第一話
『深夜の校舎』
終章



 数日、経った。
 名目上は立ち入り禁止の屋上から、あたしは校庭を見下ろしている。
 あと一日か二日で、覚醒期も終わる。さんさんと日の光が降り注ぐ、あったかな昼休み。人並みの眠気が、あたしの目蓋を重くする。
「如月、さん?」
 待ち人が、来た。
 振り返ると、包帯を外した、もう見慣れた顔が、そこにある。
「譲木くん……」
 あたしは、そっと口を開いた。
「……なに?」
「譲木くんは、死んだの?」
「え?」
 譲木くんと同じ顔をした目の前の誰かが、目を見開いた。
「死んだん、でしょ」
 あたしは、ものすごい努力をして、言葉を続けた。ひとつひとつのセリフが、小石のように喉にひっかかる。
「……」
「そうじゃないといいなって、思ってたんだけど……あたし、見たから」
「見た?」
「ほんものの、死体」
 つまり、人類結社のあの人たちのこと。
「あの夜の譲木くんと、おんなじ感じだった。だから、あのとき……譲木くんは、やっぱり、死んでたんじゃないかなって……。それに、君って、態度とか、セリフとかが、色々おかしかったし」
 言葉が、まとまらない。
「……」
「君、誰なの?」
「僕は……」
 彼は、つい、と目をそらした。
「僕は……僕は、譲木……」
 見てるこっちまで辛くなりそうな、彼の顔。
「譲木、育馬。拓馬の、双子の弟だよ」
「……そっか」
 胸のつかえが、ほんの少しだけ、取れる。
「拓馬は……それに、この星倫高校は、人類結社の注意を引いていた。少なくとも、あの三人の結社員には」
「だから、すりかわったの?」
「うん」
 こくん、と子供みたいに素直に、彼が肯く。
「この学校は、実は、D.D.T.が経営してるんだ。だから、人類結社に限らず、世間の注目を集めるのは避けたかった……。だから……“譲木拓馬”が死んだってことも、隠す必要があったんだ」
「……」
「ここは、不思議な場所だよ」
 譲木くんは……つまり育馬くんは、あたしの横に来て、柵越しに校庭を眺めた。
「D.D.とかの能力を、育て、高め、強める。そういう、不思議な場所なんだ。君や、拓馬の能力が発現したのも、ここに通ってたことと無関係じゃない」
「……」
「それに、あの御影って奴が、DEMONを召還する能力を使うのにここを選んだのも、それでだって、乾さんが言ってた」
「ふうん……」
「……僕はね、もともと、拓馬に何かあったときのための、交代要員だったんだ」
 自嘲にしては、妙にからっとした、育馬くんの声。
「表向きは、中学時代に家出して、そのまま失踪したことになってる……。でも、実際は、拓馬とちょくちょく会ってたんだ。それで、如月さんのことも、よく聞いてたよ。あいつが、手紙を渡すって決心したことも」
 彼は、懐から、ちょっとくたびれた、あの封筒を取り出した。
「でも、手紙の中身までは知らなかったから……」
「だから、手紙を盗ったの? 入れ替わりがばれないように?」
「今回の事件が終わったら、どうにかして、返そうと思ってたんだけどね」
 言いながら、封筒を差し出す。
 封は、切られてない。
「あいつね、言ってたよ。一年のとき、隣に座った君が、いきなり居眠りしたときに……」
「ごめん、聞きたくない」
 あたしは、育馬くんの言葉を、途中で遮った。
「手紙も、読めない。だから、譲木くん、持ってて」
 そう言って、彼に背中を向ける。
 譲木くんは……育馬くんは、何も言わなかった。
 無言のままの彼が、屋上からいなくなる気配が、背中に感じられる。
 あたしは、ぺたん、とあったまったコンクリートの上に腰を下ろした。
 空を見ると、わたがしみたいな白い雲が、いくつもふわふわとただよってる。
 彼のことなんか一度も意識したことのなかった――きちんと告白を聞くこともできなかった、あたし。
 そんなあたしが、ぽろぽろと他愛なく涙をこぼしているのを見たら、譲木くんはどんなふうに思っただろう。
 そんなことさえ、もう、尋ねることはできない。
 人が、いなくなるってのは、そういうことなんだ。
 そのことを納得するまでは、けっこう、時間がかかりそうだった。



 あたしは、泣き疲れて、夜更けまで、学校の屋上で眠った。



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