awakening


第1章



 彼は、殺風景な部屋の中、唐突に目を覚ました。
 無表情な部屋の中、無表情な天井が、自分を見下ろしている。
「つ……」
 上体を起こそうとして、彼は、額の左側に軽い痛みを感じた。思わず手で押さえると、粗い布の感触がある。どうやら包帯を巻かれているらしい。となると、ここは病院か何かの病室ということだろうか。
「ご主人様!」
 あたりを見回そうとした彼の視界に、少女の顔が飛びこんできた。
 丸顔の、あどけない顔である。全体に整った顔立ちで、口や鼻はちまちまと可愛らしく、大きな目はやや垂れ気味だ。「美女」と言うより、「美少女」という言葉がしっくりする顔である。長めの髪を頭の両脇で結んで垂らしている、俗に言うところの「ツインテール」が、その幼い顔に妙に似合っている。
(ごしゅじんさま……?)
 彼は、日常生活ではとんと聞くことのないその呼びかけに、少し面食らった。しかし、部屋にこの少女と二人きりであるところを見ると、どうやら彼女の言う「ごしゅじんさま」とは自分のことらしい。
「ご主人さま……よかった……よかったぁ……」
 涙声でそう言いながら、少女は彼の胸元に抱きついた。病院着の胸の部分が、熱いものでじわーっと濡れる感触がある。さらには、彼の腹の部分に押し付けられた少女の胸が、その幼い顔に比べ、アンバランスなほど豊かなふくらみであることが感じられた。
 呼びかけようとして、彼は、この少女の名前を知らないことに気付いた。
「あの……」
 彼がまず思ったのは、人違いではないか、ということだった。どんなに頭の中を検索しても、この自分の胸の中でしゃくりあげている少女に該当する人物が思い当たらない。「ご主人様」なる呼びかけに関しても、それは同様だ。無理に思い出そうとすると、頭がひどく痛む。
 しかし、「君は誰?」という問いを投げかけるには、少女の様子は深刻過ぎた。
「目が覚めたんですね、ユウキさん」
「あ……!」
 職業的な笑みをたたえた看護婦の声に、少女はあわてて身を引いた。パイプ椅子の上で真っ赤になって、小さな体をさらに小さくちぢこませる。しかしその姿勢だと、両腕に挟まれた胸の大きさが、いやが上でも強調された。
「ユウキさん、お加減はいかがですか?」
 思わずその胸元に見とれている彼に、病室に入ってきた若い看護婦が訊いてきた。しかし、彼はユウキという名前にきちんと反応できなかった。まるで知らない名前なのだ。まして、自分の名前であるという意識など全くない。
「え、と……」
 自分の名は、ユウキではない、と言いかけて、彼は口をつぐんだ。
(俺……なんて名前だっけ……?)
 頭痛――と言うより、頭の中をぐるぐると血液が旋回するような感覚が、彼の意識をさらに混乱させる。
「どうしました、ユウキさん? 傷が痛みます?」
「いえ、そうじゃなくて……」
 少女と看護婦が心配そうに見守る中、彼は額に左手を当てたまま、うつむいた。
(俺は……誰だ……何でここにいるんだ……?)
