第四話
『最期の試練』
第二章



「一緒に行動しろ?」
「うん、そういう話だった」
「どーして?」
「いや、それがよく分からないんだけどね」
 譲木くんは、困ったような顔で頭を掻いた。
 放課後。二人きりになったとたんに、譲木くんはD.D.T.からの指令をあたしに伝えた。
 曰く、D.D.はできるだけ一緒に行動すること。
 もちろん、この学校にD.D.はあたしと譲木くんしかいない。もしかしたら、何人かD.D.候補になるような潜在的な能力の持ち主はいるかもしれないけど、DEMONと切ったはったをするようなのは、あたし達だけだ。
「んー、これでも花の乙女だし、理由も分からないのに二人っきりってのはねー」
 あたしは、譲木くんが顔を赤くするのを見たくて、そんな軽口を叩いた。
「……どうも、D.D.が何者かに襲われる事件が、けっこう起こってるらしいんだ」
 譲木くんは、生真面目な顔のまま、そんなことを言った。
「……って、あの、犬の顔したヤツに?」
「うん。……それから、あいつは、D.D.T.ではダイモーンって呼んでるらしい」
「だいもぉん?」
「そう。悪霊とか下級の悪魔とか、そういう意味らしいんだけど……人間によって外の世界から呼び出されたDEMONらしいね」
「へえ……召喚ってやつ?」
「そう。あんまり詳しくは僕も知らないんだけど」
 ふと、あたしは、自分がかかわった最初の事件で、ある人が顔の無い怪物を操ってたことを思い出した。
 似てないと言えば似てないけど、真っ黒で、羽が生えてて、一応とは言え手足があるところなんかは、共通点と言えなくも無い。
 まるで、昔の絵に出てくる悪魔みたいな怪物――
 顔の無い悪魔と、犬の顔をした悪魔。関係が有るのかもしれないし、無いのかもしれない。
「D.D.T.には、敵対する組織とかけっこうあるからね。そういう勢力の攻撃かもしれない」
「人類結社とか?」
「うーん、あいつらは、あくまで人間だけの力で、D.D.と対抗しようとしてるから……」
「なるほど。とにかくマトモな人間が最高、って人たちだもんね」
「……僕らだって、まともな人間だよ」
 ちょっとむっとしたように、譲木くんが言う。生真面目もここまでくると可愛くない。
 それにこの件に関しては、あたしにはちょっとした異論が有るし。
「ま、ともかく、ダイモーンを召喚して操るような奴がいるから、D.D.は用心のため固まって行動しろってことなわけよね?」
「そういうこと」
「なるほどねえ……」
 D.D.ってのは、他には無い特殊な能力の持ち主だ。そういう意味では、得難い人材だと言える。
 例えば、ナイトメアとか、人間に憑依するDEMONをやっつけることができるのは、夢の中に入る力をもったD.D.しかいない。
 だからこそ、D.D.T.って組織はいろいろ便宜を図ってくれるんだし、その組織の力を使ってムチャを聞いてくれることもある。
 だけど……なんか、大事にされてるって感じはしないんだよね。
 まあ、考えてみれば、あたしたちは“兵隊”なんだから、危ない目に遇わせてナンボでもあるわけだ。D.D.T.の“T”は“トループス”の“T”らしいし。
「で……固まって行動するとして、具体的にはどうしようか?」
 あたしは、そう言って、譲木くんの顔をのぞき込んだ。
「……とりあえず、一緒に夕食とか、どうかな?」
 譲木くんが、照れたような笑みを浮かべながら、そんなことを言う。彼も、今一つ、危機感を抱いてないみたいだ。
「なんか、それって普通にデートっぽくない?」
「そんなつもりじゃないんだけどね……」
「ん、ま、いいわ。どっかお勧めの店、ある?」
「うん」
 意外なことに、譲木くんは、即座にうなずいて見せた。
 もしかして、下調べとかしてくれてたのかな……?
