第七章
第七章
聖地。
拝月教徒の言うところの、〈完全なる満月〉の昇る場所。
エールスの西方の森を抜け、低い岩山に囲まれた場所に、それはあった。
まるで、ある種の火山の火口のような、すり鉢状の窪地である。意識して見れば、その窪地の形が、自然にできたものにしては整いすぎているようにも思われる。そういう地形だ。
標高のためか、それとも何か別の作用によるものか、周囲には低木すら生えていない。雑草が、岩の隙間からたくましく顔を出している程度である。
窪地の縁には、何十もの、石を削っただけの柱が、十歩ほどの間隔をおいて立てられていた。ひどく原始的な、と言うより、明らかに太古の魔法的な様式に基づいて立てられた柱である。
柱の太さや高さはまちまちだった。そして、そのほとんどは完全な形を残してはいない。だいたい半数が倒れており、そうでなくとも、中途で砕けてしまっているのだ。
完全な柱は、人の身長の三倍ほどの高さなのだが、そのような姿を保っているものは、数えるほどしかなかった。
遠くから見ると、佇み、もしくはひれ伏したままの敬虔な信徒のようにも見えるその柱は、何も支えてはいない。
ただ、夕日に照らされ、思い思いの形の影を、長く窪地に落としているだけである。
そして、影を落としているのは、柱だけではなかった。
黒い毛皮を全身にまとった、数十人からなる集団が、窪地にのあちこちに座り、自らの腕で膝を抱えているように見える。しかしその肢体は、人間のものと言うには、どこか歪んでいた。
よく見れば分かることだったが、それは、毛皮をまとった人間などではなかったのだ。
ワー・ウルフである。
信じられないほどの数のワー・ウルフが、かつて自ら聖地と呼んでいた場所に、うずくまっているのだ。
獣毛を冷たい風になぶられるまま、よりそうでもなく、ただじっと地面に腰を下ろし、顔を窪地の中央に向けている。
その、窪地の最低部に当たる場所には、黒曜石を磨いたものらしき、漆黒の祭壇があった。何の飾り気もない、ただの直方体の祭壇である。
何者も、声をあげようとしない。
そんな様子を、ファールは、聖地を囲む岩山の一つから見下ろしていた。
もはやワー・ウルフの存在に驚くようなことはない。そもそも、ここに至る道中に一度、ワー・ウルフの襲撃を受けているのだ。
しかもファールは、その襲撃を、ナイフ一本で撃退したのである。
ただし、そのことを思い出しても、今のファールには何の感慨もなかった。恐怖はおろか、心が昂ぶるようなこともない。
力、技、速さ、どれをとっても、今までとは比べ物にならないほどの水準になっている。かつては、手負いのワー・ウルフ一体に、やっと勝ちを拾っただけだったのだ。
しかし、ファールは自らの変化を当然のように受け入れている。
一方で、今夜は満月のはずだった。もう、いつワー・ウルフの呪いがファールの体を引き裂き、おそるべき獣の姿にしてもおかしくない時期なのである。
しかし、そのような気配は露ほども無く、ファール自身、ほとんどそのことを忘れているようであった。
ただし、それらとは別の疑念はある。
襲撃したワー・ウルフの様子がおかしかったのだ。
（……確かに、あいつらヘンだった）
ファールを待ち伏せての、三体一組の攻撃。まるで訓練された兵士のような動き。
一方で、最初の襲撃の際に感じた、凄まじい野生の勢いのようなものが、あのワー・ウルフには欠けていたと、ファールは感じていた。
（あん時は無我夢中だったけど、今思えば、気合が足りてないっつうのか……おいらを殺すんじゃなくて、捕まえようとするような動きだったよな）
だからこそ、ファールは、あの三体のワー・ウルフを撃退できたのだと思っている。
しかし、ファールは、自らの咆哮によって三体目のワ・ウルフを遁走せしめたということを、記憶していない。
それにしても、まだ夜にもなっていないというのに、太陽を遮るもののない聖地に、これだけの数のワー・ウルフが、ただうずくまっているだけというのは、恐ろしく不自然であった。
その不自然な風景の中、どこにもティティスの姿はない。シモンやダイロンも同様である。
（でも、ティティスはここにいるはずだ……）
聖地を一望するのにちょうどいい岩山の頂で、腹ばいになったまま、ファールは何の根拠もなくそう考えていた。聖地は開けっぴろげの窪地だし、その周囲には、石柱以外に建造物らしきものはない。また、人が長時間姿を隠せるような場所は、岩山に登る前に一回りし、全て確認済みである。
それでも、ファールはティティスの存在を感知し、そのことに一片の疑いも抱いていなかった。そして、それ以外の全てに対し、必死で頭を回転させていたのである。
（だとすると、地下か、それとも魔法かな……？ シモンさんの話じゃ、自分の姿を見えなくする魔法ってのもあるみたいだし……。でも、それでティティスの姿まで隠せるかどうかは怪しいし、そもそも魔法だって、そう長い間かけっぱなしってわけにゃいかないだろうしな……。じゃ、やっぱ地下か……。例によって、地下迷宮なんだろうなあ）
