指が余計な一画を加えてしまったのか――何にせよ、あのダイイングメッセージとされる血文字から、犯人は、1号室の使用者に罪を着せようと考えていた、と解釈することができるわけです」
その林堂の言葉に――彼以外の全ての視線が、彼に、集中する。
1号室の黒姫澄乃は犯人でない。
2号室の黒姫精次郎は被害者である。
4号室の醍醐鐘彦は犯人でない。
ということは――
「わ……私、が……犯人、だって……言いたいのか……?」
隅屋勝広が、力無い言葉で、呟く。
「いいえ。今までの話は、ダイイングメッセージが決定的な証拠となり得ないこと、そもそも推理の材料にするのはあまりに困難だということを示唆させてもらっただけです。ただ、もし犯人が黒姫澄乃に罪を着せたいのであれば、彼女の名前をダイイングメッセージとして捏造するのが自然のような気がします。しかし、“澄”という字は画数が多く、片仮名や平仮名では、隅屋さんの苗字と紛らわしくなってしまう」
「…………」
数秒、部屋の中の人物達が、林堂の言っていることを頭の中で整理しているような顔になる。
「ところで、そもそも、黒姫澄乃が、被害者の部屋の合鍵を持っていたことを予測し、そして、持ってくることを期待していた人物とは――誰でしょう?」
林堂は、淡い笑みを浮かべながら、勝広の顔を見つめた。
「い、いや、しかし……言いたくはないが、やっぱり、澄乃ちゃんが犯人で……合鍵をどこかに始末したってことも……」
「合鍵は見つかってません。もちろん、もしかすると、今後の警察の徹底的な調査で、思いもよらなかったような場所から出てくるかもしれない。でも、それは、可能性が低いと思います」
「少なくとも、ミステリ的には反則かなあ」
阿久津の意味不明な発言に、林堂も、勝広も、他の誰も、注意を払わない。
「しかし、黒姫澄乃が犯人であるなら、彼女をもてなすにはやや不自然な状況――2つのウィスキーのグラスや煙草の吸殻の入った灰皿を、偽装のために整えたのだと考えなくてはならない。ですが、そのような時間はないことは、勝広さん、あなたの作ったジグソーパズルが保証している。一方、あなたには、それが――つまり、アリバイが、無い。そして――2つのグラスや灰皿は、あなたが、時間を指定して話をしに2号室を訪れたのであれば、とても自然な状況です」
「しかし……しかし、鍵は……? 2号室は密室だったんだろう?」
「そうです。不可解なことにね」
「不可解?」
「だってそうじゃないですか。自殺に見せかけるための密室であるなら、殺害方法と矛盾するでしょう? あの死に方は、どう見ても自殺じゃないんだから」
聞き返す勝広に、林堂が言う。
「阿久津さんがマスターキーを持っている以上、死体の発見を遅らせたいという理由も成り立たない。そもそも、密室殺人とはその存在自体が不可解なことが多いんです。ですが――」
「…………」
「もし、その密室の鍵を持っている誰かに罪を着せたいというのであれば、不可解ではなくなります。一方で、合鍵やマスターキーを持っていることが予想される人物――すなわち黒姫澄乃や阿久津さんが犯人であれば、部屋を施錠するのは不可解です。自分が疑われるのが当然になってしまいますからね」
「…………」
沈黙を続ける勝広の額に、ねっとりとした汗が浮かんでいる。
「ただ、この事件においては、マスターキーを持っていた阿久津さんのアリバイは、事件と無関係な来訪者である俺によって保証され、そして、合鍵を持っていたはずの黒姫澄乃は、それを持ってきていなかったわけですけどね」
「し、しかし――」
勝広は、そこで言葉を切り、乾いていた唇を舌で湿らせてから、再び口を開いた。
「しかしだよ、確かに、澄乃ちゃんの持っていたかもしれない合鍵は、見つかってないが、でも、それは私だって――」
「合鍵が木製で、それを、自室のレンジで燃やしてしまったんだとしたら?」
「――ッ!」
勝広が弾かれたように立ち上がり、そして、全身を震わせる。
「もし、黒姫澄乃が犯人なら、部屋を密室にする意味はない。しかし、誰かが――あなたが、合鍵を持ってきているはずの黒姫澄乃に罪を着せるつもりだったとすれば、部屋は、密室にしなければならなかった。なぜ犯人は部屋を密室にし、犯罪の不可能性を演出したのかという不可解は、これで、解消します」
「…………」
「ジグソーパズルだけでなく、チェスの駒まで手作りできるだけの木工技術のあるあなたが、堅く頑丈な木材で合鍵を作って犯行に及び、そして、犯行後にそれをガスレンジで炭にして水洗トイレにでも流してしまったら……これは、確かに、合鍵は出てこないかもしれないですね。それに、今年が初参加でなかったあなたなら、合鍵を作るためにそれぞれの鍵の型を取るチャンスはいくらでもあった……どうです?」