 自分の体が底無しの沼にのみ込まれているような不安の中で、彼は、自分が記憶を失っているのだということに気付かされつつあった。



 数日後。
 戻らない記憶という空白を抱えたまま、彼は見知らぬ自宅に戻った。
 そこは、駅からかなり離れた場所にある、丘の中腹にある建物だった。
 大きな庭の中にある、古びた屋敷である。「屋敷」や「舘」という名前がぴったりくるような、背の高い、洋風の建築物だ。実際に用いられているのかどうか分からないが、煉瓦造りの四角い煙突までそこにある。
 とりあえず、病院で教えられた自分自身の情報を頭の中で反芻した。
(名前は、結城遼。二十三歳。同居の家族なし。職業は、店舗経営……)
 「はるか」なんて、女みたいな名前だと思ったが、どうやらそれが自分の本名らしい。
 医者は、遼の記憶喪失が、頭部に強い衝撃が加わったことが原因のものだと言っていた。ただし、根本的な原因が精神的なものか、それとも器質的なものかは分からないため、何かの拍子に記憶が戻る可能性もある、とも言った。
(つまりは、このまま一生、記憶が戻らないことも充分ありうる、ってことか)
 皮肉げに、遼はそう思った。
「ご主人様、お昼、どうします?」
 病室にいた少女が、遼にそう訊いてきた。
 自分のことを「ご主人様」と呼ぶこの少女は、槙本由奈と名乗った。「ゆな」ではなく「ゆうな」と伸ばすのだそうだ。どうやら、自分の家の住み込んで家政婦をしているらしい。しかし、家政婦をしているからといって、遼のことを「ご主人様」と呼ぶことの説明には、あまりならない。
(あだ名か、何かなのかな……?)
 とりあえずは、遼はそう思って納得することにした。
「何か、軽いものがいいな」
「分かりました」
 そう言いながら、由奈はにこりと笑った。笑うとますます顔立ちが幼くなる。本人は18歳だと言っていたが、下手をすると中学生くらいに見えた。身長も、150センチあるかないか。やや長身の遼の胸元くらいに、ちょうど頭が来る。
「あの、ご主人様……」
 遼に背を向け、屋敷の扉の鍵を開けながら由奈が言った。
「この家を見て、何か思い出しません?」
「……いや、ゴメン。何も……」
「あ、いいんです。無理に思い出そうとしなくても」
 由奈は振り返って、小さな手をパタパタと振った。
「それに、家の中のものを見れば、何か分かるかもしれないし……」
 そう言う由奈の顔が、ちょっと意味ありげに見えたが、遼は気にせず答えた。
「そうだね」
「えと、とりあえず、家の中、案内します」
「ん」
 重そうな扉を開け、靴のまま屋敷に入る由奈の後ろから、遼がついていく。床に敷いてあるのは、古そうではあるが、高級品であることが一目で分かる毛足の長い絨毯だ。どうやら、屋敷の中も純洋風のようだ。もしかすると大変に由緒ある建物なのかもしれない。
 玄関に通じる一、二階ぶちぬきのホールと、そのホールから伸びる、こった曲線で構成された階段。革張りのソファーが置かれた客間。食堂と厨房。そして書斎というのが一番ぴったり来る部屋……。
「ここが、ご主人様のお部屋です」
 そう言われても、何の感慨もわかない。分厚い板で作られた重厚な机と、壁と一体化している巨大な本棚。いくつかの、やはり革張りのソファー。少し旧式の大型テレビやビデオなどのAV機器が、部屋の片隅のラックの中に収められている。
「奥の扉は、寝室に通じてます。あと、こっちの扉はお風呂とおトイレに……」
 どうやら、主要な部屋には別々にバスとトイレがあるらしい。何だか、洋モノのホラー小説に出てくる高級ホテルのようだ。
 遼は、この屋敷の中に入って、ますます自分がどのような生活をしていたのか分からなくなってきた。

「俺……ココで暮らしてたんだよね」
 食堂でトーストをかじりながら、遼は目の前の由奈に訊いた。二人には広すぎるテーブルの上に、二人分の軽い食事がのっている。
「はい」
「一人で?」
「あたしが、住みこみでお世話してました」
 そう言う由奈は、どこか寂しそうだ。自分のことを忘れられているのだから、当然といえば当然だが。