 これだけのことでちょっとドキドキしてしまってる自分が、何て言うか、ほんとーにお手軽な女だと、ちょっと思った。



 譲木くん推薦のお店は、カレー屋さんだった。
 それも、すっごく汚いお店だ。普通、デートにこういうお店を使うようなことはまずないだろう、って感じのところ。
 まあ、デートじゃありませんからね。これは。
 譲木くんとは、たしかに一緒に行動することが多い。でも、あたしと彼の関係は、彼氏彼女じゃなくて――言ってみれば、「戦友」に近い、と思う。
 それに、異常な事態の中でくっついた男女は長続きしないって言うし……。
 う、なんか、どうも今日は思考がそっち方面に片寄ってるような気がする。
 カレーの話をしよう。
 そのお店のカレーは、確かに美味しかった。
 あたしは、そのお店で一番辛いのを頼んだんだけど、これまた半端じゃ無く辛い代物だった。なのに、辛いだけじゃなくて美味しいのだ。
 どうも、メニューに載ってない、常連さんだけが頼むもっと辛いのもあるみたいなんだけど、それも、辛いだけじゃなくて美味しいんだろう。
 前に、ナナミやブンちゃんといっしょに“本格派”を名乗る他のカレー屋さんに行ったことがあるけど、そこのはただ口の中が熱くなるだけで、味を感じることさえできなかった。それと比べると、まさに雲泥の月とスッポンである。
「おいしーね、ここのカレー」
「そう? よかった」
 譲木くんが、ほっとしたような顔をする。
「いきなり“一番辛いの”なんて頼むから、ハラハラしたよ」
 そう言う譲木くんが食べてるのは、普通のチキンカレーだ。
「ところでさ……」
 あたしより幾分か早くカレーを食べ終えた譲木くんに向かって、あたしは口調を改めて言った。
「あたしたちって、ほんとーにマトモだと思う?」
「…………」
 譲木くんがちょっと怖い目で、あたしを見つめる。
「――如月さんは、何をもってまともだと言いたいわけ?」
 譲木くんは、頭ごなしにあたしの言葉を否定することなく、そう聞き返してきた。
「うんとねえ……きちんとは言えないんだけど……」
 あたしは、行儀悪くスプーンでお皿をカチャカチャさせながら、言葉を探した。
「例えば、あたしは睡眠障害で、ほっとくと一週間くらい寝ちゃうわけよ」
「うん」
「んでもって、結界とか障壁とかが張れて、DEMONなんかとばんばん戦っちゃうわけ」
「僕もね」
「そう……。けど、だからそれでマトモじゃないっていうわけじゃないの」
「…………」
 譲木くんが、困ったように眉を寄せる。
「だからそのう……何て言うのかな……人と違うとか、他人にできないことができるとか、そういうコトで悩んでるわけじゃないの。なんか、そのう、もっと別の次元の話なんだよね」
「えっと……如月さんは、悩んでるんだ」
「ん……そだね。口に出して初めて気付いたけど」
 あたしは、たぶんすごく神妙な顔をしながら、こっくりと肯いた。
「そう、悩んでる。でもね、どうして自分が悩んでるのか、今一つ分からないの」
「自分が普通じゃないってことで悩んでるんじゃないの?」
「んー……そう、なのかなあ……ちょっとだけ違うような気がするんだけど……」
「…………」
「うー……だからね、何か忘れ物があるはずなんだけど、なにを忘れたのかも忘れちゃったって言うか、何て言うか……あうううう」
 あたしは、意味もなく、ぐじぐじとカレーライスをかき回した。
 譲木くんは――あたしのこんな取り留めのない話を、一生懸命に理解しようとしている様子だ。
 ――いい人だな、この人。
 ぜんぜん関係ない気持ちが、あたしの思考をストップさせる。
「……ま、いいわ。きちんと言葉にならないことなんだから、大したことじゃないのよ」
