第二話
『異能の代償』
第一章
その小さな体のどこにそんなに入るのか知らないけど、ナナミはよく食う。
おべんと箱の中身だけでは足りないのか、たまに、購買部でパンなぞ買って、食ったりしてる。しかも、決まって甘いやつ。
今日なんか、まさに、そうである。
これでこいつが太らないんだから、神サマは不公平だ。まあ、その代わりと言っちゃなんだけど、これだけ食ってもナナミはぜんぜん成長しない……ように見える。
あたしは、どんよりとよどんだ目で、ちっちゃな体に大量のカロリーを詰め込んでるナナミのことを眺めてた。一週間眠り、三週間は起きっぱなしの睡眠障害であるあたしは、現在、覚醒期五日目。眠ろうとしても眠れない夜、クスリでムリヤリ寝てるせいか、今日は頭がひどく重い。普通、覚醒期のあたしはハイなんだけど、クスリの服み合わせが悪かったのか、たまーに、こういう日がある。
と、ぼやけた視界に、人影が現れた。
「よお、翔子。相変わらず食ってるなあ」
そして、そのヒトは、あたしの代わりにナナミにそう言ってのけた。
「大きなお世話よ! 隼也も、きちんと食べておっきくなりなさい!」
「へいへい」
にやっ、って感じで笑ったのは、鳥飼隼也くんだった。
ナナミとおんなじくらいちっちゃい、隣のE組の男子である。この鳥飼くんとナナミのペアは、小学生の時から、ほとんど変わって見えない。
聞き分けのない髪の毛に、幼げな小さな目。いつもイタズラを考えているような、茶目っ気のある豊かな表情。“やんちゃぼーず”という言葉は、この鳥飼くんのためにあるんじゃないかと思う。
さて、ふくれっつらのナナミの前を通りすぎて、鳥飼くんは、お目当ての場所に行きついた。
教室の、一番後のすみっこの席。そこで一人おべんとを食べている女のコ。
「おっす、氷川」
「鳥飼君……。何?」
抑えられた、小さな声。無表情な顔。ほんの少しだけ、その顔をあげて、鳥飼くんに視線を向ける。
氷川月子。愛称なし。愛想もなし。
ナナミほどではないけど、平均より低い身長。細い……って言うより、やせた体。おとなしく七三に分けられて、ヘアピンで留められたショートカットの髪。それから、ちょっと垂れ気味の、なんだか悲しそうな目。
大人っぽくはないけど、可愛い顔してる。してるんだけど……言っちゃ悪いけど、すごく暗いコだ。
「ここ、いいか?」
「え……?」
氷川さんが返事をする前に、鳥飼くんは氷川さんの席の前にイスを持ってきて、座っちゃう。いつものことなのに、かすかに驚いたような、氷川さんのおとなしげな顔。
周りは、もう慣れっこになってるんで、からかったりはしないけど、くすくす笑ってる。
「で、考えたんだけどさあ、氷川だって、やっぱ体育祭、盛り上げたいだろ」
がさつな動作でおべんとを広げながら、鳥飼くんは話し出した。
「別に……」
「そりゃ、確かに文化祭の方が、おもしれーかもしンないけどさ」
氷川さんの気のなさそうな言葉にも、鳥飼くんはめげない。
鳥飼くんと氷川さんは、体育祭実行委員である。
我がF組は、隣のE組とチームを組んで、体育祭に臨むことになる。だから、鳥飼くんが氷川さんに体育祭の話をする。するのはいいんだけど……体育祭は十月で、そして今は六月だ。
まあ、文化祭なら、いろいろと準備があるし、半年かけて打ち合わせすることだってあるだろう。でも、体育祭は……それとも、今からリレーの順番決める気なんだろうか?