 しかし、遼はあえて、自分と由奈の間がどれだけ親密であったか、訊こうとはしなかった。代わりに、記憶を失う以前の自分に呆れたかのように溜息をつきつつ、言う。
「お世話って……病人じゃあるまいし」
「えっと、まあ……」
 由奈が、何だか曖昧な表情をする。
「ところで、家族はいないって話だったよね」
「一緒には、暮らしてませんでした」
「と言うと?」
「年の離れた妹さんと、あと弟さんがいます。でも、ご両親は、もう亡くなったとか……」
「兄弟とは、別居してるんだ……何か事情があったのかな?」
 自分のことを、まるで近所の噂話をするかのように訊いてしまう。
「分かりません。妹さんや弟さんとは、お母様が違うって話を聞いた事がありますけど……」
「ふーん」
 遼は、小さく唸った。どうやら、自分の家庭は思った以上に複雑そうだ。
 と、唐突に、遼はあることに思い当たった。
「あ」
「ど、どうしたんですか?」
 思わず声をあげた遼に、由奈が丸い目をさらに丸くする。
「いや、俺、どうして頭ケガしたか、医者に訊いてなかった……」
 うかつと言えばうかつだった。記憶喪失ということにとらわれすぎたのか、ケガの原因を訊き忘れたのだ。
「……知ってる?」
 そう言いながら顔を向けると、由奈はふるふるとかぶりを振りながら、答えた。
「詳しいことは、あまり……」
「ふーん。何かの事故だったのかな?」
「……」
「それとも、誰かに殴られたとか?」
「……」
 由奈は、うつむいて何も答えない。どうやら、隠し事が苦手らしい。
(こっちの事情も複雑そうだな……)
 遼は無理に訊かず、そう思うだけにとどめた。後で医者に訊けばいいと考えたのだ。



 アルバムに写っている自分の顔は、いつも仏頂面だった。
 今現在も、鏡の中に見出すことの出来る顔だ。間違いなく自分の顔である。今もそうなのだが、どういうつもりか、両目が隠れるほど前髪を長く伸ばしている。着やせするたちなのか、写真の中の自分は、自分で分かっている以上に痩せて見えた。
 しかし写真の少ないアルバムだった。
 それに、家族揃った写真はほとんどない。いや、そもそも、人物が写っている写真が少ないのだ。家族の中で誰かが趣味にしていたのか、風景写真がほとんどなのである。それでさえ、あまり多いとは言えない。
 アルバムには、何人かの老若男女が登場しているのだが、キャプションも何もないため、誰が両親で誰が弟妹なのかさえ、見当がつきにくかった。
(多分、これが親父で……これが、妹かな……)
 なんだかキツい目をした壮年の男と、セーラー服の少女が、こちらを睨むように見ている。切れ長の目と大きく黒々とした瞳が、遼自身の前髪に隠されたそれとよく似ていた。少女は黒い髪を頭の左側でまとめ、垂らしている。可愛いというよりは美人に属する顔のようだが、まだ幼さが残っていた。中学入学の記念写真らしい。
 その写真を最後に、アルバムは空白のページが続いていた。
(一番新しい写真が、これか……)
 写真そのものは、まったく退色していない。ただし、最近の写真はいくら時間が経っても色落ちなどしないから、そのことだけで、どれくらい前の写真かを知るのは難しかった。
 遼は、溜息をつきながらアルバムを机の上に投げ出した。午後一杯、自分のもののはずの書斎を探して、ようやく一冊だけ見つかったアルバムだった。あと、書棚にあるのは、大判の画集や写真集が主だった。
 しかし、それらを見ても、遼の脳内には何の記憶も蘇らない。あえて言うなら、写真の中の父親らしき口髭の紳士の顔を見るたびに、言いようのない不快感を覚えるだけだった。
(父親とは不仲だったのかな……)
 しかし、程度によるが、それは一般的な親子の関係だと言える。少なくとも、記憶を取り戻すための手がかりになるようなことではない。
 大きな窓から、赤い西日が差し込んでいた。古ぼけた部屋全体が、秋の夕焼けの色に染まっている。
 ふと、遼は由奈のことを考えた。
 屈託なく笑うと、ひどくあどけない顔をする、自分の同居人。
 彼女の言葉や態度に、単なる好意以上のものを感じるのは、自意識過剰だろうか?
