2016年8月25日(木)

「いずれ将来的にこの国のエロ関係のモザイク修正は全て無くすとしてさあ」
「え? 何ですかその前提は」
「現段階における妥協策として、新式のモザイク修正とか出てこないかなあ」
「はあ……」
「つまりね、例えばエロアニメとかエロゲーのモザイクには、もう少し発展の余地があるような気がするんだよ」
「例えばどんな感じにですか? 薄くするとか?」
「いや、もちろん限りなく薄くなっていくことを目指していただきたいんだけど、今はまだ社会がそこまでエロに対して意識が高くないでしょ?」
「意識の問題なのかどうか疑問ですけど……」
「だからさ、えーと……次から次へと色や大きさの違うハートマークが泡みたいに出てきては消えて――って感じにして、見えそうだけど見えないみたいな演出はどうかな?」
「どうなんでしょうねえ。現物を見たことがないから分かりません。画面がうるさくなっちゃうのがいいことなのかどうか――」
「まあ、最初のうちは従来のモザイクと切り替えるような機能を持たせる方が無難だろうね。あと、凌辱モノとかだとそういう能天気なエフェクトはマイナスだろうから、もっと別の感じにしないとなあ」

2016年8月24日(水)

「眠りというものを知らない知的生命体(宇宙人とか)が、死の恐怖を克服するために、人類に“眠りに落ちる瞬間の精神状態”を熱心に尋ねる――っていうアイデアを思い付いたんだけど、見事にエロ小説にもエロゲーにも使えなくて持て余してる」
「それでここに書いちゃうんですね」
「いや、書かずに忘れちゃうとなんかもったいない気がしてね」

2016年8月14日(日)

「『進撃の巨人』のエルヴィン団長と『ダンジョン飯』のライオスって似てない?」
「似てますかあ?」
「ちょっとだけガタイのいい白人なところとか、集団のリーダーとしてちゃんと統率力のあるところとか、危機に際して冷静沈着に判断を下すことができるところとか、実は心の中に浮世離れしたロマンチックな部分を抱えてるところとか、本当はサイコパスなところとか」
「何だか箇条書きトリックみたいな感じですね」
「そんなことを友人と話し合った結果、あの二人は同じ役者さんが演じてるんじゃないかという結論に達したよ」

2016年8月13日(土)

「『ダンジョン飯【第3巻】』が届いたんで読んだー」
「またネタバレ感想ですか?」
「いやーまだ完結してないし、そもそもネタバレを気にするような感想とか無いしなー」
「でも、それなりに物語も進展しているじゃないですか」
「のんびりとだけどね。でも、そののんびりさがいい味出してるんだよねえ。異世界での食事というものを通して、生活感までもがじっくり描かれている感じがして……。このままのんびりと巻を重ねてほしいなあ」

2016年8月9日(火)

「『デレステ』の話ばっかで申し訳ないんだけどさ」
「本当は悪いなんて思ってませんよね」
「うん。――それはさておき、美女、美少女ばっかの『デレステ』アイドルだけど、やっぱ中には苦手な性格のアイドルとかがいるわけさ」
「それはまあ、いるでしょうね」
「でも、よく考えたら俺はこの子たちのプロデューサーで、好きになれるなれないじゃなくてきちんとアイドルとして輝けるようにしてあげるのが仕事なわけだから、むしろ恋愛感情とかちょっとムリなアイドルと接している方が作品世界に没入できていいかも、とか思うんだよねー」
「ご主人様が楽しそうで何よりです」

2016年8月7日(土)

「『デレステ』をする際、持ち方によっては指でスマホのスピーカー部分が覆われて音がこもっちゃうんだよね」
「スマホはゲーム専用機じゃないですもんねえ」
「それじゃあというわけでイヤホンを使うと、今度はイヤホンジャックの露出部分が指に干渉しがちでさあ」
「ははあ」
「この問題を解消すべく、巷で“コスパ最高”との評判の高いBluetoothイヤホンを買ってみたんだけど、今度は音の遅延が発生しちゃってね」
「音ゲーをする上では致命的ですねえ」
「そーなんだよ。で、ちょっとググってみたら、イヤホン側のaptXっていうコーデックにiphoneの方が対応していないかららしいんだよねー。Bluetoothだったら何でも同じだと思ってた自分が浅はかだった」
「そのイヤホンを買ったお金は授業料ですか」
「いやまあ、モノ自体はけっこう使いやすそうなんで、別の使い道を考えることができればと考えてるんだけど……うーん」