しばらく、重苦しい沈黙が、部屋を支配する。
そして、勝広は、その沈黙の重さに耐え切れなくなったように、ソファーに再び座り込み、頭を抱えた。
「た……足りなかったんだ……!」
勝広の悲鳴のような叫びが、部屋に響く。
「1回分じゃ……去年の分だけじゃ、足りなかったんだよっ……! しょうがないじゃないか……! こんなに……こんなに簡単に金が入るようなイベントを目の前にぶら下げられたら……しょうがないじゃないかっ! 誰だって魔が差すよっ! 経営ってのは大変なんだ! 子供の遊びじゃないんだよっ!」
涙声のその言葉に、林堂も、阿久津も、醍醐も、罪を着せられようとしていた澄乃も、何も言わない。
澄乃は無表情で、醍醐の顔には同情の色は無く、阿久津は明らかに喜悦の笑みをこらえている様子で――そして、林堂は、口元を右手で隠しながら、すでに何か別のことを考えているように見えた。
「――とまあ、そんなことがあったんだよ」
2人が、大学に通うために上京し、下宿を始めた4月の、とある週末。場所は、それぞれが通う大学の最寄駅のほぼ中間地点に当たる駅の前にあるカフェのオープンテラス。そこで、林堂智視は、西永瑞穂に、ようやくその長い話を終えた。
もともとは、林堂がいつの間にか――具体的には高校3年生の時の冬に――自動車の運転免許を取得していたことを白状させられたついでだったはずなのだが、話の中心は、早い段階で事件の内容にシフトしていた。
「もう、智視ちゃんたら、また私の知らないところでいろいろ危ない目にあって……」
「悪い。そのころ、瑞穂は、受験で随分と苦労してるみたいだったから」
林堂の言葉に、瑞穂が、子供っぽく頬を膨らませる。
「……で、智視ちゃん、どうして一人で雪山を運転してたりしてたの?」
「そりゃまあ、瑞穂を乗せてドライブする時に、あんまり無様な運転はできないだろ。それで、練習にと思って」
涼しい表情で林堂が言い、瑞穂が、むー、と声に出して唸る。
「だからってぇ……やっぱり、隠し事とかするのは……」
「悪かったって。今度、きちんとドライブに連れて行くからさ。東京湾の夜景とか、瑞穂、見たがってただろ?」
「それは……まあ、その、そういうデートに憧れてなかったこともないけど……」
瑞穂は、林堂の言葉と笑顔に、自分が懐柔されかかっていることをしぶしぶ認めようとする。
と、その時、セミロングの癖のない黒髪と通った鼻筋が特徴である純和風の美女が、二人の座る席の近くに、優雅な足取りで近付いてきた。
「林堂さん、探しましたよぉ〜」
おとなしそうな容姿に似合わぬおどけた口調でそう言われ、林堂が、滅多に人に見せないような狼狽の表情を浮かべる。
「僕に黙って上京しちゃうなんてヒドイじゃないですかぁ。あーんなストレンジな夜を一緒に過ごしたのにぃ」
「……智視ちゃん、誰? その人」
瑞穂が、ジト目で林堂を睨みながら訊く。
「え、ええと――」
「僕、阿久津真。名探偵・林堂智視のワトソン候補の栄えある第1号っ、でぇす!」
そう言って、阿久津真は、美人が台無し、という言葉がぴったりの、歯を剥き出しにした笑みを浮かべた。
「あ……阿久津さん……真さんって、太った中年の男の人って話だったけど?」
「うっひゃあ、ひどいなあ。そんなの嘘です! 捏造です! 叙述トリックですよう! 信頼できない語り手ってやつですね! 見ての通り、花も恥じらう乙女なのにぃ〜」
阿久津真が、そんなことを言いながら、わざとらしく腰をくねらせる。
林堂は、傍目にも分かるほどに顔色を変えながら、自分が何を言ったらこの事態を収拾できるか、必死に考えている様子だ。
「実は、ちょっと向こうでこっそり聞いてたんですけどねえ。種明かしすると、冒頭で出てきた太ったオジサンが、料理人の花江太郎さん。割烹着姿で無口そうだった女ってのが僕でぇす。まあ、あの時は、花江さんが夕食の準備をおっぽり出して帰るっ言い出したんで、かなわないなあ、と思って鬱入ってたんですけどね。林堂さんに出会えて、そんなの風速40メートルで吹き飛んじゃいましたよう!」
話をしながら徐々に林堂の方に体を向けていた阿久津真が、ぐっ、とその白い両手で林堂の手を握る。
「い、いや、その」
「――あたし、帰る」
決然とそう言い放ち、瑞穂は、椅子から立ち上がって背中を向けた。
だが、途中で思い直したかのように、振り返り――自分が飲んだ分のコーヒー代を、テーブルに叩き付ける。
そして、林堂の呼びかけに対して振り返ろうともせずにその場を立ち去る瑞穂を、阿久津真は、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたまま、見つめ続けたのだった。
林堂智視が西永瑞穂を再びドライブに誘うまで、実に、その後3週間を要した。