 しかし、記憶を失った自分がどう接するのが、由奈と自分自身にとって一番いいことなのかは、さっぱり分からない。
(……考えるだけ、ムダか)
 遼は、ちょうどテレビの前にしつらえられたソファに移り、リモコンでスイッチを点けた。別に見たい番組があったわけではないが、気晴らしをしたかったのだ。
 しかし、テレビの画面は砂嵐を映すだけで、どのチャンネルも満足に映像を提供しない。アンテナに接続していないのだ。このテレビは、専らビデオの再生にのみ使っていたらしい。
 さして失望もせず、遼はビデオデッキを確かめた。数本のテープが脇に乱雑に置かれ、デッキの中にもテープが入っている。
 遼は、何の気なしにビデオの再生ボタンを押した。
 わずかに画面がちらついた後、映像が安定する。
「……!」
 最初、遼はその光景が何を映したものなのか、きちんと把握できなかった。



 暗い部屋の中、何かほの白い物体が浮かび上がるように、画面の中で佇んでいる。
 それは、全裸の槙本由奈だった。
 いや、正確には全裸ではない。黒い革のような素材の、下着のようなものをわずかに身につけている。
 しかし、それは到底衣服の用をなしていなかった。上半身に着けられたコルセットのようなものは、両の胸の部分が丸く開いており、そこから乳房がこぼれ出ている。服の上からもうかがえるほどの巨乳は、そのコルセットによってさらに強調され、痛々しいほどだ。
 一方、下半身にあるのは、革のベルトで構成された、貞操帯のような代物だった。それは、正面から見るとちょうどV字型に、彼女の最も秘めやかな部分を隠している。無論、恥丘はさらけ出されており、幼い顔相応に薄い恥毛まで見て取れた。
 確かに、由奈だった。
 手錠か何かで拘束されているのか、手を後ろに回したまま、ふらふらと体を揺らしている。両足は内股に閉じられ、その白い太ももは、もじもじとすり合わせられていた。そんな姿勢で倒れないでいられるのは、天井から吊るされている銀色の鎖が、彼女をいましめる淫靡な衣装のどこかに接続され、その体を支えているからのようである。
 由奈は、何かを訴えかけるかのような目で、自らの姿を映すカメラの方を向いていた。その柔らかそうな頬は上気し、大きな瞳が潤んでいる。
 遼は、絶句していた。
 早い話が、それはSMを題材としたAVだった。しかし、その中に知り合いの少女が出ているとあっては、単なるAVとは言っていられない。
 しかも彼女は、今の遼にとっては知り合って数日の存在でしかないが、記憶を失う前には一つ屋根の下に暮らしていた少女なのだ。
「ご、ごしゅじんさまぁ……」
 鼻にかかった声で、画面の中の由奈が、カメラの方向に呼びかけた。大した音量ではなかったが、その声は遼の体をびくっと震わせた。
 どうやら由奈は、撮影者に声をかけたらしい。
(まさか)
 遼の心臓が、ずきりと高鳴る。
(まさか……)
 疑念は、あっさりと現実となった。
 カメラの方向から、全裸の男が現れたのである。
 臆する風もなくその体をカメラにさらし、由奈が画面上で隠れてしまうのを避けるように、脇から回り込む。股間のモノには、いっさいモザイクは入らず、無修正だ。
