第四話
『最期の試練』
第一章
あたしたちは、D.D.だ。
ただし、D.D.って言葉が何の略なのかは、当のD.D.であるあたしたちにもよく分からない。
異次元空間や、人の夢の中に入って、そこに棲む怪物を倒すのが、あたしたちD.D.の仕事である。
どっかで聞いたような話だと思うかもしれない。
でも、実際にやってみると、これがまたけっこう大変なのだ。しかも、それを仕事にするとなると、けっこうハードである。呑気な学校生活の片手間にやるとしても、だ。
そもそも、たとえ睡眠期の真っ只中でむちゃくちゃ頭がぼーっとしてて、さらにカフェインの錠剤の服みすぎで胃がぼろぼろに荒れてたとしても、他の人を代理に立てられるバイトじゃないのだから。
そんなことを思いながら、あたしは、彼女の夢から現実世界に戻ってきた。
隣に、譲木くんが立っている。
二人して、彼女の母親の姿をした夢の中の怪物の返り血をたっぷり浴びたはずなんだけど、戻ってきたあたしたちの服にはシミ一つついていない。
普通、夢の中からは、何も持ち帰れない。たとえ、それがDEMONの血であっても。
「――今のも、ナイトメア?」
あたしは、まだちょっと荒い息をついている譲木くんに訊いた。
「うん。人の夢の中に潜んで悪夢を見せ続けるなんてのは、たいていがそうだよ」
ナイトメアってのは、D.D.の秘密組織であるD.D.T.が、ある種のDEMONに勝手に付けた名前だ。ちなみに、DEMONってのは、あたしたちが相手にするような怪物たちの総称である。
ナイトメアは、人の心の傷につけこんで取りついて、眠り姫状態にする。んで、とり憑かれた人は、叩こうがくすぐろうが、何をしても絶対に起きなくなるのである。そして犠牲者は、悪夢の中に閉じ込められた状態で、心身ともに衰弱し、やがては死んでしまうのだ。
D.D.にとって、ナイトメアは宿敵みたいなものだ。そして、ナイトメアにとって、D.D.はさしずめ天敵といったトコだろう。人の心の奥底を住処とするナイトメアを倒すことができるのは、あたしたちD.D.だけなのだから。
あたしの友達のブンちゃん――本名は若槻文って言うんだけど――彼女にも、ナイトメアが憑依したことがある。この前、どうにかやっつけたけど。
しっかし、「憑依」なんて難しい言葉、あたしゃ知らなかったんだけどねえ。
で、目の前でベッドの上に横たわっているこの女の人も、ナイトメアに取りつかれていた犠牲者だ。ただ、そのナイトメアは幸いあまりごついヤツじゃなかったんで、あたしと譲木くんだけで、どうにか倒すことができたわけ。
どうも、D.D.T.は、比較的よわっちいDEMONを見つけては、あたしたちに退治させて、訓練代わりにしてるらしい。さすが秘密組織、やることがえげつない。
で、ここは、そのえげつない秘密組織D.D.T.の息のかかった病院の一室である。北千住総合病院の、精神神経科。
表向きは、ごくふつーの病院なんだけど、実際は、DEMONに憑依された人を収容しては、D.D.がいささか荒っぽい方法で「治療」をするという、そういうところだ。
目の前のベッドには、二十代半ばくらいの、やつれた女の人が横たわっている。その額にはいくつかの電極がテープで留められていて、点滴の針が刺さった腕は、すごく細い。名前は、三倉小枝子さん。
三倉さんは、悪夢の中で、母親に殺され続けていた。
紫色の上品な着物を着た、おとなしそうなお母さん。そんな人が、口元に穏やかな笑みを浮かべながら、おっきな包丁を逆手に構えて、少女の頃のままの三倉さん目掛けて振り下ろし続ける様は、たとえ悪夢とは言え凄惨すぎるシーンだった。
D.D.T.が事前に調べた資料によれば、三倉さんの母親は、すでに死んでいる。
三倉さんのお母さんは、かなりいいとこの出らしい。旧華族とかなんとか、要するに名家ってヤツだろう。さらに、いわゆる才色兼備。若い時には学業を、長じては仕事を、んでもって結婚してからは家事と育児を、ほぼ完璧にこなしてきたということだ。
