白 狼 伝



−幕間劇−



 彼は、かつて彼の創造者が封じられていたのと同様の闇の中を、ただよっている。
 彼はいわゆる人ではない。創造者の名を取って、シモンと仮に称されてはいたが、もともとは世界に漂う無個性な精霊の集積体である。
 しかし、そもそも精神とは、たまたま肉体に宿っている精霊に過ぎないのだと、呪術師たちは唱えている。そういう意味で、自我を有するに至るまで念入りに調整された彼の心と、人間のそれのと間に、本質的な差異を見出すのは難しい。
 だが、彼は宿るべき肉体を失っていた。
 かと言って、いわゆる亡霊となってしまったわけではない。ただ、圧倒的な力の前に、この闇の奥底に封じられ、支配されているだけである。
 彼の支配者は、人の心を操り、魂を弄ぶことに長けた老呪術師である。さらには失われた絶対神のカバラにも通じている。彼とて、太古の竜の言葉を修得し、エレメンタルを使役する魔術師であはあるが、自らの創造者に対しては抗う術も無かった。
 そもそも、魔術はエレメンタルの働きによって物質に干渉することを旨とする魔法体系である。この力によって創造者の体を破壊するということは、自らの戻るべき場所を失うということでもあるのだ。
 それでも彼は、自らの創造者にして支配者たる老人の隙を、闇の中で密かにうかがっている。
 これまで、自らの儀式の失敗によって心の奥深くに封じられてしまったこの老人は、まだ完全に力を取り戻してはいない。確かにその復活に関しては、彼は完全にその時期を見誤ってしまった。しかしそれは、逆に言うなら、老人がまだ全て準備が整わぬうちに、無理矢理、外の世界に現われ出たということでもあるのだ。
 その証拠に、彼の心は、未だ完全に老人の支配下に置かれているわけではない。
 しかし、それでも、機会は一瞬のはずだ。
 もし老人が、わずかに残る彼の自由意志に気付いてしまったら、それは彼にとって真に最期の時となるはずである。老人の呪術は彼の精神をずたずたに引き裂き、自我をもたないただの精霊のレベルにまで還元してしまうだろう。
 ゆえに、その一瞬の機会に致命的な一撃を、老人に与えなければならない。そのために、外界の様子を知るべく、闇の中にありながらも、常にエレメンタルの声に耳を傾ける。
 老人は自らに命を与えてくれた者でもあり、その知識には対しては、彼は深い敬意を抱いている。老人の復活の時こそ、自分が代わりに操っていた肉体を放棄する時だと、かつては何の疑いもなく考えていた。
 それに老人は、この契約の代償として、適当な新生児に自らを導き、転生させてくれることを彼に約束したのだ。
 しかし今や、彼は老人を倒すことを決心している。
 彼は、かつて老人が幽閉されていた場所を覗き、老人が心の中に何を住まわせていたのかを初めて知ったのだ。
 それは、世界に対する想像を絶する憎悪だった。
 最終的には、この世のあらゆる存在にまで及ぶほどの、見境のない憎しみの嵐である。
(ことによったら……)
 闇の中で、その憎悪を感じるたびに、彼は思っていた。
(戻るべき肉体を失うことになっても……)
 人として生きることを断念してでも、自らの創造者であるこの老人を、滅ぼさねばならない。
 彼は、今自分が押し込められている場所で小さく身を潜めながら、誰にともなくそう誓っていた。



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