 遼だった。
 伸ばした前髪でその目を隠してはいるが、間違えようがない。自分自身である。その口元には、自分でもイヤになるような薄笑いが浮かんでいる。
 そんな遼の顔に、由奈はすがるような視線を投げかけている。
 画面の中の遼は、由奈の背中に回り込み、そのたっぷりとした乳房を後ろからすくいあげた。
「はぁン……」
 それだけで、由奈はうっとりしたような吐息を漏らした。
 遼は、薄笑いを浮かべたまま、由奈の左の耳元に口を寄せた。そのまま、首筋を唇でなぞり、耳たぶをしゃぶりながら、何かをささやく。
 目を閉じ遼の愛撫を受け入れていた由奈が、こっくりとうなずいた後、口を開いた。
「あたしの名前は……ユウナって言います……。今、ユウナの、お、おっぱいを揉んでくださっている方の……イヤらしい、め、牝奴隷です……」
 どうやら、画面の中の遼は、由奈に自己紹介を命じたらしい。
 羞恥のためか、さらに顔を赤くしながら、つっかえつっかえ、由奈は続ける。
「……今、ユウナの、あそこには……バ、バイブが、入ってます……んあああああン……」
 最後の方は、意味をなす言葉にならない、遼が、由奈の乳首をひねり上げたのだ。
「んあ、ああン……か、感じる……ユウナ、ちくびがかんじちゃいますぅ……」
 眉を寄せ、悩ましげな顔で、甘い声をあげる由奈。
「いたいの……いたいのに感じちゃうんです……ユウナ、ヘンタイだから……ああァっ」
 由奈の声の質が変化した。遼が、由奈の体内に入っているというバイブを、何か操作したらしい。
「ふあ、あああっ。い、いい。イイの。あ、あそこが……イイ。イイよお……」
 高い、まだ子供のような声で、由奈は快感を訴えた。まるで少しでも快楽を引き出そうとするかのように、腰をはしたなく前後左右に振る。
 遼の両手は、再び由奈の乳房を弄んでいた。指が喰いこむほどにもみしだき、乳首を転がし、まるで搾乳するかのように下に引っ張る。そのたびに由奈の白い胸には赤い跡が残るのだが、いっこうに形は崩れず、ぴんと立った乳頭を上に向かせている。
 乳房だけではなく、遼の両手は、由奈の体の上を自在に這い回った。そのたびに、由奈は体を震わせ、いやいやをするように顔を左右に振る。
「ンああああああっ!」
 由奈が、ひときわ高い声で鳴いた。
 遼が、由奈の股間のV字型のベルトを両手で持ち上げたのだ。ベルトはきつく股間に食い込み、その奥にあるバイブを、さらに由奈の内部に埋めこんだらしい。
 由奈が、痛みと快感に顔をのけぞらせる。
 のけぞった由奈の唇に、遼が唇を重ねた。身長差があるため、そういう姿勢になるのだ。
 遼の口が由奈の唇を吸い、舌が口腔をなぶる。キスという甘酸っぱい言葉で表しきれない、唇で唇を侵し、舌で舌を蹂躙し、唾液と唾液を交換する、そういう行為だ。
「ンンンンンンンっ!」
 由奈が、くぐもった悲鳴をあげ、遼の腕の中で体を硬直させた。
 ぴくん、ぴくんと、汗と体液にまみれた体が震え、乳房がゆれる。
 そして由奈は、がっくりと頭をうなだれ、背後の遼の体にその身を預けた。まるで熱病患者のように息が荒い。
(イった……のか……?)