なのに、鳥飼くんは氷川さんにいろいろまくしたててる。あたしにしてみりゃ、よくまあ体育祭だけでそんなに話題がつながるもんだと、感心してしまう。
「めげないねー、あいつ」
ナナミが、なんとなくジトっとした目で鳥飼くんのこと見ながら、言う。
「てんで相手にされてないのにさ」
「そうかしら?」
これは、ブンちゃん。
「氷川さん、おとなしく聞いてるじゃない」
「あいつ、誰にだっておとなしーじゃん」
「それは……そうかもしれないけど」
ナナミの言葉には、どこかトゲがある。それを感じてか、ブンちゃんはそれ以上、この話題を続けようとしない。
あたしは、小さくタメ息をついた。
長いつきあいだから、あたしは知ってる。中学二年生の夏休み明け、鳥飼くんに身長を追い越されてから、ナナミは素直でなくなってる。
それまでは……ホント、仲のいい二人だった。
いや、仲がいいというかなんというか、とにかく、何かにつけて張り合う二人だったわけ。
小学生のときに人目もはばからず学校の廊下で取っ組み合いのケンカしたりとか、何もない普通の道路でふとした弾みで競走はじめちゃったりとか、ゲームセンターで対戦型ゲームやりあってるうちに深夜になって補導されかかったりとか……。
ちっちゃなナナミは、自分より身長の低い鳥飼くんを、そのことでずっとからかってた。子どもってのはザンコクだけど、それを差し引いても、かなりしつこかったと思う。
そんなナナミのからかいに耐えてたのは、その日が来るのを知ってたからだろうか?
鳥飼くんの身長が、ナナミを追い越した日。
つったって、鳥飼くんの背が平均以下なのは相変わらずだ。それでも、鳥飼くんはナナミより背が高くなった。
思えば、この時が、最初にして最後のチャンスだったのかもしれない。あ、最後は言い過ぎか。
いつまでも、ただケンカして、からかい合うだけの仲じゃ、しょーがないだろーに。
でも、ナナミは強情だった。
いや、もしかすると、ナナミ自身、鳥飼くんに抱いてる想いをきちんと認められなかったのかもしれない。
それとも、自分の背丈という枠の中に、彼を閉じ込めておきたかったんだろうか。
ともかく、ナナミと鳥飼くんの間には、深い、溝ができた。傍目には、二人の関係はさして変わっていないように見えるかもしれないけど、長いつきあいだから、あたしは分かる。
鳥飼くんの今の背丈の目標は、ナナミではない。
氷川月子、だ。
そしてそれは、誰が見たって、分かることだった。
「どうしたもんだろうね、あの二人は」
どんよりと六月の空は曇り、図書室は相変わらず薄暗い。その司書カウンターで、ひとしきり検索用パソコンで遊んだあと、あたしはブンちゃんに声をかけた。
「二人、って?」
図書委員会の当番をやってるブンちゃんが、あたしには縁のない分厚い本から顔を上げて、訊く。
「ナナミと、鳥飼くん」
「……」
ブンちゃんは、綺麗な押し花のしおりを挟んで、本を閉じた。
「あたしには、充分、仲がいいように見えるけど」
少し考えた後の、ブンちゃんのセリフ。
「そりゃ、仲はいいかもしんないけど……」
「そうよ。七宮さんが名前で呼ぶ男子なんて、鳥飼君くらいのものでしょう」
「身近な存在であることは、確かなんだろうけどサ」
あたしは、ポニーテールの頭の後ろで指を組んだ。
「でも、鳥飼くんの関心は、氷川さんに向いてるでしょ。まあ、彼がどんなつもりでいるのかは、よく分からないけど」
「……」
「男って、身近な女より、手の届きそうもない方に目が向いちゃうものなのかもね」
「身近過ぎるのも、考えもの、ってこと?」
小首をかしげるブンちゃんに、あたしは小さく肩をすくめた。それを断言できるほど、経験値は稼いでない、ってサイン。
「でも、あたし達が、変に気を回すのは、かえってよくないんじゃない?」
「そう……だろうけど、ね……」
ブンちゃんの正論に、あたしは反論できない。
「でも、ナナミ、意地っ張りだから、ほっとくと何でも自分で抱え込んじゃうんだもん。特に、今回みたいな件はさ」
「……」
ブンちゃんの無言に、チャイムの音がかぶさる。
あたしたちは、なんとなく黙ったまま、一緒に家路についた。駅までは一緒なのだ。
日は長いはずなのに、雲に覆われた空は暗い。
どんよりとした空の下、どんよりとした頭で、あたしは歩く。隣を歩くブンちゃんとの会話も、なんか弾まない。
(ん……?)
