第四話
『最期の試練』
第三章



 翌日、あたしは学校をサボった。



「おはよ、譲木くん」
 目を覚ました譲木くんに、あたしは声をかけた。
「如月さん――」
「気が付いたか、少年」
 紅葉さんが、あたしを押しのけるような勢いでベッドのそばにやってきた。
「動けるか?」
「――あ、えと、はい」
「少年には言ってなかったな。緋垣紅葉だ。紅葉さんで結構」
「は、はあ」
 目をパチパチさせながら、譲木くんが体を起こす。
「動けるの?」
「まあね。えっと、ごめん。この人は……」
 譲木くんが、あたしと紅葉さんを交互に見た。む、こんにゃろ、今、紅葉さんの胸元見たな。
「紅葉さんは、D.D.だよ。一緒に行動することになったの」
 あたしは、そう言ってから、一通り今までの経緯を説明してあげた。
 もちろん、あの御影さんのことも、だ。あたし一人であの怪物たちをやっつけたと思われたんじゃ、いろいろ困っちゃう。
 御影さんのことは、乾さんや紅葉さんにも話してる。二人とも、かなり深刻そうな顔をしてた。どうやら御影さんの事を知っているらしい。有名人だな、あの人。
 ちなみに、萌木さんや海立さんには、御影さんのことは話してない。何て言うか、D.D.以外には話せないな、と思ったのだ。
「……いろいろ迷惑かけちゃったね」
 あたしの説明が終わった後、譲木くんは言った。
「べ、別にいいよ、そんなこと」
「いや……やっぱり、僕が不注意だったからだし……。あ、それから、緋垣さん、これからよろしくお願いします」
 折り目正しく、譲木くんが紅葉さんに挨拶する。うーん、ほんとーにマジメだなあ。
「こちらこそ。……しかし、私の本職は夢魔狩りなんかではないのだがなあ」
 紅葉さんは、眉をしかめながら言った。
「じゃあ、何なんです?」
「うむ、秘密だな」
 紅葉さんの言葉は、すごくそっけない。
 乾さんもそうだけど、紅葉さんもかなりの変人だ。D.D.ってみんなこうなんだろうか?
「――食事だ」
 そう言いながら、病室に乾さんがやってきた。昨夜の夜遅くに合流したのである。
「食ったら調査活動だ。このパーティーで、事件の解決を図る」
「黒メガネ、それは命令かな?」
 紅葉さんの言葉に、乾さんは、その人相の悪い顔をちょっとしかめた。“黒メガネ”というのは乾さんのことらしい。
「提案だ」
「だったらもう少し丁寧な口を利いたほうがいいと思うな」
「あんたはどうなんだよ」
 乾さんは、怒る以前に呆れちゃったみたいな感じで、苦笑いした。
「む、言われてみれば確かにそうかもな」
 うんうん、と紅葉さんは肯いた。ホント、ヘンな人だ。
「で、具体的には、何を調査するんですか?」
 あたしは、乾さんに訊いた。
「まずは、お前たちが見付けた死体の身元を洗うようだな」
「…………」
 思い出して、嫌な気持ちになった。
 そう。あの怪物たちは、女の人を食べていた。女の人は――とっくに死んでいた。
 暗たんたる顔になってるであろうあたしのことを、紅葉さんが、なぜかじっと見つめてる。
「警察の方に探りを入れるのと……あとは、死体が見つかった現場の調査だな。鑑識なんかがいるだろうが、俺たちD.D.にしか分からない痕跡もあるかもしれん」
「……二手に分かれるか?」
 紅葉さんが、言った。
「それはちょっと……」
 ベッドの上で、譲木くんが言う。確かに、あれだけ痛い目にあったあたしたちにしてみれば、戦力を分散するのは――恐い。
「男子と女子に別れればよかろう。黒メガネは、少年よりは使えるのだろう?」
 平気な顔で、紅葉さんが言う。
「あんたの方はどうなんだ?」
 そう訊く乾さんは、ちょっと紅葉さんのことを面白がってるみたいだった。なんか、意外。
「私なら大丈夫。娘を守るくらいは造作も無い」
「……信じていいのかね」
「人は真の意味で理解することはできない。できるのは信ずることだけなのだよ、黒メガネ君」
 紅葉さんは、大いに真面目な顔で言った。乾さんは、毒気を抜かれた感じだ。