そーいうヒトは、自分にできたコトを全て子供に要求する。
さらに、できないヒトの気持ちが分からないから、子供に何かできないことがあると、できないんじゃなくてしないだけだ、と考える。
でも、三倉さんのお母さんはよくできたヒトだったのだろう。自らの期待に充分に応えきれない子供を、常に優しい微笑を浮かべながら励ました。叱ることも、見捨てることも無く、誠心誠意言葉を尽くして励まし続けた。
こんな親子関係は、親か子か、どっちかがガマンの限界を迎えて破綻するもんなんだけど、三倉さんの場合は違った。三倉さんのお母さんは、彼女が受験した大学の合格発表の日に、交通事故で亡くなったのだ。
三倉さんが合格した学校は、かなりハイレベルなとこだったけど、いわゆる「最高学府」じゃなかった。そして、三倉さんは、お母さんを失ったショックだと思うんだけど、本命の受験には失敗したわけだ。
それが、彼女の下ろせない重荷になっていたのだろう。
三倉さんは、お母さんが自分に課した過剰な期待を解消することもできずに、これまで生きてきたわけだ。
死んだ人の期待に応えることは難しい。
いや、人間、死んじゃえばそれまでだ。三倉さんを悩ませた「母親の期待」なるものは、結局は、彼女の心の中で膨れ上がった幻に過ぎないのかもしれない。
それでも、三倉さんがその巨大すぎる「母親の期待」に悩まされつづけてきたことは現実だ。
その巨大な「母親の期待」の影に、ナイトメアは住み着いたわけである。
「お疲れ様でした」
まだちょっとやつれた感じの三倉さんの顔をぼんやりと見ているあたしに、そんな声がかけられた。
「脳波の異常も解消しています。成功ですね」
そう言いながらあたしたちに穏やかな笑みを向けてきたのは、この病院のお医者さんである。この精神神経科のセンセイで、三倉さんの主治医でもある。
海立継一郎さん、っていうのが、この人の名前だ。最初「ウミダテです」って自己紹介された時、どんな字書くのかな、と思ったら、こーいう字だった。
きっちりと分けられた髪の毛に銀縁眼鏡のせいで、すっごくマジメそうな顔に見える。んでもって、その印象通りの、生真面目な人である。年は、たぶん三十歳前後。
「あとは、私たちの仕事になります。きちんと栄養と休息をとってもらって、体力を回復させたら、この三倉さんも退院です」
海立さんは、十歳は年下のあたしたちに、丁寧な言葉遣いでそう言いながら、バインダーに挟まれた書類に、何事かを書きこんだ。
「じゃあ、僕たちはこれで」
そう言って、譲木くんがドアのノブに手をかける。
「あ、皆さん、帰りはどうするんです? もう、終電が無くなってるかもしれませんよ」
海立さんの言葉通り、今はもう真夜中だ。ここから、きちんとあたしたちの住む街まで帰れるかどうかは微妙な時間である。
「タクシーでも拾いますよ。ね、譲木くん」
「いやあ、それでは申し訳無い。まったく申し訳無い」
海立さんは、こっちが気の毒になるような困った顔で、申し訳無い、という言葉を繰り返す。
「いっそ、私が車でお送りしましょうか?」
「それこそ申し訳無いですよ」
海立さんの申し出に、あたしはちょっと驚きながら言った。ここからあたしたちの街まで、車で飛ばしても一時間以上はかかるはずだ。
「しかし、ですねえ」
そんな海立さんの言葉を、びしっ、という鋭い音が遮った。
「?」
譲木くんが、とっさに音のした方向に向き直る。ブラインドに隠された窓の方向だ。
「何が――?」
緊張した顔で、海立さんが言う。
それとほぼ同時に、がっしゃあン! という派手な音を立てて、ブラインドの奥の窓ガラスが砕け散った。
さらに、めちゃくちゃになったブラインドを掻き分けるようにして、奇怪な代物が部屋に侵入してくる。
(DEMON!?)
