2017年2月26日(日)

「毎年この日は『パトレイバー2』のDVDを観てたんだけどさ」
「2.26つながりですね」
「今日は『鉄血のオルフェンズ』でその成分は摂ったからいいや」
「こっちも青年将校の反乱のお話でしたもんね」

2017年2月23日(木)

「エアロバイクだけど、短時間ながらまだ毎日こいでいられているよ」
「と言ってもまだようやく1週間なんですよね」
「オレにしてはよく続いた方だよ。これで好きなだけ食いたいもの食っても大丈夫かな」
「大丈夫じゃないでしょうけど……でもまあ、何もしてなかった時に比べればほんの少しだけマシなんじゃないですかね」

2017年2月20日(月)

「エアロバイクを買ったよ」
「とうとう運動する気になったんですか」
「いや、このまま運動不足でい続けると、割と早い時期に食べたいものも食べられない体になっちゃうんじゃないかと思って……」
「3日坊主になりませんかねえ」
「実は買ったのは3日前なんで、それは明日試されるな」

2017年2月16日(木)

「『ダンジョン飯【第4巻】』を読んだんだけど、相変わらず面白いなあ」
「ちょっとお料理場面が少なかったですけどね」
「まあ、展開的に仕方ないんじゃないかな」
「お話的には何だか不穏な感じですが……」
「そうなんだけど、一方で、4人でなく5人パーティーになったことによってすごく安定感を感じるんだよね」
「TRPG的な発想ですねー」

2017年2月15日(水)

「『それでも町は廻っている』、終わっちゃったなあ……」
「最終巻を読んだんですね」
「何だか高校を卒業した時と同じような寂しさを感じるよ」
「ずいぶん前のことですねえ」
「なお、エピローグに登場したクラッチ杖のオジサンが誰なのか、第巻を読み返すまで思い出せなかったのは内緒だ」

2017年2月12日(日)

「きのう書いた『この世界の片隅に』の感想で書ききれなかった細かいところで1つ、書いておきたいことがあったんで書いておくわ」
「どうぞ」

『この世界の片隅に』に関する細かいこと
 『この世界の片隅に』で、気になった点が1つありました。
 のちに刈谷さんの息子と判明する被爆者が、隣保館の脇で「座ったまま」こと切れていたことです。
 「顔も服もべろべろ」でどこの誰かも分からなかった死体が、実は刈谷さんの息子で、しかも当初は刈谷さん自身、それに気付かなかった――ということだけでも凄絶でやりきれないお話です。ですが私は、死体の姿勢――「座っていた」ということに、それと同等の大変な衝撃を受けました。
 刈谷さんの息子は、力尽きてその場に倒れていたわけではないのです。
 つまり彼は、あの日の広島から故郷の隣保館にようやくたどり着き、そして安堵のあまり座り込んだのではないでしょうか。瀕死の状態で、ひたすら母に会いたいと願い、そして母の住む町に到着し、母がよく出入りしていた隣保館の軒下でふっと気が抜けてそのままへたり込んでしまったのではないでしょうか。
 彼は自らの死期を覚り、一目母親に会いたいと願っていたのかもしれません。もしくはすでに頭も朦朧とし、母親であれば自らの苦痛を取り除いて救ってくれると考えていたのかもしれません。どちらにせよ、母親に会いたいという執念が、彼を広島から呉へと歩かせたのでしょう。そして母の住む町の、母がその時に中でわらじを編んでいた隣保館にまで辿り着き、その軒下に座り込み、そして亡くなったのです。
 刈谷さんの息子が「座っていた」ことで、私は彼がどんな思いで隣保館の軒下まで歩いてきたのかを想像してしまいます。あの地獄に邂逅した人間の「母さんのところに帰りたい」というあまりにも自然でいじましい願いと、それを果たしかけた時のかすかな救いのような安堵。そんな彼の心の動きに、どうしても思いを馳せてしまうのです。
 しかし彼は母親に会うことなくこと切れました。そして死んだ後も母親に息子であることに気付いてもらえませんでした。
 せめて刈谷さんの息子が、母親と再会する夢を死の間際に見ていてくれたらと願わずにはいられません。

2017年2月11日(土)

「巷で評判の『この世界の片隅に』を観てきたよ」
「今さらですか?」
「前々から気になってたんだけど、最近、映画を観ると必ず途中で死ぬほどトイレに行きたくなってつらいんで、観るかどうか迷ってたんだよ」
「そんな理由でですか……」
「まあ、行ってよかったけどね。いい映画だった。ただ、トイレ対策で朝からお茶もコーヒーも飲まなかったせいか観た後ですごい頭痛になった」
「難儀でしたねえ」
「けど、トイレの方はそれほど行きたくなかったからその点では正解だったんだろうなあ。こんど映画を観に行くときは頭痛薬を持っていくことにしよう」
「では、例によってネタバレ感想などどうぞ」

