第三話
『足元の悪夢』
第四章



「王子さまなんていないんだよ」
 そう言ったのは、優しそうな顔の、男の人だった。
 どこか、ブンちゃんのおとうさんに似た顔のその人は、あたしたちに向かってそう言ったのである。
「王子さまなんていないんだよ」
 これといった表情を浮かべず、ただ、その目に穏やかな光を湛えて、諭すような口調で繰り返すその人。
 その人の前で、あたしたちは茫然と立ち尽くしてしまった。



「どーだった?」
 “ほんとうの村”の前で、切り株の根元に生えたカラフルなきのこなんぞに座ってぼんやりしていたナナミが、あたしたちを見つけてそう訊いてきた。
 譲木くんは、何を考え込んでいるのか、ナナミが話しかけてきたことにさえ気付かない様子だ。あたしは、彼の代わりに肩をすくめて、言った。
「てんでダメ。収穫ナシ」
「ふーん」
 ナナミが、背中の翅を動かして、空中でくるくる回りながら、腕を組む。
「王子さまなんていないんだって、そう言われちゃった」
「いない?」
 あたしの言葉に、ナナミが意外そうに訊き返す。
「王子さま、いないの?」
「だって」
「……“ほんとうの村”の人が言うんじゃ、間違いないわ」
 うんうん、とナナミは大袈裟に肯いた。
「さって、どーしたもんだろうねえ、譲木くん」
「……」
 あたしの問いに、譲木くんは、難しい表情のままようやく顔を上げた。
「王子がいないんじゃ、眠り姫は目を覚まさない。……そうだよね?」
 そう、譲木くんが言う。あたしとナナミは、ほぼ同時に肯いた。
「えっと、でも、童話通りとは、限らないんじゃない?」
 また眉を寄せて黙りこくっちゃった譲木くんに、そう言ってみる。
「確かに、こんなんで手詰まりとは考えたくないけど……」
 そして、譲木くんはふとナナミのほうを見た。
「七宮さん」
「“ヤサン”は余計!」
「あのイバラの壁を作った魔女は、どこに住んでるの?」
「えええ?」
 ナナミは、素っ頓狂な声をあげた。
「知らないの?」
「えっと……知ってるけど……まさか、魔女に会うの?」
 ナナミの声は、明らかに怯えていた。
「心配ないよ。僕や如月さんが、あの怪物をやっつけるの見たろ。それに……」
 譲木くんが、ちょっと周囲を見回すような仕草をしながら、続ける。
「この展開だと、多分、会わないと話が進まないよ」
「……魔法使いの言うことは、さっぱり分かんないわ」
 呆れたようにそう言いながら、ナナミは空中でくるんと一つとんぼ返りを打った。



