後生に伝えたい手づくりによる物づくり



もったいないと言う発想からの産業

 現在人口589人高齢化率43%、高知県で一番人口の少ない村、この大川村に戻ってきたのは、1980年の夏だった。大阪の大学で建築を学び、その後大阪や高知市内のデザイン会社に勤めた後にUターンした。懐かしい故郷で最初に目についたのが、見渡す限り杉や桧の人工林。よくぞこれ程植林をしたものだと感心するほどに。伐り出された木材は集積所付近や道端など山のあちらこちらに積み上げられていて、そのまわりでは、根曲がり材といわれる木の根っこが放置されていた。市場価値がないために、谷間や河川、道淵に捨てられたそれらは、ゴミ扱いされていた。
 50年も経った木がもったいない、と根曲がり材を眺めていると、背イス等のデザインが浮かんできた。この廃材を利用して木工品を作れば、この過疎の村にも産業ができ、村全体がきれいになれば一石二鳥ではないか。そうして、仲間に呼びかけ、出来たグループが木星会である。



杉から生まれた木のものたち

 小さな鋲から家具に到るまで、現在、250点余りにも及ぶ作品はほとんどが杉材だ。製材所で一般的に捨ててしまう部分をメインに使うのが木星会の特徴であり、得意とするところ。
木は生き物で再生できる唯一の資源、扱い方には神経を使うが、木を理解して使っていけば、こんなに素晴らしい素材は他にはないと思う。
 実際の制作に当たっては、使う人々に木の持つ素材感や温かさなど手づくりのあじを知ってもらうために1人の職人が最初から最後まで仕上げることを基本にしている。
 又従来の家具や遊具の概念を取り外した作品群を目指していて、例として、家族の様なキリンやシマウマ等の動物型の家具。自然界のことを知ってもらいたいという願いから「葉っぱの形をしたテーブル」や「どんぐりのテーブル」。宇宙に興味を持つために「星のテーブル」や「月のテーブル」。エネルギーのことを自分自身で体験できる「木のゴーカート」や親子の対話ができる「木の木馬」。遊ぶことで学ぶことができる「シーソー」や「ブランコ」。自分の姿勢が正しいかどうかが分かる三本脚の「イス」などそれぞれの意味合いを持たせている。



「どんぐり銀行」設立

 大川村は以前には四万十川に匹敵するとても素晴らしい大河、吉野川が流れていた。しかし、昭和47年に西日本で最大の早明浦(さめうら)ダムができることによって、村の中心部はダム底に沈んでしまった。支流には昔のままの美しい河川もみられたが、ダムができてからは砂がダムに流入するのを防ぐための砂防堰堤が公共工事の名のもとに行われている。今やほとんどの川は寸断され魚の遡行は阻められ、魚影は消えた。子どものころ遊んだあの美しい川は、もはや過去の世界になっている。
 その大きな要因として、国や県の指導で山の形態が変わる程の杉桧植栽事業がなされた人工林がある。木材価格の低迷による手入れ不足が重なり、年中緑葉であるこれらの木々の下には下草も生えない。砂漠化された山からは、大雨が降ると多くの土砂が流出する。砂を止めるために砂防堰堤を作ってみても、山の整備をしなくては永遠に砂防堰堤を作らなくてはならないという、意味のない無駄な作業が続くばかりだ。建設、土建業者の失業対策事業と言われてもしかたがない。
 山に対する危機感から、村に広葉樹の森を取り戻そうと、村内の子供からお年寄りまでが2,170本の広葉樹の苗木を植えるところから始まった「村民の森」造りも今年で11年目。今では見上げるようなぶなや樫の森だ。この森造りをもっと多くの人たちに、と始まったのが「どんぐり銀行」。一粒のどんぐりからできることがあると、日本中の人々に呼びかけた壮大な試みだった。



みんなで造る森

 どんぐりを集めて豊かな森の国をつくろう。拾ったどんぐりを「どんぐり銀行」に持っていくと、それがお金のかわりになって、通帳を作ってくれる
大川村は、「どんぐり共和国」に生まれ変わったのだった。この国の通貨はもちろんどんぐり。貨幣単価は、こなら、あらかし、うばめがしなどの小さなどんぐりは一つ”一どんぐり”くぬぎやあべまきなどの大きいものは”十どんぐり”。貯金の払戻は原則として苗木で、百どんぐりで苗一本がもらえるしくみ。その苗木は自分の家の庭、学校、公園などに植えてもいいし、植えるところのない人には、大川村の植樹祭に、村民の森に植えてもらってもいい。
 以来、石川県や香川県など他県からも、毎年植樹や下草刈りなどの作業に多くの子供たちが訪れている。いくつかの企業にもこの運動は広がり、広葉樹の森は年々広がりつつある。村に送られてくるどんぐりも数十万個にのぼるようになった。



夢を生む新たな仕事

送られてきたどんぐりは、虫食いや腐ったものを除けば、多くは発芽させて苗木を作ることができる。この苗木作りを山間地で生活をしている人々や高齢者の方にやってもらったらどうだろう。昔植えた経験もある、特にお年寄りには物を作る喜びと収益が得られる生きがいのある仕事になるだろう。その第一歩として、現在、どんぐりは「ふるさと村公社」で種類別に植えて発芽成長実験に取り組んでいる。
 こうして発芽させた苗を「村民の森」だけではなく、できるだけ多くの山に植え広葉樹の森を広げていきたい。とはいえ、杉桧を経済林として生活している林業者にとっては無理な注文かも知れない。ならば、河川の上部、斜面の50メートル位までの人工林を雑木林に戻せないだろうか。
 ぶなや楢、くぬぎなど広葉樹の根は地中深く入るために土砂をおさえ、落葉樹であるために葉が落ち、それらを栄養として魚の餌になる虫などが繁殖し、下草やコケなども多く生える。これらはスポンジの様な役目を果たすから、大雨の時でも土砂などを極力流さない。土台ががっちりしていれば、上部に群生する杉桧の植林に対しても、未然に崩壊を防ぐことができる。
 河川の上部斜面への広葉樹植栽事業は地域産業として成り立つし、どんぐり銀行の種子からの苗床、植栽、育林という産業態勢ができれば、将来的に災害に強く、そこに住む全ての生物にやさしい環境が出来るはずだ



子供たちの未来に

20世紀は多くの自然破壊をしてきたが、21世紀の新たな想いとして、手間隙をかけて自然に戻していく産業を考えていかなければと考えている。荒れたまま放置された山々、寸断された河川、これ以上必要でないコンクリートづめの公共工事など課題も山積するが、一つ一つ解決することで、子どもたちの未来に、プレゼントが増えてくるのではないだろうか。
 今この時間にも植樹された木々は着々と成長をを続けている。いつかは見渡すような美しい森、多くの生き物たちがささやかに生を営む、豊かな森を夢見て・・・。




■■■Presentation by■■■
川村 純史  かわむら よしふみ
協同組合 木星会 代表理事
1949年、土佐郡大川村に生まれる。近畿大学理工学部建築学科卒業。(株)ヨネミヤ企画デザイン、プラザデザイン事務所を経て、大川村にUターン、川崎林産工業椛蝟k川事業所に入社、1984年、異業種グループハートウッドとグループ木星会を結成。1985年 協同組合 木星会 代表理事就任。1987年から10年間、土佐 木考舎の会長を務める。木材による地場産業おこしや間伐材や廃材を使うことにより、荒れた森林の浄化活動を行っている。