ファールは、そう思いながら、地下迷宮への入り口をカモフラージュしていそうな石柱や岩塊を物色し始める。
このファールの発想は、何ら突飛なものではない。聖地のごとき古代の遺跡の地下に、複雑な迷宮があることは、けして珍しいことではないのである。
地下迷宮を掘るためには、多くの労働力を投資しなくてはならない。また、トンネルが崩落しないよう、地盤のしっかりした場所を選定したり、壁面を補強する必要もある。必然的に発生する大量の土砂も問題だ。
しかし、魔法の力は、それらのことを全て解決してしまう。大地のエレメンタル元素霊に干渉してもいいし、強力な破壊の呪文を用いてもいい。また、ワームや、巨大化させた蟻などを使役する方法を用いても、地下迷宮を創造することはできる。
地下迷宮には様々な用途がある。帝国時代の魔法使い達は、隠れ家としてはもちろん、魔法的な物品や神秘の知識を密かに蔵するためにも、地下迷宮を造り、利用した。さらに、地下迷宮の構造自体が、魔法的な効果を増幅させる、巨大な魔法陣であることもあった。
世間から排斥されるような教団の聖地として、何らかの儀式に利用されてきたような場所であれば、その地下に迷宮を隠していたとしても不思議ではない。
（ティティスは、そんなこと話してくんなかったけど、秘密なのかもしんないし、「忘れられた迷宮」ってセンもあるよな……）
沈みかけた夕日の中、ファールは必死で迷宮の入り口になりそうな場所を探した。鍛えられた目が、地面のわずかな痕跡や異常を求める。
（一番あやしいっていやあ、あの真ん中の黒い石が怪しいんだけど、さすがに、あそこをつっきるってわけにゃ、いかないしなあ……）
ため息とともに、ふと目をそらす。
と、その時、わずかな地表の光が、その目に映った。
（ん？）
それは、細い水の流れだった。岩山と岩山の間からのぞく、川と言うにはささやかすぎる水流が、夕日の赤い光を反射していたのである。
（ふぅん……）
ファールはその大きな目を細め、しばらく思案した後、そっと岩場の影に入った。
無論、聖地のワー・ウルフ達に発見されないように、移動するためである。
「聖地はその地下に迷宮を隠し、無論のこと、迷宮は財宝を隠してる」
レンは、顔を前に向けたまま、並んで歩いているラグーンに、自らがひょんなことから手に入れた情報についての説明をしている。
ラグーンが求めたわけではない。レンが、自発的にしている話である。
レンは、ラグーンがきちんと聞いているかどうか、確かめようともしない。聞いているのが当然だという、自信に満ちた態度である。
ラグーンはともかく、エスカは、そのような話に全く興味のない様子で、三歩ほど後ろから二人についていっている。
「あんたの話と総合すると、例の拝月教徒の連中は知らないのかもしれないが、迷宮は確かにある。まあ、逆に俺自身、拝月教徒なんてとっくにいなくなってたと考えてたんだがね」
三人は、今や聖地に近付きつつある。森の木々は次第に低くなり、周囲の様子は岩場と言うにふさわしい。
もはや道の態をなしていない獣道から見ると、聖地の周りに立っている不完全な石柱群のシルエットが浮かび上がっていた。もう、日は暮れかかっている。
「さて、地下迷宮への入り口は一つじゃない。正面玄関は、聖地の真ん中だが、そこはどうも危ない。侵入者よけのワナがわんさとあるだろうし、ワー・ウルフだっているかもしれない。できれば、避けたいところだな」
「…………」
ラグーンの返事はない。しかし、レンは、無口なラグーンが深く静かにうなずいたであろうと考え、先を続けた。
「となると、侵入は裏口からだ。秘められし知識の女神、双魚宮神ピスケスによる巡り合わせ、幸い俺は地図を手に入れている」
「…………」
「そこには、地下迷宮に付き物の、いわゆる脱出路が記されていたわけだ。……それが、こいつさ！」
ちょうど道が途切れ、大小様々な岩が転がっている、緩やかな上り斜面で、レンは、傍らの何ということもない岩塊を、ぽん、と掌で叩いた。
強いて言えば、うずくまった獣に似ていなくもない、そんな形の岩である。二抱え以上はあり、人一人で動かせそうな大きさではない。
「十歩ほど離れて、周りに三つ、尖った岩があるだろ。暗くなってきたけど、まだ見えるはずだ。そいつの真ん中がこの岩だ。……ま、古典的な目印だわな。ここがこういう岩場でなきゃ、拝月教徒とやらも忘れやしなかったかもしれねえや。ただ、脱出用である以上、中からならともかく、外から開けるには、もう一工夫あってね」
言いながら、レンは二人に向き直った。その顔は、暗さと逆光のため判別しがたいが、さすがに興奮しているようである。
「さて、それじゃ、自慢の力を発揮していただこうか」
「どういうことだ？」
問い掛けるラグーンに、レンはにやりと白い歯を見せた。
「『三つのしるべは見出されし時に鍵とならん』。地図に記されている古代文字の一節さ。とりあえず、あの尖った岩を集めてもらおうか」