あたしは、無意識に足を止めていた。
……ぉぉ……ぉぉぉぉぉ……ぉぉぉ……ぉぉ……
何か、聞こえる。
耳に絡みつく細い糸のような、尾を引く音。
「どうしたの? 如月さん」
ブンちゃんが、不審そうな顔であたしのことを見る。
「何か、聞こえない?」
あたしの言葉に、ブンちゃんはおさげの頭を、くい、と巡らせた。
その止まった視線の先に、工事中のビルがある。
えっと、正確に言うと、工事中と違う。数年前から、造りかけで放棄されたマンションだ。六階建てくらいの建物で、コンクリートがむき出しのまま、中も外も全然仕上げがされてない。
「聞こえる……でしょ?」
無言のままのブンちゃんに、あたしが、恐る恐る声をかける。
くる、とブンちゃんがあたしに向き直った。眼鏡に光が反射して、その表情が読めない。
「何が、聞こえるの?」
「えっと、だから、声……泣き声かな? 歌、かもしれない。よくわかんないけど」
「そう……」
意味ありげな、ブンちゃんの沈黙。
わー、やだやだやだぁ! ブンちゃん、なんか怖い!
「行きましょ」
くるりとあたしに背を向けて、ブンちゃんが早足で歩き出した。あたしは、訳も分からず、あわててそのあとを追いかける。
その、不気味な廃棄ビルがそびえる通りを抜け、曲がり角を曲がったとき、ブンちゃんは大きく息をついていた。
「もー、ブンちゃんてば、なんだってゆーのよぉ!」
「あ……ご、ごめんなさいね、如月さん」
すっかり、いつものおっとりとした表情に戻ったブンちゃんが、すまなそうに言う。
「噂通りだったから、ちょっと怖くなっちゃって」
「ウワサぁ?」
あたしは、ちょっとむくれた顔で、ブンちゃんに迫る。
「ええ。そのう……如月さんは、そういうの、興味ないと思うんだけど……」
「去年の夏、あそこに変質者が住んでた、とかいう話?」
「ち、違うわよ。そうじゃなくて、その……霊、のこと」
「レイ? それって、幽霊の霊?」
「そう」
大真面目な顔で、ブンちゃんが答える。
「結構、有名なのよ。あの廃ビルに、幽霊が出るって話。それも、声だけの霊」
「こえ、だけ……?」
あたしは、バカみたいに繰り返した。
「そうなの。あのマンション、建築中に、事故か何かで死んだ人が出たんだって。それで、工事が中止になっちゃって……その時に死んだ人の悲鳴が、今も聞こえるんだっていう話なの」
「や、やだなア、そんな……」
話しながら、あたしとブンちゃんは、駅への道を再び歩き出した。
「ブンちゃん、それ、信じてるの?」
「あたしは……あたしには、そのう、声とか、聞こえなかったから」
少しだけ残念そうな、横を歩くブンちゃんの声。
「信じるも何も、そういう話があるってこと、聞いただけだし。でも……そういうことも、あるかもしれない、って思う」
「幽霊とか、妖精とか、怪獣とか?」
