awakening

第2章



 朝。
 ぼんやりと遼は、ソファーに身を沈めていた。
 わざとらしいほどの秋晴れの空が、さんさんとした陽光を地上に投げかけている。爽やかさの押し売りとでも言いたいところだ。
 今日は、病院に検査に行かなくてはならない日である。さらに言うなら、主治医にケガの原因を問いただすべき機会でもあった。
 しかし、遼は、起きてからずっと、ひどく億劫だった。
 記憶を失ったままこの家に戻って以来、眠れない夜が続いている。原因は、由奈だ。
 由奈と自分との関係が、どうにもつかみきれないのである。
 あれ以来、由奈と遼は、あまり会話をしていない。遼の方で、由奈と話すことを避けているのだ。そのためか、由奈も、あの屈託ない笑顔をめったに見せなくなってしまった。
 あれと言うのは、無論、今遼が座っているソファーで、由奈が遼のそれを口で奉仕した一件のことである。
 訊きたいことは、山ほどあった。記憶を失う前の遼と由奈の関係はいかなるものだったのか。あのビデオは何のために撮影されたものだったのか。由奈にあのような仕打ちをする遼という男は、どういう人間だったのか。そして由奈は、そもそも遼をどう思っているのか……。
 二人の関係は、尋常の恋人同士というわけではない。それは分かる。
 しかし、それ以上には踏み込めない、というのが、今の遼の気持ちである。さらに、あまりこのことに根を詰めると、なぜか額の傷が痛み、耳鳴りまでするようになる。
 そんなことで悶々としているうちに朝を迎えるというのが、最近の遼の日常であった。
 自然、朝食後には、空あくびばかりするようになってしまう。まさに今も、そういう状態だった。
(いいや……寝ちまえ)
 胸ポケットの携帯電話で、病院の予約をキャンセルし、遼はソファーでうたた寝を決め込むことにした。この部屋にも、机の上にきちんと電話がある。しかし、そこまで歩くのさえ面倒だったのである。
 目を閉じると、ひどく不快な眠りが、ゆっくりと脳を侵蝕して行った。



 ドアの音で、遼はぼんやりと目を覚ましていた。
 誰かがこの部屋に入り、さらに、奥の寝室のドアを開けた音だ。
(由奈、かな……)
 そう思いながらも、遼の意識は未だ半覚醒状態である。まだ日が高いところを見ると、そう長い間寝ていたわけではなさそうだ。
 由奈らしき気配は、鼻歌などを唄いながら、書斎の奥の遼の寝室まで行ってしまった。鼻歌は最近の歌謡曲のようだが、遼の記憶にはないメロディーだ。
 そのときには、遼は完全に目を覚ましていた。
 どうやら、由奈は、ソファーに深々と座って眠っていた遼に、気付かなかったようだ。このままでは由奈をおどかすことになるし、とりあえず昼食の用意はしてもらわないと困る。
 遼は、固くなった肩や背中の関節を軽く動かしながら、自らの寝室に通じるドアに近付いた。
「……あン」
 半開きのドアに手をかけようとして、びくっと体を止める。
「……あア……あッ……あぁン……」
 明らかにその時の声が、遼の耳に届いたのだ。由奈の声である。
 ドアの隙間から、自分のベッドが見える。一人で寝るには大きすぎる、頑丈そうな木製のベッドである。
 由奈は、そこに腰掛けていた。ちょうど、ドアのところの遼が、由奈の左斜め前から覗く角度だ。
 遼の枕を、左手で胸に抱くような姿勢で、由奈はいる。その鼻は枕にうずめられ、目は閉じていた。そして、右手で自らのスカートを捲り上げ、両足の付け根に手を這わせている。
 まるで何かに耐えているかのように、少しずつその眉がたわんでいき、呼吸が荒くなっているのがわかった。
 記憶を失ってるとは言え、それは自分の周囲の情報に関することだけである。遼には、由奈が何をしているのかきちんと分かっていた。
(自分で……してるのか……)
 目をそらすことができない。こちらから見える以上、由奈が目を向ければ、遼のことを見つける可能性が高いのに、遼はそこを動くことができなかった。
「はぁ……」
 由奈は、切なげに溜息をついて、上体をベッドに倒した。