言われるままに、ラグーンは、裏口の周囲に配された岩を運んだ。かなり重いが、ラグーンほどの腕力であれば、一人で運べないほどではない。
「んで、この三つの岩を、真ん中の岩の上に置く……」
レンは、ラグーンを手伝いながら、三つの岩を持ち上げ、問題の岩塊の上に置いた。まるで切り出された岩をまとめたかのように、岩と岩との境目はぴったりとはまり込み、四つの岩は一つの形に収まる。
そうして見ると、岩塊の形は、明らかに狼か何かの姿を模したものであった。
と、最後の岩を置いてしばらく後に、ゆっくりと岩塊は地面に沈み始めた。
レンは二人に笑いかけ、ラグーンは低い声で唸った。今まで、腕を組んだままうろんげに見ていたエスカでさえ、さすがに小さく声を上げる。
何らかの液体の浮力を利用した装置なのか、岩塊は音もなく一定の距離を沈下し、やがて停止した。
地面にはぽっかりと穴があき、そして、縦穴の壁面には、通路が開いている。
「軽すぎりゃ動かねえんだろうし、重すぎりゃワナが発動すんだろうな。とにかく、これで通路が開いたわけだ。さて……」
両手を腰に当て、暗い通路の奥を覗き込みながら、レンは続ける。
「こっから先は、地図もあてにならない。何しろ保存が悪くて、読めないところがわんさとあるわけだ。迷宮の何本もの枝道の奥にゃ、イヤってほどワナが隠されてるはずだ。とにかく、注意してもらうしかないやな」
「中に、入るのか？ あたしも？」
エスカが、ひどく不本意そうに言った。
「お前の仕事に、手は、貸さん」
「なーにを今さら言ってんだい。それとも何かい？ ここに一人で残るか？ か弱い乙女にゃ、とてもお勧めできねえ選択だわなあ」
「からかうのか？」
エスカがきつくレンを睨み付ける。
と、その時であった。
日が沈み、満月が、東の空に現われていた。
血の海から昇ってきたかのような、不吉なほどに赤い満月である。
そして、それと時を同じくして、斜面の向こう側、ちょうど聖地のある場所から、奇妙な咆哮が聞こえてきたのだ。
「…………」
三人とも瞬時に身構え、各々の武器に手を泳がす。
しかし、吠え声の源は近付いているわけではなさそうだった。ただ、まるで奇怪な歌を唄うかのように、その声を唱和させている。
何十もの狼の遠吠えだ。
いや、それは尋常の狼の声というには、あまりに禍々しく、そして、わずかに、どこか悲しげな響きがあった。
「やっべえな……」
口を笑いの形に歪め、整った歯を見せながら、レンは言った。声を震わせるまではしていないが、脅えの色は隠せない。無論、声の主がワー・ウルフであることに気付いている。
「信じらんねえ数だ。マトモじゃねえや」
「どうする？」
ラグーンの声に、揶揄するような響きはない。ただ単純に、この場における選択を迫っているのである。
「引き返すか、それとも迷宮に入るか」
「あんたはどうするよ？」
「…………」
ラグーンは、無言で地面の穴に入り込んだ。
「おやおや、イニシアチブを取らせてやったら、途端にソレかい」
言いながら、レンがそれに続く。
最後にエスカが迷宮に侵入したのを確認して、レンは、迷宮の壁に設置されたレバーを操作した。やはり音も無く、裏口を塞いでいた岩がするすると上昇する。
「……？」
最後尾で、何とはなしに急速に小さくなる外の風景を見ていたエスカは、ふと眉をしかめた。
辛うじて視界の中に収まっていた、ひときわ大きな岩山の上に、人影が見えたのだ。
ただの人影ではない。
それは、赤暗い黄昏の中でも、はっきりと識別できる、真っ白い毛に包まれた一体のワー・ウルフに見えた。
岩山の上に立ち、喉を垂直に立て、天に向かって咆哮を放っている、純白のワー・ウルフ。
「…………」
やがて裏口は閉じ、闇がその場を支配する。しかし、すぐにレンが用意した松明の明かりが、迷宮を闇から浮かびあがらせた。
「……おい、どうした？」
ラグーンが、不思議そうに、エスカに声をかけた。
「震えてるぞ」
「え……？」
言葉通り、エスカの体は、名状し難い感慨に打たれ、細かく震えていた。
そんな三人の前方に、聖地に向かう、一本の暗い通路が伸びている。
ティティスは、依然、闇の中にいた。
心という器を、絶望が満たしている。しかし、何かで満ちているというだけで、心は不思議な平安を感じるものである。
絶望に満ちた心は、それ以上の運動を拒む。
まるで、水銀を満たした革袋のように、ティティスの心は深い淵の底に重く沈んでいた。
周囲に充ちる〈月の神〉の力でさえ、その心には届かない。
いつのまにか、蝋燭は消えていた。しかし、ティティスの空ろな目は、蝋燭が消える前から、闇しか映していなかったようでもある。
（あたしは……）
沈殿した心の隙間から、泡のように、切れ切れの言葉が浮かび上がっていく。
（あたしは……〈月の娘〉なんかじゃ……なかった……）
浮かんでは消える、すでに生まれた時から無意味な言葉。
（あたしは……）
自らの中だけで響く、それでいながら、自らに向けたわけではない言葉たち。
（あたしは……だれ……？）
自分は、つい半月ほど前に、それまで面識もなかった少年の魂から分離され、作られたものだという。