「じゃあ……俺は、譲木と警察を当たろう。知り合いがいるんでな」
 乾さんと知り合いのお巡りさんかあ……。うーん、どういう関係だったんだか。
「ならば私は現場の方か。――うむ、引き受けた」
 そう言って、紅葉さんはにっこりと笑った。



「悩んでいるな、娘」
 いきなり、言われた。
 あの、譲木くんと行ったカレー屋さんのすぐ近く。問題の路地の入り口辺りで、のことだ。
 平日の午後早くなんで、人通りは少ない。
 路地の入り口には、「立ち入り禁止」って書かれた黄色いビニールみたいなテープが渡されて、入れなくなっている。どうやら、警察の人たちがしたことらしい。
「確かに、その、これじゃ入れませんよね」
「いやいや、そういうことを言ってるわけじゃない」
 言いながら、紅葉さんは、咥えたままのタバコをひこひこ動かした。火は、点いてない。
「えーっと、じゃあ……もしかして、御影さんのことですか?」
 確かにあたし、あの人が何モノなのかで、かなり悩んでるけど――
「忘れろ!」
「は?」
 いきなり大声を上げた紅葉さんに、あたしは目をぱちくりさせる。
「なんです?」
「あの男のことは忘れろ、と言ったのだ。“黒い男”と会ったらすぐそのことを忘れろ。それが、正気を保つ秘訣だ」
「…………」
「まあ、確かにあいつは男前には違いないが……」
「はあ……あの、いったい何の話でしたっけ?」
 紅葉さんとの会話は、なんか疲れるなあ。
「だから、娘が悩んでるという話だ」
「…………」
 つまり、あのことか。
 譲木くんにカレー屋で話した、あの、正体不明の違和感のこと。
 やだな。あたし、いつもそんなに悩んだ顔してたんだろうか。
「悩みなさい悩みなさい。若いうちは悩むのが仕事だ」
 紅葉さんは、にこやかな顔で言った。
「やですよ、そんな仕事」
「うむ。仕事が楽しいわけがない」
「……で、こっちの仕事はどうします?」
 あたしは、路地の入り口を指差した。
「うむ……まあ、こんなのを無視して中に入るのは簡単なことだが……それで、警察や探偵のまねが出来る訳でもないしなあ」
 紅葉さんは、腕を組んで考え込んだ。うわ、胸の膨らみが、すごい。
 ――あたしも、もーちょっと成長してもいいよなあ、なんて考えた時だった。
「……?」
 見覚えのある人が、路地の入り口にやってきた。
 あたしたちがいるのは、通りを挟んで、路地の入り口の反対側である。ちょっと距離がある。
 えーっと……誰だっけ?
 なんて思っていると、女の人は、手に持っていた小さな花束を、路地の入り口に置いた。
 そして、奥に向かって手を合わせている。
「――あの女」
 紅葉さんが、くい、とメガネを直しながら、つぶやいた。
「影が見える」
「カゲ?」
「夢魔の影だ」
「夢魔って……ナイトメア、ですか?」
「そうだ」
 ああ――その言葉で思い出した。
 あれ、三倉さんだ……!
「あたし、あの人知ってます」
「ん?」
「この間まで、ナイトメアに憑依されてた人です。で、あたしと譲木くんで、そのナイトメアをやっつけたんですよ」
「成る程……」
 紅葉さんが、じーっと考え込んでる。
「しかし……なぜその女がここに花を供えてるんだ……?」
「あの、えっと……被害者の人と、知り合いだったんですかね……?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
 紅葉さんが、一人で肯く。
「……どうしましょう? 接触しますか?」
 とりあえず、紅葉さんと一緒に建物の陰に隠れたりしながら、そう言ってみる。
「それも一つの手ではあるが……どう話しかけるかな」
「うーん……」
 あたしは、考えた。あたしは、彼女の夢の中に入っただけで、三倉さんと直で話したことがあるわけじゃないのだ。
「もし、コンタクトを取るにしても、海立さんを間に挟んだ方がいいような気が……」
「そうかもな」
 そう言ってから、紅葉さんは、いきなり別の方向に目を向けた。
 え、何、何なの?