「そ、そうなの?」
「そーよ。そーとでも思わないと、先に進めないもん」
 そう言って、あたしは、残りのカレーを平らげ始めた。
「ん、まあ、それならいいけど……」
 譲木くんは、ウェイトレスさんが運んできたコーヒーを、一口飲んだ。
「でも、もし思い出せたら、何でも相談してよ」
 譲木くんは、こっちが困っちゃうくらいに真っすぐな口調で、そう言った。
「ん……ありがと……」
「何しろ、悩みごとを抱えながらDEMONと戦ったりするのは、危険だからさ」
「……そだね」
 なぜか、あたしの中で、譲木くんに対する評価はがくーんと下がってしまった。



「やれやれ……遅くなっちゃったねー」
 カレーを食べた後、もやもやを抱えながら街をぶらぶらしてると、けっこうな時間になってしまった。
「……家、帰らなくていいの?」
「んー、まあ、これくらいの時間でも平気だけど……」
 そんなことを言いながら、二人並んで夜の道を歩く。
 もう、ほとんどのお店が閉まってて、人通りも全然ない。
 でも、あたしは不用心だなんて思わなかった。そもそもあたしも譲木くんもそんじょそこらの不良さんが束でかかったって傷一つ負わないような力の持ち主だ。むしろ、そういう事態になったら、いかに手加減するかが重要だろう。
「一応、帰っておこうかな。オフロも入りたいし」
「そうだね。何かあったらメールしてよ。僕はどうせ一人暮らしだし」
「うん」
「如月さんの家の近くにビジネスホテルか何かがあればいいんだけど……」
「そんなの無いなあ。って、譲木くん、そーいうところに寝泊まりしたことあるの?」
「しょっちゅうだよ」
「ふーん……」
 外泊と言えば、ナナミかブンちゃんの家と相場が決まってるあたしとしては、何となくそういうのに憧れてしまう。
 家族で最後に旅行に行ったのは、いつだったかなあ……。
「……如月さん」
 不意に足を止め、譲木くんがあたしに声をかけた。
「な、なに?」
 いつになく真剣な顔の譲木くんに、あたしはちょっとビビリが入る。
「あそこ……あの、路地の入り口のところ、見て」
「あ……」
 古いビルとビルに挟まれた、狭い路地。
 その入り口のところの道路の上に、何だか変な跡がついている。
「血……?」
「分からない。でも、そういうふうに見えるね」
 そう言いながら、譲木くんが、路地の入り口に近付いていく。
 まるで、血まみれの何かを、路地の中に引きずり込んだような、そんな跡。
 それが、路地の奥へと続いている。
 譲木くんが、路地の中に足を踏み込んだ。
 あたしも、少し遅れて、それに続く。
 路地の一番奥は、どうやら、空き地になってるみたいだ。ちょうど、小さなビルが並ぶ中で、その場所だけ、建物が取り壊されてさら地になったまま、って感じ。
 異様な気配が、伝わってくる。
 もぞもぞという音。嫌な匂い。そして、D.D.しか感じることのできない、時空の歪み……。
 あたしたちは、狭くて暗い路地を抜け、その空き地を視界に入れた。
「――!」
 黒い何かが、短く雑草が生えた地面にうずくまっていた。
 一体じゃない。影は三つだ。それが、頭を寄せるようにしながら、うずくまり、地面の上の何かを食べている。
 その黒い影とはぜんぜん別の、真っ白い何かが、そいつらの間に見えかくれする。
 それは、サンダルを履いた女の人の脚だった。
「っ――!」
 声が出そうになるのを必死にこらえながら、半ば本能で、障壁を張った。
 そいつらが、素早い動きで、こっちに顔を向ける。
 ぱっくりと割れた口。虹彩のつぶれた丸い目。いやらしいイボに覆われた、ぬるぬるとした肌……。
 ヒキガエルそっくりのその顔は、ねっとりとした赤黒い粘液にまみれていた。
 ざっ!