そのマグスの言葉に、嘘はないだろう。それによって、自分が今まで感じていた、自分自身に対する違和感が、全てしっくりくる。法術の不調も、それによるものだったのだろう。
やっと、無意識に求めていた答えが見つかったのだ。
自らが何者であるかを問い、何者でもないということが判明したのである。
目を開いているのに、何も見えない。
何も聞こえず、何も感じられない。
自分自身さえも、だ。
（ああ……）
そして、ティティスの中で、最も深い場所の扉が、ゆっくりと閉じた。
それと同じ迷宮、いくつもの壁と通路に隔てられた場所に、ファールは立っていた。
下水路から侵入したのである。
地下迷宮には、普通、どうしても地下水が溜まる。地盤によっては、溜まった水を排水するための通路が必要になるのだ。ファールが見つけたのは、その水路であった。
大人ではとてもくぐることができない狭さの水路を、ファールは、強引に突破した。
革鎧を外して腰紐にくくりつけ、服を泥水にまみれさせ、体中を傷だらけにしての侵入である。それは、ファールにとって珍しい体験ではなかったが、やっと広い場所に出て、再び鎧を着けた時には、さすがに安堵の溜め息が出た。
もはや外の光は差し込まない。完全な闇である。
ファールはその闇の中、以前とは比べ物にならぬほど落ち着いた様子でランプに火を灯した。
ただ、闇に対する恐怖が完全に消えたわけではない。事実、ほくち火口を操る手は、かすかではあるがしっかりと震えていた。
しかし闇を恐れる気持ちよりもより強い思いが、その震えを押し殺しているのだ。
ファールが侵入した一角は、汚水を集めるための場所のようだった。頭上には、排水用らしき穴がいくつか空いている。
ファールは、苔と、もっと得体の知れないものでぬるぬると滑る壁面を苦労してよじ登り、周囲の岩が崩れて大きくなった穴から上の階層に這い上がった。
そこは、奇怪な場所であった。
何本もの通路が交差することによってできた一角である。壁や床は、不規則な形の大きな石で覆われており、通路の断面は歪んだアーチ型だ。
そしてその壁面は、ずっと先まで、大きく棚状にくりぬかれ、そこに数えきれないほどの死体が横たわっている。
ファールは今更死体などに驚くようではなかったが、さすがにその数に圧倒された。
それらは、恐ろしく古い死体であった。ほとんどが白骨化しており、そうでないものの肌も、褐色に干からび、ぼろぼろになりはてている。噂に聞く、西方の国々の地下墓地のようにも見えるが、死者のまとう衣服はひどく古臭い。
ファールは、迷うことなく一つの通路を選んで、慎重な足取りで、ゆっくりと歩き出した。無論、洞窟に仕掛けられた罠を警戒してのことではあるが、まるで自らの足音が死者の眠りを妨げるのではないかと考えているような、そんな歩調でもあった。
しかし、もしファールがそのように考えているのだとしても、それは冒険者としての当然の留意であった。
死者の眠りは、必ずしも永遠のものではない。
何らかの力によって死体が起き上がり、生者を襲う。それは、冒険者の間ではけして珍しい話ではないのだ。
死者の眠りを妨げるものは様々だ。それは邪悪な寄生霊体であるかもしれず、死者自身の怨念であるかもしれない。そしてまた魔法も、死者の眠りを覚まし、術者のために使役させる手段となるのである。
しかしそれでも、ファールが主に警戒しているのは罠であった。
実際、ファールは通路を歩きながら、罠を作動させる仕掛けをいくつも見つけていた。それは、床や壁のちょっとした出っ張りなのだが、不注意な侵入者の動きを感知し、複雑な経緯を経て、罠の発動に十分な動力にまで増幅させるのだ。
その大半は、長い年月を経るうちに機能を失っていた。それでも、ファールの目はけして油断せず、床や壁面のうち、少しでも周囲と様相の異なる部分を見逃そうとしない。
そうやって半時間ほど、慎重に迷宮を歩んだ時だった。
（……？）
ファールは、不意に足を止めた。
前方に、奇妙なものが見える。
（蜘蛛？）
確かにそれは、際限なく巨大化された、灰色の蜘蛛にも見えた。
が、ファールは一瞬でその間替えを否定する。
それは蜘蛛ではなかった。あえて言うなら、半ば狂った彫刻家が、人体のあらゆる部分の骨を、やや蜘蛛に似た形に組み上げてできた、そういった代物だ。
いくつもの関節でつながれた、長い骨でできた何本もの足が、通路一杯に伸ばされている。幾つかの足は左右の壁面に届き、一本は天井にまで伸びている。
そして、その中央にあるのは、人間数人分の骨盤や脊椎、肋骨、そし頭蓋骨などをでたらめに組み合わせて出来上がった、ひどくいびつな形の胴体であった。
それぞれの骨が、どのように繋ぎ止められているかは、距離が有りすぎて分からない。しかし、紐や針金を使っているわけではなさそうである。
そんな、骨でできた巨大な蜘蛛が、通路を塞いでいるのだ。
ティティスがいるのは、この通路の先であると、ファールの不可思議な感覚は告げている。
