第三話
『足元の悪夢』
第ニ章



「どーいう、心境の変化なんです?」
 あたしは、ボックス席の小さなテーブルの向こうにいる乾さんに、そう言った。
 渋谷。駅からちょっと歩いたところにあるオフィス街に、あたしは呼び出されていた。場所は、ゴッホって名前の喫茶店。ひまわりの絵なんかが飾ってあるお店だ。
 どーいうつもりだか、よく見るとカップやスプーンの持ち手の部分が、耳の形をしてる。他のトコはこぎれいな趣味のいいお店なのに、フンイキ台無しだ。
「何がだ?」
「乾さん、あたしが事件に関わるの、すごい嫌がってたじゃないですか」
「例の事件の時は、お前さんがD.D.の素質があるのかどうか、自信が持てなかったんでな」
 そう言う乾さんは、相変わらず、灰色のワイシャツに黒いネクタイ、そして黒いスラックスを身につけてる。
「今は、人事部からスカウトの話も出てる」
「じんじぶ?」
「D.D.T.の人事部だ」
 人事部なんて、なんだか普通の会社みたい。
「次元を操る素質のある奴なんて、そうそういないからな。D.D.T.としちゃ、一人でも多くD.D.になってほしいのさ」
 乾さんがそう言った時、見知った顔が、お店に入ってきた。午前中、まだ開いたばっかの喫茶店は空いてるから、彼はすぐあたしたちをみつけることができた。
「やあ、如月さん」
 言いながら、あまり日焼けしてない右腕を上げる。譲木くんである。
 黒いぴったりしたTシャツに、麻のスラックス。柔らかそうな髪の毛を、いつものように後ろに撫でつけてる。
「遅かったな。如月と一緒に来ればよかったろうに」
 乾さんが、無表情な顔で言う。
「事務所に顔出してたもんで」
「準備か?」
「はい」
 乾さんと譲木くんは、あたしそっちのけで分からないやりとりを続ける。なんだか、疎外感。
「まあ、ぐだぐだ言っても始まらない。実践あるのみだな」
 乾さんはそう言って、飲みかけのエスプレッソをぐいっとあおった。お店を出る、っていう合図らしい。あたしも、慌ててアイスカフェオレを飲み干す。
「……なに、させるつもりなんです?」
「言ってなかったか?」
 乾さんは、なんでもなさそうな顔で続けた。
「これから、譲木の夢の中に潜ってもらうんだよ」



 思わず、笑いそうになった。
 ビルの玄関に、思いきり“D.D.T.サービス”って書いてあるんだもん。それも、金属のパネルに丸ゴシックで。
 これじゃあ、まるで、周りにある会社と変わんない。
「ええっと……D.D.T.って、秘密組織じゃなかったっけ?」
「そうだよ」
 白を基調とした、落ち着いたデザインの十階建てくらいの大きさのビル。その表玄関の自動ドアをくぐりながら、譲木くんはあたしの問いに答えた。中は、クーラーが効いてて気持ちいい。
「じゃ、なんでこんな堂々としてるの?」
「そりゃあ、滝の裏側なんかに秘密基地を作ったら、かえって目立っちゃうでしょ」
 譲木くんは、わけのわかんないたとえをした。
「表向き、D.D.T.はただの人材派遣会社なんだよ。かえって、その方が都合がいいんだ」
 譲木くんはそう言って、エレベーターのスイッチを押した。やってきたエレベーターに、乾さんとあたし、それから譲木くんが乗り込む。
「“デパートメント・デザイン・アンド・シンクタンク・サービス”ってのが、表向きのココの名前」
 そう説明してくれる譲木くんの傍らで、乾さんがエレベーターのスイッチパネルを開け、何やらさわっちゃいけないって書いてあるボタンをいじくってる。
「人材派遣、ねえ……」
「実際、D.D.を超常事件のあるところに派遣してるわけだから、まるきりウソついてるわけじゃないしね」
「ふうん」
 と、エレベーターが下に動き出した。
 でも、表示ランプには、地下の数字はない。つまり……秘密の地下室に行ってるってわけだ。
「地下には、訓練所があるんだ」
「訓練所?」
「結界を張ったり、銃を撃ったりする訓練所」