「娘」
「ほえ?」
「物陰から、あの女を見てる奴がいる。怪しい」
 いや、それはあたしたちも同じなんだけど……。
「行くぞ」
 そう言って、紅葉さんが、あたしの手をぐいっと引っ張る。
「って……わあっ!」
 紅葉さんは、走りだした。
 手をつかまれてる以上、あたしも走らざるをえない。
 紅葉さんの言う“怪しい”人影が、あたしにも見えた。
 まだ残暑だって言うのに、汚い薄手のコートをまとった、背の高い男の人――
 その人が、紅葉さんに気付いたのか、道路を走って逃げている。
「待て……!」
 紅葉さんは、カツカツと靴を鳴らしてその人を追った。う、けっこう高いヒール履いてるのに、すごい速さ。
 あたしは、紅葉さんについてくだけで精一杯だ。
 男の人が、コートの裾をひるがえして、狭い道へと入る。
 人通り、皆無。これはチャンスだ。
「このまま追いかけててください!」
 あたしは、紅葉さんの手を振りほどき、両足を踏ん張った。
 あたしの意図を理解したのか、紅葉さんが肯き、走る。
「えいっ!」
 結界を、張った。
 紅葉さんごと、コートの男の人を、閉じた空間の中に引きずり込む。
「ぬうっ……!」
 コートの男の人が、声を上げた。
 ちょうど、結界の端辺りだ。男の人の周囲に、白い靄が漂っている。
 あのまま走っても、男の人は、靄に包まれて方向を失い、結局はこの結界の中に戻ってくるはずだ。
 男の人が、足を止め、こっちを向いた。
「お手柄だ、娘」
 言って、紅葉さんも足を止める。
「ど……どうも……」
 あたしは、切れ切れに言った。全力疾走の後での“精神的肉体労働”は、ちょっとつらい。
「…………」
「…………」
 男の人と、紅葉さんが、睨み合っている。
「……魔術師、か」
「魔女、だな」
 紅葉さんと、男の人が、互いにそう決めつけ合った。
 男の人は――四十歳くらいだろうか。背が高くて、すごく痩せてる。深く皺の刻まれた顔に浮かんだ顔は、こっちの背筋が寒くなるような怒りの表情が浮かんでいた。
「魔物を使役していたのは、お前だな。魔術師」
 紅葉さんは、さらにそう決め付けた。
「――そうだ」
 男の人が、こともなげに言う。
 やっぱり、この人が――
 この人が、あの、ダイモーンを操ってたんだ。
「しかし、魔女どもがこんな空間に俺を閉じ込めて、どうするつもりだ?」
 “ども”って……あたしも入ってるの?
 いや、確かにこれは、あたしがしたことだけど。
 しかし、この状況を冷静に分析して、話をしてる辺り、この男の人、只者じゃあない。
「今は、私は夢魔狩りをやっている。魔女とは少し違うな」
 紅葉さんが、男の人に言った。
「お前こそ、なぜ私達の邪魔をするのか」
「…………」
 男の人は、紅葉さんと、そしてあたしを、交互に睨んだ。
 怖い――
 すごく、怖い目を、してる。
「お前達が……あの憑依体を倒していると言うのか?」
 低い声で、男の人が訊いた。
「憑依体というのが、夢魔のことなら、そうだ。まあ、この娘などはナイトメアと呼んでるがな」
「そんな子供までが、か――」
 男の人は、あたしの方を見て、言った。
「ああ。私達は、人の夢の中に入れるからな」
「信じられん」
「しかし、事実だ」
 言いながら、紅葉さんが、男の人に近付いていく。
「紅葉さん……」
 あたしは、声をかけながら、障壁を張った。
 紅葉さんは、まだ障壁を張ってない。
 確かに、相手の男の人は、人間に見えるけど……でも、今にもこっちに何かしてきそうな雰囲気で、じっと立っている。
 なのに、どうして、紅葉さんは、障壁を張らないんだろう。
「……詳しい話を聞きたいか?」
 紅葉さんが、男の人に言う。
 ああ、もう、そんな状況じゃないと思うのに!