 気がつくと、画面を見ている遼の息も、同じくらい荒くなっている。
「ご・しゅ・じ・ん・サ・マ」
「わあっ!!」
 いきなり耳元で言われ、遼は文字通りソファの上で飛びあがった。
 驚くほど近くに、由奈の顔があった。現実の、画面のこちら側の由奈だ。この屋敷の中での制服なのか、紺色のワンピースに、白いエプロンドレスという、まるで前世紀のメイドのようないでたちだった。ご丁寧に、フリルのついた布製のヘアバンドまでしている。
 しかし遼は、そんな由奈のいかれた服装について口を出せるような状態ではない。完全に、頭の中が真っ白になっているのだ。
「そのビデオ、見ちゃったんですね……」
 その幼い顔に似合わない、妙に艶っぽい目で遼の顔を右側から覗き込みながら、由奈が言った。
「しかも、すごい真剣に……由奈が入ってきたのに気がつかないくらい……」
「……」
 絶句したままの遼の右の太腿に、由奈は右手を伸ばしてきた。
 そのまま手は伸び、愛しげに、遼の股間をまさぐる。当然といえば当然のことながら、遼のそこは狭苦しいジーンズの中で痛いほどに勃起していた。
「やっぱり、おっきくなってる……」
 言いながら、股間から手を離さず、由奈が遼の前に回り込んだ。
 そして、そのまま遼の両足の間の絨毯に膝をつき、ジーンズのこわばりに両手を添える。
「ま、槙本さん……」
 からからに乾いた喉で、遼は、やっとそれだけ言う。拒むべきか、このまま受け入れるべきか判断がつかない。それは、記憶を失ってしまっているからだけではなかった。
「ダメ、ご主人様。由奈って、呼んでください……」
 遼の顔をじっと見つめながらそう言い、由奈は遼のジーンズのジッパーを下ろした。そして、ちょっとつっかえさせながら、熱くたぎった欲望を外界に解放する。
 それは、浅ましく血管を浮き出させながら、硬く屹立していた。遼自身あきれるほどの勢いである。
「んふ。ご主人様、ここはもうすっかり元気……」
 嬉しそうにそう言いながら、由奈はぷっくりした桜色の唇を、グロテスクな肉棒の裏側に這わせた。
「……んっ」
 たったそれだけで、遼は声を漏らしてしまう。それほどの、絶妙なタッチだった。
「ご主人様……画面、見て……」
 小ぶりな唇を、竿の裏側に沿って上下に往復させながら、由奈は言った。声とともにその息が、敏感な亀頭をくすぐるのが感じられる。
 遼は、言われるままに、画面に目を移した。
 画面の中の由奈も、遼の股間にその顔をうずめていた。
 天井に滑車でもあるのか、由奈を支えていた鎖は長く伸び、由奈を膝立ちの姿勢で固定している。ちょうどその姿勢だと、由奈の顔は遼の腰のところに位置した。
 カメラからは、横向きの角度である。後ろ手になった由奈の両手に、やはり黒い皮製の手錠がはめられ、さらには鎖とつながっているのが見える。
 画面の中の由奈は、両手をいましめられたまま、遼のペニスに奉仕していた。
 ピンク色の舌を出し、ちろちろと亀頭や陰茎の裏側を舐め、陰嚢を小さな口に含む。だらしなく開かれたその口元からは唾液がこぼれ、遼のペニスと、由奈の顔を汚していた。
「んぷ……ご、ごひゅじんさま……お口に入れて、いいですかぁ?」
 そう、舌足らずな声で言う上目遣いの由奈に、画面の中の遼は鷹揚にうなづいた。
「あぁ、うれしい……」
 由奈が、口だけで、遼の肉棒をとらえようとする。しかし、体を拘束されている上、遼が意地悪く体をかわすため、なかなか咥え込めない。
 しかもそのたびに、遼は由奈の頭に両手を添え、唾液と粘液にまみれたペニスで由奈の顔をはたくのだ。
「あン……」
 その屈辱的な打擲を、由奈は恍惚とした表情で受けとめる。
 そんな遊びに飽きたのか、遼はようやく腰を動かすのを止めた。
「んんン……」
 うっとりとした声をあげて、画面の中の由奈が、遼のペニスを口に含んだ。
 まず、一気に喉奥まで欲望を侵入させようとする。しかし、由奈の唇はペニスの半ばまでしか到達しなかった。