「……譲木くんも、そこでてっぽー習ったの」
「うん」
 エレベーターが、止まった。
 エレベーターの外は、清潔そうな広い廊下だった。地下なのは確かなんだけど、天井が高い。
「あっちの奥は、体育館と射撃場。室内プールもあるよ」
「あ、それいい♪」
「泳ぎに来たわけじゃない」
 乾さんが冷たく言って、譲木くんが示したのと逆の方向に歩き出した。
 床はリノリウムで、壁も天井も白一色で味気ない。お役所や病院みたいな感じ。
「この部屋だ」
 乾さんは、幾つか並んでるドアの一つを開けた。
 中は、窓のない部屋だった。地下だから、当たり前だけど。
 廊下と同じような。白っぽくて無機的な部屋だ。教室の半分くらいの大きさで、ほぼ正方形。なーんの飾り気もない。そして、その中央に、まるで保健室にあるみたいな、鉄製のベッドが一つある。シーツも枕カバーも、目に痛いくらい真っ白である。
 外見的には、なんとも殺風景な場所なんだけど……あたしは、なんだか妙な感じを受けた。
 部屋の空気が、廊下と全然ちがう感じ。
 温度や湿度が違うってわけじゃないと思うんだけど……とにかく、はっきりと違うのだ。
「この中では、物質体と精神体の境界が、曖昧になってる、とかいう話だ」
 乾さんが、無表情な顔で解説した。
「どうやってそんな風にしてるのかは知らんがね。噂では、壁や天井なんかの建材からして、特殊なものを使ってるらしい」
「特殊?」
「この世界のモノじゃない、って噂がある。夢から持ち出したんだとか」
 訳の分からないことを、乾さんは言った。
「ま、俺にもよく分からんし、分からなくても問題はない。問題は、実行できるかどうかだ」
「はあ……」
「気合入れろよ。友達の生死がかかってる」
 乾さんは、とんでもないことを言い出した。
「それって、どういうことです?」
「あの、若槻とかいうのを、助けたいんだろ」
「そりゃ、助かってほしいけど……あたしが、助けるんですか?」
「俺では、どうにもならないかもしれん」
 そう言う乾さんの目は、サングラスのせいでよく分からないけど、口調は真剣だった。
「そりゃあ、俺は人の夢に潜ったことは何度もある。だがな、潜れればいいってもんでもないんだ。夢の中では、その夢を見てる人間の知り合いのほうが、うまくやれることが多いのさ」
「……」
 よく、分からない。
 いや、そもそも、夢に潜るなんて話し自体が突拍子なくて、イメージが掴めないのだ。
「大丈夫。如月さんなら、すぐ上手くやれるよ」
 あたしの表情を読んだのか、譲木くんが言った。言いながら、靴を脱いで、ベッドに横たわる。
「じゃ、待ってるよ」
 妙なことを言いながら、譲木くんは目蓋を閉じた。目をつむると、なんだかますます中性っぽい感じ。
「……そう言えば、お前さんは、結界に自分で入ったことはなかったんだっけ?」
 今更になって、乾さんが言い出した。うなずくあたしは、たぶんすごいぶっちょー面だったろう。そもそもココにいたるまで、乾さんはあたしに一度もまともな説明をしていない。
「でも、何となく、コツは分かります」
「コツ?」
 不思議そうに言う乾さん。でも、教えてあげない。
 って言うか、教えようにも教えられないのだ。すごく感覚的なコトだから。
 “世界をスキップさせる”なんて言っても、睡眠障害でないヒトには分からないだろう。
 とにかく、あたしは、変な自信があった。覚醒期だったからかもしれない。
 そんなことを考えてるうちに……
「そろそろだぞ」
 乾さんが呟いた。
 ホントだ。部屋の雰囲気が、また変わりだしてる。なんて言うか……密度とか圧力とか、うまく言えないけど、そういうのが変化しつつある感じ。
 その中心は、ベッドに横たわってる譲木くんだった。しっかし、まっ昼間から、人が見てるところでよく眠れるもんだ。
 D.D.としての素質なのか……それとも練習したのかなあ。
「譲木が、夢を見てる」
 すごい。そんなこと、分かるんだろうか?