半ば冗談で言ったあたしのセリフに、ブンちゃんが、こくんと肯く。参ったね、これは。
「でも、あたししか聞こえなかったんだから、やっぱ空耳か何かだと思うなあ。クスリのせいかもしれないし」
「だと、いいんだけど……。死んだあとも幽霊になってるなんて、多分、すごく悲しいことだものね」
ブンちゃんは、形のいい眉を曇らせて、なんだか妙なことを言った。
(幽霊、か……)
夜、パジャマに着替え、ほどいた髪をブラシでとかしながら、あたしは物思いにふけっていた。さっき服んだバルビトール系睡眠薬が効き始めるまで、まだちょっと間がある。
(死んだ人の声……)
もし、死んだ人の話を、聞くことができるんだったら……どうだろう? それは、いいコトなんだろうか。わるいコトなんだろうか。
あたしには、すごく仲のいいおばあちゃんがいた。お母さんのお母さん。もう、何年も前に死んじゃったけど。
なんだか、すごく不思議な感じのおばあちゃんだった。
あたしの睡眠障害は、どうやら、母方の隔世遺伝らしい。あたしほどはっきりとはしてなかったけど、おばあちゃんにも、そのケがあったという話だ。
ごくたまに、何日も眠りっぱなしになることがあって、周りに心配かけたって、そう話してくれた。
その間、おばあちゃんは、すごく長い夢を見るんだって、言ってたっけ。
子どものころのことなんで、よく憶えてないけど、おばあちゃんの夢の話には、他のどんなおとぎばなしよりもワクワクした。
あたし自身は、あまり夢を見ない。でもこれは、薬の力でムリヤリに寝たり起きたりしてるからかもしれない。もし一週間ぶっ続けで眠り続ければ、何か不思議な夢を見れるかもしれないのだ。
あんな体験をしたあとだから、もう一度、おばあちゃんの話を聞きたい。
結界……DEMON……D.D.……障壁……D.D.T.……そして、別の世界……。
夢だって、別の世界だ。
おばあちゃんの話には、今、あたしの周囲に突然現れた、いろいろな妙ちきりんな事柄の謎を解く鍵があるかもしれない。
そして……
そして、譲木くん。
もし……もし、今、彼に会うことができたら……。
「あたし、何を言いだすか、分かンないね」
鏡の中の自分に向かって、あたしは声に出して語りかけた。
でも、死んだ人とは、お話できない。
(そう……なんだよなー……)
なぜか、ナナミはぜいたくだ、と、とーとつに思ってしまった。
薬がきちんと効けば、覚醒期のあたしの頭は爽快だ。この、梅雨の晴れ間の空のように。
あはは。
晴れると暑い六月の教室。でも、今のあたしには、強い日差しの中、教室の隅々までが見渡せる感じで、ちょっとイイ感じ。
ハイに、なってる。
人間の心なんて、単純なもんだ。天気がよければ気持ちも晴れる。それとも、こんなカンタンなのは、あたしだけだろうか?