 でも、紅葉さんは、障壁を張らないまま、男の人を見てる。
 なんでなんだろう? 説得でもしようというんだろうか。
 まさか、障壁が張れないってわけじゃないだろうし……。
「話を聞きたいと言うのなら、話してやらんでもないぞ」
 やっぱり、話し合いで解決するつもりなんだろうか?
 だって……あのダイモーンを操ってたのは、この人なんじゃないの?
 この人は、怪物を操って、人を殺してるんだ。そんな人と、話し合いの余地なんてあるわけないのに……!
「ただし、こちらの事情を聞きたいなら、そちらの事情も話せ。その上で、お前をどうするか判断しよう」
 いやその、紅葉さんのその考えは立派かもしれないけど。でも、あたしたちにそんな余裕あるのかな?
 ああ、もう、いろいろ言いたいことがあるけど、言葉にならない。
 紅葉さんと、この男の人の間の緊張した空気の中に、割って入ることができないのだ。
「話すことなど、無い」
 男の人が、冷たく言う。
「お前たちが憑依体――夢魔だかナイトメアだか知らんが、それを倒して回ってるというなら、それでいい。俺が知りたかったのはそれだけだ」
「…………」
「話は、終わりだ」
「仕方無い……!」
 紅葉さんが、障壁を張る。
 と、その時、男の人が懐に手を入れた。
 何が来てもいいように――あたしは、ちょっと腰を落として身構えた。
「あっ……!」
「勝負は預ける!」
 紅葉さんの驚きの声と、男の人の叫び。
 ばしゅっ! と、鋭い音が、響いた。
 男の人が懐から出したお札みたいなものが、いきなり光ったその瞬間――
 男の人は、結界の中から姿を消していた。
「なっ……」
 逃げられたんだ……! あの人は、結界から出る手段を持ってた……!
「娘、追うぞ! 結界を解け!」
「は、はい!」
 魔術師。紅葉さんはそう呼んでた。つまり、あの人は、魔術を――あたし達に近い能力を持っている。
 だから、結界に引きずり込んでも、それで終わりじゃなかったんだ。
 世界をもう一度スキップさせ、結界を解く。
 男の人の姿は、どこにも無かった。
「逃げられたか……」
 紅葉さんは、悔しげに言った。



「逃がしたのか……」
「改めて人に言われると大変に不快だが、その通りだ」
 あたしたちは、あの病院の病室で、軽い夕食を取りながらミーティングをしている。
 ちょうど今、あたしたちが報告をして、乾さんが言った言葉に紅葉さんが言い返したところだ。
「名前は言わなかったのか?」
「魔術師が自分から名乗るものか」
「……分からんな。魔術師なんてものが、現代日本にいるのか?」
「夢魔狩りのくせに魔術師を否定するのは、鏡に映る姿を見えないというのと同じことだ」
「……すいません、それ、よく分かりません」
「あの、僕もです」
 紅葉さんの言葉に、あたしと譲木くんが言う。
「――魔術師は、いる。そして、夢魔狩りと同じように自らの正体を世間から隠そうとしている。これなら分かるか?」
「はい」
「うむ、少年、いい返事だ」
 紅葉さんが、譲木くんに肯きかける。
「それはいいんだが……あんたは、その魔術師とやらについて詳しいのか?」
「黒メガネよりはな。少年や娘よりも詳しいのは言わずもがなだが」
「で、その魔術師とやらが、ダイモーンを使役して人を襲い、あまつさえD.D.を集中的にターゲットにしている、と……」
「そういうことだ」
 紅葉さんの返事に、乾さんは仏頂面をしかめた。
「動機は、今のところ不明、か……」
「推測できないではないがな」
「話してくれるか?」
「外れていると恥ずかしいので、話さない」
 乾さんにそう言って、紅葉さんは、なぜか胸を張った。
「……ま、いいか。じゃあ、こっちの報告の番かな」
「頼む」
 紅葉さんに言われ、乾さんと譲木くんは、交互に話し始めた。
 あの、カエルの頭をしたダイモーンに襲われていたのは、橋本希世美という名前の女の人だった。