 背中に生えたコウモリみたいな翼で風を切り、そいつらが意外なほどのスピードであたしたちに迫る。
「如月さん! 結界を――!」
 その手の中に拳銃を出現させながら、譲木くんが叫ぶ。
 あたしは、自分を中心に世界をスキップさせ、そいつらを結界に引きずり込んだ。
 カエルの頭をしたこの連中がむさぼっていた赤黒いかたまりが、そのまま結界の中に入ってくる。
 もし、それが生き物だったら、結界を張る時に“普通の世界”に置いてくことができるんだけど、そうはならない。
 白い脚以外は原形を留めていないそれは、もはや、生き物でも何でもなかった。
「くっ……!」
 もう聞き慣れてしまった、音にならない音が、響いた。
 あたしに一体、譲木くんに二体、ヒキガエルの顔をしたダイモーンが襲いかかり、障壁を削ってくる。
 強い衝撃が、連続して体を叩いた。
 あたしは、お返しとばかりに、障壁を反転させ、目の前のダイモーンに叩きつける。
 が、その“攻性障壁”を、ダイモーンが見かけによらない俊敏さでかわした。
 さっき目の中に飛び込んできた肉の残骸の映像が、あたしの集中をかき乱している。
 病院に現れたダイモーンは一体。なのに、あたしと譲木くんはけっこう危なかった。
 それが、一度に三体――
 ぞくりと、背筋に悪寒が走った。
 さっきから、銃声が聞こえない。
 見ると、譲木くんは、防戦一方に追い込まれ、拳銃を撃てるような状態ではなかった。
 譲木くんを守る障壁は、限界近くまで薄くなっていた。
 こんな――こんな一方的に――
 焦りが、ますますあたしの“攻性障壁”の狙いを甘くする。
 とうとう――譲木くんの障壁が、全て砕け散った。
「譲木くんっ!」
 あたしが叫び声を上げるのと同時に、もう一体のダイモーンが、譲木くんに鋭い鉤爪を繰り出す。
 鮮血が散り――譲木くんは、すごい勢いで地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「あ……!」
 譲木くんには、まだ息があるだろうか。
 それとも――
 どちらにしろ、これで三対一だ。
 勝てない。勝てるわけがない。
 もっともっと警戒して――乾さんとか、知り合いのD.D.と全員合流して、それから、萌木さんや海立さんから、もっと情報を聞けばよかったのに――
 あたしは、呑気にも、譲木くんとのデートごっこに、うつつを抜かしていた。
 あたしの中で、何かがマヒしてたんだ。
 譲木くんは、地面に倒れて、動かない。
 もし、まだ息があったとしても……あたしがやられたあとに、二人まとめて、この怪物たちのお腹の中だ。
 背骨を引っこ抜かれたみたいに、気持ちが萎えそうになる。
 三体のダイモーンが、にたにた笑いを浮かべながら、あたしに襲いかかって――
 とつぜん、視界が、暗黒に包まれた。
「え……?」
 予想していた衝撃が、来ない。
 あたしは、何歩か後ずさった。
 あたしの目の前――あたしとダイモーンたちの中間に、直径1メートルくらいの黒い球体が、浮かんでいる。
 それが、ぶぅん……とヘンな音をたてた。
 あたしへの攻撃を中断していたダイモーンたちが、ヒキガエルそっくりの声で驚きの声をあげる。
 黒い球体が、光った。
 いや、光ったわけじゃない。そうじゃなくて――闇を、放射した。
 ずぞぞぞぞ……と奇怪な音が響く。
 げえええっ! と叫び声をあげながら、ダイモーンが――その球体へと吸い込まれた。
 必死に踏ん張ってるのに、ずるずると、ダイモーンが球体に引き寄せられていく。
「穴……?」
 そう、穴だ。これって、この次元に開いた穴なんだ。
 平面に穿たれた穴が円形になるように、空間に開けられた穴は、こんなふうに球体になるんだ。
 理屈ではなく、直感で、そう理解した。
 ダイモーンが、一体、二体と吸い込まれていく……!