 そして、腰を大胆に浮かして、ショーツを膝までずり下ろす。どうやら、下着がこれ以上ぬれないようにしたらしい。それとも、薄い布ごしでは我慢できなくなったのか。
「んン……」
 まずは、性器全体を覆うように右手を当て、ゆっくりと撫でるようにする。
「ん……ん……んんン……ッ」
 左腕は、相変わらず枕を抱いている。その手にこめられた力が、だんだん強くなっていくようだ。
 右手の動きも、次第に早まっていく。
「はッ……はッ……はッ……はぁン……」
 いつしか、右手の形が変化していた。中指と薬指が幼そうな割れ目に添えられ、忙しく上下している。自ら分泌した愛液を潤滑油にし、ピンク色の肉襞をこすり、敏感な突起を、包皮の上から刺激していた。
 そして、激しくなった指使いが、偶然包皮を剥き、クリトリスに直に接触する。
「ンあッ!」
 あげてしまった快楽の声に、自分で驚いたかのように、一瞬、由奈の動きが止まる。
 しかし、それは一瞬のことでしかなかった。一度踏み込んでしまった行為からは後戻りすることができず、由奈は人差し指と中指でその敏感な部分を外に出し、中指でいじり始めた。
「ン! ンンンッ! ンッ! ンンーッ!」
 まるで電流のような、痛いほどの鋭い快感に、由奈の小さな体がのたうつ。
 いつしか由奈は、その小ぶりな口で枕カバーを噛み締め、両手を股間に回していた。
 右手の指でクリトリスを挟むようにして刺激し、左手の指をクレヴァスに沈める。
「ンう! ン! ン! ン! んんんんんンッ!」
 あどけない顔は上気し、耳たぶまで真っ赤に染まっている。眉は切なげにたわめられ、目尻には涙が浮かんでいた。見ようによっては、何かひどい苦痛に耐えているようにも見える。
 しかし、由奈の指の動きは緩まるどころか、ますます激しさを増していた。右手の指は揉みつぶすようにクリトリスを責め、左の中指と薬指はピストン運動で自分自身を追い詰めていた。すでに愛液はスカートを濡らし、腰は誘うように浮かされ、空中で揺れている。
「ふあッ!」
 可愛らしい悲鳴とともに、枕が口からこぼれおちた。由奈が噛み締めていたその部分は、びっしょりと唾液で濡れている。
 もはや、由奈のあふれ出る声を止めるものはない。
「ああッ! は、あ、あ、あ、あぁアッ! ああン! あーッ!」
 すでに、由奈は限界だった。その細い腰は大胆に跳ね、まるで目に見えない男に体を弄ばれているかのようだ。
「あ、い、イク。イっちゃう。イっちゃぅーッ! ご、ごしゅじんさまーっ!」
 心の中で自分を犯している愛しい相手に絶頂を告げ、由奈はひときわ大きく腰を跳ね上げた。愛液が、まるでしぶくようにスカートと床に飛び散る。
 その姿勢で、何度か由奈は痙攣した。
「はあああぁ……ン」
 そして、まるで糸が切れたかのように、ベッドに腰を落とす。
(あ、ヤバい……)
 遼は、我に返ってこの場を去ろうとした。由奈が正気に戻れば、ドアの隙間から覗く自分を見つけてしまう。
 その時、なんとも場違いな電子音が、ぴろぴろと鳴り響いた。
 遼の携帯だ。
「わわっ!」
 慌てて声を出し、着信音を止めようとして、腕がドアにぶつかってしまう。携帯の電源を切り、静寂が戻ったときには、ドアはするすると滑って、遼の全身をあらわにしていた。
「ご……ご主人様……?」
 上半身を起こし、茫然と遼の姿を眺めていた由奈は、ふと気付いてあわててスカートで自らの剥き出しの部分を隠した。ショーツは、両の膝にまとわりついたままだ。
 そのまま、さらに顔を赤くして、うつむき、黙り込んでしまう。
 ぽろぽろと、涙がスカートに零れ落ちた。
「あ、あの……」
 歩み寄るべきか、それともここを離れるべきか決めかね、遼は立ちすくんでしまう。
「……ごめんなさい……」
 由奈は、消え入りそうな声でそう言った。
「え?」
「ご、ごめんなさい……ご主人様……。由奈……ご主人様の匂い、かいだら……ガマンできなくて……」
「……」
 遼は、その小さな声に誘われるように、一歩、由奈に近付いていた。
「……ご主人様」
 由奈が顔を上げ、うるんだ瞳で遼を見上げる。
「ご主人様……由奈に、お仕置き……してください……」
(……え?)