職業病だろうか。あたしは咄嗟にそう判断して、障壁を張った。
不可視の次元断層が、あたしを保護する。まるで、屈折率の違うものを通して外を見ているような、微妙な違和感。
確かに、それはDEMONだった。まあ、ここは地上五階だし、どんな泥棒だってこんな派手な侵入はしやしないだろうけど。
そいつは、ありていに言えば、背中から翼を生やした、後足で立つ黒い犬だった。
そう、その顔は犬に似ていた。それも、ものすごく凶悪な面構えのヤツ。
その上、背中に生えた皮膜状の翼はコウモリみたいだし、前足の先端には、禍々しい鈎爪を備えた指がある。ほんの少しだけデザインに凝った悪魔みたいな外見。
そいつは、ぐるりと部屋の中を見回した後、翼を広げて跳躍した。
一直線に、ベッドに横たわる三倉さんを狙っている。
と、その時、がくン、と、エレベーターが動き出した時のような軽いショックを、あたしは感じた。
世界が、スキップする。
譲木くんが結界を張ったのだ。
三倉さんと海立さんの姿が見えなくなる。
海立さんには、あたしと譲木くん、そしてこの怪物が、空中に消えてしまったように見えただろう。
譲木くんが作り出した、このささやかな閉じた世界にいるのは、あたしと怪物、それに譲木くん本人だけだ。
怪物が、空っぽのベッドに仁王立ちになって、おっかない声をあげる。
「なにコレ……?」
あたしは、譲木くんに訊いてみた。
「分からない。初めて見るヤツだよ……。DEMONには、違いないと思うんだけど」
「そりゃあ、通りすがりの変質者には見えないけど」
あたしがくだらないことを言ってる間に、怪物は再び宙に舞った。目標は譲木くんだ。
譲木くんが、銀色のブレスレットをした右手を一振りする。と、譲木くんの右手が一瞬見えなくなり、そして、きちんと見えるようになった時には、拳銃が握られていた。
譲木くんがしてるブレスレットは、D.D.T.が開発した“ディメンジョナル・ポケット”なる代物だ。D.D.は、コレを使って、手に持てるくらいの大きさのものを、異次元にしまっておくことができるのである。
譲木くんが、至近距離から、拳銃の弾丸を怪物のお腹に叩きこむ。がぅン! という銃声が、あたしの鼓膜を痺れさせる。
結界の中だから遠慮無しだ。
でも、怪物はちょっと衝撃を受けただけで、構わず譲木くんを攻撃した。
DEMONってば、たいてい、すっごくタフである。ピストルの弾を何発も食らっても、平気で戦闘を続けたりする。
DEMONの鋭い爪で、次第に障壁を削られながら、譲木くんは一歩、二歩と後ずさった。こうなると、銃を撃つどころじゃない。
たとえ障壁で守られているとはいえ、痛いくらいに衝撃は感じるし、そもそも障壁だってずっと続くものじゃないのである。障壁は次元の微細な歪みの集合で、その歪みは力を加えられると、どんどん矯正されてしまうのだ。
つまり、壁が薄くなっていくということである。
空間そのものが震えてるような、音にならない音が、連続して響く。その衝撃に圧倒されて、譲木くんは拳銃を撃てない。
「ええい!」
あたしは、気合を入れるために、うんと大きな声をあげて、その怪物の懐に突っ込んだ。
DEMONとあたしの間の空間で、ぱあン、と派手な衝撃が弾ける。
ピストルを使い慣れないあたしの、ほとんど唯一の攻撃方法、「攻性障壁」である。
説明によると、あたしを包んでいる障壁と呼ばれる次元断層を、瞬間的に反転させて指向性のある強烈な斥力にする……とかなんとかいうことだそうだ。あたしには、さっぱり分からない。
とにかくあたしは、念力で敵をやっつけることができるわけだ。
空も飛べないし人の心も読めないけど、これで立派な超能力戦士である。大笑い。
でも、実際は笑い事じゃない。攻性障壁を叩きつけるたびに、怪物はどす黒い体液を飛び散らせながら、物凄く兇暴な攻撃を繰り出してくるのだ。
遠く離れたところから、ビビっと電撃を飛ばすようなマネができればいいんだけど、それはできない。ただただ、障壁を削られながら、ビンタでも食らわすように力を叩きつけるだけ。