 そして――最後のダイモーンを吸い込んだ後で、その“穴”は、不気味に脈打ちながら、見る見る内に縮んでいった。
 穴が、消えた。
「な……なに、今の……」
 そうつぶやいてから、あたしは、はっとして譲木くんに駆け寄った。
 よかった、息はある。
 でも、左の肩の傷は深そうだ。今もいっぱい血が出ちゃってる。
 あたしは、自分と譲木くんのハンカチを使って、D.D.T.で習った応急手当をした。
「――ご無事で何よりです」
 ほっと一息ついた時、いきなり、背後から声をかけられた。
 聞き覚えのある、うさんくさいくらいに涼やかな男の人の声――
 あたしは、ぐっと歯を食いしばってから、振り向いた。
 美形。
 きちんと気合を入れてないと、その顔を見ただけでくらっと来ちゃいそうなほどの美形が、そこに立っていた。
 黒い服。白い肌。黒くて長い髪。笑みを浮かべた彫刻みたいに整った顔。
「御影さん、でしたっけ?」
「ええ。覚えていてくださったようで嬉しいです」
 まるで嫌みの無い敬語で、御影さんが答える。
 全然不自然じゃないはずなのに、どこか根本的に違ってる――そんな口調だ。
 例えて言うなら――外人さんが話す、極限まで流暢な日本語、って感じだろうか。
「あの怪物――ダイモーンは、御影さんが召喚したんですか?」
「私が? まさか」
 御影さんが、小さく笑う。
 絶対に嘲笑のはずなんだけど、人に不快感を与えるようなことは無い表情。だからこそ、びっくりするほどうさんくさい。
「あれは――あなた方がダイモーンと呼んでいるものは、もっと別の人が呼び出したものですよ。生贄まで使ってね」
「いけにえ……?」
「ええ。……動物の顔をしていたでしょう? あれが、生贄にされた生き物の顔なんです。私には、そんな恐ろしい真似はできませんよ」
 文字どおり、虫も殺さないような顔でウソをつく御影さん。
「私にできるのは、あれを本来の次元に送り返すことだけです。まあ、無理な呼び出し方をされたものですから、元の世界でも無事なままかどうかは保証しかねますけどね」
「……つまり、あたしたちを助けてくれたんですね?」
「はい」
「この結界の中に入り込んで?」
「そうしないと、あなたを助けることはできませんでしたから」
 何でもなさそうに、御影さんは言った。
 結界の中に入り込むことができるのは、D.D.か、それに似た能力をもつ一部の人だけのはずなんだけど……要するに、御影さんは、そういう例外ってわけだ。
「……あなたは、何者なんですか?」
 あたしは、初対面の時から聞きたくて聞きたくてうずうずしていたことを、訊いた。
「人間ですよ」
「うそ……!」
 御影さんの人を食ったような答えに、私は思わず叫んでしまう。
 いや、だって、ウソでしょ。明らかに。
「嘘と言われても困りますね……。私は、人間ですよ。少なくとも、あなたと同じようにね」
「…………」
「この体の構成因子は、遺伝子一つに至るまで、完璧に人間のものです。それとも、あなたには私が人間以外の何かに見えますか?」
「それは……」
 あたしは、答えに詰まった。
 確かに、御影さんは、人間以外の何物でもないように見えるけど、でも、それって、人間だってこととイコールじゃないはずだ。
 ああ、うまく言葉にならない。
 でも、とにかく、御影さんはウソつきだ。
「私は、人間です。そして、メッセンジャーであり、エージェントでもあります。ある存在が、あなたに――あなた方に接触するための接点であり、端末なのです」
「――あの、よく分かんないです」
「そういうふうに言ってますから」
 涼しい顔のまま、御影さんは言った。
 その綺麗な顔を見ているだけで、何だか頭がくらくらしそうだ。
「……どうしてあたしを助けてくれたんですか?」
「理由はありません」
 御影さんが、にこやかな笑みを浮かべたまま、即答する。
「り、理由が無いって――そんなムチャクチャな……!」
 あたしは、大声を出した。
「最初の時だってそうだったけど……あなたは、本当は何がしたいんですか?」
「最初の時?」
「だから、人類結社に潜入して、あたしたちを罠にはめたじゃないですか! あれ、どういうつもりだったんです?」
「やはり、理由は無いですよ」
 御影さんは、表情を変えない。
 あたしは、まるで、地面がぐるぐると回っているような感覚に襲われた。
