2017年3月29日(水)

「『けものフレンズ』最終回をリアルタイム視聴したよ!」
「え、そんなハマってたんですか?」
「いやー、最初はぜんぜんノーマークだったんだけど、色々なところで話題になってるからニコニコとかで過去回を観ているうちに好きになっちゃって」
「そういう人、多いみたいですね」
「というわけでネタバレ感想書くよー」

『けものフレンズ』ネタバレ感想
 動物と友達になれたら素敵だよな、っていう思いは、多くの人が持ってると思います。自分もそうでした。子供の頃は、動物と話ができるオジサンが主人公の『ドリトル先生』シリーズが好きでした。
 でもまあ、例によって中学校2年生くらいの時期に「人と動物との友情なんて有り得ない」みたいな考え方をするようになったんですね。さらには「人類は生物進化が生み出した最悪の鬼子であり地球のガン細胞」みたいなことを言い出したりしてたような気がします。自虐史観ならぬ自虐自然観って感じですかね。今もそれは引きずってますし、戦争や環境破壊のニュースなんかに触れると反射的にそんなことを思ってしまうことがあります。
 そもそも、異なる種同士の間に友情が成立するかというのは非常に難しいものがあります。意思の疎通も難しいですし、種によっては捕食の対象だったりしますしね。それどころか、人間のみならずイルカなんかも他の種を苛めて快楽を得たりしてるみたいです。ちょっと話はそれますが「楽しみのために殺しをするのは人間だけ」みたいなマイナスの選民意識に冷や水をかけるような話でなかなかに痛快です。
 前置きが長くなりましたが、『けものフレンズ』は「動物と友達になる」という話です。そして、それを成立させるために非常に巧みな仕掛けをさりげなくしてると思います。作品中の荒唐無稽の根源であるサンドスターによってフレンズ化した動物は、いい具合に元の動物の性質や外見を残しつつ、互いに意思が疎通できるようになります。そして、ジャパリまんの存在によって捕食-被食関係は全て解体され、狩猟本能は“狩りごっこ”に名残を留めるのみです。かばんちゃんとサーバルちゃんなどの間で執拗に繰り返される「食べないでください」「食べないよ」というやりとりも、舞台のジャパリパークが捕食-被食関係から解放された場所だということを象徴的に表してます。つまりジャパリパークにおいて動物たちは古生代から連綿と続く宿業・原罪から解放されているわけです。まさに友情をはぐくむためだけの楽園と言えるかもしれません。
 ただ、本作がそのジャパリパークにおけるフレンズたちの日常を描くだけの作品であったなら、文字通りの美少女動物園(それはそれでイイモノですが)の誹りを受け、ここまでの人気は得られなかったでしょう。このお話の軸となるのは、言うまでもなく記憶を持たないかばんちゃんの冒険の旅です。自分が何者か知らないかばんちゃんがそれを知るための歩みの記録です。そしてその旅は「人間ていったい何なんだろう」という人類の永遠の命題と重なります。なので人間である我々は自然とかばんちゃんに感情移入できるのです。かばんちゃんが性別すら曖昧(最終回で判明したように「ヒトのフレンズ」である以上は他のフレンズと同様に「女の子」であるのは確かでしょうが)なのも、男女ともに共感させるための巧妙な計算によるもののような気がします。
 かばんちゃんは旅の中で「かばんちゃんらしさ=ヒトらしさ」を見つけていきます。長距離移動が比較的得意で、素材から何かを作ることができ、図形や文字を操り、火を使用可能で、闘争を遊戯に変えられ、努力家で、そして本能的に新天地を求める――それらは、しかし他のフレンズとの比較の中でしか明らかになりません。結局のところ、人は人との触れ合いの中からでしか自分を見出せないということなのでしょう。それを「友情の物語」の中で描くところは王道過ぎるほどに王道なのですが、その王道を言い訳が利かないくらいの美少女動物園に貫き通したことこそ、この作品の素晴らしいところだと思います。
 しかしサンドスターだのフレンズだのジャパリパークだのというものは都合のいい妄想に過ぎない、という考えもあるでしょう。この作品の凄いところは、それすらも物語に組み込んでいるところです。それはセルリアンです。
 セルリアンとは意思の疎通ができません。そしてフレンズを捕食し、動物に戻してしまいます。『けものフレンズ』を成立させる優しい約束事をすべて破壊するモノです。セルリアンはサンドスターと同様、この作品世界に理由なく存在します。なぜかという問いは必要ないのでしょう。サンドスターが作り上げる「動物と友達になれる夢のような世界」に対する対立項。「でもそんなのは砂糖菓子のように甘たるい幻だ」と思い知らせる存在。サンドスターのあるところにセルリアンあり――これは物語上の必然のような気がします。
 フレンズたちは、そして多くの視聴者たちは、セルリアンにノーを突き付けます。かばんちゃんやその友達たちはセルリアンと戦い、勝利します。現実が実際はどうなのかなんて関係ないのです。動物と友達になれたら素敵だし、ヒトは友達になった動物と冒険の旅をして自分が何者かを見つめ直すべきなのです。この物語はサンドスターという荒唐無稽が生み出したフレンズという非実在少女たちが冷酷非情な現実を否定――いえ、超克する物語なのでしょう。そして、そんなある意味でムチャクチャなお話に多くの視聴者がついていくのは、「ムチャクチャなお話かもしれないけどかばんちゃんは紛れもなく私たちだ」という共感ゆえだと思います。
 シンパシーを抱ける主人公による荒唐無稽な世界での大冒険の旅――それが、たとえオープニングのジャパリバスの車輪が動かないような省エネCGによる物語であっても多くの人の支持を受けたことが、他人事ながら嬉しくなってしまうような作品でした。
 なお、自分はアプリ版『けものフレンズ』を全く知らないので、上記の全てはアニメ版のみの感想となります。

