第三話
『足元の悪夢』
終章



「結局、何だったんだ? 今回の事件は」
 仏頂面で、乾さんが言う。
「さあ」
 そう答える譲木くんの声には、力が無い。
 喫茶店ゴッホ。あたしは、澄ました顔で、耳の形をした持ち手を持って、エスプレッソを飲んでいる。
 あたしも、乾さんも、そして譲木くんも、しっかり生きている。全員、あわやというところでブンちゃんの夢から脱出したのだ。
 夢の中で負った傷は、体に残っている。でも、命に関わるようなケガではない。
「おい、如月」
 乾さんのごつい顔が、あたしの方を向く。
「お前さんは、知ってるんだろ。あの夢の中で、何が起こったのか」
「ええ♪」
 あたしは、にっこりと笑ってあげた。
「何が、あったんだ?」
「教えたげません」
 あっさりとそう答えるあたしの顔を、乾さんが黒眼鏡の奥からにらみつける。でも、あたしは平気な顔だ。
「こういう事件の場合、D.D.T.に報告書を提出しないと、報酬が減らされるんだぞ」
「別に、いいじゃないですか。あたしたち、何をしたわけでもないんだし」
 苦々しげな乾さんの言葉に、あたしは涼しげにそう応じた。
 そう、ブンちゃんは自力で覚醒したのだ。ブンちゃんに憑依していたDEMONは、ブンちゃん自身によって消滅させられたのである。
「それにしたって、俺たちの報告で、他のD.D.が助かることだってあるんだぜ」
「何と言われようと、あたしは喋りませんからね」
「……」
 それ以上は、乾さんは何もいえないようだ。どうも、真っ先に脱落してしまったことに負い目を感じているらしい。
 その代わり、目線で、譲木くんのことを促がす。しかし、譲木くんは困ったような顔で小さく首を振るだけだ。
「どうしても不満なら、あたしの分の報酬を二人で山分けしてもいいですよ」
 あたしと違って、譲木くんも乾さんも、D.D.T.からの報酬を生活費に当てている。だから、一応そう言ってみる。
「これ以上借りが作れるか」
 乾さんが、苦笑しながら言った。どうやら、諦めてくれたみたい。
「じゃ、あたし、これから友達に会うんで」
 そう言って、あたしは喫茶店を後にする。
 外は快晴。目に痛いくらいに青い空に、入道雲が立ち上っている。ナナミと、それから元気になったブンちゃんが、そろそろハチ公の銅像前に到着しているころだ。
「……如月さぁん」
 まぶしい外の光にちょっとたじろぎながら歩くあたしに、譲木くんが追いついた。
「待ってよ」
「何? 譲木くんも一緒に来る? 水族館だけど」
「いや、そういうんじゃなくて」
 生真面目に、譲木くんが答える。こういうとこ、けっこう可愛い。
「若槻さんの夢なんだけど……」
「それなら、あたしは何も言わないってば」
「うん。それでいいよ。肯いてくれなくてもいい。ただ、こんな気持ちのまま、若槻さんと一緒のクラスでいるのは、何だかイヤだから……」
 そう言って、譲木くんは、小さく深呼吸をして、続けた。
「あの部屋のベッドに寝てたの、若槻さんじゃなかったろ」
「……」
 譲木くんがいいって言ったから、あたしは何も言わないし、肯かない。
「夢から脱出する時、僕にも、ちらっと見えたんだ。あれ、若槻さんじゃなくて……七宮さんだった」
「……」
「こっから先は僕の勝手な想像だけど、若槻さんは、あの魔女だったんだろ。七宮さんをあのイバラの中に閉じ込めた魔女」
「……」
「――若槻さんは、七宮さんのこと、好きだったんだね」
 譲木くんは、坂を降りながら、ゆっくりとそう言った。
 あたしは、やっぱり何も言わない。でも、たぶん表情で、譲木くんが真相にたどり着いたことを教えてしまっている。
「王子さまなんていなかった。王女を目覚めさせることができるのは、やっぱり魔女だった、魔女だけだったんだ……」
 譲木くんの声にも表情にも、面白がっているような様子は全然ない。それどころか、ちょっと切なそうに、眉を寄せている。
「魔女は……お姫さまに、キスしたの?」
 思わず肯きそうになったあたしを、譲木くんが慌てて制した。
「ごめん。訊いちゃいけなかった。……どっちでもいいよね、それは」
「うん。いいでしょ、別に」
 あたしの顔、ちょっと怒ってるみたいになってたかもしれない。
「そうだね」
 譲木くんはそう言って、ゆっくりと、空を仰いだ。



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