「人類結社に潜入したこと、星倫高校の調査を行ったこと、あなたを助けたこと――いずれにも、特にそれを行った理由はありません。私は、個々の理由をもって個々の行動を選択するわけではないのですよ」
「な……」
「あえて言うなら……観察ですね」
 はぐらかすと言うより、むしろ、訳が分かんなくなってるあたしを憐れむような口調で、御影さんが言う。
「いささか観察対象に対して過干渉なきらいはありますが……私の目的、それは、第一義的には観察です。これで、満足しましたか?」
「…………」
 満足とか、納得とか、そういうのとは全然ちがうレベルで、あたしは悟った。
 この人と、このまま話をしていると、頭がおかしくなる。
 もしかすると――それこそが、御影さんの目的なのかもしれない。
「他に質問はありますか? いい機会ですから聞いておこうかと思うんですが」
 あたしは、ふるふると頭を振った。
「そうですか……。では、これで失礼致します」
 そう言って、ふっと、御影さんの姿が消えた。
 この結界から出ていったんだろう。
 けど、あたしには、御影さんが、普通の世界に戻ったんじゃなくて、ぜんぜん別の世界へと移動したように思えた。



「ども、災難だったねえ」
 そう声をかけられて、あたしは、不覚にも涙が出そうになった。
 場所は、あの路地のすぐ外。そこに、グリーンのワゴン車で迎えにきてくれたのは、情報屋の萌木さんだ。あたしがケータイで呼び出したのである。
「譲木さんの様子はどうです?」
 白衣を着た海立さんが、助手席から降りて、あたしたちに近付いてくる。
 譲木くんがケガをしてると電話で伝えたら、萌木さんが連れてきてくれたのだ。萌木さんと海立さんは、二人ともD.D.T.に協力をしているということもあって、知り合い同士だったのである。
 はっきり言って、萌木さんの軽薄なところはあんまり好きじゃないんだけど、今だけは、心の底から感謝しちゃう。
「えっと、まだ意識が戻らなくて……」
 あたしは、海立さんの質問に答えた。
「そうですか。……うん、確かにすごい出血ですね」
 そう言いながら、海立さんは、てきぱきと譲木くんの傷を本格的に止血した。
「継一郎ちゃん、どーする? このまま病院に運ぼうか?」
「そうですね……。輸血を行った方がいいと思いますし」
「でも、あそこは一度カイブツに襲われてるんでしょ?」
「止むを得ません」
 そう言って、海立さんはこっちを向いた。
「ところで、二人を襲撃した怪物の死体は、どうなりました?」
「それが……消えて無くなっちゃって……」
「そうですか」
 さして驚いた様子も無く、海立さんは言った。どうも、DEMONの死体が消えちゃうなんて事は、珍しいことじゃないらしい。
「いや、残っているようだったら、持参している薬品で分解しておこうかと思ったんですが」
 海立さんは、あの生真面目な顔のまま、すごいことを言った。
 萌木さんも海立さんも、たぶん、あたしなんかよりよほど修羅場をくぐってるんだろう。二人とも、とてもそういうふうには見えないけど……。
「じゃ、とっとと行こうか。ほら、雪乃ちゃんも乗って乗って」
 海立さんと協力して譲木くんを車に乗せながら、萌木さんが言う。
「え、でも……」
「まさか、家に帰るつもりじゃないでしょ?」
 萌木さんが、当然のような顔をする。
「そうですね。申し上げにくいですが、怪物は、D.D.を――特に最近は如月さんや譲木さんを集中して狙ってるようですし」
「…………」
 そうだ。あたしが不用意に家に戻って、そこを襲われたら大変だ。
 そして、もし、母さんが巻き込まれたりしちゃったら――
 その時、父さんは、きちんと泣くだろうか。
「どーする? いや、ちょっと男ばっかりの場所で一夜を過ごすのは抵抗あるかもしれないけどさ」
 萌木さんのいつも通りのセリフが、あたしの物思いを中断させる。
「あ、いや、それは気が付きませんでした。すいません」
 律義に、と言うより、ちょっと気を回し過ぎな感じで、海立さんが謝る。
「もちろん、きちんと寝室は別に用意しますから、安心してください」
「いや、まあその、心配はしてませんから」
 あたしは、海立さんにそう言ってから、萌木さんの車に乗った。
 無断外泊か――いや、こーいうのって、プチ家出って言うのかな?