 年は二十七歳でOL。あの空き地の近所のマンションに、一人で暮らしていたらしい。
 警察は、その橋本さんの変死体を、自殺、他殺の双方の線で調べているということだ。
 何でも、橋本さんの死因は、検死の結果、墜落死だというのである。
 周囲のビルのどこかから飛び降りたか突き落とされたところを、野犬に食べられた――そんなふうに警察は考えているらしいのだ。
「でも……それって、要するにあの怪物が空から落っことした、ってことだよね?」
「うん、たぶんね」
 あたしの問いに、譲木くんが眉をひそめながら答えた。
「調べによれば、橋本さんは、寝巻きにサンダルという格好だった。それから、マンションはドアに鍵がかかってたんだけど、ベランダに続く窓は開いてたみたいなんだ。つまり、橋本さんは、サンダルを履いてベランダに出たところを、ダイモーンに襲われたんだと思う」
「そうだね」
 それで――あの怪物に吊り下げられ、落とされて――殺され、その上、食べられちゃったなんて。
 ひどい、話だ。
「なぜこの橋本という女が襲われたのかは、今のところ不明だ。しかし、奇妙な点がある」
 乾さんが、そう言って、一拍置いた。
「もったいぶるな黒メガネ。話せ」
 紅葉さんが、乾さんを促した。
「ああ……橋本希世美は、あの、海立のところに入院していた女、そいつと知り合いだったらしい」
「三倉さんと?」
「ああ。大学時代からの友人だったという話だ。そっちの二人の話によれば、三倉小枝子は現場に花を供えてたんだよな。その件は、この情報を裏付けるものだと言っていいだろう」
「…………」
「しかも、その橋本さんは、最近、ひどい悪夢に悩んでいたというんですよ」
 譲木くんが、真剣な顔で言った。
「もしかして……ナイトメア?」
「その前駆症状である可能性は高いな」
 あたしの言葉に、乾さんが答える。
 ナイトメアは、取り付いた人間を即座に“眠り姫”にするわけじゃない。普通は、まず、毎晩のように悪夢を見させる。
 ナイトメアに憑依された人は、眠りにつくたびに悪夢に悩まされ、眠るのを恐れながら、結局は眠りにつき、そして――衰弱死するまで昏睡を続けるのだ。
「三倉さんも橋本さんも、両方ともナイトメアに憑依されてたなんて……」
「偶然とは考えづらい。だが、偶然でないとしたら何なのか、ということは、これだけの情報では分からないな」
「それに、緋垣さんが言うところの魔術師ですか? その男が、ダイモーンを使役する動機の方も、依然として不明ですね」
 乾さんと譲木くんが、口々にそう言いながら考え込む。
「だが、少しずつ見えてきたな」
 紅葉さんは、ちょっと満足げに言った。
「見えた? 見えたって、どういうことです?」
「まだ全貌は分からん。だが、近しい人間たちが短い時期の間に夢魔に取り付かれたとなると、考えられることはほぼ一つだ」
 あたしの問いに、紅葉さんはそう答える。
「つまり……?」
「うむ。夢魔が繁殖したのだな」
「おい、そんな報告聞いたことないぞ」
 紅葉さんの言葉に、乾さんが反論した。
「なら――夢魔はどこから来る?」
「それは……」
「夢魔は繁殖し、伝染する。近しい人間の間でな」
 紅葉さんは、自信たっぷりに言いきった。
「それは……ナイトメアという存在を生物的なものとして捕えすぎだろう。そもそも、DEMONだのナイトメアだのと名前を付けてるのだって、一種の比喩に過ぎないはずだぞ」
「怪物は、心の水底より顕れるモノだ。それに今も昔も無い。昔と同じ名前が付けられているなら、それとこれとは同じということなのだ」
 紅葉さんが、分かったような分からないようなことを言う。
 乾さんは、黙り込んでしまった。
「ともかく、次にすることは決まったな」
「何だ?」
「ナイトメアの伝染元を探るのだ。その三倉だの橋本だのという女の知り合いで、夢魔に取り殺された者がいると思われる。それを、探し出す」
 紅葉さんが、火の点いてないタバコを咥えたまま、にっこりと笑った。
