第ニ話
『異能の代償』
終章



 梅雨明け。本格的な夏の空が、窓の外で青く広がってる。
「結局、謎の怪事件になっちゃったね」
 あたしは、萌木さんが書いたんだって言う週刊誌の記事を見ながら、譲木くんに言った。花のじょしこーせーが読むにしては、ちょっとお下品な雑誌だけど、萌木さんが送りつけてくるんだもん、しょーがない。
 萌木さんは、D.D.T.の協力者として、情報収集のほかに、こういう仕事もしてる。つまり、D.D.が関係する謎の事件を記事にして、どうにか世間の注目をD.D.やD.D.T.に向けないようにしているわけだ。
「あの場合、どうしたってそうだよ」
 おっしゃる通り。
 あそこに集まった人たちの記憶は、氷川さんを含め、かなり混乱してるみたいだった。だけど、夢遊病患者が、雨の中、廃ビルの屋上で給水タンクぶっ倒したなんて事件に、まともな説明をあてはめるなんて、どだい無理な話である。
 結局マスコミは、カルト教団の秘密儀式だとか、サブリミナル効果の暴走だとか、宇宙人召還の儀式だとか、解説にもならない解説を一ダースくらいでっち上げた。幸運にも、その中で真実を的中させたものはなかったんだけど。
「まあ、D.D.T.の情報操作能力だって、たかが知れてるしね」
「あ、そうなんだ……。なんか、もっとスゴいことするのかと思った。CIAとかKGBみたいな」
「まさか」
 譲木くんは、くすっと笑った。
「ただ、これで……またこの街は、人類結社なんかに目をつけられるかもしれない」
「へえ……」
 あれだけ苦労して、あれだけ悲しい事件に関わって、しかも秘密組織に命を狙われるんじゃ、ホント、割に合わない。
 はあ、とあたしはため息をついた。
 自分だけは無関係だなんて、どうしたって考えられない。やっぱ……あたしも、D.D.だから。
 何だか、深みにはまっていく感じ。まあ、あたしにだってじゅーぶん責任はあんだけど。
「氷川さん、ちょっと明るくなったね」
 浮かぬ顔のあたしを慰めるように、譲木くんが言う。
「そう、ね」
 あたしの顔は、それを聞いても晴れない。
 ぎらぎらする晴天が、何だかうっとおしかった。



 一学期最後の日。ナナミは、下校途中の鳥飼くんを呼びとめて、そのまま、校舎裏に連れてきた。
 ってコトを、あたしがなんで知ってるかって言うと、校舎裏にゴミ捨てに来たまま、眠りこけてたからだ。だって、睡眠期だったんだよお。
「隼也、コレ……」
 ナナミの、ひどく切迫した声に、あたしは目を覚まして、そして、顔を引っ込めた。大掃除のあとに大量に出たゴミ袋に埋もれる図というのは、あまり人に見せたい格好じゃない。
 ゴミ捨て場はあそこから死角になってるから、二人はあたしに気付いていない。でも、声はばっちり届いてる。
 ホントは、盗み聞きなんてすべきじゃなかっただろう。でも、好奇心と、あとは企画立案者としての責任感から、あたしは動けなかった。
「クッキー焼いたんだけど、食べて」
「珍しいな。翔子が、ンなことするなんて。焼きすぎたのか?」
「ちがう……。隼也に食べて欲しくて、作ったの」
 細い、震えるような、ナナミの声。
 鳥飼くんは、ラッピングされたクッキーを取ろうとした手を、止めた。
「えっと……翔子、それって……その……」
 鳥飼くんのうろたえ声に、ナナミが、沈黙で応える。
 そして……。
「ごめんッ!」
 見ると、鳥飼くんは、目をぎゅっと閉じて、ナナミに頭を下げていた。
「悪い……俺、その……好きなコが、いるんだ……」
 辛そうに、それでもはっきりと、鳥飼くんは言った。
「翔子のこと、いい奴だと思うし……すごく嬉しいんだけど……ソレ、やっぱ、受け取れない……」
 ごにょごにょごにょ、と語尾が鳥飼くんの口の中で、消えていく。
 ナナミは、そんな鳥飼くんを、今まで誰にも見せたことのないような微笑みを浮かべ、見つめていた。鳥飼くんは、動かない。
 ナナミが、うつむいた。
 そのちっちゃな肩は、なんだか震えてるみたいで……
「んっきゃはははははははは」
 ナナミは、体を折って笑い出した。
「しょ、翔子?」
「おっかしー、隼也、ホンキにしてるーっ♪」
「な、なんだよ、それッ!」
 体を起こした鳥飼くんの顔は、真っ赤だった。
「バッカじゃないの。あんたに、わざわざクッキーなんて焼いてやるわけないじゃない」
「翔子、てめー……!」
「練習よ、れ・ん・しゅ・う」
「れ、練習って……お、お前、好きな奴、いるのか?」
 今は、鳥飼くんのこのニブさは、救いだ、と思う。
「さあね♪」
 ナナミは、にっこりと謎めいた笑みを浮かべて、その場を立ち去った。



 教室に帰ると、ナナミが、ぼんやりと自席に座ってた。他には、誰もいない。
 机の上に、ラッピングされたままのクッキーが、ちょこんと乗っている。
「……ユッキ、クッキー食え」
 頬杖をついた姿勢のまま、あたしの方に顔を向け、言う。
「うん」
 いいの? とは訊かない。訊けるわけ、ない。
 あたしは、ナナミが焼いた、市松や渦巻きの模様のアイスボックスクッキーをつまんだ。
「ん……。おいし♪」
「そう?」
「うん」
「でも……ちょっと、苦かったかな?」
「そだね」
 ナナミは、泣いてない。笑ってる。
 抑えられた、かすかな、笑み。
 ナナミが、一生懸命やいたクッキーが、喉につまる。
 あたしは、がらんとした教室の中、ナナミと差し向かいで、クッキーをつまみ続けた。



 あたしは、氷川さんを助けた。
 ナナミを……裏切ったんだろうか?
 今、氷川さんは、鳥飼くんに、笑いかけてる。かすかな、でも可愛い笑顔。
 誰かが幸せになると、他の誰かが不幸になる。世の中の、幸せの総量は決まってる。
 そんなこと、信じてないけど……。
 ナナミ。
 お互い、イイ男みつけような。



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