 一応、余計な心配しないよう、メールだけは送っておこう。
 そんなことを考えてると、萌木さんが、車を発進させた。



「あー、今、病院にいるんだ。継一郎ちゃんのとこ。ちなみに、育馬ちゃんや雪乃ちゃんも来てるよん」
 とりあえず通された病室で、萌木さんは、ケータイで話をしてる。
 いいのかな、病院でケータイ使って……。
 そんなことを考えながら、あたしは、イスに座ってうつらうつらしていた。
 そろそろ、睡眠期も終わる。もう一眠りしたら、今度は、眠ろうとしてもなかなか寝られなくなるだろう。
 譲木くんは、ベッドに横になって、輸血を受けている。海立さんの話では、明日には起きられるようになるって話だ。
「孝晃ちゃん、こっち来るってさ」
 ぱたん、とケータイを折り畳みながら、萌木さんはあたしと海立さんに言った。
 しばらく、誰のことか分からなかったけど……“孝晃ちゃん”と言うのは、どうやら乾さんのことらしい。
「どうせ狙われるなら、固まってた方がいいという判断ですね」
 海立さんが、そう言ってうんうんと肯く。
「ジンさんとかモズさんなんかも一緒に動いてるらしいね。あと、源太ちゃんもね。まあ、こっちに来るつもりはないみたいだけど」
 今、萌木さんが名前を上げた人たちも、D.D.だろうか。
 けっこーいるんだな、D.D.って……。それとも、萌木さんが異様に顔が広いだけかな……?
 ま、両方かも……。
「あと、あの人も、ここに来るかもね」
「あの人?」
「ほら、だから、あの人」
 萌木さんは、意味ありげににへらと笑った。
「まさか――」
 海立さんは、まるで苦いものを間違って口に入れちゃったみたいな顔をした。どうやら、萌木さんの言うところの“あの人”を苦手にしてるみたいだ。
「あの人が来ると、話がややこしくなってしまうことが多いので困るんですが……」
「そういうこと言ってると、ホントに来ちゃうんだにゃ、あの人は」
「その通りだ」
 いきなり、よく通る女の人の声が、部屋に響く。
 寝ぼけ眼で見てみると、部屋の入り口に、腰までありそうなストレートヘアの女の人が、胸を張って立っていた。
 うわ、すごい。ブンちゃんよりスタイルいい人をナマで見るなんて初めてだ。
 外人さんみたいに彫りの深い顔に、小さな丸いレンズの鼻眼鏡。口には、火の点いてない細いタバコを咥えてる。
「まったくシケた面をしてるな。そんなことではこの厳しい時代を乗り切れんぞ。ん?」
「あの、すいません。ケガ人もいますので、もう少し静かに……」
「努力する」
 短い一言で、女の人が、海立さんの言葉を遮る。
 あー、確かに、海立さんが苦手にしそうなタイプだ。
 と、その人は、ずかずかと部屋に入り込み、あたしの正面に立った。
「ほれ、起きなさい。挨拶だ」
 そう言って、女の人は、あたしの腋の下に両手を差し込み、ぐい、と無理やりに立たせた。
「んな……?」
「おはよう、娘。私の名前は緋垣紅葉。一児の母だ」
 そう言って、その人――ヒガキコウヨウさんは、にっこりと極上の笑みを浮かべた。


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