しばしの逡巡の後、ファールは、以前にも増して慎重に、前方に進み出た。歩きながら、右手で小剣を抜き、左手でベルトに差した銀のナイフの柄を握る。
（こんな“骸骨蜘蛛”の話なんて、シモンさんにも聞いたことねえなあ）
勝手に適当な名前を付けつつも、ファールは考えた。
（単なる気味悪ィ飾りなのか……何かのワナか……それとも……）
ファールの歩幅で五歩の距離まで近付いた時である。
不意に、その不気味なオブジェの周囲で光の文字が現われ、一瞬で消えるとともに――
（やっぱり！）
それは、数本の鋭い足の先端をファールに向けて突き出した。
太古の契約により異界から召喚された魔物なのか、呪術によって眠りを妨げられたリビング・デッドか、それとも、カバラによって仮の命を与えられたゴーレムなのか……。
その正体は分からないにしても、ファールは、自ら“骸骨蜘蛛”と名付けたそれの動きを充分に予想していた。
「でええぇい！」
悲鳴がわずかに混じった奇声をあげながら、ファールは前方に逃げた。
懐に飛び込み、避けきれない攻撃を小剣とナイフで弾きながら、足と足の間を擦り抜ける。
そのまま、振り返りざまに思い切り小剣を叩き付けた。
「え？」
呆気ないほどもろく、小剣は“骸骨蜘蛛”の胴体を打ち砕いた。がらがらと軽い音を立てながら、“骸骨蜘蛛”を構成していた骨が床に散らばり、黄灰色の埃をあげる。
油断に陥りかけたファールの身を救ったのは、こんなに簡単なはずがない、という冒険者としての勘だったのかもしれない。
「！」
不自然なほど身を反らしてよけるファールの体を、いくつもの物体がかすめた。そのうち一つは、耳をこそげ落とさんばかりの勢いで顔の横を跳ね上がり、右頬をざっくりと切り裂く。
無論それらは、“骸骨蜘蛛”を構成していた骨片だった。
宙に浮かんだ無数の骨は、そのまま空中で組みあがり、再び奇怪な姿を現す。
「やっぱダメかよ！」
大声を上げながら、ファールは背を向けて走り出した。もはや、罠を気にするどころではない。全ての罠が、長い年月の中で機能を失ってしまったと信じるしかなかった。
数秒遅れて、死体を蹴散らしながら“骸骨蜘蛛”がそれを追う。
その不格好な形に似合わず、“骸骨蜘蛛”の動きは、本物の蜘蛛さながらに滑らかであった。素早い動きに加え、歩幅の圧倒的な差から、すぐさまファールに肉迫する。
ファールは枝道がある度にそこに飛び込み、あるいはフェイントを使いながら、どうにか“骸骨蜘蛛”を撒こうとした。“骸骨蜘蛛”の知覚力や判断能力は、とうてい生者に及ばないらしく、それは一時的には功を奏するのだが、絶対的な速力差によって、すぐさま距離が縮まってしまう。その上、相手は全く疲れを知らない様子だ。
“骸骨蜘蛛”の攻撃は、執拗にファールの足を狙っていた。どうやら、命を奪うことよりも、足を止め、捕らえることを目的としているらしい。
至近距離まで迫られた際に、ファールは幾度かその足に攻撃を受けてしまった。幸いその全てがかすり傷と言えるものであったが、ズボンはずたずたに裂け、あちこちに血を滲ませている。
緊張のせいか、あまり痛みは感じない。しかし、足の動き自体が、徐々に鈍くなっているのが分かる。
「ちきしょお！」
一度、ファールは振り向きざまに銀のナイフを蜘蛛の足に叩き付けた。しかし、ナイフに込められた魔力よりも強い力で操られているらしきこの怪物には、さしたるダメージを与えられなかったようである。むしろ、その隙にファールの方が、したたかに左脚を硬い骨格で叩かれてしまったのだ。
ナイフでなく、小剣の間合いだったら、足を地面に刺し貫かれていたかもしれない。
ファールはさらなる攻撃を地面に転がるようにして避け、再び走り出した。
そして、そんな悪夢のような逃走の後、ファールは長く伸びる一本の通路に出ていた。
それはファールが最初によじ登ってきた通路だった。
いくつもの曲がり道をとっさに選んだ結果、一周して同じ場所に出てしまったのである。
この先しばらく、枝道や分岐点は全く無いことを、ファールは憶えていた。
怪物はすぐ背後まで迫っている。今更、この通路を逆送することはできない。しかし、ここをただ走っているだけでは、確実に背後の怪物に追いつかれてしまう。
（……あ！）
唐突に、ファールはひどく危険な賭けを思いついた。
それは余りにも不確実な賭けだった。少なくとも、命に関わるような状況でなければ、いかなファールとてけして手を出さないような賭けである。
結局、ファールには選択の余地はなかった。
「うりゃあ！」
どうにかおあつらえ向きの場所を見出し、ファールは、まるで壁を登ろうとするかのように、横に飛び跳ね、壁面を蹴った。そのままの勢いで、さして高くない通路の天井に身軽に跳躍する。
ファールは、天井からうまく突き出た石に手をかけ、ぶら下がった。
視界の隅、思いの外近くに、骨でできた蜘蛛の姿がある。
それは、いかなる声も漏らさず、ただ正確に、ファールを狙ってその足を繰り出してきた。
ここまでは計算していなかったにせよ、結果としてその一撃によって、ファールの思惑は果たされることとなった。