「お願いです……いけない由奈に……どうか、おしおきを……」
 遼には、由奈が何を言っているのか分からない。そもそも、覗きをしたのはこちらなのに、涙を浮かべてまで謝られて、どうすれば事態を収拾できるのか分からなくなっているのだ。
 そのせいかどうか、遼は、由奈の申し出に肯いてしまっていた。

 ベッドに座った遼の膝の上に、由奈がうつぶせに横たわっている。
 由奈の、髪を二つに結んだ頭は、遼から見て左側である。そして、右側にある由奈の下半身は、何も身につけていなかった。白く形のいいお尻が、むきだしになっている。
 遼は、なぜこういうことになったのか、はっきり分からなかった。ただ、ベッドに腰掛けるやいなや、由奈が頬を赤く染めながら、下半身を剥き出しにし、自分の上にその体を投げ出したのだ。
 幼い体型とアンバランスに大きな胸は、遼の太腿に触れ、その形を変えていた。
「由奈……」
 かすれ声で、遼が言う。
「お仕置きして……ご主人様……由奈のお尻、叩いて……」
 確かにこれは、年端もいかない子供が、親に尻を叩かれる姿勢だ。
(しかし……)
 遼はためらった。
 いや、ためらったはずだった。
 ぴしゃっ!
「あン!」
 が、気付くと、遼は由奈のお尻を叩いていたのだ。
 叩いた尻に手を当てていると、きめの細かい肌のそこの部分が、温度をもっていくのが分かる。
 それとともに、遼の頭にも、かっと熱い血が昇っていた。
 ぴしゃっ!
「あン!」
 ぴしゃっ!
「ンあッ!」
 ぴしゃっ!
「あぁーッ!」
 お尻を叩いたときの小気味のいい音と、その感触、そして由奈の悲鳴に、ざわざわと音をたてて全身の血が熱く駆け巡る。
「あひッ! イタイ、イタイよォ!」
 叩くのを、止めることができない。
「ご、ごめんなさい。許して、許してェ!」
 まるで、父親に許しを乞う童女のような由奈の言葉に、ますます興奮する。
 そしてそれは、由奈も同じようだった。
 叩かれ、悲鳴をあげながら、じっとりとその割れ目をうるませているのが、遼にも分かる。
 遼は、今、自分がとんでもない間違いを犯しているような気になりながらも、自分と、由奈を高めるこの行為を、止める事ができなかった。
 遼は、叩いているその手が痛くなって、ようやくスパンキングを止めた。
「はあああぁァ……」
 由奈が、ぐったりと体から力を抜いた。
 その丸い小さなお尻は、無残にも赤く染まり、まるで血をにじませているかのようだ。
「んン……ッ!」
 軽く触れると、それだけで痛みを覚えるのか、体がピクンと跳ねる。
 遼は、自分でも説明できない衝動に突き動かされながら、由奈の体を抱え上げ、床に膝をつかせて、上半身をうつ伏せにベッドに横たえた。
 そして、自らも床に座り、そっと由奈のお尻にくちづけする。
「ふぁッ!」
 我に返り、由奈は背後を振り返った。
 赤く火照る尻たぶを冷やそうとするかのように、遼が舌を這わせ、唾液の跡をつけている。
「あン……ご、ごしゅじんさまァ……」
 舌と唇が触れるたびに、その部分にじんじんとする熱さが甦る。
 由奈はシーツをつかみ、ふるふると下半身をふるわせた。かまわず、遼はその作業に没頭している。
「あァ……あぁァン……それ、きもちイイ……」
 舌足らずな声で、由奈が快感を訴える。すでに陰部は驚くほどの愛液を分泌し、太腿まで濡らしている。
 そして、その部分に、遼は何の予告もなく口をつけた。
「あーッ!」
 まるで果物を二つに割るように両手で開き、クレヴァスを舌でえぐり、ひだひだを唇で挟んで、なぶる。
「あ、あ、あ、はぁン。ごしゅじんさま、ごしゅじんさまァ……ッ!」
 遼は尻ごと持ち上げるように腰を抱え、敏感な肉の突起にまで舌を伸ばし、わざと音をたてて肉襞ごと愛液をすすった。
「あはぁア! あふ、ふ、ふあ、ふあ〜ン。ああああああァ!」
 由奈の声がいよいよ切羽詰ったときになって、遼はクンニリングスを中止した。
「あぁ……ごしゅじんさまァ、どぉしてェ……?」
 由奈が、恨みっぽい流し目で、遼の方を向く。
 遼はそれに答えず、なぜかひどく乱暴な動作で、由奈を仰向けにひっくり返した。
「きゃン!」
 そして、ベッドにずり上げるようにして、その小さな体を横たえ、自身もベッドに上がる。