一応、1発か2発食らえば、人間だったら死んじゃうくらい強力なダメージらしいんだけど(いや、ためしたことはないけどさ)、それでもこのDEMONはまだ立っている。
ずるっ、とあたしの足がそいつの血(?)で滑った。
「きゃ!」
体勢を崩したあたしののど笛を、そいつが噛み破ろうとする。
障壁に阻まれて、そいつの牙はあたしには届かない。
でも、強烈な一撃だったことは確かだ。もう、あたしを守ってくれるはずの障壁は、薄いガラス窓のように儚い代物になってる。
――にた、とそいつの犬面が笑ったよう気がした。
ざあっと、音を立てて血の気が引く。
と、その犬面が、轟音とともに奇妙な感じでひしゃげた。
どう、とDEMONが倒れる。
「だ、だいじょうぶ? 如月さん」
しりもちをついてしまったあたしの右手から、譲木くんが姿をあらわした。どうやら、今まで拳銃の弾の装填に手間取ってたらしい。
「間一髪」
「ケガは……ないね。立てる?」
「バカにしないでよ。一応、これでもD.D.よ」
言ってから、しまったと思った。膝がまだかくかく笑ってる。
これならいっそ、甘ったれた声で泣き言を言ってた方がまだマシだったというものだ。
そんなあたしの仏頂面をちょっと不思議そうな顔で見ながら、譲木くんは結界を解いた。
床に現れたDEMONの死体に、海立さんは心底驚いた様子だった。
「だ、大丈夫ですか?」
「平気です」
ここでも虚勢を張るあたし。我ながら、可愛げのない女。
「D.D.T.に連絡します。もし、この場所がDEMON目標になったんだとしたら、上も善後策を考える必要があるでしょうから」
そう、譲木くんが言う。ふーん、そういうもんなんだ。と、あたしは声に出さずに感心する。
「それがいいでしょうね」
海立さんもD.D.T.とつながりのある人なんで、そこらへんの機微はわかってるらしい。
譲木くんは、自分の携帯電話で、D.D.T.に連絡を取った。さらには、電話についてるデジカメで、病室の床に横たわったまま動かなくなっているDEMONの姿を撮影し、メールに添付して送る。
しばし、あたしたちはこのまま病室でぼんやりと待機。海立さんは、三倉さんが万一目を覚ましてしまった時の用心に、彼女のベッドを立て掛け式のカーテン(あれ、ホントは何て名前なんだろう?)で囲う。
と、D.D.T.から、譲木くんに電話がかかってきた。
譲木くんは、その中性的な顔を緊張で硬くしながら、じっと受話器に耳を押し付けた。
「……分かりました」
そして、短くそう返事をして、電話を切る。
「何だって?」
「“掃除屋”に引き継ぎして、今日のところは解散。あとは連絡を待てってさ」
質問するあたしに、譲木くんが答える。待たせた割には、当たり前の対応だ。
「でも、なんだか向こうは焦ってるみたいだったよ」
あたしの表情を読んだのか、譲木くんはそう言いながら、“掃除屋”の番号をプッシュし始めた。
“掃除屋”ってのは、D.D.T.の下請けみたいなもので、あたしたちの戦闘の痕跡を消してくれるのを仕事にしている。みな、汚れた青のつなぎを着て、帽子を目深にかぶって黙々と仕事をする。ちょっと怖い人たちだ。
あたしが生まれて初めて出会ったDEMON――ワームっていうばかでかいミミズだけど、それを始末したのもこの人たちだった。
「じゃあ、あとはよろしく」
“掃除屋”のリーダである阿久田っておじさんに、譲木くんは慣れた口調で挨拶した。阿久田さんは無言で肯く。この人、目つきがちょっと怖い。
たぶん、今の仕事のせいで、さんざ見たくないものを見てしまったのだろう。あたしだって、このままじゃあ、いずれどんなエグいものを見せられるか分かったもんじゃない。
いや、今、“掃除屋”さんたちが、ちょっと寝袋みたいな外見の青いビニールの袋に入れてるDEMONの死体だって、実際は相当なものなのだ。
「帰ろう、如月さん」