2017年3月25日(土)

道徳の教科書の検定で“国や郷土を愛する態度”を学ぶ観点で不適切だって意見をつけられた教科書会社が物語に登場するパン屋を和菓子屋に変えたら合格したって話、本当に本当かなあ。にわかには信じがたいんだけど」
「ネットのニュースではあちこちで取り上げられてますし、ホントなんじゃないでしょうか」
「いや、その、何て言うか……バカな子ほど可愛いなんて言葉もあるけど……ここまでバカな話だと、その……マジで愛想が尽きるっていうか……国を愛するなんてキモチとは逆方向の感情がモリモリ湧いてきそうだ」
「まあ、教科書を検定する人たちが日本の代表ってわけでもないですから」
「そ、そうだよな。少なくともオレが愛着を持ってる日本国っていうものとただのバカな一省庁を同一視したらいけないよな。それにしても……ええぇ~」
「ずいぶんとショック受けてますね」
「いや、もともと道徳っていう教科で“評価”をすること自体、内心の自由に対する侵害っぽいからかなり疑問があったんだけど、ここまでアホな感じだと真面目に抗議する気すら萎えるよなあ。もしかしてそれを狙ってるのかな?」
「その陰謀論はあまりにもガバガバですよ」
「要するにそれくらいビックリしてるんだけどさ。できれば報道の仕方でおかしく伝わってるだけであってほしいなあ。そんなことなさそうだけど」
「ですねー」
「あと、道徳の授業で“評価”されるのは、どんなことを言ったら大人が喜ぶかを察知する能力だけな気がするなあ。もちろん、そういうスキルは社会生活を営む上で大事だから、無意味だなんて軽々しくは言えないんだけどさ」

2017年3月24日(金)

「政治的なことはあまり書きたくないから、“忖度”が読めなかったことだけ正直にここに記録しておこうかな」
「何か意味あります?」
「読み返した時に、そういえばそんなこともあったなあ、って懐かしい気持ちになるじゃん」

2017年3月18日(土)

「『デレステ』で何度チャレンジしてもフルコンできない曲があるんだけど、攻略サイトの掲示板でも同じようになかなかフルコンできない人の書き込みがあって、何だか救われた気分になった」
「ま、まあ、練習していればいつかフルコンできますよ」
「かもね。何しろオレは練習の大切さを『デレステ』で学んだと言っても過言じゃないしな」
「その歳でですか?」
「人生は一生勉強だよ」
「何かイイコトみたいに言われても……」

2017年3月14日(火)

「フリーのCGIを利用させていただいて掲示板を再設置してみたよ」
「あのままほったらかしにするのかと思いましたよ」
「いや、それはさすがに……。ともあれ、こんなふうにしたいなー、と思ったとおりの体裁になってくれて、そこそこ満足」
「よかったですねえ」
「ただ、なぜかFirefoxで書き込むと、書き込み反映後に名前欄が文字化けするんだよね。とりあえず気持ち悪いからCookieをオフにして表示しないようにしてるんだけど」
「何が問題なんでしょう?」
「いやもうそれがさっぱり……。何しろ、何の知識もない状態で手探りで設置したからなあ」
「ご主人様、パソコンを含めて機械をいじる時は基本的に勘と手探りですよね」
「それでこれまで何とかしてきたんだよ」

2017年3月8日(水)

「だいぶ昔、ある本に“ゴリラは頭がいいぶん痛みにも弱くてそのせいで実は戦闘力は低い”ってなことが書かれてたんだけどさ」
「真偽はともかく説得力はありますね」
「けど、同じ霊長類である人間だって苦痛への耐性は人それぞれだし、ゴリラにも苦痛をモノともせずにその潜在能力をいかんなく発揮する根っからのファイターがいるんじゃないか――つまりゴリラでも強い奴は強いんじゃないか、ということを最近よく考えるんだよ」
「何でそんなゴリラのことばっか考えてるんですか」

2017年3月7日(火)

「オレは幼少の頃から“おっぱいもみたいなあ”とか考えるようなエロガキだったわけだけどさ」
「何の意外性もない告白ですね」
「少し歳を重ねた後、エロマンガとかでヒロインがおっぱい揉まれて気持ちよくなっちゃってるシーンを見て、“もんでる方ももまれてる方もうれしいんだったらこんな素晴らしいことはない”と考えるようになったんだよね」
「それはまあ、してくる相手にもよると思いますけどね」
「正論だな。それはそれとして、さらに歳を重ねた後、“ホントは揉まれても気持ちよくないけど相手に気を使ってアンアン言ってるだけだよ”みたいなネットの書き込みを見て、ほろ苦い哀しみを覚えるとともに、そこまで男の妄想に付き合ってくれる女性って女神か何かかと思ったね」
「ははあ」
「とはいえ、世の中にはおっぱい揉まれるとマジで気持ちよくなっちゃう人もいるんじゃないかという希望に導かれながら、今日もエロテキストを書いているわけだ」

2017年3月5日(日)

「仲間内でよく遊んでる『D&D4E』の商品展開がされなくなったのは悲しいけど、敢えてよかった探しをするなら、そのおかげでオリジナルのルールやら何やらを導入する踏ん切りが付いたってのがあるなあ」
「でもそれは、商品展開終了前からもしてよかったんじゃないですか?」
「――ん、まあ、そうだね。単に気分の問題だったわ」