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Diary
クニ子の日記




2013年7月27日(土)
『最低のオリ』管理人の彩雲11型様からの暑中見舞いをアップいたしました」
「どうもありがとうございました~!」



2013年7月3日(水)
「録画していた『翠星のガルガンティア』最終回を観終った」
「では例によってネタバレ感想などをどうぞ」

『翠星のガルガンティア』ネタバレ感想
 実は、私、このアニメのOPを聞くたびに、「あまりにも明るく能天気すぎる……」と(今思えば)謂れのない不安を抱いてしまってました。
 いや、だって、曲名が『この世界は僕らを待っていた』ですよ? 歌詞の内容も明るくポジティブだし、映像もムチャクチャ楽しそうにしてるし……こんな前向きでいいの? って毎回思っちゃったんですよ。何しろ、原案やシリーズ構成・脚本があの人なんですから。
 なのに、物語の前半は“翠星=地球の探訪記”という、たいへんにのどかなものでした。映画やアニメや小説やTRPGで異世界体験をするのが大好きな自分にとって、とっても楽しい雰囲気でしたね。だからこそ、この雰囲気がいつ暗転するかという不安を覚えつつも、半ばそれを期待してしまったのです。
 なので、当初、自分は、この平和な翠星に人類銀河同盟が攻め込んできて、レド君が故郷とガルガンティアの狭間で苦悶する、みたいな展開を予想していました。んでもって、いったんはチェインバーとも決別してしまうのですが、最終的には合流し、ガルガンティアの人々とともに人類銀河同盟と戦い――そして、勝利するも、自らの故郷を自らの手で消滅させてしまう、みたいなストーリィを想像していたのです。いや、全13話だとは知らなかったので。
 でも、実際のお話はもっとコンパクトにまとめられていて、「狭く偏った世界しか知らなかった少年が、人々との交流を通して成長し、世界と人生について考え始める」という、とても王道な展開を最後まで貫いてくれました。それでいて、人類銀河同盟の象徴――“実は中の人などいない”ストライカーとの決着もきちんとついていて、SFとして非常に良作だったと思います。
 ここで外せないのが、やはりチェインバーの変化です。
 今まで知っていた環境とはまるで違うところに放り込まれたのは、レド君だけではありません。むしろ、パイロット支援啓発インターフェイスシステムとして設計された彼にとって、翠星=地球は、その存在意義を揺るがすという意味で“システムにとって非常に劣悪な環境”であったと思うのです。ただ、彼には、支援し、啓発すべき存在であるレド君がいたからこそ、正気を――システムとしての本分を守ることができたのだと思います。翠星=地球に人類銀河同盟のルールを持ち込み、ついには自らを“神”と称するようになってしまった、狂ったAIのテンプレのようなストライカーとの差は、彼にはレド君がいて、ストライカーがクーゲル中佐を失ってしまったことによるものである、というのは、あまりに出来過ぎな対比でしょうか。
 ともかく、レド君が成長し、人間性を獲得していくとともに、彼を支援し啓発することを存在意義とするチェインバーにも、変化が生じていったのでしょう。チェインバーは、ヒディアーズと戦うべきか否かという点についてはさすがにブレませんでしたが、一方で、AIは人類に奉仕すべき存在であるという点においても筋を通しています。そして、AIは人類に奉仕すべきであるというレゾン・デートルに忠実であるがゆえに、翠星=地球において、もはや兵士でなくなったレド君の“成果”について、ヒディアーズの撃破数とは別の、独自の尺度を獲得するに至ったのでしょう。生存し、探究することによって得られる“成果”。それを、ヒディアーズの撃破数よりも上に置くようになったこと。この、いかにもロボらしい友情の在り方に、喝采を送りたいと思います。
 チェインバーの最期のセリフ、「くたばれ、ブリキ野郎」は、亡者の妄執の器に成り下がり、人類に奉仕するものとしての本分を失ってしまったストライカーに対する、絶対の否定なのでしょう。これを言わせたのは、ヒトと違い、存在意義が明確に規定されているロボゆえの誇り……と言ってしまうと、逆に人間臭すぎますかね。
 そして、そんなチェインバーの体が、クジライカの幼生の住処になる、というラストシーンは、人類同士の戦いのために生み出された兵器でしかなかった彼にとって、ある種の救済であるようにも感じられます。もちろん、これは人間である私の勝手なセンチメンタリズムなのですが。でも、「ロボかっこいい」「ロボ可愛い」という感情自体が、人間の勝手なセンチメンタリズムであり、ロボ萌えはだからこそ応えの得られない究極の片想いなのかもしれません。要するに、何が言いたいかというと、「チェインバー萌えるよな」ってことです。
 ……それにしても、あの人、つまり虚淵玄せんせーの作品を全て鑑賞したわけではないのですが、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』といい『Fate/Zero』といい『魔法少女まどか☆マギカ』といい本作といい、「少女が少女であるがゆえにヒドイ目に遭う一方、少年は苦労しつつも成長する」というお話が多いような気がします。他の作品はどうなんですかね。

 追記:「くたばれ、ブリキ野郎」って、もしかして人類銀河同盟の言葉じゃなくて、翠星=地球の言葉だったのかなあ、とふと疑問に思いました。そもそも“ブリキ野郎”はピニオンの言葉から来てるのだろうし……。もし、翠星=地球の言葉だったのだとしたら、またいろいろ考えることができそうです。




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