 でも、言われてみると、そんな感じもする。なんだか、おでこンとこが、むずむずするのだ。
 まるで、敏感な神経の細い糸が、触角みたいに額から生えたみたいな、みょうちきりんな気分。
「まずは、俺が潜るところを、よく見ておけ」
 なんだか本当のダイビングの教習みたいなことを、乾さんが言う。
「と言っても、目で見ていてもしょうがないかもしれんが」
「心の目で見ろってことですか?」
「そうだ」
 あたしの冗談に、乾さんが真面目な顔で答える。
 でも、乾さんの言いたいことは分かった。あたしの言葉で言うなら、“おでこで見ろ”ってことだ。これも、分からない人にはどう説明してもダメだけど。
「……いくぞ」
 そう言って、乾さんは、無造作に足を踏み出した。
 ゆらり、と風なんてないはずなのに、空気が揺れる。
「あ……!」
 乾さんが、消えた。
 氷が、一瞬にして溶けて消えてしまうよりもあっけない。まるで、最初からそこにいなかったみたい。気配すら残らない。
 まあ、この世界から消えてしまったんだから、そういうもんかもしれないけど。
 ただ、世界がスキップした余韻みたいなものだけが、あたしの耳に、音にならない響きとして届いてきた。
 それにしても、今まで、何度か譲木くんや乾さんが結界に入ってくトコを見たんだけど、やっぱ、まだ慣れない。
 でも、あたしだって、何度かこの世界から消えてしまったのだ。
 そのまま戻れなくなったらどうするんだろう?
 禁断の問いが、目を覚ましたヘビみたいに、ゆっくりと鎌首をもたげる。
 ……消えて、しまうんだろうか?
 譲木くんの、眠ってる顔が、なんだか底抜けに怖くなってきた。このまま、この殺風景な部屋を出て行きたい気分。
 と、消えた時と同じくらい唐突に、乾さんは現れた。
「分かったか?」
「……」
 あたしは、堅い顔でどうにかうなずいた。
「……怖気づいたのか?」
 ずけずけと、乾さんが言う。
 あたしは、目をそらした。視線の先に、眠ったままの譲木くんの顔がある。
 優しげなこの顔で、怪物相手に拳銃なんか振り回してる、あたしのクラスメイト。……死んだ拓馬くんの、双子の兄弟。
 彼は、この窓のない部屋で眠りながら、どんな夢をみてるんだろう?
 無論、それはこっからじゃ分からない。
「まあ、水に潜るのと同じだ。潜ることさえできれば、向こうでは案外とうまくいくもんだ」
 分かったようなことを、乾さんが言う。
 でも、ホントにそうだ。あたしは今、底の見えない沼のような、人の夢の縁に立っている。
 世界をスキップさせながら、一歩踏み出せば、その中に潜れるはずだ。それは、額で充分に感じられる。
「安心しろ」
 乾さんは、どこか面白がっているような口調で、言った。
「向こうには、譲木がいる」
 あたしは、何か見透かしたような口ぶりの乾さんを、きっ、と睨みつけた。
 そして、目を閉じて、譲木くんに向かって足を踏み出す。
 ここで……世界を、スキップさせる。
 ――あっ!
 声が、出そうになった。
 ヘンな言い方だけど、純粋な非現実感が、あたしの全身を包む。
 そして……
 あたしは、金色の野原に佇んでいたのである。



 半日で六回、潜った。
 最初の三回は、例の部屋でやった。そのあと、保健室みたいな場所で、白衣の綺麗な女の人に簡単な身体検査を受けて、そのあとで二回、潜った。
 普通の人は、最初にこんなに潜ると、気持ち悪くなって吐いちゃったりするんだって話だったけど、あたしは平気だった。ただ、精神的に、すっごく疲れたけど。
 どうも、あたしには素質があるらしい。……でも、人様の夢に潜る素質なんて、進学や就職の足しには、ならないなあ。
 で、最後に潜ったのは、譲木くんの夢じゃなくて、あたしの身体検査したその女の人の夢だった。須藤さんていう名前だって、譲木くんが教えてくれた。
「あたしは、D.D.じゃないから、彼みたいに中でサポートできないからね」
 須藤さんは、上品な笑みを浮かべながら、言った。
「危ないと思ったら、すぐ逃げてね」
「……危ないことって、あるんですか?」
 あたしは、目を見開いて聞いた。
「イドに襲われることがある」
「井戸?」
 あたしは、生きているつるべに巻きつかれるという、訳の分からないイメージを頭の中に浮かべながら、乾さんに聞き返した。
「無意識の衝動だ。心理学用語。一応、フロイトくらい読んどいても損はないぞ」