 その到達点から、由奈の唇はゆっくりと後退する。由奈の口から這い出てきたペニスは、さらなる唾液にぬめり、何か別の生き物のように見えた。
 由奈は目を閉じ、ゆっくりと頭全体を動かしながら、フェラチオを続けた。その間も、もじもじと腰が動いているところを見ると、彼女の中に埋め込まれたバイブは、まだその受持ち場所を責め続けているらしい。
 しばらく後、由奈は亀頭のみを口に含んだ状態で、一休みするように動きを止めた。
 しかし、たまに隙間からのぞく舌の動きで、由奈の口腔が忙しく遼のそれを刺激しているのが分かる。
「ヤダ……あたし、あんなに一生懸命……」
 一時、遼のそれから口を離した現実の由奈が、画面を見ながら言った。その間も、両手は優しく遼の陰茎をさすっている。
 すっと、画面の中の遼が腰を引いた。
「あ……」
 名残惜しげに言う由奈の唇とペニスの間に、唾液と粘液で作られた銀色の逆アーチが作られ、そして消える。
 画面の中の遼は、再び由奈の背後に回った。
 そして、鎖の長さはそのまま、ぐいっと由奈の腰を持ち上げる。
「イヤあン!」
 抗議にしては、媚が多量に含まれた声を、由奈があげる。しかし、遼は一向に頓着しない。
 由奈は、ちょうど深々とおじぎをした姿勢をとらされた。鎖に吊るされた手錠に、かなりの体重がかかっているはずだ。しかし、由奈があまり痛がらないところを見ると、革手錠はさらにコルセットに固定されているらしい。
 何にせよ、由奈は前に倒した上体を鎖一本でつるされる格好になった。豊かな胸が、砲弾の形をとり、ゆれる。
 その由奈の下半身につけられたベルトの金具を、遼が慣れた手つきで外していく。
 由奈の股間が、あらわになった。
 由奈自身が説明したように、その性器にはバイブが突き刺さっている。外されたベルトと、由奈の内股は、彼女が分泌した液でべっとりと塗れ、きらきらと光って見えた。
「あいっ……ふあああァ〜ん……」
 由奈が、気の抜けた悲鳴を上げた。責め続けられ、敏感になったその部分から、ゆっくりと遼がバイブを抜いたのだ。ピンク色の細身のバイブも、当然ぬらぬらとした粘液にまみれている。
「ああ、イヤぁ……ぬ、抜かないでぇ……」
 そう言いながらも、由奈はどうすることもできない。せいぜい、その丸いお尻をふるわせるくらいである。
「欲しいのか?」
 画面の中の遼が、嘲弄を含んだ声で訊いた。
 録音された自分の声を聞くのは、ただでさえあまり愉快なことではないが、それ以上の不快感が、胸の中に生じる。
「ほ、欲しい……ほしいですぅ……ああン、意地悪しないでェ……」
 画面の外の遼の思惑とは全く無関係に、由奈は息も絶え絶えになりながらおねだりをする。
「本物と、どちらがいい?」
 言いながら、遼は自らのペニスを浅く靡肉にくぐらせ、上下に動かした。
「そ、それ……それが、欲しいです……イヤ、イヤぁ……焦らさないでぇ……」
「もっとはっきり言うんだ」
 そう言いながら、入り口近くをかきまわし、腰や太腿、さらには尻の谷間にまで指を這わす。
「ひどいなぁ、ご主人様ってば……」
 笑みを含んだ口調で、画面の外の由奈が言った。そして、ソファーに座ったままの遼に向き直る。正確には、遼の股間に向き直ったのだが。
 一方、画面の中の由奈は、背後の遼におねだりを続けている。
「い、入れて……オチンチン……ご主人様のオチンチン……入れてください……」
「どこに?」
 悪魔のように優しい口調で、遼は重ねて訊いた。
「ゆ、ユウナのアソコです……ああ、その熱いのを……早くゥ……!」
「あそこって?」
「ああッ……お、オマ×コですゥ! やあン! ユ、ユウナ、おかしくなっちゃうよーッ!」
 とうとう由奈は、子供のような泣き声を上げる。
 遼は、みじめに吊るされた由奈の腰に手を添え、一気にその剛直で貫いた。
「ああああああああああぁッ!」
 それだけで軽く達したのか、由奈が体をしならせる。
 しかし、遼は機械のような冷酷さで、抽送を続けた。
「あン! あン! あン! あン! あン! んああああああ!」