 そのまま、遼は由奈にのしかかり、首筋の服のボタンを千切るように外していった。
「え? あ、あ、痛ァい」
 そう言う由奈を無視して、エプロンドレスの胸元から、強引に由奈の巨乳を掘り出す。不自由な形でさらけ出されたその大きな乳房は、フリルつきの白いブラジャーに包まれており、いかにも苦しげだ。
 遼はそのブラの隙間に下から手を差し入れ、両手で由奈の胸をもみしだいた。次第にブラのカップが上にずれ、仰向けになっても形を崩さない丸い乳房が、その姿をあらわにする。
 遼は乳房の谷間に顔を埋め、右手で左の乳首をいらいながら、右の乳首に口を近づけた。
「ンあ!」
 由奈の体が跳ねる。遼が、乳首に歯を当てたのだ。
 そして、その乱暴な愛撫を詫びるように、舌でやさしくころがし、唇で軽くしごくようにする。唾液に濡れた乳首が、固く尖っていった。
 さらに遼は、左の乳首も同じように刺激した。
 そして、由奈の小さな体に覆いかぶせていた半身を、ゆっくりと起こす。両手はまだ由奈の胸に置かれ、その指は弾くように勃起した乳首をいじっていた。
「はァ、はァ、はァ、はァ……」
 興奮のためか、由奈の息は荒い。小さな口を半開きにし、白い歯をのぞかせながら、呼吸を繰り返している。
「ご……ごしゅじんさまァ……」
 由奈は、目に涙を一杯に溜め、懇願を始めた。
「お、おねがいです……由奈、もう……もう……」
 遼は、返事をしない。長い前髪のために判然としないが、何かに耐えているかのような、そんな表情で、由奈を見下ろしている。
 そして、ついに耐え切れなくなったかのように、遼の体が不意に動いた。
 由奈のくしゃくしゃになったスカートをめくり、あらわになった割れ目に、剛直を一気に侵入させる。
「ンあァーッ!」
 由奈の体がのけぞった。充分に愛液を分泌しているため、さすがに痛みはないが、きつい挿入であったことには違いない。
 しかし、遼は容赦しなかった。
 顔相応に幼い腰を抱え、まるで、自分の腰を叩きつけるような動きで、由奈を追い詰めていく。
「はァッ! ス、スゴい、スゴいですッ!」
 由奈は、まるでいやいやをするかのように頭を振った。そのたびに、豊かな乳房がぷるぷると震える。押し寄せる快感が大きすぎて、受け止めきれないような感じだ。
「はひッ! ひッ! いいッ! いあーッ!」
 由奈は、すがりつくように、両手を遼の腕に伸ばした。そして、指が白くなるくらいの力で、しっかりと遼の手首を握る。遼の動きを止めようとしているとも、より深く結合しようとしているとも、どちらともとれる動きだ。由奈自身にも、自分がどうしようとしているのか分かっていないだろう。
 由奈の両足は遼の体によって、大きく開かれている。その膝から先は遼の動きによって大きく振れ、足の指先は、快感のためにぎゅっと握られていた。
「気持ちいいか?」
 遼が、結合して始めて口をきいた。遼自身、意図して発した言葉ではない。
「イイ……イイですゥ……ふああああああッ! き、きもちイイの……!」
 うわごとのように、由奈が答える。遼の複雑な表情には、まったく気付かない様子だ。
「いやらしいな、由奈は」
 自分でも意識しない、嘲弄を含んだ声。
「ハイ……あァッ! 由奈は、由奈はイヤラシイんですゥ……。だから、だから、もっとォ……!」
「もっと、どうしてほしい?」
「イジめて……イジめてください……由奈を、メチャクチャにしてくださいッ……ンああああああァ!」
 遼は、腰から手を離し、由奈の乳首をそれぞれつまんだ。
 そして、手を上に持ち上げる。
「アアアアアアアアッ!」
 痛みに悲鳴を上げ、由奈は体をのけぞらせた。膣内が、きゅうっと収縮するのを、遼はペニス全体で感じる。
「イタイ……イタイですぅ……」
 しかし、その声には、まるで媚びるかのような甘さがある。
「どうした? いじめて欲しいんじゃないのか?」
「ハ、ハイ……そうです……」
「痛いのがいいんだろう?」
「イイ……ですゥ……。ンあああああ……スゴくイイ……」
「由奈は変態だな」
 空中で軽く乳首をひねり、思う様、悲鳴を絞り出しながら、遼が言う。
「ああン……そんなァ……」
 自分の動きが、言葉が、自分でコントロールできない。
(……何だ、何をしてる? 何を言ってるんだ、俺は……?)