『この世界の片隅に』ネタバレ感想
 たとえ戦時下でもすずさんは可愛い――そういう映画でした。
 ふざけているわけではありません。ヒロインの可愛さを前面に出した戦時下あるある日常アニメ。それが本作の重要な一側面だと思います。
 ただ、本作はその丁寧さにおいて凡百の日常アニメから卓越しています。登場人物たちの動きや表情、そして音響、時代考察。それらが本当に素晴しく、70年以上の時を超えてキャラクターたちを生き生きと表現しているのです。
 ラストにおいて、自分はヒロインのすずさんが「生きている」ということにひたすら感動しました。すずさんという可愛らしい新妻が、様々な過酷な現実を通過しながら、なお日常を生きているということに涙してしまいました。架空のキャラクターであるはずの彼女があたかも実在しているかのように思えてならず、そしてその(架空の)人生をただ思うだけで胸がいっぱいになったのです。
 どうやらそれは私だけではなかったようです。ネットでの感想も多くがそのようでした。本作の監督自身も「すずさんは今91歳で、この世界の片隅に生きている」「いまも元気に広島カープの応援していますよ」と言ってるとのことです。やったぜ。
 これほど生き生きと可愛くスクリーンの向こうで動いているすずさんが実在しないわけがない。そう錯覚することにより、本作で描かれる世界は私たちの住む世界と地続きとなります。その結果、すずさんを襲う過酷な運命も「お涙頂戴のために用意されたストーリー」ではなく「かつて誰かにあったことでありいつか自分にもありうること」になるのです。いえ、それは戦争に起因する残酷な出来事だけではありません。すずさんの周囲で起こるユーモアも、夫・周作との現代の感覚では少し奇妙なロマンスも、人々の逞しくもいじましい営みも、全て見ている人の中で「本当のこと」になるのです。
 戦争を極限状況として描き、そこでむき出しになる人間性を描写する戦争映画もあるでしょう。そのような戦争映画に多くの傑作があることも確かです。しかし戦争という極限状況、すなわち非日常を体験していない身としては、そこで表現されるテーマやメッセージがどこか上滑りすることが少なくありません。一方で、私は本作から強烈なメッセージを受けました。それは言葉にしてみれば「人が日常の中を生きることの尊さ」というありきたりなものです。ありきたりであるがゆえに、それは戦争という悲惨な非日常と対比させないと気付けないものなのかもしれません。
 逆を言えば、すずさんのへにゃっとした柔らかな困り笑いが可愛ければ可愛いほどに、その彼女の笑顔を、鉛筆や絵筆を握っていた右手を、そして笑顔の源泉の一つであった幼い義理の姪の命を無慈悲に奪った戦争という暴力の「あってはならなさ」が際立ちます。
 ただ本作について、個人的には「反戦がテーマ」とはあまり言いたくありません。もちろん私は観賞後「やっぱホント戦争ってクソだわ」との感想を抱きました。ただ、昨今の「反戦」という言葉はどうにも政治的な色彩が強く思え、映画の感想に使いたくないです。戦争をすべきでないのは、「敗けると悲惨だから」でも「そこに正義はないから」でも「帝国主義の発露だから」でも「政敵がいわゆるタカ派だから」でもなく、「尊ぶべき日常の生活を容易に破壊してしまう状況だから」なのだ――くらいに回りくどく言えばいいのかもですが、それでも何だかキナ臭く感じます。
 つまり何が言いたいかというと、政治や思想で目が曇るとすずさんの可愛さを見逃すことになるから私はそういう見方はしないということです。すずさんは可愛い。その可愛い笑顔を奪う戦争はクソ。でも戦争なんぞがすずさんの可愛い笑顔をいつまでも奪えるものか。可愛いすずさんは今も俺の胸に生きている。――つまり、そういうことなのです。
 ところで、ネットで「本作は、恐らく発達障害であろうすずさんの“居場所”の物語ではないか(大意)」との意見があり、「(真偽のほどはともかくとして)その発想は無かった!」と膝を打ちました。どうやら私はすずさんの可愛さに目が曇っていたようです。

2017年2月9日(木)

「壊れちゃった掲示板、どうしようかなあ……」
「何とか修復できないんですか?」
「拾い物のフリーCGIだったんだけど、提供されていたサイト様が閉鎖されてるっぽいんだよね」
「だいぶ前に設置したものですもんねえ」
「また改めて別のを拾わせていただくか……それともお手軽にレンタルもので済まそうかなあ」

2017年2月8日(水)

「『みつどもえ【第18巻】』で判明した衝撃の事実がマジでガチに衝撃だった」
「レギュラーキャラの家族関係のやつですね」
「えぇーってリアルに声が出ちゃったもんな」

2017年2月7日(火)

「何か左右の肩が数ヶ月周期で交互に痛くなるなあ……」
「四十肩とか五十肩っていわれるやつですかね?」
「さあ、正式名称は分からないけど……でも、首と連動している気がする。やっぱ椎間板がどうかなってんのかなあ」

2017年2月3日(金)

「『火の鳥』の火の鳥って、黎明編で天の弓彦に完全敗北して命乞いまでしてたよね」
「思いやりのない言い方をするとそうですね」
「巻が進んで行ってどんどん神サマっぽくなってく火の鳥だけど、やっぱあの時のことを寝床で思い出してあーってなるのかなあ」
「そう思うと何かちょっと可愛いですね」
「まあ、あのお話の構造上、黎明編の時の火の鳥がいちばん若かった頃なのかどうかは分からないんだけどね」