 遼の腰の動きに合わせて、由奈が断続的な悲鳴を上げる。艶と媚を含んだ、男の脳をしびれさせる声だ。
 ぱぁん、ぱぁん、ぱぁん、ぱぁん
 という、由奈の尻と遼の腰がぶつかる小気味のいい音が、由奈の鳴き声にかぶさる。
 一方、現実の由奈は、画面の奥の自分の声に急き立てられるように、遼の肉棒を口に含んでいた。
「んっ!」
 さんざ刺激されたあとの柔らかな圧力に、遼は他愛なく声をあげてしまった。
 しかしその声も、快楽を告げる画面の中の由奈の声にかき消されてしまう。
「イイ、イイっ! イクぅ……ユウナ、またイっちゃう……」
「いやらしいな、ユウナは」
「ああっ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいぃッ」
 遼の理不尽な言葉に、由奈は熱に浮かされたような口調で謝った。
「そんなにイキたいか?」
「は、はい……ああンン……イって、イっていいですかあぁ?」
 答える代わりに、遼は指が喰い込むほど強く由奈の腰を抱え、自らの動きをより激しくした。
「んあああッ! あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああン! イク、イクぅーっ!」
 由奈のつま先が、むなしく床面をすべる。もはや由奈の足はほとんど床に届かず、その体を支えているのは、鎖と、膣内に侵入した遼の男根だけであった。
 由奈が二度目の絶頂に達しても、遼は、その体を解放しようとはしない。
「はああ、はああああああン……ダメぇ……ダメですぅ……ダメェ……ッ!」
 由奈は、自らの体を満足に動かすこともできず、ただただ、背後から送り込まれる快感に翻弄されるだけだ。
 遼が、腰を動かしながら、由奈のアナルに右手の親指を侵入させているのを、遼の目は捕えていた。その右手が残酷に動くたびに、由奈の悲鳴のトーンが変化する。しかし、由奈の口による容赦のない快楽が、その映像の持つ意味をぼやかしていた。
 遼はとうとう、射精にいたる引き返せない場所まで追い込まれていた。尿道の奥に、液状になった欲望がたまり、沸騰するような勢いでその解放のときを待っている。
 由奈は、その遼の状態を敏感に察していた。
「出してぇ! ご主人様のミルク、いっぱい、いっぱいください!」
 ひときわ膨張したペニスから脳天まで、電撃のような快美感が遼を貫いた。
 ドビュッ、という音まで立てそうな勢いで、遼は白濁した液を解き放つ。
 一度では収まらず、なんどもしゃくりあげながら、遼のペニスは大量の精液を吐き出しつづけた。
「あああああああンンン……」
 どちらのものとも知れぬ由奈の声が、どこか遠いところから、遼の耳に届いた。



 ふと我に返ると、由奈が、ウェットティッシュで遼の股間のあたりをぬぐっていた。
 どうやら、遼の欲望全てを口で受けとめることはできなかったらしい。
 ビデオは、すでに停止されている。
「あ、あの……気持ちよかった、ですか?」
 目があった由奈にそう訊かれても、遼は言葉を返すことができない。ただ、曖昧に肯くだけだ。
「……ご主人様、怒ってます?」
「え?」
 上目遣いで訊いてくる由奈に、遼は訊き返した。
「だって……言いつけでもないのに、勝手にご奉仕なんか始めて……」
「……」
 遼は、どう答えていいのか分からない。
「あたし……ガマンできなくて……」
 耳まで赤く染めながら、遼の両足の間でうつむく由奈。
「えっと……その、気にしないでいいよ。うん」
 遼は、ひどく無内容な言葉だけを、なんとか言ってのけた。
「あ、ありがとうございます」
 由奈は、真っ赤な顔のまま嬉しそうに笑って、立ちあがった。そのまま、逃げ出すように、部屋を出て行く。
 自分こそ、礼を言うべきだったのかどうなのかという、愚にもつかないことを、遼はぼんやりと考えた。



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