そうかも、しんない。
今日の日直の氷川さんが、教室に色々と荷物を運んでるのが、あたしの視界の端に入ってきた。世界史の和田浦先生、通称ワダセンは、授業のとき、ものすごい大量の資料を配布する。ノートをとる手間がなくなるのは助かるんだけど、去年の冬に腰を痛めて以来、それを生徒に運ばせてるんで、あんま評判よくない。
氷川さんは、いつも通りの、無表情。
まるで、自分自身の存在を、この教室の誰からも隠そうとしているような……。
それは、成功してる。華奢な体で、よたよた教室と廊下を往復してダンボールを運んでる彼女を、誰も助けようとしない。
ま、しゃーないやね。
気づいたんだから、手伝ってやろうかな、と思って腰を浮かしかけたとき、鳥飼くんが現れた。
「氷川さあ、いつも、一人だよな」
現れるやいなや、いきなりそう話しかける。とーとつなヒトだ。
「別に、へいき……」
「ふうん」
そう言って、鳥飼くんは、氷川さんの抱えてる重なったダンボール箱の上半分を持ち上げた。
「あ……」
驚いたような、困ったような、氷川さんの顔。と言っても、もともと表情に乏しい彼女のこと、目と口を小さく開いただけだけど。
ナナミとは、ほんと、対照的なコだ。ナナミがネコなら、氷川さんは臆病なウサギさんってとこだろう。はたして、男子に人気があるのはどっちのタイプか。
「いいのに……」
「気にすんなって」
聞きようによっては迷惑がっているような氷川さんの言葉にも、鳥飼くんはいっこうに構わない
さて、鳥飼くんとペアになると、どうしたって、教室の注目を集めることになる。
隣の教室の授業の準備にまで顔を突っ込む鳥飼くんに、数人の男子が話しかけてきた。TVやらゲームやらアイドルやらの話に、鳥飼くんは、荷物を運びながら屈託なく答えてる。
そんな鳥飼くんと、そして、うつむき加減でその後を追っかけてる氷川さん。それを、ブンちゃんと新式の占いの話なんぞをしながら、ナナミがちらちらと眺めている。
……困ったね、どうも。
あたしが困ることじゃないんだけどね。
「氷川って、ヘンな奴だよね」
まだまだ明るい、放課後の教室。
あたしとナナミは、料理研の部室(と言っても、家庭科準備室だけど)に顔だけ出してるブンちゃんを、ぼけっと待っていた。
今日のナナミは、部活休んでる。なんでかは、聞くな。特に男は。
「暗いし、無表情だし、こっちが話しかけても、ロクに返事しないし」
自分の机に座り、足をぶらぶらさせながら、ナナミが続ける。
ナナミがこんなこと言うのには、一応、理由があった。さっき、帰りがけ、どういうつもりか、ナナミは氷川さんに声をかけたのだ。
こりはひょっとして、と密かにドキドキしていたあたしだったが、結果は空振り。
氷川さんは、口の中でなにかごにょごにょ言い訳して、息までひそめるようにして帰ってしまった。
一応、ナナミの名誉のために言っとくと、別にナナミはヘンなこと言ったわけじゃなかった。ごくごく普通な態度で、こう言っただけだ。“氷川さん、隼也、どこにいるか知らない?”って。
ナナミにしてみれば、今日、部活を休むということを、同じ陸上部の鳥飼くんに伝言したかった、ということだったのだろう。少なくとも、表向きは。
まあ、それをキッカケに、こいつがどんな話をするつもりだったか知らないけど。
「あたし、あいつ、キラい」
「あ、そう」
他に誰もいない教室で、思いきったように言うナナミのセリフに、かるーく、あたしは返事する。
「……ずいぶん、あっさり受け流すわね」
「見りゃ分かるもん。鳥飼くんとられて、怒ってんでしょ」
「違うわよ!」
聞きなれた、ナナミの大声。
「違わない」
あたしは、なんだか、ちょっと酷な気持ちになっていた。ハイにはなってるけど、昨夜思ったことは、まだあたしの胸の中にあったわけだ。
「言っとくけどね、いつまでもそうやって意地張ってたあんたが悪いんだよ」
「……」
一瞬、あたしは、ナナミが泣きだすかと思った。
でも、ナナミは、桜色の唇をかみしめたまま、泣いてない。可愛い顔してるくせに、こーいうとこが、可愛くない。
「カラむね、ユッキ」
「まあね……。素直に白状するなら、助けてやらんでもないよ」
「何を、助けるって?」
「ナナミのことを、よ」
できるだけ、優しげな声を出す。むう、ブンちゃんみたいにはいかないか。
でも、信じられないことに、ナナミは、こっくりとちっちゃな女の子みたいにうなずいた。
いつもこーやって素直にしてりゃあ、こんなことにはならなかったのに。
「で、どうすればいいと思う?」
「うーむ」
ナナミの問いにあたしは腕なんか組んで、ちょっと考えた。正直、なんのアイデアもなかったんだけど、ここはヒラメキに頼るのが吉♪
「とりあえず、お菓子でも焼いたげたら?」
「あたしがー!?」
びっくりした声を出すナナミ。
「そりゃ、ブンちゃんに焼いてもらうわけにはいかんでしょ」
「でも……なんで、お菓子なのよ」
ナナミが、口を尖らせる。
「そりゃ、いきなりデートとかだと、唐突でしょ。女のほうから誘うわけにもいかんし。でもお菓子だったら、バレンタインへの伏線にもなるじゃん」
ちょっと気が長かったか?