「え? ああ、うん」
あたしは、ちょっと未練だった。阿久田さんには、いつか訊きたいと思っていることがあったからだ。でも、今は向こうも仕事中。とてもそんな雰囲気ではない。
「見届けは私がしますから、安心して帰ってください」
海立さんが、人の好さそうな表情で言う。
結局あたしたちは、タクシーで自宅へと帰っていった。
D.D.T.の報酬は結構な額なので、そういうぜいたくができるのである。
「ただいま」
すでに、いわゆる丑三つ時を回ってる。あたしは、小声でそう言って、鍵を開けて自分ちに入った。
中古の3LDKのマンション。
まだ残暑の季節だというのに、あたしの家は冷えきっていた。
何て言うか、寒々しい。食卓に温もりが無い。
無気力に停滞したまま、冷たい水の底に沈みつつある感じ。
もともとそんな感じではあったけど、あたしが2年生になってから、急速にその状態が進んでいる。
「遅かったわね」
リビングでは、母さんがお酒のグラス片手にテレビを視ていた。古い洋画をビデオで再生しているらしい。モノクロの女優さんが、字幕で「あなたを愛してるわ」というようなことを言っている。
母さんは、その無表情な顔を、こちらに向けようともしない。
「ちょっとね。……父さんは?」
あたしは、会話を試みてみる。
「まだよ」
母さんの返事はそっけない。でも、返事をしてくれただけ、マシだったかもしれない。
「ふうん」
あたしは、負けないくらい気のない返事をして、自室に入っていった。たぶん、父さんは今日も職場に泊まりだろう。少なくとも、表向きは。
ふと、いつもの疑惑が胸の中で鎌首をもたげる。
そしてあたしは、自分の想像に、ひょいと肩をすくめた。父さんに女がいようが男がいようが、驚くにはあたらない。むしろ、この不景気なご時世、ホントにこんな残業ばっかだってコトの方が驚きだ。
ただ……不愉快なことは確かだけど。
「眠い……」
あたしは、ぼんやりとそう呟き、ポニーテールの髪をほどいて、のろのろと寝床に潜りこんだ。
不愉快な気分のまま眠りにつくのは、あんまいいことじゃない。でも、これから秘密の口座に振り込まれるであろうD.D.T.の報酬のことを考えても、ちっとも心は弾まなかった。
――ふと、今もたった一人で家にいるであろう譲木くんのことを考えてしまう。
あわてて睡眠の中に逃げ込むあたしの頬は、ちょっと熱くなっていた。
「……僕の顔、何かついてる?」
「何もついてない。のっぺらぼーだよ」
という、自分自身のあまりにも下らないセリフに、あたしはちょっとげんなりした。
そんなあたしを、譲木くんが、かすかにではあるが面白がってるような顔で見ている。
ちぇっ。
「眠い」
あたしは、照れ隠しに、口癖となってるセリフを言った。
昼休みの教室は、何とも平和な雰囲気に満ちていた。誰も彼も、なーんの悩みもなさそうな顔で、ぺちゃぺちゃと他愛も無いことをくっちゃべってる。
あたしは、そんな中、机に突っ伏すようにしてだらけていた。睡眠期なので、なんにもする気が起きない。
悪いことに、ブンちゃんは図書委員の当番で、ナナミは購買部にパンを買いに行ってしまった。
そんなあたしに、譲木くんがのこのこと近付いてきたのである。そして不覚にも、あたしはそんな譲木くんの顔を、じーっと見つめてしまった。
それで、さっきのセリフである。
「放課後、時間取れるかな?」
「帰宅部だからね」
譲木くんの質問に、あたしは我ながらぼんやりとした声で答えた。
「それじゃあ……ちょっと付き合ってほしいんだけど……」
「いよー、ご両人♪」
突然、斜め後から明るすぎるほど明るい声が響いた。振り向かなくたって誰だか分かる。ナナミだ。
「こんな人の多いところでデートの約束かア? ったく、うらやましーったらありゃしない」
「ち、ちがうよ、そんな……」
譲木くんが、ちょっと顔を赤くしながら否定する。教室のあちこちで起きるくすくす笑い。