強い衝撃が、ファールを、必死の力で抱えている天井の石ごと弾き飛ばす。
（やった……！）
衝撃と激痛で意識を薄れさせながら、ファールは、どうにか自分が賭けに勝ったことを悟った。
アーチを支えていたキー・ストーンが外れ、圧倒的な重量を支えきれなくなった石組みの天井が崩れるくぐもった響きが、轟音に変わっていく。
ファールは、すでに仕掛けの壊れた通路の罠を、強引に発動させたのである。この通路を通った際に、最初に確認した罠だった。
そして、通路は完全な闇に包まれ、その中を動くものは、何もいなくなった。
「む……」
マグスは、自らの操るリビング・デッドからもたらされる超自然の視界が唐突に暗転したことで、その失敗を悟った。
巨大な質量によって破壊された不死の存在から帰ってくる魔法的なフィードバックを最小限にすべく、素早く定められた印を結び、呪術的な糸を切断する。
その直前に感知した精霊の動きからすると、ファールは、まだ生きているはずであった。
卑しい盗賊稼業の少年一人捕らえられないということに、苛立ちに似た感覚を覚えつつ、マグスはリビング・デッドを操るための魔法陣から歩み出る。
聖地地下、窪地の最深部のすぐ下である。迷宮の中では最上層にあたる場所だ。
かつて、マグスが今の不滅の肉体を得るために利用した場所である。
そこは半径二十歩ほどもある、ほぼ円形の部屋であった。何本もの石柱が天井を支え、部屋の中央には磨かれた黒曜石の柱が、やはり天井まで伸びている。
明かりらしきものはない。しかし、天井自体が、淡い光を放ち、部屋に立つマグスの無表情な顔を照らしていた。
しばし黙考した後、マグスは、〈月の娘〉の魂の移殖元となった少年を捕らえる努力を放棄することに決めた。また新たなしもべを、そこいらに転がっている死体から創造することはたやすいが、今、最も自分にとって貴重なのは時間であると判断したのだ。
視界が閉じる寸前の状況から考えて、リビング・デッドを押し潰した罠は、少年にも少なからぬ打撃を与えているはずである。一方で、あの少年が死んでしまったという気配は、自らのもとには届いていない。これは、むしろ下手に捕らえてしまうより、理想的な展開と言えた。
最も避けねばならないことは、ファールを死に追いやり、結果として〈月の娘〉の命まで危うくすることだ。
さらには、問題の少年とは比べ物にならぬほど厄介な者が、地上に現われている。
「〈白狼王〉……」
マグスは、あたかも厚い岩盤を通してその存在を感知し得たかのように、斜め上を見上げ、小さくつぶやいた。
その存在は、これまでマグスが誰にも知られることなく果たしてきたワー・ウルフ達の支配を、いともたやすく破ってしまう可能性がある。マグスは、自らの呪術に無用の自負は抱いていないし、考えうる最悪の事態に対処する準備を怠らないだけの知恵は有している。
「……まあいい。切り札は、依然、私の手にある」
そしてマグスは、傍らに控えるワー・ウルフに、儀式の準備を命じた。
気の遠くなるほど沢山の分岐路と、いくつかの扉、部屋、そしてどうにかレンが解除した罠の奥に、目的の宝物庫はあった。
正確に言うなら、三人のうち、ここを目的としていたのはレンだけである。しかし、地図を所有している以上、レンの目的をまず優先させるのが、冒険者としてのやり方であったし、地下迷宮内での仲間割れは、即座に死につながることでもあった。
「それに、宝物庫の中にゃあ、この聖地とやらの秘密が隠されてるはずだろ。その知識は、あんたらの目的にも入り用なんじゃねえのか？」
レンのこの言葉も、その時はもっともだと、エスカは思っていた。
エスカにとってみれば、ラグーンとの決着をつけるのが第一義である。しかし、短い間とは言え、自らが関わってしまったティティスやファールといった子供たちに対する単純な保護者意識も、エスカの心には多量にあったのだ。
ただし、あえてその気持ちは打ち消し、ラグーンを決闘に引っ張り出す為に必要なことだから、と自身には言い聞かせている。
が、今や、エスカはレンの後について来たことを激しく後悔していた。
確かに、宝物庫には到達した。青銅製らしい巨大な扉は、どこで手に入れたのか、レンの持つ怪しげな金具によって錠を解かれ、その奥には、まばゆいばかりの財宝があったのだ。
しかし、宝物庫には、その他にもレンの地図に記されていない物があった。
もう一つの扉である。
三人が侵入した扉の向かいの壁に、やはり、同様に扉があったのだ。その扉は大きく開かれており、今まさにその扉を開いた者が、宝物庫に出入りしているところだった。
三人が鉢合わせしたのは、数にして十体は下らないワー・ウルフ達であった。向かいの扉の奥にどれだけの新手がいるのか、見当もつかない。
「あらららら……」
緊張をほぐすためなのか、それとも結局はそれが地なのか、レンが間抜けな声をあげる。エスカがその背中を睨みつつ浮かんできた後悔を噛み締める間もなく、ワー・ウルフは三人に襲いかかった。