 魔女の岩屋。
 それは、灰色の湿地の中にあった。
 痩せこけた悪魔の手のような、ねじくれた黒い木が、ぽつん、ぽつんとあるだけの場所である。雲に覆われた空に、満月ほどの明るさしかない太陽が不気味に浮かんでいる。
「雰囲気出しすぎだなあ」
 あたしは、努めて明るい声を出した。いわゆる虚勢ってやつ。
「ホントに魔女に会って大丈夫なの?」
 あたしの斜め後ろに浮かびながら、ナナミが情けない声をあげている。
「ことによったら、そいつがこの夢を支配しているDEMONかもしれないけどね」
 おっかないことを、譲木くんがあっさりと言ってのける。
「でも、多分ちがうよ。そんなに簡単に姿をあらわすことは、多分ない」
「……」
「逆に、僕らの前にあっさり姿をあらわしてくれるんだったら、脈ありだね。少なくとも、DEMONじゃない……と思う」
 う〜む。
 譲木くんの言葉、どこまで信じたものだろうか?
 確かに、譲木くんはあたしなんかよりずっと経験を積んではいる。だけど……あの乾さんだってイバラに閉じ込められちゃったんだし、経験者だからってむやみにほいほいついていっていいものかどうか。
 しかし、他にいい案が浮かばないのも確かだ。
 魔女の岩屋。
 それは、奈良にある石舞台みたいな、あんなやつだった。でも、大きさはずっと小さい。雑に積み上げられた大きな石の隙間が、ちょうど、洞窟の入り口みたいになっている。
 無言で、あたしたちはその岩屋に近付いて行った。
「やだなァ……」
 そんなふうに呟きながら、ナナミが、まるで盾にするみたいに、あたしの背中に回りこむ。
 さすがに、譲木くんも緊張してるみたいだ。ベルトに挟んだままだったピストルを手にして、そっと岩屋の入り口を窺う。
 神経をすり減らすような、いやーな静寂。わずかに、風が枯れ木の間を過ぎ行く音だけが響いてる。
「!」
 あたしは、はっとして振り向いた。
「きゃあ!」
 つられて、空中で体ごと振り返ったナナミが、悲鳴をあげる。
 そこに、魔女がいた。
 いや、魔女なんだかどうか、ほんとうはよく分からない。何しろその相手は、真っ黒いマントみたいなもので全身をくるみ、フードを深々と下ろしていたからだ。
 背丈は、あたしよりちょっと高いくらいだから、たしかに男の人じゃないかもしれないけど、それ以上は分からない。魔女って言えばお婆さんってのが定番だけど、別に、腰は曲がってなかった。
 フードの奥の顔は、よく見えない。ただ、かすかにのぞく顎はほっそりとしていて、やっぱり若い女の人のように見える。
「この人が、魔女?」
 譲木くんがそう訊くと、ナナミがこくこくと肯いた。
「……」
 魔女は、何も言おうとしない。ただ、フードの奥の暗闇から、じっとあたしたちを見つめているだけだ。
「あなたが、お姫さまをイバラに閉じ込めた魔女なんですか?」
 生真面目に、譲木くんが訊くと、魔女は意外と素直にこっくりと肯いた。
「なんでそんなことを?」
 今度は、魔女は首を横に振る。よく分からないけど、答えたくない、ってことだろうか?
「魔法を解いてほしいんですけどね」
 譲木くん、かなり直球勝負。でも、魔女は首を横に振る。
 なんだか哀しそうな仕草だ。
「……」
 譲木くんが、右手に持つピストルを、ゆっくりと構えた。
 が、魔女はちっとも動揺してない。
「無駄なんじゃない?」
 あたしは、思った通りのことを、譲木くんにそっと言った。
「……じゃ、どうすんのさ?」
 ちょっと拗ねたように、譲木くんが言う。
「相手がDEMONでないなら、ブンちゃんの心の一部なんでしょ。だったら、てっぽうで脅すより、お願いした方がマシよ」
「お願い?」
「そ。……ねえ、魔女さん」
 魔女に向き直って、あたしはそう語り掛けてみた。
「あなたがお姫さまを閉じ込めたままだと、この世界は滅んじゃうの。分かる?」
 あたしの言葉に、魔女は、なんだかためらいがちに肯いた。おおっ、脈あり!
「あなただって、この世界に住んでるんでしょ? だったら、DEMONの手助けなんかしないで、あたしたちに協力してよ」
 魔女は、何かためらうような素振りを見せている。うーん、もうちょい、かな?
「ほら、ナナミからも何か言ってよ」
「あ、あたし?」
 またもやあたしの後ろに隠れていたナナミが、びっくりしたような声を上げる。
「あんただって、この世界の住人でしょ」
「そりゃ、そうだけどお……」
 情けない声をあげながら、ナナミは、ちらっと魔女の方に視線を向けた。
「……ってな話になってるんだけど……どう?」
 沈黙。
 でも、魔女は何かを考え込んでる。考え込んでるというより、悩んで、苦しんでる感じ。それが、なぜか痛いくらいに伝わってくる。
 そして……
 黒い衣をまとったその若い魔女は、ゆっくりと肯いたのだった。