どうも最近、あたしと譲木くんは、クラスの連中公認で「デキてる」ってことになってるらしい。まあ、他人には無愛想なあたしと譲木くんが、頻繁に言葉を交わしてるんだから、その誤解にも一応の根拠はある。
それに、そういう噂があった方が、D.D.としてイロイロ動き回るときに、隠れみのになることも確かだ。何しろ、D.D.ってのは、その存在自体が秘密なんだから。
だと言うのに、譲木くんは、例えばナナミなんかにからかわれると、すぐうろたえてしまう。ま、そいうとこ、可愛いといえば可愛いんだけど。
「しかしまた、なんでこんなネボスケ女にいれあげるかね」
悪意の無い(無いよな? ナナミ)憎まれ口を叩きながら、ナナミはあたしの頭をぽふぽふと叩いた。
「ひがむなひがむな。なんなら、一週間三八〇円でレンタルするぞ」
「それじゃユッキが気の毒でしょ。ほれ、頼まれてたメロンパン」
「おー、ご苦労♪ お礼にレンタル料を五〇円引きしてあげよー」
「安く見られてるね、譲木ってば」
そんなことを言いながら、ナナミは、にへへ、と譲木くんに笑いかけた。
「え、えっとまあ、じゃあ、そういうことで」
譲木くんは、急に話を振られたせいか、ちょっと慌てたような声でそう言って、どこかに行ってしまう。
「ありゃりゃ、悪いコトしちゃった?」
「なにがあ?」
もそもそと上体を起こし、メロンパンの包装を破りながら、あたしはぼんやりと答えた。ああ、ホント眠い。
「なにがあ、じゃないよ。ユッキ、あんたホントそんなんでダイジョブなの?」
「だからなにがだよお」
「あんたねえ」
半分眠りながらメロンパンをかじるあたしの前に、ナナミはちっちゃな体でどっかと座った。
「あんた自覚無いかもしれないけど、ヤローにはそうとうアピール低いんだよ」
「あぴーるってなんの?」
「セックスアピールってやつ」
ナナミは、あっけらかんと言ってのけた。近くで弁当かっこんでた男子が、ちょっとびっくりした顔でこっちを見る。
「これこれ、昼日中からはしたない」
あたしは、お年よりのような口調でナナミをたしなめた。
「それそれ、そーいうとこだよォ。もっとこう、なんつーか、ハツラツとした感じでいらんないの?」
「もっと具体的に言ってよ。そもそもナナミ、『ハツラツ』って漢字で書けるか?」
「書けない……って、それがどーした!」
「いやまあ、どーもせんけど……でもあたしは、あとニ、三日で元気になるぞ。覚醒期に入るからな」
「その時のユッキは、ただうるさいだけなの!」
ふん、と鼻息荒く、ナナミは宣言する。まったく、言われてみればそのとおりだ。
「いやまあ、二言も無い」
あたしは素直にそう言った。
「そんな訳わかんない女相手にしてくれるのは、譲木くらいのもんよ。もっとサービスしてやんなって」
「なんだよ、サービスって」
「自分で考えな、そんくらい」
無責任にそう言って、ナナミは、買ってきたサンドイッチの最後の一切れを平らげ、ごそごそと自前の弁当を用意しだした。ホントよく食うな、こいつ。
「譲木ね、わりと、他のクラスの連中には人気あるんだよ」
「……そりゃ初耳」
思わず、あたしは、とろとろと閉じかけていたまぶたをパッチリさせた。
「顔もそこそこ、頭もそこそこ。それに、前は暗いヤツと思われてたけど、最近はそうでもないし」
「そうかな?」
あたしには、譲木くんが変わったようには見えない。と言うか、さらに前の譲木くんとは別人だってコトは、知ってるんだけど。
「たぶん、ユッキと付き合いだしたからだよ。うちの女子はあんたに遠慮してるけど……別のクラスのに取られても知らないよ」
そう言いながら、まるで子供が使うようなキャラクター・イラスト入りのフォークでミートボールをぱくつくナナミ。
「……眠い」
そう言って机に突っ伏すあたしは、たぶん、ちょっと複雑な顔をしていたと思う。
そして――あたしは、午後の授業が始まるまで、ぐーすか寝てしまったのである。
夢の中に、あの、犬面ににたにた笑いを浮かべたDEMONのどあっぷが出てきて、大いに肝を冷やした。