最初に反応したのは、ラグーンだった。
ベルトからカバラの刻まれた銀のナイフを抜きざま、惜しげもなく三本一度に投げ放つ。それと同時に、左手でもう一本のナイフを抜き、今ナイフを投擲したばかりの右手に持ち替えた。
そのまま、一直線に最前列のワー・ウルフに対し踏み込む。
突き出された両腕の先の恐るべき鉤爪を、その巨体に似合わない巧みな動きでかいくぐるようにして避け、獣毛に覆われた脇腹を深々と薙いだ。
「ごあああああああ！」
叫びとともに血反吐を撒き散らすその体を左手で支え、次々と襲いかかるワー・ウルフの攻撃に対する盾としながら、ラグーンはさらに踏み込んでいった。
前列の向かって右のワー・ウルフは、ラグーンの投げたナイフによってすでに動きを止めている。そして、仲間の体にしばし攻撃を封じられた左側のワー・ウルフは、エスカとレンの銀の弓矢によって、その両目を射抜かれていた。
ラグーンの巨体は、止まらない。
「おおおおおおっ！」
普段は滅多にあげない気勢をあげ、既に動かなくなったワー・ウルフを両手で支えて、後方のワー・ウルフ達に迫る。ワー・ウルフ達は、その体に邪魔され、有効な攻撃をラグーンに与えられないまま、ラグーンの凄まじい突進をまともに食らってしまった。
肉と肉がぶつかる、鈍い音がする。
ラグーンの行動が予想外であったのか、ワー・ウルフ達はまるでうろたえているように見えた。
「レン、扉を！」
ラグーンが、吠えるように言い放つ。
その一言で、後方から弓矢で援護していたレンは、ラグーンの意図を悟った。
ラグーンは、ワー・ウルフを倒すのではなく、その全てを扉の外に押しだそうとしているのであった。実際、思わぬ先制攻撃にワー・ウルフ達は満足に体勢を整えられず、一塊りになってもがいており、最後尾の何体かは、扉の外にはじき出されてしまっている。
「承知だ！」
レンは、床に直に置かれている様々な財宝を蹴散らしながら、敏捷な動きで部屋を横切り、開け放たれたままの扉にたどり着く。そして、肩からぶつかるようにして扉に身を預け、渾身の力でそれを閉ざした。途中から、ラグーンがそれに手を貸す。
ワー・ウルフ達は鉤爪をくりだし、あるいは首を伸ばすようにして、どうにかラグーンかレンに一撃を与えようとする。しかし、仲間の体と、閉まりつつある大きな扉が邪魔をし、果たせない。
ごぉん、という鈍い鐘のような音とともに、扉が閉じた。
すかさず、レンがいくつかの金属製の楔をザックから取り出し、扉の下にはめ込んで、容易には開かないようにする。
そして、そのまましばらく、二人は扉を押さえたまま、動こうとしなかった。
何度か、凄まじい力で、扉が叩かれる。
しかし床にくいこんだ楔と、ラグーンとレンの力の前に、扉はほとんど動かなかった。三人は、扉が頑丈な青銅製であることに一様に感謝していた。
その後しばらく、外の通路で何かが会話するかのように吠えあっている気配があったのだが、やがてそれも嘘のように消えてしまった。
ようやく息をつき、三人は宝物庫の中を眺めた。しかし、ラグーンは扉を背に付けたままの姿勢だ。
宝物庫は、どうにか一目で見渡せるくらいの大きさだった。壁面や天井には全く何の飾り気も無く、他の通路同様、灰色の石組みが剥き出しのままである。
しかしその床には、まるで敷き詰められたじゅうたん絨毯のように、金貨や銀貨、宝石などが無造作に撒き散らされており、特に部屋の一方の隅には、ちょっとした小山が築かれていた。さらに他の一角には、細かな細工の施された、貴金属や貴石で作られた装身具や武具、あるいは見事な彫刻などが転がっている。
レンは、這うようにしてそれらの財宝に顔を近づけ、熱心な視線を注いだ。
エスカが、そんなレンに対する軽蔑を新たにしようとした時、すっくとレンは身を起こし、腹立たしげに床を蹴った。あおりを食って、いくつかの財宝が壁にぶつかる。
「持ち去られたか……」
そう呟くレンの顔は、この短い付き合いの中で一度も見せたことが無いほど苦り切っていた。
「どうした？」
何となく調子を狂わされたような感じで、エスカが尋ねる。
「やられたぜ。ちらっと見えたような気がしたんだが、やっぱりか……。ここに残ってるものなんざ、単なる目くらましさ。奴等、肝心なモノをここから持ち出しに来たんだ。ちきしょう、やけにあっさり引っ込むと思ったぜ！」
「……それはやはり、〈月霊剣〉とやらのことか」
そう問いかけたラグーンに、レンは鋭い視線を向けた。今までとは打って変わった、真剣な目である。
「まあな」
視線はそのまま、口元だけ、いつもの皮肉な笑みを浮かべる。
「しっかし、その名前をここで口にするたあ、あんたら、やはりただの冒険者じゃねえってことかよ」
「そんなつもりはないんだが、な」
言いながら、ラグーンも笑みをもらす。こちらは、どこか困ったような表情だ。
「恐らく、いくつかの偶然と、何者かの隠された意図によるもの、だと思う。実際のところ俺にも全貌は分からんのさ。今まで、小難しいことを考えるのは、俺の役目じゃなかったんでね」