「大丈夫だよ。僕や乾さんも、一緒に潜るから」
 譲木くんが、そう言ってくれる。
「まあ、今からパーティーで動く練習をしとくのも、悪くないしな。どうせ、若槻の夢には、一緒に潜るんだし」
 ここで乾さんの言うパーティーってのは、D.D.が活動するときのグループってコトだ。登山のパーティーと同じ。さすがに、コレはあたしもかん違いしない。
「さ、行くか」
 例によって無造作な乾さんの声に導かれるように、あたしと譲木くんは一緒に足を踏み出した。
 人が違うせいか、夢にもぐる感覚は、これまでとは違った。同じような非現実な空気が、あたしを、捕まえるみたいに取り囲むんだけど、雰囲気が全然違うのである。
 そして、須藤さんの夢の中身も、譲木くんの場合と、ずいぶん違ってた。
 何ていうか……ひどくまとまりがないのだ。全体に、頼りない感じ。
 そこは、部屋の中だった。おしゃれなマンションみたいな場所。どうやら、須藤さんの家らしい。
 夜。窓からは、都心のものらしき夜景が見える。けっこう、いいトコ住んでる。
 でも、窓からの風景は、かなりディテールがいいかげんだった。まるで劇で使う書き割りか、下手な合成写真みたいな感じなのだ。
 おっきなソファーに、須藤さんが座ってる。部屋着で、お酒を飲んでるんだけど、ビンの銘柄がぼやけてた。
 フローリングの床の上には、あたしと譲木くん、そして乾さんが、靴を履いたまま立ってる。でも、須藤さんは平気な顔だ。
「飲む?」
 須藤さんは、あたしたちに向かって言った。見ると、さっきまではなかったグラスが、ソファーの前のテーブルに三つ、並んでる。さすが、夢の中だ。
「えっと……どうしよう?」
 あたしは、ささやくような声で、譲木くんに訊いた。
「もらっとこうか? コレも訓練だし」
「でも、お酒だよ」
「本物じゃないよ。夢だもん」
 平気な顔で、譲木くんが言う。見かけによらず、不良だなぁ。
 と、乾さんは無表情な顔で、その茶色いお酒をあおってた。
「じゃあ……」
 あたしは、グラスを受け取った。どうやら、人の夢の中なのに、あたし自身はあくまで実体らしい。夢の中とは思えないほどきちんと、グラスの手触りや重さ、冷たさなんかを感じる。
 でも、その感覚が、どこか非現実的な感じがするのも確かだった。
 その非現実的なグラスに注がれた、曖昧な感じのお酒を、あたしは口にする。
「うえ……」
 予想していたどんな味とも違う味に、あたしは思わず声をあげた。
「味覚ってのは、感覚の中でも個人的なものらしいんだけど……」
 譲木くんが、笑うのをこらえてるような顔で言う。
「どんな味だった?」
「錆っぽいぃ」
「へえ。僕のは、麦茶みたいな感じなんだけど……。要するに二人とも、お酒の味を感じるには、脳の中のデータが不足してるんだね」
「ふうん……」
 そんなことを言ってると、須藤さんは、なんだかふわふわした足取りで、冷蔵庫に近付いて行った。夢の中だからなのか、酔っ払ってるからなのか。
「どうした?」
「氷、きれたから」
 乾さんの問いに、そう答える。
「気をつけろよ」
 乾さんは、なんだか面白がってるような口調で、呼びかけた。
「何に?」
 冷凍室のドアを開けながら、須藤さんが訊く。
「凍らせてたヘビが出てくるだろ」
 え? な、なに言ってるの、乾さん?
「きゃあああああ!」
 高い悲鳴が、響いた。それも、二つ。
 須藤さんと、あと、あたしの悲鳴だ。
 冷蔵庫の冷凍室の中から、おっきなヘビが、何匹もこぼれ出てきたのである。
「きゃー! きゃー! きゃー! きゃーっ!」
 非現実的な、紫の地に黄色いシマシマのヘビである。なんだか、ウミヘビにこんなのがいたような気がする。
 なんてコト、考えてる場合じゃない。
 いつしか、ヘビたちは床の上で増殖し、イソギンチャクのおばけみたいな、触手のかたまりになっていた。
「な、なにコレえ?」
「イドだよ」
 意外と冷静に、それでも顔をちょっと青くしながら譲木くんはあたしの問いに答えた。
「イド? これが? イドって、こんなのなの?」
「出てくるたびに違うんだけど……」
「譲木、撃て!」
 乾さんが、叫んだ。どうやら、乾さんは、譲木くんを抜き打ちでテストするために、イドとかいう怪物をけしかけたらしい。見かけ通り、ひどいヒトだ。
 あ、でも、譲木くんは、銃なんか持ってない。どうしろって言うんだろう?