 再び、お城への道。
 譲木くんは、なんだかヘンな顔のまま、あたしと並んで歩いていた。
 あたしたち二人の前には、先導するように魔女が歩いている。その足取りは滑るようで、足音一つ立てない。
 そして、あたしたちの背後には、ナナミが身を隠すようにして飛んでいた。
 空はどんよりとした雲に覆われ、西の方の空はヤな色の赤に染まっている。
「何か、気にくわないの?」
 あたしが訊くと、譲木くんは、うーん、と唸りだした。
「ちょっとね。こうもあっさりしてると」
「そう? 魔女はDEMONじゃないって言ったの、譲木くんじゃない」
「そうだけど……」
「あの魔女、似てるじゃない?」
「え? 誰に?」
「氷川さんのお母さん」
「……」
 譲木くんは、またもや何か考えてるような顔で黙りこくった。そんな譲木くんに、あたしは追い込みをかける。
「あの時だって、結局、ピストルは何の役にもたたなかったでしょ。すぐにぽんぽん弾を撃つのは、あんまよくないコトなんじゃないかなあ」
「……でも、DEMONや、イドや……“敵”を相手に油断してたら、すぐにやられちゃうんだ。乾さんだって、そうだったろ」
 ちょっと怒ったような、譲木くんの声。
「それに、拓馬だって……」
「……」
 そうだった。
 育馬くんは、DEMONにお兄さんを殺されてるんだ。
「……ごめん」
「え? あ、いや、そういうわけじゃないけど」
 思わず謝るあたしに、なぜかうろたえる譲木くん。
「如月さんの言うことにだって、一理あるし、要するに、ケース・バイ・ケースってことじゃない?」
「うん……」
 ケース、つまり、“事件”。
 譲木くんが言うのは、超常事件の解決のためには、そのケースに応じた様々な方法があるってことだろう。DEMONに銃を向けるのも向けないのも、その方法の一つというわけだ。
 あたし、そういうコト言いたかったんじゃないんだけどなあ……。