2016年8月2日(火)

「話題の『シン・ゴジラ』をレイトショーで観てきたよ」
「では、例によってネタバレ感想ですか?」
「うん。――ところで、俺にかかってる“いくら事前にトイレを済ませても映画鑑賞中にオシッコに行きたくなる呪い”は、どうやって解除すればいいのかなあ」
「知りませんよ」

『シン・ゴジラ』ネタバレ感想
 庵野監督がゴジラを撮ると聞いた時、自分は正直「『ヱヴァQ』の落とし前はどうつけてくれんだよ」と思ってしまいました。そもそもエヴァ(及びアニメ全般)には思い入れはあっても、ゴジラ(及び特撮全般)には特に思い入れが無かったため、かなりマイナスなイメージを抱いていました。製作発表時の庵野監督のエヴァファンへの罪悪感が滲み出ているようなコメントを読んでも、このイメージは払拭できませんでした。
 ですが、ここまで世間で「『シン・ゴジラ』はいいぞ」と言われると、やっぱり観たくなってしまいました。そういうわけで、観ないうちにネタバレされるのも癪だとばかりにホイホイ観に行ってしまったのです。逆にゴジラに対して思い入れが無かったからこそ、行くことができたのかもしれません。
 『シン・ゴジラ』の面白さは前評判どおりでした。ゴジラ――未知の巨大生命体という想定外の「生きた災害」に対し、日本がどんな対応を取るか。それを細密に描いたまさに「空想科学モノ」の傑作だと思います。特に、ネットで多くの方が指摘されているとおり、ゴジラへの対策を練る様々なレベルでの政治家や官僚、自衛官などの会議が、圧倒的な説得力を有しており、それがこの映画の面白さを下支えしていたと思います。
 確かに、米軍の地中貫通型爆弾を受けたゴジラが覚醒し、全身からビームを出しまくって一瞬のうちに東京を火の海に変えてしまったシーンの絶望感は本当にハンパないものでした。ですがこの絶望感を演出できたのは、そこに至るまで展開されていた会議室シーンの積み重ねだったと思います。この映画、ゴジラが暴れまくるシーンで、被害者の市民がのたうち苦しむような描写はあまりありません。もしそのような場面があったとしても、痛々しくはあれ、説得力は産まなかったと思います。現実の延長にある会議シーンの有り余るほどの説得力が、荒唐無稽なゴジラの存在に“偽りの現実味”を与えたのだと思うのです。
 ただ少し残念だったのは、ゴジラとの最終決戦のシーンでした。いえ、米軍の力を借りての物量作戦でゴジラを疲弊させたり、爆弾を積んだ無人電車やわざと倒したビルをゴジラにぶつけたりする作戦なんかは、かなり燃えるものがありました。ただ、決め手となる「血液凝固剤を口の中に流し込む」という絵面は、それまでの描写が派手派手だった分、どうしても地味に感じてしまったのです。ここは切り札を「血液凝固剤」ではなく「電車やビル」にして、「血液凝固剤は用意できたけどどうやってゴジラの動きを封じる?→私にいい考えがある(ここではバラさない)→電車やビルを使う→その手があったか!(と観客ビックリ)」みたいにしてくれたら、個人的には満点でした。でもまあ、その部分が惜しいと言っても、期待水準を大きく超えた素晴らしい作品であったことは確かなんですけど。
 とにかく『シン・ゴジラ』は、ゴジラは1作目しか観ていないような自分でも楽しめる、極上のエンターテイメント作品でした。きっとゴジラマニアの人はもっともっと楽しめるんだと思います。今現在の懸念は、『ヱヴァQ』の不評っぷりに比べて『シン・ゴジラ』があまりに絶賛されたがため、庵野監督がますますエヴァの続編(というか完結編)を作るのがイヤになったりしないかということだけです。
 ――いや、『シンゴジ』が傑作になったように、『シンエヴァ』も傑作になりますよね。信じて待つことにします。