 もはや、人の背丈よりも大きな真っ黒いイソギンチャクに変身したイドが、あたしたちに襲いかかる。
 あたしをかばうように一歩進み出た譲木くんの周りで、空間が音もなく弾ける。障壁、だ。譲木くんが、障壁をまとって、イドの前に立っている。
「大丈夫だ。そのイドは小型だからな」
 無責任なことを、後ろで乾さんは言ってる。
 譲木くんは、細身の鎖のブレスレットをした右手を、大きく振った。
 え? わああ!
 まるで手品みたいに、譲木くんの右手に、真っ黒なピストルが握られてる。
 そして、がぅン! がぅン! がぅン! がぅン! という、立て続けの銃声。
 あたしは、思わず両手を耳に当てていた。自分でも気付かずに悲鳴をあげていたかもしれない。
 イドが、うねうねとその身をよじった。青黒い体液が傷口からあふれ、触手が、ばたばたと床を叩く。そうとう苦しがってるみたいだ。
 でも、イドの繰り出す攻撃は、障壁に阻まれて譲木くんには届かない。
 んでもって……しばらく後に、静寂が戻った。
 あたしは、硝煙の匂いを感じながら、目をぱちつかせる。周囲の風景は、灰色のもやに包まれていた。グラスも、テーブルも、冷蔵庫も、それどころかマンションの部屋そのものが、消えうせている。そして、イドの死体は、なんだか粘土の塊みたいなモノに変わっていた。
「須藤が、目を覚ましそうだな……。じゃあ、夢から出るぞ」
 そんなことを一方的に言いながら、乾さんが消えうせる。
 あたしは、譲木くんに向き直った。大きく息をついたあとの彼と、目が合う。
「出れる?」
「だいじょぶ……だと思う」
 そう答えて、あたしは、自分を包む須藤さんの小さな夢の世界を、スキップさせた。



「ひどいですよ、乾さん。イドをけしかけるなんて」
 現実世界に戻ってから、譲木くんは乾さんに抗議した。
「いや、まさかあんなうまくいくとは思わなくてな。イドだって、出そうと思ったら必ず出る、ってもんでもないしな」
 それでも出て来たってコトは、多分、須藤さんはそういう訓練を受けているんだろう。つまり、須藤さんの夢の中までが、D.D.にとっては訓練場ってコトだ。
 見ると、須藤さんは、澄ました顔でデスクにたまった書類なんかを整理してる。でも、ちょっと口元が笑ってるところを見ると、やっぱ乾さんとグルだったんだろうなぁ。
「一応、危なくなったら助けてやるつもりだったんだぜ」
 乾さんが、にやにやしながら答える。ほんっとーに、ひどい人だ。
「如月さんが巻き込まれたらどうしたんです?」
「こいつにとって最初の実戦訓練になるのさ」
 ここまで言われると、いっそ怒る気力も失せる。
「時間がないんだ。促成栽培はしかたないさ。それに、適性が無いようだったら、今回のパーティーから外す」
 くっそー、ブンちゃんが被害者じゃなかったら、喜んで外れてやるのにぃ。
「やる気、無くしたか?」
 乾さんが、黙ってるあたしの方を向いて、言う。
 あたしは、その乾さんの顔を挑戦的に見返した。
「大変けっこう。じゃあ、作戦決行は三日後だ」
 にや、と爬虫類っぽい唇を歪めながら、乾さんが言う。
「作戦?」
「若槻さんの夢に潜ること……でしょ?」
 譲木くんが、乾さんに確認する。
「そうだ。それまでは、特訓だな。明日も、明後日も、今回のメニューと、あと結界や障壁の操作を訓練する」
 うげー。
 あたしは、思わず声に出さずにうめいてしまった。



 こうしてあたしは、なし崩し的に、D.D.としての訓練を受けることになってしまったのである。
 電車を乗り継いで渋谷のオフィス街に訓練に通う、女子高生超能力戦士の誕生だ。
 あーあ。

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