 お城は、依然としてイバラの壁に覆われていた。
 空は暗い灰色。星なんてひとつも見えない。
 そんな夕闇の中、イバラに包まれたお城のシルエットは、かなり不気味だった。
 その前で、魔女が、じっと佇んでいる。
「……」
 魔女は、例によって無言だ。
 ただ、その背中から、ためらいと、そして怯えが伝わってくる。
「……」
 魔女は、ようやく何かを決心したかのように、両手を広げた。そして、その白いすべすべした手が、空中で何か図形を描く。
「あ……」
 思わず、声をあげてしまった。イバラが、もぞもぞと動き出し、そして人一人通れるくらいの隙間をぱっくりと開けたのである。
 見ると、隙間は奥へと続き、そして、お城の大きな門にまで伸びていた。
「……」
 魔女は、またも躊躇した後、ゆっくりとその隙間に足を踏み入れて行った。
「入っていいのかな?」
 あたしは、譲木くんに振り向いて、つい、マヌケなことを言ってしまう。
「今さら何言ってんの」
 くすっと笑いながらそう言って、譲木くんが魔女に続く。
「そりゃそうね。ほらナナミ、あんたも来るの!」
「えーっ? なんでえ?」
「あんたでも、何かの役に立つかもしれないでしょ。付き合い付き合い♪」
 そんなことを言いながら、逃げようとするナナミの木の枝みたいな細い腕をつまみ、有無を言わさずひっぱる。
 イバラの回廊を抜けると、魔女が門を開いたところだった。
 門の奥は、広々とした石組みのホールだ。すごく天井が高い。んでもって、こんなところにも、イバラが伸び、床や壁一面に広がっている。
 そして、暗い部屋の所々には、例によってイバラに包まれた人たちが横たわり、あるいはうずくまっている。眠ってるだけだろうし、そもそも夢の中なんだけど、なんだかぞっとするような風景だ。
 魔女が、再び宙で手を動かす。すると、床のイバラがざわざわと音を立てながら退いて、奥に向かう通路を作った。
 あたしたちは、先を行く魔女に導かれるまま、そのイバラに挟まれた通路を歩いて行くしかない。
 いつしか、あたしたちは塔の中をぐるぐるとめぐる螺旋階段を登っていた。
 ときどき窓から覗く外の空は真っ暗だ。でも、不思議と視界は保たれている。まあ、夢の中だからね。
「けっこうきっついなあ」
 階段の勾配の急さに、あたしはすぐ音を上げてしまった。
「どこまで登らされるんだろ?」
「分からないけど……つまりそれだけ、僕たちは夢に対して抵抗されてる、ってことなんだよね」
「ていこう?」
「そう。抵抗」
 聞き返すあたしに、譲木くんは続けた。
「夢って、色々なことを隠してる。そして、その真実が暴露されるのを嫌うんだ。特に、D.D.なんていう“異分子”に秘密を暴かれるなんて、夢の最も嫌悪することなわけ」
「だから、抵抗するの?」
「うん。そもそも、いわゆる精神分析や夢判断なんかでも、患者は精神科医に無意識に抵抗するらしいよ」
「ま、そりゃそうだろうね」
 人に知られるのがイヤだから秘密にするんだもん。たとえ治療のためとはいえ、それが暴かれるのに抵抗を感じるのは当然だろう。
「イドなんてのは、その抵抗の顕著な例だよね。精神的な、と言うより情報的な免疫機構みたいなものだ、って話も聞いたことあるけど」
「ふーん」
 よく分からないなりに、とりあえず返事だけはしておく。
「つまり、あたしたちは、ブンちゃんの秘密を暴こうとしてる、ってことなんだね」
「トラウマの原因ってのは、人の秘密に関わることが多いし、DEMONが潜むのもそういう場所だからね」
「……」
 D.D.ってのは、因果な商売だなあ。
 なんてコトを考えてるうちに、とうとう、てっぺんまで来た。
 そこは、円形の部屋だった。窓のない空間の中央に、イバラに囲まれたベッドがある。普段はめったにお目にかからない、屋根のあるベッドだ。でも、ベッドの中身までは、イバラに阻まれて見えない。誰かがそこに横たわっているのが、辛うじて分かる程度。
「……」
 魔女が、無言でベッドの傍らに佇む。
「いよいよ……」
 と、譲木くんが言いかけた時――
 突然、ベッドを囲むイバラが動き出した!
「しまった!」
 まるで、無数のムチがいっせいに宙を切るような音が響き、トゲに覆われたしなやかな枝があたしと譲木くんに殺到する。
 油断だった。魔女を信用しきっていたのだから。とにかく、とっさに障壁を張る。
「譲木くん!」
 あたしは、叫んでいた。譲木くんの障壁が、一瞬にしてこなごなに砕け散ったのだ。
「ダメだ!」
 血をしぶかせながら、譲木くんにイバラが絡み付いていく。
「如月さん、逃げて……」
 譲木くんの声が、途中で途切れる。
「譲木くん!」
 とうとう、譲木くんの全身がイバラに覆われた。
 あたしは、魔女に向き直った。フードの奥の眼が、あたしをじっと見つめている。
 ナナミは、いつのまにか、どこかに消えていた。
 そして、ベッドに眠るお姫さまの顔……。
「!」
 あたしは、その瞬間に全てを理解した。
 この夢の、そして、ブンちゃんの秘密を。
「ブンちゃん!」
 あたしが叫ぶ。叫ぶあたしに、譲木くんを仕留めたばかりのイバラが、次々と絡み付いてくる。
 あたしは、構わず前に出た。障壁が、音にならない音を響かせながら削られていくのを感じながら、必死になってベッドに近付く。
「ブンちゃん! お願い、目を覚まして!」
 返事は、ない。ただ、イバラたちが、悪意と嘲弄に満ちた動きで、あたしを絡め取ろうとする。
 ブンちゃんの秘密を知ったあたしにとって、その彼女の秘密に付け込んだこのDEMONは、間違いようもなく敵だ。
「ブンちゃん! ダメよ、こんな奴に負けちゃ!」
 とうとう、あたしは歩みを止められた。障壁の上から、イバラが手足に巻き付いて、ぴくりとも動くことができない。
「ねえっ! ブンちゃん! お願い……!」
 もはや、視界すらも半ばイバラに覆われてしまった。あたしにできるのは、悲鳴のような声で叫ぶだけだ。
「あたし……なにがあっても……ブンちゃんの味方だから……」
 この声は、ブンちゃんに届いたんだろうか――?
 とうとう、あたしの障壁が、砕け散った。
 目の前が、血の色に染まる。
 そして……。



 そして、イバラの中のお姫さまが、キスで、目を覚ました。

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