「夢魔の繁殖元を探るのだよ」
「…………」
 ふと、ブンちゃんのことを思い出した。
 ブンちゃんがナイトメアのせいで“眠り姫”になってた時、ブンちゃんのお父さんは、すごく辛そうだったっけ。
 もし……想像したくないけど、ブンちゃんがあのまま大変なことになってたら……ブンちゃんのお父さんは、寝込んでしまったかもしれない。
 そして、もし、そんなブンちゃんのお父さんの心の中に、ナイトメアが現れたら……それは、ナイトメアが“伝染”したって言っていいんじゃないだろうか。
 もし――もしも、そんなことになってたら――
「……如月さん?」
 譲木くんが、あたしの顔を覗きこむ。
「ふえ……?」
 あたしは、知らない間に、涙をこぼしていた。



「ごめん……ちょっと情緒不安定かも……」
 あたしは、まだぐずぐず言ってる鼻をかんでから、譲木くんに言った。
 ここは、病院の屋上。頭上に広がる残暑の夜空には、星なんて一つも無い。ただ、夜の底が、ぼおっと街の明かりに照らされている。
「家に帰れてないもんね」
 びっくりするくらい優しい声で、譲木くんは言った。
 ううん、これは……単に、あたしの気持ちが弱くなってるから、そう聞こえるだけなのかもしれないけど。
「ん……まあ、家のことは、あんまり大したことじゃないんだけど……」
 あたしは、まだ目尻の辺りに滲んでいる涙を、ごしごしぬぐった。
「それより……ブンちゃんのこと、思い出しちゃって」
「若槻さんの?」
「うん」
 言って、ほーっ、と息をつく。
「あたし……ひどいヤツだよ」
「え……?」
「だってさ……ブンちゃんの一番の秘密を知りながら、平気な顔で、顔を合わせたりしてるんだよ?」
「それは……」
 前の事件の時、あたしは、譲木くんとともに、ブンちゃんの最も大事な想いに、触れてしまった。
 それは、もちろんブンちゃんを助けるためにしたことだ。後悔なんかは無い。
 でも、その後――どうしてあたしは平気だったんだろう。
 譲木くんは、あの後、意識的にブンちゃんと顔を合わせるのを避けてるみたいだった。
 けど――あたしは――平気だった。
 平気だった自分が腹立たしい。
 デリカシーとか、思いやりとか、名前は何でもいいけど、ともかく、何か大事なものが、あたしには欠けていた。
 そんな自分に頭に来るし――それに、なんだか恐い。
 あたしは――平気でいちゃいけない何かに、平気になりかけてる。
 そりゃあ、確かに、普通の高校生が体験しないような色々なことを体験しちゃってるけど、でも――
「如月さん……」
「え……?」
 譲木くんが、あたしの両方の肩に手を置く。
 気が付くと、譲木くんが、目を閉じ、顔を寄せてきていた。
 あ、こいつ……あたしにキスしようとしてる。
 頭の中の妙に冷静な部分が、そんなことを思う。
 目を閉じると、まるで女の子のようにも見える、可愛い中性的な顔――
 なのに、あたしの肩に置かれた手は、あったかくて、ちょっと逞しいような――
「…………」
 譲木くんの息が、顔にかかる。
「バ……バカにすんなーっ!」
 唇と唇が触れる寸前に、譲木くんを押しのけていた。
「何、元気付けようとしてるわけ? 同情でキスなんかしようとすんなっ! このイカレポンチ!」
 自分でも思ってもみなかったような言葉が、口から滑り出す。
「え……えっと……」
「もういい! あたしはあたしで勝手に元気になるから、ヘンなまねしないで! じゃあね!」
 譲木くんの次の言葉を待たず、身を翻す。
 あたしが押しのけたこと――譲木くんの傷に障らなければいいけど――
 そんな考えを無理やり頭の外に押しやり、あたしは、自分にあてがわれた部屋に入って、ベッドの中に潜り込んだ。



 もう、覚醒期に入ってる。薬を家に忘れてしまったあたしは、その夜、一睡もすることができなかった。


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