 そのくせ、意識も感覚も、少しも曖昧でない。何か、何度も見た悪夢をまた見てしまっているような、そんな感じだった。
 ぱっと、遼は由奈の乳首を離した。
「ふアン!」
 ふるるん、とゆれる乳房に、由奈が自ら手を当てる。
 遼が、しばし緩めていた抽送を再開した。今度は、由奈に上体をかぶせ、体を密着させた姿勢だ。腋の下から手を回し、肩を固定するかのように抱く。遼の胸板の下で、由奈の乳房が大きく形を変えた。
「あン! あン! あン! あン! あン! あン!」
 遼のペニスの雁が、由奈の粘膜をえぐるようにこすり、恥骨がクリトリスを圧迫する。
 そして、遼の狼藉によって敏感になった由奈の乳首は、遼が動くたびに、そのシャツの生地でこすられていた。
 由奈は、遼の背中に手を回し、ぎゅっと力をこめた。そして、両脚を腰にからめ、さらなる結合をおねだりする。
「あ、イイッ! イイ、イイ、い、イイですッ……」
 不意に、体の主導権が、遼自身に戻ってきた。
 頭一つ下に、由奈の顔があった。快感に顔を上気させ、まゆをたわめ、半開きになった口からはよだれまでこぼれている。
「ンン……」
 遼は、体を丸めるようにして、その由奈の唇に自らの唇を重ねた。夢中になって唇を吸う遼に、由奈が舌を伸ばし、ピンク色の舌同士が軟体動物のように淫らに絡み合う。
 自分でもどういうつもりかは分からなかったが、それは間違いなく遼の意思による行為だった。
「ンン……ン……ン……ぷはっ」
 名残を惜しみながら、ようやく唇を離した。
 涙に潤んだ大きな目が、自分を見上げている。
 たまらない気持ちになって、遼は最後のスパートをかけた。
「ああァッ! ひあッ! い、い、イ、クッ……!」
 由奈が、両手両脚で、自分にしがみついてくる。
「きて……おねがいですゥ……ご、ごしゅじんさまも……いっしょに……ッ!」
 切れ切れに、由奈がそう言ってくる。
 遼は、その言葉に誘われるかのように、腰に渦巻いていた欲望を解放した。
「あああああああああああああああああァッ!」
 由奈の絶頂の声を聞きながら、わずかに残っていた理性で、体を引き剥がす。
 間一髪、外に踊り出たペニスが、勢いよく精液を由奈の体にぶちまけた。
「はあああン……はあああ……あァッ……はああああぁ……」
 茫然と息をつく由奈の体と、その衣装を、白濁した大量の粘液が汚していく。それは、遼自身が驚くほどの飛距離を見せ、由奈の結んだ髪にまで届いた。
 遼は、それを空ろな目で、見るともなく見ていた。
 血に呼ばれて脳内に現れた何者かは、いずこへともなく去っていた。



 遼は、自室のベッドの上で、大きく溜息をついた。
 由奈と、肉体関係を持ってしまった。
 そのことはいい。問題は、その最中に、自分自身の心と体が、コントロールを失ってしまったことだ。
 由奈の肉体を乱暴に蹂躙し、残酷な言葉でいたぶった自分。
(あれが……記憶を失う前の俺なのか……?)
 そうとしか考えられない。そもそも、ビデオに映っていた自分も、同様に由奈のことを犯していたのだ。
(何てヤツだ……!)