「ふーん」
不満気に鼻を鳴らしながら、レンはラグーンとエスカを見比べるように、二人に視線を泳がせた。まるで値踏みするかのような、妙に注意深げな顔になっている。
「……さすがに、あんたらがヤツの手の者たあ思えねえなあ」
「ヤツ、とは？」
「〈白狼王〉リカオニウスと呼ばれる、昔話の中のバケモノだよ、お姐さん」
自分の言葉が自分でも滑稽に思えたのか、レンは声に出して短く笑い、続けた。
「帝国末期、ここらで大暴れしてたって言う、伝説のワー・ウルフの王さまのことさ。一千年ほど昔の話さね。まあ、草原で日がな一日馬にまたがってるあんたらが、どれだけ知っているか分からんが……とにかくそいつ、この国じゃ三つのガキでも知ってる恐ろしい怪物について、神殿のお偉いさんが訳の分からないことを言い出したと思いなよ」
「神殿、か」
ラグーンが、うなるように呟く。
「そう。偉大なる神々の声を聞くことができると思い込んで、不細工な石造りの建物に引きこもったままの陰気な連中が、何にあてられたのか急に騒ぎ出したのさ。恐るべき災厄のしるし、〈白狼王〉リカオニウス復活のきざしを、天の星々は示したり、とね。今から三年ほど前の話さ」
「ふむ……」
「しかし、それは折も折、隣国アストニアとの戦役の真っ最中のことでね、神殿もこの件に関わりっきりになることはできなかった。って言うより、訳の分からん神託よりも、目の前の争乱の方に手一杯だったわけだな。その後も、神殿は貴族とのゴタゴタなんかがあって、あまり表だって色々と活動できるような状況じゃなかったと思いねえ」
「なるほど、な」
「ただし、十二宮神殿の中でも、双魚宮神殿だけは、リカオニウス復活について、ずいぶんと気にかけてたんだな。双魚宮神殿ってとこは、なにしろ浮世離れしたところがあるのさ。で、手持ちの聖堂騎士団を動かすだけじゃなく、そこらの冒険者にまで、少なくない報酬を用意して、リカオニウス復活に関する情報を収集し、対策を講じようとしたわけだ」
「それに、お前達も雇われたわけか」
「そう。俺達の使命は、建国の英雄エールが〈白狼王〉リカオニウスを倒す際に使われたという〈月霊剣〉アシュモダイを探索することだった。何のこたあねえ、吟遊詩人の唄う、『聖体探索』の騎士達みたいなもんさ。正直な話、いいチャンスだから役得含めてふんだくれるだけふんだくろうってハラだったよ」
「…………」
「だけど、神殿からもらった地図を頼りに調べてくうち、どうもこのヤマは本物じゃないかと思い始めてきた。ここに来てワー・ウルフどもがわんさと出てきやがったのは、言うなれば駄目押しでね。それまでも色々と怪しげな噂なんかがあったわけよ。それに、あんたの話してくれたことも、俺達が掴んだ話と、どことなく符合するんだな」
「符号？」
ラグーンが、眉をひそめて聞き返す。
「そうさ。まず、カリヴスとかいういかれたおっさんが、どうして建国の英雄エールを復活させようとなんてしたのか？」
「甦った〈白狼王〉に対抗するため、か……」
「その通り、なんだろうな。俺にも確信は持てないけどよ。しかも、あんたの話と符合するのはこの件だけじゃない。実は、〈白狼王〉リカオニウスはとっくに復活してて、それどころか正体を隠して堂々と表の世界に顔を出してるって噂があったのさ」
「…………」
「そして……」
レンは、しばし言葉を切り、自分の言葉が起こしている効果を確かめるように、ラグーンとエスカの顔を交互に見た。エスカはともかく、ラグーンはいつになく興味を引かれた表情で聞き入っている。
「なんと〈白狼王〉は、先のアストニア戦役の武勲で、貴族にまでなっちまっているってえのさ」
「それは、まさか……」
「そう。あんたらに〈月霊剣〉探索を依頼した、クルペオン男爵のこったよ」
「…………」
さすがに、ラグーンは無言である。
「俺も、最初は馬鹿馬鹿しいとは思ってたがね。ただ、不死身の〈白狼王〉リカオニウスにとって、唯一恐れるべきは〈月霊剣〉アシュモダイだけだ。神殿の連中に押さえられる前に手に入れちまおうって考えても、おかしかあないだろう？」
そのレンの言葉が、終わるか終わらないかの時であった。
突然、大きな金属音が、部屋の空気を震わせたのだ。音の発生源は、上方であった。
「何だ？」
頭上を振り仰ぐ三人の顔に、ぱらぱらと細かい小石が落ちかかる。
その間も、きしむような金属音は止もうとしない。その上、大きな岩と岩がこすれるような、ごろごろという音まで加わっている。
「しまった！」
そう言いながら、ラグーンが足元の床に食い込んだままの楔を蹴り飛ばし、扉を開こうとする。しかし、扉はびくともしない。
レンとエスカも、自分達が侵入した扉を開けようと試みた。だが結果は同様だ。
「罠か……」
ラグーンが、食いしばった歯から絞り出すようにそう言い、再び頭上を睨んだ。
視線の先で、石造りの重そうな天井が、ゆっくりと降下している。大掛かりな吊り天井のからくりだ。
「悠長に話しなんざしてねえで逃げてりゃよかった」
レンが、今更のようにそう言った。