「……」
不満そうな、ナナミの顔。
「それに、聞いたわよ。鳥飼君の初恋の相手の話♪」
「あたしのママだ、ってやつでしょ。隼也が来るたびに、ママ、お菓子作ってやってたから……」
「結局、食い気と色気はのーみその中で直結してンのよ」
訳知り顔で言うあたし。
「……分かったわよ」
しぶしぶと、ナナミは言った。
「で、ユッキ、お菓子、焼けるの?」
「一応ね。ブンちゃんほどじゃないけど。……そう言うナナミは、焼いたことあるのか?」
「ちょっとだけ……」
「言っとくけど、オーブンから出したものが『お菓子』でなきゃ、お菓子を焼いたことにはならんのだぞ」
「わかったわよ。焼こうとしたことはあるけど、焼いたことはない! ないから、助けてよ!」
なんでこいつは、人にものを頼む時に、ふんぞりかえるんだろう?
「いいけど……ブンちゃん頼った方が、よくない?」
「いきなりそれって、レベル高い」
ナナミが言うとおり、ブンちゃんの菓子焼きは本格派だ。料理研で作った彼女のチーズケーキを試食したことあるけど、そこらの店で売ってるのよりも美味しく思えたくらいである。
あ、つまり、あたしは、ナナミの先生するにはちょーどイイってことかい。
「だいたい、ユッキが言い出したことでしょ。無責任じゃない」
「そんなコト言われてもなぁ」
正直、自信がない。ナナミとは言え、人様が想いを託す品であるとしたらなおさらだ。
「あの……」
いきなり聞こえた控えめなブンちゃんの声に、ナナミは思わずガタンと音を立てて床に降り立っていた。
見ると、教室の入り口に、困ったような顔のブンちゃんが立ってる。
「き、聞いてた? ブンちゃん」
「えぇと……ごめん、聞いてた」
狼狽するナナミに、ブンちゃんが申し訳なさそうに答える。どうしたって、このコはウソなんかつけない。
「あ〜あ、聞かれたかア」
すとん、とナナミは手近なイスに腰を下ろした。
「あ、あの……別に、その代わりって訳じゃないけど、あたし、手伝おうか?」
うつむき加減のまま、眼鏡の奥の目を上目遣いにして、ブンちゃんが言う。
「だって、難しいでしょ? ブンちゃんのやり方」
「そんなことないわよ。それに、プレゼントするなら、クッキーとかでしょう? だったら簡単よ」
さすが、言うなァ。
「ホント?」
「ええ」
すがるような顔のナナミに、にっこりとブンちゃんが微笑む。
ん? ん? ん?
心の奥底で、何かが引っかかってる。
なんだろ……。
……ま、いいか♪
クッキーの話なんかをしながら、家路につく三人娘。
自分で言うのもなんだけど、平和な風景だ。
でも……
あたしは、あの廃ビルの前で、あの声を、また聞いたのだ。
……ぉぉォ……ぉぉぉォぉぉォォォォ……ぉぉォぉォ……ぉぉ……ォ……
二人を見ても、何も聞こえてない様子だ。
あたしにだけ、聞こえてる、声。
泣くような、恐れるような、恨むような、訴えるような……様々な、負の感情。
でも、何も言わない。
いつも通る道の途中、二人の友達と帰りながら、あたしは、奇妙な孤独感を感じていた。
そして……
その声は、家に帰っても、蜘蛛の糸のように耳に絡みついて離れなかった。