2018年3月28日(火)

「“愛国ポルノ”とか“感動ポルノ”とかいう言葉を聞くと、“ポルノ指摘ポルノ”ってのがあるような気がしてくる」
「何ですかそれ」
「つまり、人間の素朴な欲望・欲求を満たすために作られたコンテンツに対し“それはポルノだ! 低俗だ! それを指摘できる自分はスゴイ! エライ!”っていうポルノ」
「ポルノの概念が際限なく広がっていきますねえ」
「個人的にはあんま広げたくないんだけどね」

2018年3月19日(月)

「予約注文してた紙の本が届くと、電子書籍にすればよかった、って思うようになっちゃったなあ」
「便利ですもんね、電子書籍」
「ただ、気軽に読み返したい本だとやっぱ紙の方がいいんだよな~。キンドルのUIがアレなだけかもしれないけど」

2018年3月3日(土)

「アマゾンプライムで『バーフバリ』観たんでネタバレ感想書くよ」
「はい」
「あと、ちょっとネガティブ、というか“自分には合わなかった”っていう感想なんで『バーフバリ』好きな人は非推奨で」

『バーフバリ』ネタバレ感想
 世間で評判なので『バーフバリ』を観たのですが、自分にはちょっと合わなかったです。
 まず、主人公のバーフバリですが、父親と息子がいます。そして二人は同じ役者さんがやっています。物語上、息子バーフバリは「父親バーフバリの再来」として扱われ、本人もその他の登場人物も全てそのように振る舞います。それがちょっと自分には苦手でした。自分は息子バーフバリも父親バーフバリもキャラとしては大好きなのですが、そのせいで余計に苦手に感じたのです。
 本作は二部作なのですが、「1」は息子バーフバリの物語です。この息子バーフバリ、かなりの男前で、惚れた女性の命を懸けた使命を「惚れたからにはお前の使命は俺が引き受ける」と肩代わりしたりします。ベタですがこういうのすごく大好きです。求愛行動として相手の体に勝手にタトゥー(って字幕でなってたけどボディペインティング?)を入れたりしますが、あの世界ではあれくらいは「いたずら」で「おちゃめ」なのでしょう。伝説級インドのイケメンはスゲーな、と思いました。
 んでもって、「2」は父親バーフバリの物語です。これもお話自体は面白いのですが「前作の因縁話」なので先が見えてしまっています。その一方で、お話自体はベタなので「そういうことだったのか!」という驚きは少ないです。ベタなのはそれはそれでいいんですが、父親バーフバリもまた息子バーフバリと同じくらい男前なので、逆に「でもこの後で亡くなっちゃうんだよね……」という意識によって自分のような雑魚メンタル持ちは物語を素直に楽しめなくなってしまうのです。「2→1の順番で観るとよい」というネット上の意見にはなるほどと思いました。
 息子バーフバリや父親バーフバリのアクションシーンは圧巻です。荒唐無稽でありながらピタゴラスイッチ的アイデアもあり、非常に楽しめます。ただ自分は、いちばん面白いアクションシーンをネットで見てしまったため、初見の驚きというものを味わえませんでした。この点もちょっと不幸だったと思います。
 物語の筋は単純です。王の器の持ち主である父親バーフバリが従兄弟である悪王バラーラデーヴァによって殺され、父親バーフバリの妃デーヴァセーナも幽閉されます。しかし赤ん坊の頃に王宮から脱出していた息子バーフバリは、父親バーフバリの再来としてバラーラデーヴァを倒し、新たな王となります。それだけと言えばそれだけです。
 この、息子バーフバリが父親バーフバリの再来として物語全体に扱われること。周囲の人間も本人もまるでそのことに疑問を抱かないこと。それがとてもムズムズするのです。「1」で生き生きと活躍していた息子バーフバリ“個人”が、因縁・宿業・運命によって消滅してしまったような、そんな気持ちになるのです。
 例えばデーヴァセーナは、生まれた直後に生き別れになった息子バーフバリに出会った時、「生死不明の息子が生きていてよかった」という表情を見せません。むしろ自分には「これで偉大なる我が夫バーフバリを殺したバラーラデーヴァに復讐ができる」と考えているように思えました。何しろデーヴァセーナは幽閉中も屈辱にまみれながらバラーラデーヴァを焼き殺すための焚き付けを集めたりしてましたんで、自分の感想もまるっきり見当外れだとは思えません。露悪的に言うなら、息子バーフバリが復讐の道具のように扱われているように見えました。息子バーフバリ本人も復讐にはノリノリだったのですが、それがかえって痛々しかったです。
 あと本作は「強い女性」が活躍するお話としても評判です。そして、これをもってフェミニズム的に本作を評価する向きもあるようです。ですが自分はこの点についてもうっすらと疑問を抱いてます。若い頃のデーヴァセーナや、息子バーフバリの恋人アヴァンティカの戦闘能力は確かに高いです。国母シヴァガミは果断な為政者として王国を切り盛りしています。そして彼女たちを父親・息子バーフバリはともにとても尊重しています。ただ「もしかすると主人公たちが尊重してるのは彼女たちの自由ではなく貞操なのではないだろうか」とついつい邪推してしまうのです。
 例えば、セクハラ相手の指を切り落とした妻デーヴァセーナの裁判において、父親バーフバリが「妻よ、お前は間違ってる。切り落とすのはこっちだ」とセクハラ相手の首を切り落とすシーンがあります。自分はこのシーンに痛快さは感じず、ただドン引きしました。いや、世界観的に適罰性なんて概念は皆無だとは思うんですが、この「男性のセクハラに対する苛烈さ」は「女性の貞操に対する過剰な重視」の裏返しであり、容易に「女性の不貞に対する苛烈さ」に転じてしまうのではないか――と危惧したのです。もちろん余計な心配なんですけど、フェミニズム的には女性の貞操より自由を重視すべきかなーって。念のために申し上げますと、自分はセクハラ加害者が“相応の”罰を受けることには当然賛成です。
 以上、「子供が親の呪縛から解き放たれる物語が好き」で「女性の貞操よりも自由奔放さに魅力を覚える」自分にはバーフバリが合わなかった、という感想でした。

2018年3月1日(木)

「もう3月か……」
「2月って短いからそういうふうに感じちゃいがちですよね」
「しかし、どうして2月って28日なんだろう。31日の月があんなにあるんだから均せばいいのに」
「ネットで調べれば理由も分かるんじゃないですか?」
「うーん、でも、わざわざ調べるほどの疑問でもないなあ」