 遼は、自分自身に腹を立てながら、ふと、由奈に単純な好意以上の感情を抱いている自分に気付いていた。ことの順番はどうあれ、深い関係を共有した相手に向ける、当然の気持ちを、である。
 そしてその想いは、嫉妬に彩られていた。
 由奈を、自分でない自分が、その手に抱いている……。
 しかも由奈自身は、その「二人の自分」のことに、気付いているかどうかも分からないのだ。
 自然と溜息が出てしまう。
 由奈は、すでに最低限の身繕いをして、この部屋を出て行ってしまっている。おそらく、いまごろはこの広大な館のいずこかで、シャワーでも浴びているのだろう。
 自分もそうしようかと立ちあがったとき、部屋の電話が鳴った。
「もしもし……結城です」
 未だに、自分にはしっくりこない名前を、電話の相手に告げる。
「イヌイだ。退院、おめでとさん」
 ドスのきいた、という表現がぴったりくるような、低くさびた声がそう言う。
「さっき携帯にかけたんだが、切ったろ」
 遼は、やっと、自分がかかってきた携帯電話の電源を切ってしまったことを思い出した。
「えっと、実は……」
「記憶が戻らないんだってな。……ってことは、俺の事も忘れてるのか?」
「はい……」
「『はい』ときたか」
 何がおかしいのか、電話の向こうの「イヌイ」はくつくつと忍び笑いを漏らした。
「まあいい。何をどれくらい忘れてるか、会って確かめさせてもらうぜ」
 そう一方的に言って、電話は切れた。

「乾孝晃だ。はじめまして、と言いっとこうか」
 二十分ほどして舘に現れたその黒ずくめの男は、応接間のソファーに座るなり、そう言った。
 声相応に、人相の悪い男だ。ごつく長い顔に、丸レンズの黒眼鏡をかけている。大きな口と薄い唇は、どこか爬虫類を思わせた。そして、剃っているのか体質なのか、頭髪がまったくない。
 乾を部屋に案内し、お茶を出した由奈も、この男のことをどことなく恐れている様子だった。
 その由奈も、この部屋には残っていない。遼は、この乾という男と二人きりになってしまった。
 しかし、不思議と恐怖はなかった。
「俺のことどころか、自分の名前さえ忘れちまったそうだな」
 遼は、そんな乾の言葉に、どんな口調で答えればいいのか分からず、とりあえず肯いた。
「しかし、記憶喪失なんてもんが本当にあるとはね。何だかドラマかマンガみたいだな」
 乾は、くだけた口調でそう言った。あまり考えたくはなかったが、自分とは友人だったのだろうかと、遼は思った。
「あの……俺は、どんなヤツだったんです?」
 とりあえず、遼はそう訊いてみることにした。
「少なくとも、この俺に敬語使うようなやつじゃなかったよ」
 そう言って、乾は薄く笑い、続けた。
「あと、気の毒なことだが、善人じゃなかった」
「そうみたいですね」
 憮然とした表情で、遼が言う。そもそも乾からして、とてもまっとうな人間には見えない。
「……で、具体的に、俺は何をしでかしたんですかね?」
 遼の問いに、乾は笑いを引っ込め、ひどく真面目そうな顔になった。
「聞きたいか?」
「まあね。今のままじゃ、気分が悪いし」
「……調教師だ」
 意外な言葉を、乾は言った。
「調教師って……馬の?」
「女だよ」
 聞き返す遼に、笑いもせず、苦い顔で乾が答える。
「おんな……?」
「そうさ。言うことを聞かない女や、感度の悪い女、金持ちのオモチャになってる女を預かって、調教して、一人前の女奴隷にする……そういう仕事さ」
「そんな……そんな仕事が、あるのか?」
「裏の社会には、いくらでも需要があった。そして、お前さんはその仕事を立派に果たしてたんだよ」
「……」
「あと、差し支えがなければ、調教の様子をビデオにとって、厳選された顧客に売りさばいてもいた。いい副収入だったよ。ちなみに、どっちの仕事も、斡旋してたのはこの俺さ」
 再び乾が浮かべた笑みには、どこかしら自嘲の影があった。
「じゃあ、俺の経営してる店ってのは……」
「表向きは、ただの会員制のクラブだがね。裏では、そのテのマニアの溜まり場さ。たまに、そこで仕事の依頼を受けることもあるし、仕事の成果が披露されることもある」
「……」
「今は代理として、俺が店の管理をやってるがね。しかし、お前さんの復帰を待つ声も多いよ」
「……」
 遼は、言葉もない。
「……顔色が悪いぜ」
 乾の言葉通り、遼は真っ青な顔に、細かく汗を浮かべていた。額の傷が、ずきずきと疼く。
「じゃあ……由奈は……?」
 震える声で、やっと、遼がそう言う。
「……」
 つい、と乾は、出されたお茶に手もつけずに立ち上がった。
「?」
「槙本のことは、本人に訊けよ」
「なに?」
「今のお前さんとは、ちと話しづらいんだよ。何だか気の毒でな」
「……」
「しかし、記憶喪失とはね……うまいことやったもんだよ」
 そんな意味不明の捨て台詞を残して、乾は来たときと同様、ひどく唐突に舘を後にした。
 遼は、その後を追うことができなかった。



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